概要 小型で機動力に優れた艦を好んだ18世紀当時のイギリス海軍では珍しい、100門以上搭載の一級戦列艦として受注された。建造途中に七年戦争が終結したこともあって、骨組みだけの状態で3年近くドックに放置されることになったが、1765年進水。 1805年トラファルガー海戦で英国艦隊がナポレオンのフランス艦隊を撃破した時、ネルソン提督が座乗していた旗艦として有名である。 1812年に退役。士官学校の練習船として用いられた後、1922年にポーツマス港に記念艦として展示されることになった。現在もポーツマス軍港の乾ドックに現役艦として保存されている。
概要 イギリス海軍史上最も有名な反乱事件の舞台となったイギリス海軍の武装輸送艦。「バウンティー号の反乱」として映画にもなった。1787年12月、英国植民地の奴隷に与える食料のパンの木の採集を命ぜられ、目的地“タヒチ”を目指した。約5ヶ月間の航海と訪問先々 の島の滞在の後、帰還の途についたが、タヒチでの楽園のような生活 を満喫していた乗組員は、反乱を起こし、掌帆長のクリスチャン・フレチャー が指揮をとった。ブライ艦長は、28人の忠実な部下と共に救命ボートに 乗せられ、大海原に放り出されたが、4000哩(マイル)の苦しい航海の 後、チモール島につき、その後英国に帰った。 H:Her M:Majesty's S:Service 英国軍艦という意味。
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