新作&『萌黄の鳥』抜粋 み〜つけた! 詩のある風景 ≪私の好きな歌人≫ 『萌黄の鳥』 本編
 『萌黄の鳥』 評 『鍵束揺らし』 HOME


みい〜つけた

   
 注目の若手歌人詩人・作家








「運河の果樹園」   藤田千鶴  (塔)

   
 塔創刊五十周年記念作品賞受賞 (30首より)

親の親なりたるごとしこまごまと注意しており夜のホテルに

バンコクの日差しの強さ腕に受け今日は日曜  バザールがある

針持ちて路地の小さきテーブルに黙黙と花繋ぐひとあリ

三輪バイクでバンコク市内を駆け抜ける花市場から博物館まで

どの家も舟を収める場所をもつ運河に沿いて暮らす人びと

生活がまるごと流れているようなチャオプラヤー川にひととき浮かぶ

来世も深き縁ある三人か無言で舟から見ている果樹園

まるでもう来世で会っているような父の横顔舟に揺られて

血縁は舟のごとしもいま少しこの父母と共にたゆたう

暁の寺より見れば果物の皮のひとつか我らの舟も

私たちが親子で舟に乗ったこと 川は流れる百年のちも

いずれ我を置いてゆくひと影うすくエメラルド寺院の階のぼりゆく

舟いかだで昼に求めしデンファレのレイ萎えている夜の写真に

歩行者用の信号なき街足早で母の手を引き渡る大通り

チーチーと父が私を呼ぶときはいつもカタカナ「チー」と伸ばして

父母がふたりで買いに行きくれしバニラアイスに手をつけず寝る

父の字で私の名前が書いてある『ももいろキリン』のカバー思えり

ちづるにはカーブ多しひらがなで夜景の窓に大きく書いて

絶え間なく流れる光いつまでも車も川も流れ続けよ

きっともっとやさしくすればよかったと思うのだろう別れたあとに

 (ふじたちづる)平成17年「貿易風(トレード・ウインド)」で
角川短歌賞佳作。「塔」編集委員。




『問答雲』
     春日いづみ  「水甕」

            第一歌集 (角川書店より)


食卓に議論また湧き鍋のなか小羊の肉ぶいぶい揺れをり

民族の絆薄るるわれらゆゑ眩しクルドの土の歌声

水汲みは女の仕事深きひそけきものを汲みて太りき

赤松の太さの揃う林にてゲットー思ふその静まりに

ヨブの身を思ひて慰む夕まぐれ問答せよと雷とどろく

      
   第12回日本現代歌人クラブ新人賞受賞

                                                                  
「 銀河祭 」      

           (2006.8.11付 朝日新聞夕刊)

二進法に今もなじめず朝の露集めしガラスの小瓶を振りぬ

銀河祭に出会ふ星星もしかしてエラノス会議に集ひし魂(たま)や

月いでて気炎の上がる男等の彫り深くしてソフィストの貌

問答がやがて対話に収まりぬ「あつかぜいたる日」雲解けゆく

遁走は明日にしよう月の船 うす雲曳きて消えてしまひぬ

酢浸しの黄菊を食めるわが家族月平線に見られゐるやも

いまここに呼んで呼ばれて家族なす幾世をかけて願いしことよ

満ちるがに引くがにうねる葉擦れ音叉すがら届くアルテミスの





著書 山田治生
『音楽の旅人』

小澤征爾の初の本格的評伝

無名の音楽青年は
いかにして、「世界のオザワになったのか。


1964年、京都市生まれ。洛星・高校のオーケストラ部でヴィオラに出会う。
1987年、慶応義塾大学経済学部卒業。1990年から雑誌や新聞などで音楽に関する
執筆活動を行っている。編集書に「オペラガイド」126選」(成美堂出版)、訳書に
「バーンスタインの思い出」(音楽の社)がある。

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1968年に、征爾は偶然、ボストンの空港でR・ケネディと会った。そのとき、
ケネディは「君のお父さんはどうしてる?元気か?」とたずねたという、
征爾の父、小澤開作は、たった一度会っただけでもその人の心を惹きつける
何かを持った人物であったのだ。

学校も先生も決めずに、とにかくヨーロッパへ行ってしまおうという行動力や
楽天性は(良く言えば「冒険心」悪く言えば「無鉄砲さ」)、そして、世間的には
まったく無名の若者に大人たちが援助を差し延べてしまうような
人間魅力・カリスマ性は、父・開作から譲り受けたものと私は思う。
1959年2月1日、小澤征爾は貨物船・淡路丸に乗って、不安と希望の
いりまじった気持ちで神戸港からヨーロッパに旅立っていった。出港のとき
彼はこうつぶやいた。「こいつは大変なことになった。いったい
どうなることやら、、」   本文より