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| 2002年11月30日(土) 買ってみなけりゃ |
| 気がつくと11月も終わり。振り返ってみると、意外にも長かったなあ、というのが実感。いろいろなことがあって「待ち」の身の辛さを体験したからかもしれない。でも月末ということは、「ゲイジュツのお勉強」やショパンのワルツともひとまずお別れなわけで、12月に向けてまた準備しなけりゃと思うと、ちと焦ってしまう。 高円宮の3人のお嬢さん方、葬儀の場で、いかにも皇族的に髪の毛をきちんとまとめていたのは、3女の方だけ。長女も次女も、前髪を長くたらして、ちーとうっとおしい風情。長女の方はいわゆる茶髪にも見えた。直系の皇族一家の折り目正しさに慣れていただけに、ふいをつかれた感じだった。学習院といえども、イマドキの女子高生のトレンドには抗しきれないということなのだろうか。いや、知らんけど(と急に大阪弁になっちゃったぜ)。まあ、10代半ばといえば反抗期真っ只中だろうし、ただでさえ「人の目」にさらされている皇族の一員としては、せめてもの抵抗なのかもと、分析してみたりする。 先週した大きな買い物の品が本日我が家に運ばれた。実は、冷蔵庫。7年間使ったヤツは扉のパッキンがやぶれてきて閉まりが悪くなっていたのだ。聞いてみると、パッキンを交換するのに、部品だけで1万円。それに技術料がいくら取られるかわからないという。元々、それなりに背丈&腰痛のある私にとって、冷凍庫が上、野菜室が下という旧式モデルは、冷蔵室を開けるたびに前かがみに覗き込まなくちゃいけないのが、なんとも嫌な設計だった。ブツブツ文句を言ってはいたけれど、いざ買うとなったら、それこそ名実ともに大きな買い物だ(笑)。パッキンがぱっくり破れたまま何ヶ月か使っていた。ふいに予定外のお金がいただけることになり、坂を転げ落ちるように太っ腹になってしまったのだった。よくよく貯金が苦手な夫婦である。 以前の冷蔵庫は薄いグレー。今回は今はやりのステンレス調。冷蔵室が上にあり、野菜室も真ん中なので、いろいろ便利ではある。ところが、家に来た実物を見てびっくり。側面も当然ステンレスだと思い込んでいたのだけれど、なんとねずみ色というべき濃いグレーで、ステンレスとは見事なツートーンをなしているのだ。それが実に目立つのだ。ただでさえ狭い台所に存在感ばりばり。ステンレス調にしようと主張したのは夫だ。とにかく、夫はキッチンのあれこれに細かい。はっきり言ってうるさい(笑)。「普通、キッチンは妻の勝手にできるものやけど、うちは何でも合議制。ちょっと忸怩たる思いがするわ」と言ったら、夫に受けた(笑)。 言っておくけど(別に暴露することもないのだが)、キッチンだけではない。傘立てからスリッパ1足、カビキラー、防虫剤だって、ありとあらゆる家のことは、常人には考えられないほどミョーなこだわりがあって、「何でもええやん」ということは許されないのだ(笑)。 暴君のような亭主関白とは全然違う。とにかく「合議制」という言葉が一番ぴったりくる。でも、いつも合議制では、疲れることもあるのさ。まあとにかく、ヘンな奴である(笑)。 それだけにステンレス調にも何となく同意してしまったことを、少しばかり後悔している。夫も「店で見た印象通りにはいかないもんだねえ。側面もてっきりステンレスだとばっかり思って確認しなかったよ」としみじみのたもう。実際、モノを入れてみると、入れやすさなんかもイメージ通りにはいかない。まあ、こんなもんか、という程度で大きな問題ではないけれど、こればっかりはすぐに買い換えられるものではないし・・・。 だいたい家電製品は7年過ぎたあたりからガタがくる。次はどうも掃除機がやばそう。でも、今回のこともあって、掃除機はじっくり見てから買おうということが「合議」の結果、決まった(笑)。 |
