新作&『萌黄の鳥』抜粋 み〜つけた! 詩のある風景 ≪私の好きな歌人≫ 『萌黄の鳥』 本編
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詩のある風景08´


黒谷
08´11,28


真如堂三重塔



真如堂本堂


 洛北・修学院
08.11.21


徳川時代初期、失意のうちに退位した,後水尾天皇造営の幡枝離宮跡。
修学院離宮完成後は幡枝御所とよばれていたところである。
北山時雨のひとときの晴れ間に望む借景の比叡は美しい。


円通寺



赤山禅寺



曼殊院



円光寺




円光寺



円光寺








詩のある風景08´春



醍醐・宇治 さくら浪漫

醍醐寺 
 
        
撮影゛08´4.2


五重の塔

醍醐天皇の菩提を弔うため第一皇子朱雀天皇が着工し(936年)、
第二皇子村上天皇が完成した塔である(951年)。
醍醐天皇は藤原時平・菅原道真の補佐のもと国を治め、
「古今和歌集」(古今集)を勅撰した天皇。




三宝院  前

庭の東、「枕流亭」の茶室には普通腰を低めなければ入れない「にじり口」ではなく
「貴人口」といわれる丈高い入り口がある。ここは貴人の出入りするところ、刀など預からない
ためらしい。高貴なひとだけの茶室か、、。
桃山時代の粋を集めて太閤の再建した三宝院もまた見所いっぱいだが
残念ながら三宝院内部は撮影禁止である。




霊宝館 庭

「やすらかな白猫の世界と醍醐の春」展示中の霊宝館に収蔵されて宝物も
さることながら、とくにここの庭園のさくらは見事だ。

館内には国宝や重文だけで4万点、生憎大方がドイツのボンで開かれている
世界遺産「醍醐寺展」に出品中とのこと。これに外れた如来、菩薩の心もち
うらめしそうな目線に出会う。いや、もっとも修行を積んだ仏様たち、、。
決してそのようなはしためごとき振る舞いはなさらさいはず、、。


。。。。。。。。。。。。


宇治
 平等院 撮影゛08´3.29


宇治川のさくら
宇治川の流れ下る一帯は平安貴族の別邸が立ち並び、宇治川から巨池

桂川への水路も引かれ舟を浮かべれば月見もでき、遠出を望めば嵐山
へも行くことが可能であったという。



平等院

ひたすらに阿弥陀にすがれば極楽浄土にいける、この世に無常を
感じあの世に
理想を求めた人々の夢の寺として平等院があった。
藤原頼道は父道長の別邸を
平等院と名づ鳳凰堂・法華堂・た多宝塔など
大伽藍を完成した。



木瓜の花

こんなに見事な木瓜の花にお目にかかったことはない。






詩のある風景07´秋

洛西の紅葉

07´11.21

このあたりは桂昌院(徳川五代将軍綱吉の生母)
が応仁の乱で荒れ果てた寺の再興に力をいれ、金蔵寺にも力を
つくしたとある。同じ洛西にある善峰寺などもそうである、、。




金蔵寺 本堂




光の中もみじ

この古寺の緋色の紅葉は見事で心に沁みこんでくる。
知る人は知るらしく、プロとおびしきカメラマン数人が待機していた。
毎年きて今日も朝からシャッターチャンスを狙っているという。
紅葉はさくらと違って、逆光が栄えると教えてもらった。ここで三脚の
一眼レフのカメラを覗かせてもらう。デジカメより断然迫力があった、、。

                                      



金蔵寺 山門




京都眺望




大原野神社

大原野神社では紅葉のトンネルの出迎えをうける。
ここのもみじは場所によって色づきが違う。山側と陽の射す
ところの温度差が微妙に影響するのであろう。



大原野神社



正法寺

大原野神社のまん前なのでついでに回るつもりの正法寺であったが、これが
意外によかった。東山と京の街を借景とする「鳥獣の庭」の石庭、早咲きの椿、
襖絵そして紅葉の可憐さ。住職のこの寺に寄せる思いが伝わってくる
そんな寺であった。





詩のある風景 初夏

北海道一人旅07.´07.11


北海道を代表する、あの美しい白樺もやせ地にしか育たない樹木なので
土地の人からは、嫌われているという。昔アイヌの人が山に迷ったとき、
この木の樹液をすすって飢えをしのいだという。
ここはキタキツネの生息地らしくところどころに木の立て札が立つ。期待したが
バスの行く道にはついにキタキツネは姿を現さなかった。


07.11 田園風景

白樺の木立を抜けると
ジャガイモ・小麦・アスパラ・紫大根の畑がどこまでも広がる。
 アルプスのチロル地方のようななだらかで、やさしい風景の夏の中山峠を下ると
サミットの開かれる洞爺湖へ。



