寺院建築−室町時代

  今回は順番で行くと「寺院建築−南北朝時代」ですが「永保寺観音堂」は禅宗様で「観心寺
金堂」は折衷様で掲載いたしましたので次代の「寺院建築−室町時代」を掲載いたします。
 室町時代建立の国宝指定の堂宇の内、「羽黒山五重塔」と「円覚寺舎利殿」はいまだ訪れて
おりませんが「正福寺地蔵堂」「清白寺仏殿」「安楽寺三重塔」「永保寺開山堂」「安国寺経蔵」
「東福寺三門」「鶴林寺本堂」「朝光寺本堂」「興福寺五重塔」「興福寺東金堂」「法隆寺南大門」
「不動院金堂」「向上寺三重塔」は掲載済です。
  
  室町時代の建築様式は前代と差ほど大きな変化もなくただ折衷様化のみが進みました。 
 「塔」は「五重塔」が少なくなっていくのに逆比例して「三重塔」が多く建立されました。ま
た、多宝塔も多く建立されました。その三重塔はすべて階段を登りながら見上げる塔ばか
りです。
 塔は偶像崇拝を否定する時代には礼拝対象で象徴的建造物でありましたが礼拝対象の交
代で主役の座をおり装飾的建造物に代わったのにも関わらず建築構造は保守的に維持する
傾向にありました。
 古都奈良では当たり前でありました、履物のままで入堂出来るとか屋根は本瓦葺といっ
た様式の堂宇は珍しくなりました。                    

 

   「大法寺」はその昔、門前を街道・東山道が走っており、通り過ぎる旅人が素晴らしい
「三重塔」に魅入られて、何度も何度も振り返って別れを惜しんだので「見返りの塔」という
俗称があります。仏像なら紅葉で屈指の名所「永観堂」の「見返り阿弥陀像」がありますがこ
の場合振り返ったのは参拝者でなく阿弥陀さんであります。

 目と鼻の先に「安楽寺」があり、どうして緑の濃い山里に優れた三重塔が2棟も保存出来
たのでしょうか。   

 
       三重塔(大法寺)

  「三重塔」は本堂の左後方の山腹に必
要な底面積だけを切り開いて建立され木
々の間に挟まれ自然に抱かれております。
 塔の裏側の高台が撮影場所で、そこは
「塩田平」を見渡せる絶好の位置で、前方
の山並みには独鈷山(とっこさん)といわ
れる山が聳えるらしいですが残念ながら
確認はしておりません。独鈷山の由来は
「弘法大師」が頂上に独鈷杵(とっこしょ・読み方多数あり)を埋められたからだそ
うです。
 独鈷杵とは密教法具で金剛杵の一種です。この金剛杵という武器を持っている

のが皆さんお馴染みの金剛力士像すなわち仁王像です。このことは武器だった金剛杵が密
教に取り入れられて法具に変わったということです。
 余談ですが修善寺温泉には弘法大師が独鈷杵を使い霊泉を湧出させたという「独鈷の湯」
があります。修善寺温泉発祥の温泉で、伊豆最古のものと言われております。 
 当塔は我が大阪の四天王寺の番匠(大工)によって建立されたとの言い伝えがあり、親近
感を抱かせる塔でした。

 
      正面  南側
 

  塔の正規の組み方は、三手先でありますが
当塔は二手先で収め三手先の一手分を建屋に
回しているのでそれだけ軒の出が短くなって
おります。初層だけを大きくしたのはここよ
り車で半時間程度で行ける安楽寺の「裳階付
きの三重塔」を意識してこのような設計にさ
れたのかと考えもいたしましたが建立が当塔
の方が安楽寺塔より古くそういうことはなさ
そうです。

 初層を二手先で設計したため安定感のある良い姿を湛えております。
 

 中備の「撥束(ばちづか)(青矢印)」は間斗束と
同じように組物と組物の間に設けられた短い柱、束の上に斗が乗るものであります。その束が間
斗束は長方形でありますが撥束は三味線の道具
の撥のように裾が広がった形をしたものです。
 裾がさほど広がらない撥束、簡素で美しい蟇
股(緑矢印)という細部装飾となっており地味な
佇まいです。二重、三重目では中央間の中備は
初重のような蟇股ではなく撥束を設けておりま
すが脇間には中備はありません。
  初層の縁は高さが低いので高欄は設けており
ません。  