| 2002年11月29日(金) 今さらながら |
| 高円宮様の葬儀をニュースでちらっと見た。亡くなって1週間あまり。ようやく火葬の運びとなるそうだから、ご本人は棺の中で眠ったままなのだろう。一般的にはお葬式も火葬も早い時期に行われるはずだけど、こういう場合、残された遺族にとっては、いつまでも棺の中に夫や父親の遺体が収められているという状況をどう感じているのだろう。素人的に想像すると、かえって悲しみが増すような気がして、仕方がないのだが。それにしても、しきたりで天皇・皇后は葬儀に参列できないというのは、どういう意味があるのだろうか。神道の世界では死=穢れらしいけど、天皇にとって死=世の終わり=縁起が悪い、ということなのだろうか。もちろん、47歳の死はあまりにも若い。妻子はどうなるのだろう。生活の心配はないのかもしれないけれど、いわば矢面に立ってくれる夫や父のいない皇族としての生活は、やっぱり虚しさがつきまとうだろうなあ。 LETTREで紹介させていただいたバリさんの財産放棄のお話に、また新たなメールが舞い込んだ。読めば読むほど重い内容をさらりと書いてこられて。メールをくださった方とそのお父さんの人生を垣間見てしまったような、複雑な心境。でも、財産相続とは真逆の財産放棄問題は、不況のこの時代、実はもっと深刻なのかもしれない。まだお許しをもらっていないので、ご紹介できないけれど、来週あたりにはぜひ。 昨日の日記を書いたときもつくづく思ったけれど、いつも、いったい誰に向かって吼えてるんだろうと思いつつ、こういう「はじめまして」というメールをいただくと、あらためて、SO−TAI−KIが不特定多数の人が読めるネット上にあることを思い知らされる。人の数だけ人生の数があり、それは親子とか夫婦とか友人知人、幾重にもつながっていて、夢のように素晴らしい話もあれば、反対に厳しい生き様があったりする。 私自身は、のほほんと生きていて、「放っておいたら1年」といわれてガンの大手術をした父も、あの入院騒ぎ、退院後の精神的落ち込みもあったにはあったけれど、家族がいのちを縮めるような心配をすることなく、今では嘘のように元気になってる。老人性うつから痴呆的症状に移行しつつある夫の母も、人並みに会話できるかと思えば、昨日また突然、わけのわからない電話をかけてきた。以前はそれだけで一喜一憂したものだけど、そういう義母の心の波にこちらが揺れることもほとんどなくなった。本当はもっと心配してあげなくちゃいけないのかもしれないけれど、経験を積むにつれ、ある意味で「受け流す」術を知ってしまったというべきだろう。おそらく、このお正月に何年ぶりかで長男(夫は次男)家族と会えることが一種の興奮とストレスになっているのかもしれない。次男の嫁(私)としては、忙しいお正月になりそう(笑)。どうであれ、義母を最期まで見守りたいという気持ちに、変わりはない。 親という存在は、まさに愛憎相半ば。どんな存在であれ、失ってみなければ、本当の悲しみは分からないかもしれない。今の私には、家族を失うことの意味を語る資格は、まだない。 |
| 2002年11月27日(木) 因果応報 |
| NHK教育TVの『ETV2002』で三輪明宏を見た。自分史を語るというテーマで講演をする彼と、彼の過去の映像がオーヴァーラップする趣向の45分。「ヨイトマケの歌」をフルコーラスで聴いたのは、おそらく初めてだろう。昨日、たまたま清水ミチコが彼のものまねをしているところをTVで見たのだけれど、あの歌を聴いたら「頭が高い、そこへなおれ」と言いたくなるくらい、圧倒的なパフォーマンスだった。彼を初めて「男」だと思った。やっぱり、凄い人にはかなわない。 昨日は、ようやく念願かなうと楽しみにしていたジャン・マルク・ルイサダのコンサートだった。だったのだ。しかし・・・。運命というのは、かくもムゴイものなのだろうか。