洞爺湖
洞爺湖より羊蹄山(蝦夷富士)がみえるのだが、あいにく雨で姿を
現さなかった。

中山峠から洞爺湖を抜け大沼へとつづく海岸は白波が押し寄せていた。
どこまでもどこまでも続く海岸線。反対の山際は
痩せ地で農地には向かず牧草地帯に入る。
牛の放牧場が函館までつづく。アイヌ語で長万部は「鮭の
とれる地」というガイドの説明だがアイヌの人たちの
生活に密着した地名は実に面白い。




ハリストス正教会

ここ函館の元町にはヨーロッパだけでなくロシアの教会が
目につく。世界各国の視線が北の地函館日本に向けられて
いたことを改めて知る。



トラピスチヌ修道院


函館の街の東はずれに、トラピスチヌ修道院がある。日本女子最初の修道院で
現在も60人弱が住う。牛を飼い、作物も自分達で育て自給自足の生活
おこなっているという。若い未婚の女性が欲望を絶ってひたすら祈りの世界にいることは
想像できない。ここに入る資格は厳しくて心身ともに健全な女性で、18〜20才両親の了解が
条件という。(期間は8年間、そのとき一度だけ、修道院に一生いるも去るも選択できる)

中世に迷いきたような美しい建物からは、想像できない厳しさに身を置く女性たちの姿はを
勿論見ることはできなかった。が、不思議な感動を覚えた。



三室戸寺 紫陽花
 
  
 
07´06.08 撮影  佐々木則子



山門

山門を抜けると5千坪の大庭園が広がる.
まだ咲きはじめらしく淡い水色が木立に映えて美しい。


西国十番 三室戸寺 

五千坪の大庭園には五月つつじ・シャクナゲ、六月は一万本の紫陽花
七月ハス、秋は紅葉と四季を通じて美しい彩を見せてくれる。

   


紫陽花庭園

この寺を訪れるのは三回目。初回は15年位前だったか、、。
あまり手入れの行き届かない寺と記憶している。
今回は紫陽花の美しい寺に大変身していた。



詩のある風景 −  

京都 葵祭
 
  
 
07´05.15 撮影  佐々木則子


花で飾った牛車


優雅な衣装を纏った平安貴族・女人等、総勢511人が
京都御所を出発して下鴨神社から上賀茂神社へと向かう。
紫の藤の花房を垂れ下げ、車輪を軋ませながら進む様は
ことのほか優雅である。


斎王代

斎王というのは平安時代に内親王が選ばれて
祭りに奉仕したもので、現代は在京の未婚女性から
選ばれ斎王代と呼ばれる。
腰興(およよ)に乗る斎王代の前を行く童女。

御所車

牛車、俗に御所車といわれ平安朝以来、乗用車として、
用いられたもので、これは勅使の常用のものを行列を
立派にするため引き出されたもの。




命婦(みやうぶ)

一般女官の通称で、小袿(こうきち)、単、打袴を装い
花笠をさしかける






地蔵禅院
(07・03・29)
撮影  佐々木則子


左大臣橘諸兄が天平12年(740年)、この地に壮麗な別業や
氏寺・玉井頓営を建立した。聖武天皇の行幸を仰いで
盛大な宴遊が催されたといわれる。




見事な鐘に「物騒な世だから盗まれないようにしないと、、」という
観光客に「へぇ〜そんなことありますのか」と土地の人はいう。
世事に疎いというのも、のどかである。

カメラアングルはプロのカメラマンに教えてもらった。
自分の腕の未熟さをなんでも、カメラのせいにするのは
よくないですよと、、。





高台の下を流れる玉川には現在500本のソメイヨシノが
植えられ、さくらの名所として復活した。(07´04.06撮影)
この玉川は木津川に注ぎ、八幡で淀川に合流する。





地蔵禅院の枝垂桜と玉川の染井吉野は開花までに
一週間ほどのずれがあ
る。




地蔵禅院

樹齢280年 枝垂れ桜 天然記念物



詩のある風景 −   
洛北(07・03・13)
撮影  佐々木則子

        
                       
 円通寺 霊峰比叡山を借景にして
                秋になると石庭の左右に紅葉の大木が色どりを添える。
              
                                                            

          


                     
                     円通寺 門


詩のある風景 −   

異国情緒を今に伝える

赤レンガの街  舞鶴(07´02・06)

撮影 佐々木則子



舞鶴市記念館


明治35年旧海軍の兵器廠倉庫(砲銃庫)として建設される。
戦後は、市庁公舎として一部使用され、平成6年芸術・文化の交流の
場として新しく生まれ変わる。この裏に隣接する建物も4月より
このような場としてお目見えするとのこと、楽しみである。
平和がもたらした歴史的遺産の活用、この後も長く続いてほしい
ものである