 

 「善水寺」は鎌倉時代創建の「長寿寺」と後述の「常楽寺」とで湖南三山と俗称されております。
 「善水寺」は岩根山にあり寺名が示すように境内に霊験新たかな水が湧き出ております。
そのことについて、お寺の説明によると『伝教大師(最澄)がこの寺に来られた時、境内に
湧いた水を汲んで、京に病んでおられた桓武天皇に献上されたところ、その病が快癒され、その喜びを縁として「医王山 善水寺」と称号されたというのです。』とのことです。
 本堂東の広場は閑静な庭園になっておりますのでそこに置かれた床机台に腰を掛け、名
物の「善水寺もなか」を賞味され、心豊かなひと時を過ごされてはいかがですか。

 
    霊 水 場

         本 堂(善水寺)
 

 本堂」は桁行7間、梁行5間の豪壮な建築で、寺院に通じる道の幅員はさほど広くな
くこじんまりとした仏堂を予想しておりましたので驚きでした。
 入母屋造、桧皮葺、蔀戸で、向拝もなく素朴で飾り気のない和様建築そのものでした。 


       妻 飾

   鬼 瓦(東側)

   鬼 瓦(西側)
   
 実肘木の先には禅宗様の繰形

 蔀戸は上半分を大きく上に跳ね上げ、下半分を取り外せば出入口となります。
 中備は撥束です。

   

 「常楽寺」は各自で拝観料を料金箱に納めて入ります。人影もなく境内は静かな空間が広
がっておりました。本堂と三重塔が国宝指定という格の高い名刹寺院です。国宝指定の本堂、三重塔が揃っているのは当寺院の他「明通寺」、「西明寺」で密教寺院ばかりです。
ただ、他の2寺の三重塔は桧皮葺ですが当塔は本瓦葺の違いがあります。   


           本 堂(常楽寺)

 「本堂」は桁行七間、梁行六間の入母屋造です。桧皮葺の屋根の軒反りは大きくなく穏やか
で気品に溢れる仏堂です。 
  本堂の肩越しにかすかに見えるのは三重塔です。 

 
             妻 飾

       二手先
  
         禅宗様木鼻
 
 正面の両脇間は連子窓で中央の五間は蔀戸
  
   拳鼻(木口に黄色塗装が見える)
   
     入八双に類似した「持送」
参考:扉に付ける装飾的金具に八双金具がありそれには入八双と出八双の2種類があります。
   
     出八双(鳳凰堂)
   
      入八双(中宮寺表門)

       手  挟(向拝)

        蟇 股(向拝)
 
         拳 鼻(向拝)
   
    
     三重塔(常楽寺)
 
      東 側

 「三重塔」は本堂左の緑こんもりとした高台にあります。塔の前庭は狭く一望すること
は出来ませんが階段下から眺める三重塔は魅力溢れるものです。三重塔では珍しく桧皮
葺でなく本瓦葺の屋根です。 

 
          木 組
 
      木 組

 縁の高さが低いのに擬宝珠付きの高覧が巡っております。脇間は連子窓、中央間には
板唐戸が設けられております。シンプルな水煙です。

 

 「慈照寺」と言うとキョトンとされる人があっても通称の「銀閣寺」と言えば子供でも知っている寺名です。
 参道には椿の樹林・竹垣・石垣で構成さ
れた「銀閣寺垣」とよばれる垣がありこれは
中世にタイムスリップする演出空間で俗世
間とを遮断する高い垣根となっております。
しかし現実は中世の気分に浸るどころでは
なかったのです。
 銀閣寺は多くの人で賑わい撮影もままな
らない状態でした。 


   銀閣 ・錦鏡池(慈照寺)