嗚呼、語るも涙、聞けば笑うしかないお話・・・。 午前中に仕事のノルマを何とか果たし、夜のコンサートに備えて準備しつつ、娘の帰りを待っていたとき、1本の電話が。それは、娘の担任の先生。「ほんとうに、もう『さようなら』というときに、吐いてしまわれて・・・」 子供の頃、風邪でしんどいとき、その前兆は決まって吐き気か関節痛から始まった。そんな私の体質を、娘は見事に受けついでいた。思えば今まで、大事なときに限って、何度吐かれたことだろう(笑)。しかし、よりにも寄って、この期に及んで・・・。 「ちょっと顔色が悪いので、お迎えに来ていただけないでしょうか」とおっしゃる先生の言葉にも、そのときはまだ余裕だった。娘も吐いたら楽になったと言っている。家で少し休んだら、まあ大丈夫だろうと、帰り道はまだ思っていた・・・。作っておいたおやつのきなこ餅もペロリと食べる娘。じゃあ、宿題だけ済ませていこうか、と勢いづいて宿題を始めたのだが、テーブルに坐っている間にまた急変(笑)。しまいには、ソファーにへたり込み、いびきをかいて寝るしまつ。 この間の私の狼狽ぶりたるや、今考えても鬼母だった(笑)。おんぶして電車に乗せてしまえば、とか、会場では寝てたらいいから、とにかく連れていけないだろうか、とそればかりが頭をぐるぐる駆け回る。諦めがつかないときほど、人間、判断力が鈍ることはない。つくづく思う。 しかし、ぐったりして「歩けない」とつぶやく娘の姿を見て、それでようやく、「諦めるしかない」と今さらのように腹をくくり(大げさ(笑))、現地で待ち合わせている夫の携帯に連絡をした。「じゃあ、私だけ行こうか」と言う夫。くそーっ、こんなとき、母親は損だよなあと思いながら、せめて感想でも聞かないでは気も済むまいて・・・。腹立ちまぎれに、たまたまあったポテトチップスをばりばり。思わず1袋、完食する勢い。我ながら怖かった(笑)。 その直後、すでにベッドに運び、寝かせていた娘の部屋から大きな声が。即効で行ったのだが、時すでに遅し。ベッドの下のじゅうたんの上に思いっきり吐かれてしまった(笑)。それも、その色をみる限りメインはあのきなこ餅(爆) 不思議なもんで、そこまで行くと、さっきまでの怒りは通り越し、私は再び寝てしまった娘の横目に、粛々と後片付けに励んだ。これも、やっぱり我が子だから、許せるんだろうか。その後、空腹を訴えた娘におかゆを作り、娘も「おいしい」と喜んで食べた。そればかりか、「さっき、ポテトチップス食べてなかった?」とクールに尋ねる娘には、恐れ入った(笑)。食べられないくせに、口いやしさだけはいっちょまえなのである。やっぱりわが娘か。くーっ(泣)。 しかし、ほどなくそのおかゆも完全に吐き切って、疲れ果てたように娘は寝てしまった。 ビロウな話ばかりですんません。 さて、思いのほか遅い時間に夫が帰宅。7時に始まったコンサートは、10時近くまでかかったのだそうだ。「がらがらだった」らしく、アンコールも1曲だったという。こんなことを書く私も実は、チケットは最低ランクの3階席。高いS席あたりが売れ残ったのだろう。「不況のあおりだよ」と夫は言うが、これがブーニンとかになればまた話は違うはず。とかくネームバリューに振り回される日本人だから、宣伝もあまりされていなかったはずの演奏会には、見向きもしないのだ、きっと。行きたくても行けなかった人間が、ここにいるというのに。 「上手だった」というのが、夫の感想。なんやそれ、と言いたくなるけど、おみやげに会場で買ってきてくれたプログラムになっていた、ターリヒ弦楽四重奏団とのコラボレート・アルバムを聴いて、私はまたも歯軋りした。ショパンが生きていた時代、初演の編成もきっとこんな室内楽だったはずと、ルイサダが再現してくれた『ピアノ協奏曲第1番』。この間「掃苔記」でショパンのことを書いた私にとっては、願ってもないプログラムだった。