釈迦如来像のお話
「仏像」が造られ始めた約2000年前、「仏」と言えば「釈迦如来」のみでありましたので 「釈迦入滅」から長い間、姿なき仏の時代を経て、仏像がこの世に現れるまでの「礼 釈迦如来像が現れるまでの間に本生譚の数が増すに従って人間釈迦が超人格者とな |
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「仏足石」は国宝指定で仏教史上貴重な文化財です。 |
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「釈迦如来像」は最初インドのガンダーラとマトゥラ地 |
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「マトゥラー像」は感じとしてはどちらか |
沖縄のシ−サ(−)だったりするのであります。 相好はインド人の如くで、肩はいかり肩です。 |
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「釈迦如来坐像」は黄河の支流・伊水の |
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韓国の南山弥勒谷「金鰲山菩提寺」は大雄殿も新し |
坐」であると思っておりましたらこの像は右足が上に来る「吉祥坐」です。ミャンマでも |
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釈迦如来は生後間もなく七歩歩いた後右手が天を |
余談ですが「お釈迦になる」という言葉がありますがこれには色んな説がありその一 |
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「釈迦如来坐像」については「明日香のお話」をご参照ください。 |
「釈迦三尊像」は一光三尊形式で三尊が一つの光背に納まっております。裳懸座の大 |
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我々でしたら死亡と言うとこ |
聖徳太子が亡くなられて、民衆が嘆き悲しむのを表しているとも考えられます。 |
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![]() 施身聞偈図(法隆寺・玉虫厨子) |
「玉虫厨子」の壁画、「捨身飼虎」ですがインドでは百獣の王は獅子・ライオンであり、 |
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「釈迦如来坐像」は釈迦三尊像として「上御堂(かみのみどう)」に安置されております。 |
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「深大寺倚像」については |
「釈迦如来坐像」については |
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![]() 本堂(蟹満寺) |
![]() 釈迦如来坐像(蟹満寺) |
「蟹満寺(京都府)」は京都市より奈良市 |
本堂は威風堂々たる「釈迦如来坐像」をお祀りするには少し空間が狭過ぎるようでした。 |
「蟹満寺像」は像高240aという包容力豊かな丈六像で施無畏・与願印で結跏趺坐してお |
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![]() 掲額(本堂) |
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「清涼寺」は京都の名所「嵐山」の近傍にあります大寺です。 |
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画 中西 雅子 |