 「銀閣」は「金閣」に対比しての名称でありますが実質は銀色の姿にはなっておりません。
 人気の面で言えば、江戸時代に建立された「桂離宮」、「日光東照宮」と同じく繊細な美し
さを誇る古色蒼然の銀閣も良し、煌びやかな金閣をも良しするのは日本人の趣向の広さを
物語るものでしょう。
 正式名は「観音殿」と呼ばれ上層に観音さんが安置されております。住宅と寺院を兼ねた
珍しい建築です。
 柿葺の宝形造で露盤の上には屋根飾りとして鳳凰(金銅製)があります。 


 西面   南面(上層) 花頭窓・桟唐戸

     東  面       北 面

 上層では、北面が板壁・桟唐戸で南面の様式とは違っています。これは丁寧に造られて
いる南面から入り北面から出るということになるのでしょうか? 


 北面(上層)は板壁・桟唐戸    西面は花頭窓

 
    花挟間の禅宗様桟唐戸


        東面(上層)

       東面(下層)

  下層は東を正面とし、腰明障子が嵌められ住宅風の書院造です。  
 錦鏡池に面している東面の上層は花頭窓ばかりで出入口がありません。南、北面に出入
口がありますが上層に安置されております観音は東面しているとのことです。
  建物には近寄ることが出来ず離れて見て感動するのは自然に溶け込んでいるからでしょう。箱庭的規模で拝観でき、池に映る優美な姿が何とも言えない風情があります。 
 上層には和様の跳高欄付き縁を巡らしております。 
 禅宗様花頭窓の裾が開いていて新しい意匠です。
 花頭窓の上に白くたれて見えるのは銀箔を張ろうとした漆の下地らしいです。  

 
  鳳凰には雄雌がありますが雄雌
 どちらでしょうか?

   

 本堂前にある庭は銀沙灘(ぎんしゃだん)と呼ばれるもので円錐の砂形は向月台(こうげつ
だい)です。材質は砂で手入れが大変だろうと思いましたが白川砂で一ヶ月ぐらいは形状を
保持するとのことでした。 

 

          東求堂(慈照寺)

 「東求堂」は屋根の葺き替え工事が完了し化粧した優雅な姿が拝見できます。
   入母屋造、桧皮葺で書院造の現存最古の遺構として著名です。  
  同仁斎といわれる部屋は四畳半の原型であり和風住宅の原点となったものです。 

 
           銀閣寺形手水鉢
 パンフレットには「袈裟形手水鉢」と書か
れており正に袈裟のイメージです。面ごと
に紋様を違えてあり簡素な庭にぽつんと立
っております。


   瓦棟の獅子口狐格子の妻飾

        二軒の疎垂木

      南 面

  
          南 面  
 花挟間入りの桟唐戸・格子窓付竪板壁
・引違舞良戸

 竪板壁・格子窓付竪板壁・花挟間入りの桟唐戸
・格子窓付竪板壁・引違舞良戸


        西 面
  中央間には待機する腰掛があります

 
      東 面
 引違舞良戸・明障子、榑縁の落縁は四周しております。銀閣の落縁は東面のみです。

   

 「東寺」は平安京遷都の際「西寺」との2寺のみが洛内に建築されましたが西寺は現存しな
いだけに貴重な存在といえます。東寺は多くの遺構を保持しているだけでなく名高いのが「弘法大師」は我が国初の一宗(密教)だけを信仰する寺院とされたことです。


        大師堂(北面)
 
     大師堂(南・東面)

    大師堂(東・北面)

 「大師堂」は寝殿造では貴重な遺構ですが寝殿造の知識は持ち合わせておりませんので解
説は出来ません。
 大師と言えば弘法大師、太子と言えば聖徳太子、関白と言えば豊臣秀吉と言うように固
有名詞となっております。
  南側の本尊は「不動明王坐像」で当初は不動堂と呼ばれていましたのが北側に本尊「弘法
大師坐像」をお祀りしたので大師堂と呼称変更になりました。弘法大師坐像は運慶の子息
・大仏師康勝の作ですが非公開です。康勝の作品は法隆寺金堂西側に「阿弥陀如来坐像」が
安置されておりますのでどうぞご覧ください。「法隆寺夢殿」も平安以降に創建されました
なら太子堂と呼ばれていたかも知れません。
 向拝は北面、東面に付いております。高欄付きの縁が回りに巡らしております。こんな
複雑な屋根は初めて見ました。  