ちょうど、原智恵子の復刻版のCDにも、このショパンのコンチェルトが収録されていて、今までうちにはサンソン・フランソワの演奏のCDしかなかったのだけど、彼女の演奏でこの曲の魅力を再認識していたところでもあり、どうしても生でルイサダのショパンを聴いてみたかったのだ。CDで聴いて、いやまいった。フルオーケストラバージョンで聴きなれていた曲が、何とも新鮮、かつルイサダのピアノさばきに聞き惚れた。フルオーケストラでは決して再現できない繊細さ。まさにショパン・テイストなり。 すでにお亡くなりになった原智恵子は、もうCDでしか聴けないが、幸いルイサダはまだ若いし、このチャンスを逃したのには、もしかしたら何かわけがあるかもしれない。思えば、この間の日曜日、風邪気味であまり元気のない娘をあちこちの買い物に連れまわした。あのとき、ゆっくり休養させておけば、こんなことにはならなかったかもしれない。その因果が昨日、報いになってかえってきたのだ。それは実にシンプルに、自分の腑に落ちたのだった。でも、おかげでまた何か、いいことも待っているかも、と私は根拠のない想定話に、何故か気をよくしている。 「こうなったら、パリでルイサダを聴くしかないな」とうそぶく私。ルイサダはフランス人なのだ、という短絡発想。もちろん、勝算はまるっきりゼロ。しかし、こういう時にはなぜか直感が働くのさ。いやいや、まったく、夢物語。それより、またの来日公演を待てばいいのだろう・・・。 昨夜吐き続けた娘も、今日は一転元気になったが、大事をとって学校は休ませた。おかげで今日は仕事もそれほどはかどらなかったけれど、娘のひまつぶしに付き合って、小さい時に撮ったビデオなんぞを引っ張り出し、一緒に観ていたら、幼い娘が天王寺動物園の象を見ながら、♪ぞーさん、ぞーさん♪なんて歌うシーンが出てきて、妙に胸が熱くなった。おかげで「昨日は本当にヒドい母親だったなあ」と、反省しきり。その後は、妙に娘にべたべた抱きついた私であった。 まあ、万事塞翁が馬、と申します。お後がよろしいようで・・・。 |
| 2002年11月24日(日) いつもの虫が・・・ |
| 今日はほとんど一日を買い物に費やした。「見に行くつもり」が、大きな買い物をしてしまった!! 最初のお店でいろいろと情報を入手し、「できたら、いま決てもらうと・・・」と粘る店員に期待を持たせて、結局買ったのは2店目。消費者は残酷だけど(笑)、商売というのは、やっぱりそういうものだろう。 パソコンの買い替えも何となく考えている。ノートはともかく、デスクトップはもはや5年目。「1年過ぎたらただの箱」という通説からすれば、もう化石ものかもしれない。とはいえ、長らくパソコン売り場に足を運んでいなかったおかげで、何が何やらさっぱり浦島太郎(笑)。しばらくは情報収集を考えねば、どうにもならない。 パソコンといえば、プロバイダー。今日はケーブルTVのネット体験のイベントにも行ってみたけど、やっぱりダンチに速くてびっくりした。後は利便性&費用。多チャンネル放送との抱き合わせでお得感を出しているようなのだが、多チャンネルにするつもりはさらさらないしねえ、これもまだ結論は出ず・・・。 そんなこんなでいろいろなお店を巡っていたら、年末に向かって、夫がまた模様替えを考えだした。ターゲットはTVを置いている和室。このTVを置いている台(ほんとは応接テーブル)をリニューアルしたいというのだ。私はつぶしがきく手作りを提案したけど、「家具は本物のいいのが欲しい」とまたダダをこねる夫(笑)。 ああ、これで年末までに模様替えでひと騒動ありそうだ。しばらく模様替えから遠ざかっていた我が家だけど、またしても虫がうずき始めた感じ。 しかし、買い物っちゅうのは、疲れる。基本的には嫌いな作業。なのに、こういう時はなぜか全エネルギーを注がないではいられない。どうにも「変化の誘惑」に弱い夫婦であーる(笑)。娘は親に振り回されて、いたるところでブーたれたけれど、親の癖をきっとどこかで、受け継いでいくんだろうなあ。 |