倉庫群

12棟の赤レンガ倉庫群が現存している。近代化遺産
の建造物として貴重な存在。

映画「バルトの楽園」や「男達の大和」の撮影も
一部この地でおこなわれた。



「赤レンガ博物館」内部




アウシュビッツ収容所

赤レンガ博物館には煉瓦のもつ魅力が語られている。
古代エジプト・メソポタニアの遺跡や世界中の
煉瓦が展示してある。



赤煉瓦カフェ

ジャズの生演奏が定期的に行われているとのことである。
ジャズと赤れんがの取り合わせも素敵だろうと思う。




記念館内部  ギヤラリー

建物との調和がすばらしい。




詩のある風景 −  

嵯峨野散策

撮影  佐々木則子



嵯峨野

「嵯峨」という地名は、唐の都、長安の
嵯峨山からとって、天皇自ら命名したとある。
先の天皇、桓武天皇(平安建都)の波乱に満ちた
時代と違って、太平の世にあって宮廷文化が
花開いた時代である。





散りもみじ  常寂光寺
(06´11.17)

侘びたたたずまいの山門を抜けると京都屈指の紅葉の
名所常寂光寺が現れる。
散り紅葉の美しさは群を抜いている。




洛西の秋 (06´11.27)
からすうり




二尊院  (06´11.17

西行法師(1118〜1190年)

常寂光寺にも二尊院にも西行の庵跡があった。
嵯峨野道にも西行の井戸跡と歌碑、西の京の花の寺
あたりも出かけていたようで、私の中の隠遁者、西行とは
かなり違う華やかな印象を受ける。
実際にはかなり政治にも、宮廷サロンにも力を
もった精力的な人物像が浮かんでくる

二尊院山中「時雨亭」にて藤原定家「小倉百人一首」が
選定されたとされる。
定家(1162〜1241年没)





大徳寺へ辿る道 (06´11.17)



仏野念仏寺から徒歩で25分、大覚寺までの道の辺は
のどかで茅ぶきの農家のまだ残っている。
身近になった京野菜の聖護院大根・九条ねぎ・蝦芋が
秋の陽を浴びあちこちにふくふくと育っている。

土地の子に大覚寺を尋ねると、「真っ直ぐ行ったら
大覚寺やけど、こっちから入るとお金いらんねん、、」と
こっそり教えてくれた。広い境内、どこか管理のいきとどかない
ところがあって、子供達は日ごろそこから出入りして
いるのであろうか。「ありがとう。今日はお金たくさん持ってきたから、
大丈夫よ」といって別れた。




詩のある風景 − 
初秋 




東福寺  通天橋   ( 06´9/27)
紅葉前の静けさ

東福寺の「南門」を羅城門の一部と思い違いして記憶していた。
それにしては華やかさもなく不思議だったが、ほんのいちぶが
ここにあるんだろうと勝手に解釈していた。今回謎は解ける。
六波羅蜜寺よりの移築だったのである。確かめるため訪ね来たが
ついでに東福寺を散策し紅葉前の通天橋を通り抜ける。案内人の話では
「もみじは緑の頃の方が元気になりますえ」ということだった。そういえば
一人旅の男女に多く出逢ったことに気づいた

人喰いて喰わるる京の日常見下ろして移築の羅城門健在なり

この歌はまったく間違いだったのである。




東寺 五重塔 (06´09/7)

羅城門を追う内、東寺にたどり着く。羅城門楼上にまつられていた「兜跋毘沙門天像」が
ここにあると知ったからである。平安京の昔、内裏へ真っ直ぐ伸びる朱雀大路南の正門で
あった朱の羅城門も今は公園に碑を残すのみである。五重の塔を揺らす、すすき穂は今昔の
思いを今に伝える。嘉永三年、源の義親を討伐した平正盛の凱旋のにぎわいも
芥川龍之介の「羅生門」の老婆も盗人も遠く押しやり、、。




東寺の庭 ( 06´9/27)



詩のある風景 − 


高瀬川



高瀬舟
(06´8)

高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。
元来たかせは舟の名で、その舟の通う川を高瀬川とある。
徳川時代、物資の輸送を目的としたが、時には罪人も運ばれた。
京都の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬舟で大阪へ廻された。
森鴎外の「高瀬川」はここが舞台である。弟殺しの罪を犯した男、
喜助とそれを護送してゆく京都町奉行腑の同心との奇妙な
ふれあいが描かれている。




「一之舟入」(06´8)

川の西方の堀割を「一之舟入」という。高瀬川は慶長16年ごろ角倉了以が開いた
運河で、ここを通行する高瀬川の荷物の上げ下ろしをする、舟洞所を舟入といった。
この辺りを起点として鴨川の水を取り入れ、鴨川に平行して十条まで南下、さらに
鴨川を横断して伏見に通じ、最盛期には百数十隻の舟が行きかっていた。
木屋町筋には「木屋町」という町名の由来ともなった材木屋をはじめ多くの
問屋が立ち並んで賑わいを見せた。

明治以後、高瀬川は舟運の目的を失ったが両岸に柳を植えた景観は京都の
情緒の大きな大きな要素となった。一之舟入は江戸時代の交通運輸の貴重な
遺跡として京都市の史観指定にされている。一部問屋が今も
料理屋等となって現存している。




高瀬川(06´8)


高瀬川は今も静かなたたずまいを見せ流れている。