 醍醐寺」の下醍醐は平地伽藍でありますが「清滝宮拝殿(せいりゅうぐうはいでん)」があ
る上醍醐は、高地にありそこまでの道程は辺路そのものなので手ぶらで行かれることをお
勧めいたします。上醍醐の清滝宮拝殿前には霊水が滾々と湧き出ている醍醐の井戸があり
ますので喉を潤して醍醐味を味わって見てください。私は暑い時期に荷物を背負って登っ
たため休憩所のよく冷えた清涼飲料水で喉の乾きを癒しましたが美味かったことまるで醍
醐の味がしました。    

 
    清瀧宮拝殿(上醍醐寺)

 「清瀧宮拝殿」は桁行七間、梁行三間ですが木々が繁っている所に建築に要する空間だけ
を切り開いて建築されましたので梁行は僅か
しか見通すことが出来ません。南北が崖にな
っていて南面は懸造となり出入口の設置は難
しく東面の妻入りとなっております。
 自然の豊かな清浄さの中にある上醍醐にお
いては一番相応しい建築と言えるものでしょう。 
 入母屋造、三間向拝、軒唐破風、桧皮葺の
建築です。

 
   東面は連子窓・板唐戸・土壁

         北面は引違格子戸 
 

 

    繁地垂木と疎飛檐垂木

 唐破風の天井に輪垂木・左右対称の意匠の
蟇股・和様の両開きの板唐戸 

 
   

         大 橋

 吉野山の「大橋」は下千本観光駐車場と
ロープウェイ・吉野山上駅との中間にあ
ります。
 『大橋は吉野三橋の一つで、元弘八年(1333)大塔宮護良親王が北条幕府方に対し、吉野城にたてこもったときの空堀に
架かる橋なのです。・・・・・』と説明
されております。
  「大塔宮御陣地」の碑が金峯山寺本堂前
の石柵(4本の桜がある)の中にあります。

 「黒門」はロープウェイ・吉野山上駅から見え ます。
  『「黒門」は金峯山寺の総門で、いうなれば吉野一山の総門であります。
 こういう様式の門を高麗門といい、城郭によく用いられています。昔は公家大名といえどもこの門からは、槍を伏せ馬をおりて通行したという格式を誇っていました。
 ちなみに金峯山というのは吉野山から大峯山に至る峰続きを指し、修験道関係の寺院塔頭が軒を連ねていました。それらの総門がこの黒門だったのです。・・・ 』と説明されております。  


          黒  門


      銅の鳥居 

  「銅(かね)の鳥居」は黒門からすぐです。
  『この鳥居は、安芸の宮島の朱塗りの鳥居、大阪の四天王寺の石の鳥居とならんで、日本
三鳥居のひとつといわれています。高さは
約8b柱の周りが約3bもあります。
 鳥居が大きいため、奈良東大寺の大仏さん
の余りの銅材で造られ、扁額の発心門という
字は、弘法大師の筆であると伝えられていま
すが・・・・・。
 吉野山から山上ヶ岳まで約30`bの門に
発心・修業・等覚・妙覚の四つの門があって、この門はその最初にあたるわけです。・・・』と説明されております。   

  銅製の鳥居は我が国では大変珍しいといえるものですからしっかりご覧ください。
   鳥居をくぐると間もなく金峯山寺の仁王門です。

 

 金峯山寺(きんぷせんじ)」は今年(2004)、世界遺産登録されました。ただでさえ秋の紅
葉・春の桜の季節は立錐の余地もない混雑となる吉野山のことですからこの時期を避けて
訪ねられることをお勧めいたします。吉野山にはきれいな空気や素晴らしい景色だけでな
く多くの歴史と秘話があります。
 本尊の「蔵王権現」を刻んだのは桜の木でありそこで蔵王権現の御神木が桜となりました
関係上、当寺が建つ吉野山は桜の名所となっていったのであります。吉野山の標高によっ
て下千本、中千本、上千本、奥千本に約3万本の桜があり、咲く時期の差が一ヶ月あるこ
とにより、一ヶ月間も花見が出来ます。
 本尊の「金剛蔵王権現像」は秘仏の中でも最大像で、お寺によると余りにも巨大像過ぎて
厨子からも本堂内からも出ることが出来ないとのことです。なるほど、迫りくる巨大像を
拝見して睥睨と呼ぶに相応しい威厳に思わず息をのみました。  