| 2002年11月22日(金) 反省しろよ |
| 今夜の月は、うってかわって白かった。色の違いはなんなんだろう。 さあ、日記更新、と思ったら夫が帰宅。昼間、わざわざ、電話してきて、「健康診断の結果がやばい!」コレステロール値が正常の数値をはるかにオーバーしていると、ビビッているのだ。「ビールがよくないらしい。明日から焼酎にするから、買っといて」。そう言った夫がほとんど酔っ払って帰ってきたわけが、「ビールを断わって、焼酎にしたら、何杯も飲んでしまった」。ったく、酔うほど飲んで、いいわけないじゃないの。小泉さんじゃないけれど、世の中に反省しない奴はあまたいるが、夫の無反省人生にはまったく恐れ入る(笑)。 おまけに、TVのニュースを見ながら一人勝手にべらべら喋り続けている。うるさいったら、ありゃしないのだ。「もう、寝なさい」と一喝したが、なぜかTVの前。 娘と2人の夕食後、「あ、そうそう」と思ってTVを付けたら、小室哲哉とグローブのケイコさんの結婚披露宴は、すでに3/4が終っていて、なんと両家の親に花束贈呈なんぞ、やっていた。小室という人も、反省しないタイプだよね。というか、懲りないタイプ。ついこの間、子までなした女性と離婚しておいて、ケイコさんとの披露宴は、どハデ婚そのもので、TV中継までやっている。前半はいったいどんな式次第だったのだろう。司会はなんと、元フジTVの露木氏。まあ、徳光さんよりましかもしれんが、TBSで司会は露木って、小室夫妻には一体何のメリットがあるのだろうか。最後には、小室氏がピアノを弾き、ケイコさんが歌うフィナーレ。ふと思い出した。小室っち、かつて華原朋美とラブラブだったときも確か紅白だったかなあ、こんな風にピアノを弾きながら朋ちゃんが歌ったよなあ。その朋ちゃんに披露宴の招待状を送ったという。その後も随分女遊びに呆けた彼も、いよいよ「灯台もと暗し」を認めてケイコさんで落ち着いたそうだけど、そのケイコさんが、凄いゴージャスなウェディングドレス姿なのだが、どうも花嫁って感じがしない。小室っちも髪の毛を白っぽくして、なんかしょぼいし。なーんか、感動も切り売りしてしまった小室っちの計算高さだけをやけに感じる特番だった。娘も一言、「なんか、変や」と切り捨てた(笑)。会場でお祝いした人は、どうだったんだろうか。 昨夜、NHKのドキュメンタリーで、ノーベル賞で一躍有名になった田中耕一さんを取り上げていた。彼は実母が生後まもなくなくなり、叔父夫婦に育てられたそうだ。18歳のときに事実を告げられ、かなりショックだったようだ。大学を留年したのも、大学院に進まなかったのも、そういうことが背景にあるようだ。身内の話がこのたびのことで、白日のもとにさらされ、何だかお気の毒だったけれど、。しかし、彼の小学校時代の作文も絵も、やっぱり凄い。自分の出自に悩みつつ、だからこそ、後年ノーベル賞の栄誉に浴しながらも、自分だけが脚光を浴びることを「不公平だ」と言い切り、あくまでも仲間との共同作業を訴える。ほんとう、「反省」という文字を知らない夫に田中さんのつめの垢でも煎じて飲ませてやりたや。 |
| 2002年11月21日(木) ポールのパルミエ |