  土産物店を見物しながら坂道を上がってくると目の前が「仁王門」です。「本堂」に相応し
い雄大な二重門で前に空地がなく全景写真撮影は不可能でした。大変高い乱石積壇の上に
そそり立つ巨大建築ですので一瞬五間三戸かと思いましたら三間一戸でした。楼門の時代
に二重門は珍しいです。  
 本堂は南面しているのにこの仁王門は北面であります。入母屋造で本堂は桧皮葺である
のに本瓦葺です。上層には和様の跳高欄付きの縁が回っております。 
 下層の中央は出入口で両脇に仁王像が安置されておりますので仁王門です。 


       仁王門(金峯山寺)


       裏 側
  裏側も樹木で覆われており全景写真
 は駄目でした。

        吽形像      阿形像

 像のイメージとしては法隆寺中門の仁王像と同じように逞しいものでした。阿形像の左
手のもっているのが大法寺での「独鈷杵」です。仁王像の周りに設けた柵を「金剛垣」と言い
ます。 

   
        軒風鐸
 
     三手先・軒天井
 現存最古の軒風鐸といわれますが現物は本堂の背後に展示され大切に保管されております。
 
         平行垂木・台輪

       禅宗様木鼻  

 中央間のみ和様の板蟇股の上に大仏様の双斗      
 
     拳  鼻
 
         和様の間斗束    

       仁王門を潜り前方の階段を上がると「本堂」の横に出ます。     

              

 「本堂」は東大寺大仏殿に次ぐ巨大建造物で亭々と聳える豪壮雄大の景観となっております。重層、入母屋造、桧皮葺、初重は八間、二重は五間、正面一間は吹き放しです。
 本尊は蔵王権現のゆえ「蔵王堂」とも呼ばれます。
 南面で仁王門とは逆となっております。 


           本 堂(金峯山寺)

 柱の素材はつつじ、杉、
欅、梨で余り加工されてお
らず自然木のようです。礎
石の自然石は承知しており
ますが68本の柱の自然木
は初めて見るもので柱の量
感は圧倒される迫力でした。
写真は「名木 つつじの柱」
です。

  
      桧皮葺の屋根
   

 上層には和様の跳高欄付き縁が回ってお
ります。一度上げて貰いたいものですが。

     切石積の基壇

   

  菱格子・軒支輪・四手先(上層) 

        出三斗(下層)  

 
       大仏様木鼻

 
     蓑束・繰形付きの実肘木
 「蓑束(みのづか)」は撥束の上部に彫刻
(青矢印)を付け装飾的にしたものです。

 
      板蟇股の上に双斗     花肘木の上に双斗がない 
                 蟇   股 
 

 「根来寺」は歴史書が伝えるように多くの鉄砲隊を有した根来衆で知られ、豊臣秀吉に歯
向かい滅ぼされました。勇猛な戦士が全山に
駐屯した軍事基地とは思えないほど歴史は変
わり桜、紅葉の名所で庶民の憩いの場となっており平和そのものでのどかな境内でした。
 ただ、豊臣秀吉による根来攻めの際の鉄砲
の弾痕を見れば壮絶な闘いの一端を垣間見る
思いがいたしました。  

 

       大 塔(根来寺)

      大 塔(根来寺)

     根本大塔(金剛峰寺)

 「大塔」は 多宝塔ですが方三間が標準であるのに方五間であり大塔といわれる所以です。
大塔形式では現存最古の遺構で優美な佇まいを見せております。
 塔内には12本の円柱を円状に配置する円形内陣です。塔内に入れていただけますので
珍しい円形内陣を是非ご覧ください。引違戸、連子窓も円形に造られております。
 多宝塔の場合は仏像舎利ですので安置に邪魔となる心柱は上層床から始まります。