| ここ数日、夜になると、オレンジの月が低い空にぽっかり浮いていた。満ちては欠ける月を見ると、何故か心がほっこりする。ほっこりできる自分が、これまた嬉しかったりする。 先週までの落ち込みは、嘘のようになくなった。まったく現金な奴だ。「取り返しのつかない失敗をした」かもしれないという出来事が、落ち込みの原因だったのだけど、そのこと自体、自分がナメてかかったことを心から後悔した。その思いが、自分をメゲさせていたのだ。まさに、後悔先に立たず、の心境。このとき思ったのは、やっぱり人生はできるだけ悔いなく生きなくちゃということだった。 皇室の中ではとてもノーマルなイメージがあった、高円宮さまが急逝。好きなスポーツを楽しんでいる最中にいきなり倒れて、そのまま帰らぬ人になったという。おそらくご本人の苦しみは一瞬だっただろうけど、残された妻子の方々にとっては、思いも寄らぬ訃報の悲しみに直面されていることだろう。47歳。夫と1歳しか違わない。夫の知り合いにも、昨日まで元気で仕事していた方が心筋梗塞で亡くなったりしているし、これは、決して他人事ではない。皇室フリークでもなんでもないけれど、今はただ、心よりご冥福をお祈りする。 悔いなく生きよう、と一日を目いっぱい生きているとかえって息苦しいけれど、たまにはそのことを思い出さなければ、人間やっぱりダメだなあ、と思う。そのことを生きてる間に身をもって教えてくれた先週の落ち込みに、今は感謝している。 それでも何だか能天気なワタシ。おととい大阪に出たとき、行ったパン屋の話をしてしまおう。パリの街にはあちこちにある“PAUL”という名のパン屋さん。去年、サンジェルマン・デ・プレに1泊したときにそこで買って食べ、美味しさにうなった。包装のパッケージもおしゃれで、思わずもって帰ってきたくらいだ。その印象がずっと残っていたのだけど、最近、日本にもオープンしているという記事を発見して、いつかは行こうと思っていた。それがおととい、叶ったのだ。内装も店員のユニフォームも、パリで見た店作りそのまんま。まずは奥でランチを堪能した。メインディッシュに付いたパンは食べ放題だというけれど、既に食べきれない(笑)。食後のプティカフェの味も、まさしくカフェ(笑)だった。おみやげに、ランチで食べた、細長くていごまやらがいっぱいついたバゲットと、ハート型のパイ「パルミエ」を買って帰った。パルミエは娘のおやつにと思い、帰宅するなり友達の家に行くという娘に持たせたのだが、ほとんど残して持って帰ってきた。「○○さん、パイが嫌いなんやって」という。ふーん、と何気なくパルミエを食べてみて、びっくり。その瞬間、「おいしー、やん」と叫んだ私だった。なんといえばいいのか、やっぱり源氏パイとは一味も二味も違うぞ(笑)。バターの風味、パリパリ感。まさにパイ! ちょっと病み付きになりそうな気配だ。つい最近、堂島にも新たにオープンしたというPAUL。本町ならそうちょくちょくは行けないけれど、堂島なら梅田に出たついでに立ち寄ることができる。大好きなジュンク堂と同じビルにあることだし、ぜひまたパルミエを所望したい。ごまパンも、歯ごたえたっぷり。いかにもパリっぽくて好きだ。 人生はパンのみにあらず。されど、美味なパンほど人生の喜びを感じさせてくれるものも、少ない。これ、実感。 |
| 2002年11月18日(月) 結局、薬局・・・ |
| やっとの思いで風邪も下火傾向。声は相変わらずおかしいが。精神的な乗りが悪くて、なかなか日記に取りかかれなかったが、今日は一転、きつねにつままれたような話が舞い込み、うーん、嬉しさも実感できないぐらい、なんだか忙しい。先週、突然取材の仕事が入って、一日がかりで行ったはいいが、実はまだまだ完成をみないので、焦っている。おまけに、娘は土曜日の行事の代休で学校が休み。遊びに来た同級生と二人でわいわいやってくれる中で、朗報と忙しさが、ひっくり返っているといった状態なのだ。 朝のめざましTVの星占いでは「努力が報われずブルーに」という暗示だったけど、信頼するエルの週間星座占いの方が、やっぱり当たっていたようだ。「ちょっとお疲れ気味だった獅子座は、今週まるで生まれ変わったみたいに感じるかも。これをきっかけに何事にも少し肩の力を抜いて、人生の喜びを味わって!」だってさ! まだまだはっきりしたことはいえないけれど、とにかく、私のこれからの展開には1つのターニングポイントな一日だといえそうだ。 