   四、六、八葉(受花)から宝鎖で多くの風鐸を吊るし隅棟と結んでいます。

      亀腹(上層部分)

        木組(上層部分) 

          下層部分
 
      下層部分
  
       大仏様木鼻
 

 「豊臣秀吉、根来攻の際、火縄銃による弾のあと」といわれております。弾痕は多くの
指が挿し込まれて指の脂で黒光りしております。

  
      木組(下層部分)
   
 板唐戸盲連子窓・間斗束(下層部分)
 
 裳階の柱は大きく面取りした角柱です。
    
 擬宝珠高欄と亀腹(上層にあるのも亀腹です。)
   

 長保寺」は紀州徳川家の菩提寺であっただけに江戸時代には華やかな寺院だったことで
しょう。今はその姿はなく地元の方の菩提寺として生き続けているようでした。本堂、多
宝塔、大門の3棟が国宝という名刹寺院です。   


     大 門(長保寺)

        裏 側

 「大門」は三間一戸の楼門で威風堂々と構えており風格が偲ばれます。
 数少ない国宝楼門のなか貴重な遺構です。入母屋造、本瓦葺で屋根の軒反りは少なく和
様建築そのものです。  


    擬宝珠高欄付き縁(上層) 

       三手先(縁)
   

 頭貫と飛貫の間に絢爛豪華な彫刻が嵌めこまれてお
ります。

 軒支輪・軒天井・尾垂木(上層)
 

      肘木鼻  

     禅宗様木鼻
   

 明王院」は栄光と威厳をとどめる寺院で「五重塔」と折衷様で掲載しました「金堂」とが
東西に建ち、法隆寺伽藍と同じ形式で法隆寺が金堂を東側、五重塔が西側に建立されて
おります。
 五重塔は非常に均整が取れた壮麗な姿で訪れる人に束の間の幸せを与えていることで
しょう。

 
     五重塔(明王院)


  右に見える軒は「本堂」です。

   
    水 煙
 
 
           木 組

 「水煙」の文様は火炎そのものであり、その昔水煙でなく火焔と呼ばれておりましたが
火を嫌って水煙と呼称変更になりました。

   

  基壇ではなく高欄付き縁の上に建って
おります。 

  中備は蟇股ではなく間斗束ですが四重目の
 両脇間、五重目の柱間には間斗束はありませ
 ん。木鼻も台輪もない保守的で古風な塔です。

 
   

 瑠璃光寺」の辺り一帯は市民公園「香山公園」となっております。公園の中に「五重塔」が
あり市民の憩いの場となって静かな安らぎのひと時を満喫されておりました。奈良公園に
ある興福寺五重塔を思い出しました。

 「五重塔」は日本三名塔の一つと言われるだけに典雅な塔で、見事な庭園とマッチする素
晴らしい眺めは日本広しといえども見当たらないでしょう。微妙に移り変わる四季折々に
優雅な塔がいつでも見れるとは山口の人に嫉妬したくなりました。三名塔の二つは本瓦葺
ですが当塔は桧皮葺でありそれがまた周りの木々としっとりとして何とも言えない優しさ
と気品に満ちておりました。   
 「三重塔」の室町時代に「五重塔」は珍しいです。屋根の出が大きいのに比べて塔身がスリ
ムで不安定な感じがいたしますがスリムな塔が建築出来るようになったのはそれだけ建築
技術が向上した証でしょう。軒反りは穏やかでありますが五重目の屋根勾配が少しきつく
なっておりますのは雨漏り防止を考えた結果で建築の保存上止む得ないことでしょう。
 背景の緑が桜、紅葉に変われば塔の眺めも美しく変わり違った風景となっていることで
しょう。

  
     五重塔(瑠璃光寺)

   美しい林池と優雅な塔

 縁は初重にも設けられておりますが高欄付きの縁は二重目のみです。高欄は中央で開い
ているのが普通でありますがそのように設計されていないのはこの縁高欄が装飾的に設けられたからでしょう。
 菱紋(青矢印)は大内家の家紋です。

 
       木組(初重)
 
  板唐戸・空き連子窓(初重)