昨日は娘の七五三でお宮参り。娘は、二人の姪っ子が着た着物と、私らが付けていた帯で、文字通り「孫(馬子)にも衣装」な一日だった。3歳の時はあんなに着物を嫌がったのに、今度は脱ぐのを嫌がった。とはいえ、神主さんのご祈祷は祈祷料をけちって受けず、お賽銭に気持ちばかりを投げてお参りするだけ。3歳の時もご祈祷してもらわずに、何のたたりもないのだから、と親はクールなもんだが、しかし娘は「そんなん、イミないやん」とご機嫌ななめ。今朝になってもお払いのポーズを真似しながら「あれ、してほしかった」とグチをこぼす。けちったおかげで、ホテルのレストランでちょっと高めのランチが食べられたんだけどねえ。罰当たりなことをしちゃったのかしらん。 もうひと頑張りしたい気持ちがあるけれど、夜にはめっぽう弱い私。お風呂に入ったら、気力も底をつくかもしれず・・・。でも、案ずるより生むが安し、横山やすし、ってか(意味不明(笑)) |
| 2002年11月12日(火) まだまだ |
| 風邪はますます悪化。とんでもない鼻声が情けない。咳をすると、尾てい骨にゴンゴン響き、痛いったらありゃしない。とうとう耳鼻科にかかった。薬で劇的に治るわけもないだろうけど、診察室で鼻を洗ったら少し楽になったので、よしとしよう。 体調が悪いと、気分もなかなかすっきりしない。でも、数日前に感じた焦燥感は随分薄れた。開き直りが功を奏したというべきか。風邪の回復とともに、この思いも、いつかは区切りがつくだろう。おそらく来週あたり。 メールチェックしていたら、「はびきの市民大学」という送信先からのメールあり。羽曳野市といえば、大阪府河内エリアのまち。いったい、何だろうとドキドキしながら開いたら・・・・空白のメールだった。うーん、ますます不可解じゃ。単なる送り間違い?それともいたずら?しかし、誰かがSO-TAI-KIにアクセスしてくれたのは確かな話。意味不明だけど、「ありがとう」といっておこう。もし、ご本人がまたこれをご覧になったら、ご伝言。「メールは空白でしたよ」。 うわっ、11月も10日を過ぎている! 明日こそ、元気にいこう。日記が短いと、なんか不思議だわ。 |
| 2002年11月9日(土) くすぶる |
| 熱は下がったものの、今度は喉と鼻にきた〜。私の不調を横目に、娘はほぼ回復。やっぱり、若さって素晴らしい?!(笑)。乾いた咳と突然のくしゃみに襲われて、めげる私である。 病は気から、というけれど、それは正しいだろう。だいたい、体調をこわしてしまうときは、心も弱っている。ネガティブ志向にはまって抜け出せない感じ。理由はわかっている。そのことが、頭にぐるぐる回っているので、気も晴れない。 思い余って、心を落ち着けるために、パリの高橋さんが作っている奇跡のメダイユ・ブレスレットをつけてみた。すると、自分の志向が少しポジティブになった気がしたから、不思議。要するに、開き直ってしまおう、ということだけど。なんたる安易な神頼みよのう・・・。 女優の笵文雀(はん・ぶんじゃく)さんの訃報。すでにTVの第一線から姿を消して、舞台をメインに活動されていたそうだし、正直、普段はほぼ忘れていたお名前だけど、54歳だからまだ若い。自分でも不思議なほどショックを感じている。おそらくは、私が『サインはV』世代だからだろう。それに、彼女がこの間観た『阿弥陀堂だより』に出ていた寺尾聰氏の元妻だったからかもしれない。虚実ないまぜになっている私。やっぱり、ちょっとおかしい・・・。 JR西日本の線路で救助活動していた救急隊員が後続の特急電車にはねられてなくなるという悲劇もショックだった。なくなった消防団の方、驚くほど美少年。まだ若いから独身なのかと思いきや、9ヶ月の赤ちゃんのいる新婚家庭だった。うー、むごすぎる運命。悔やんでも悔やみきれないだろう。 でもさ、Yahooニュースをチェックしていたら、世の中、想像以上に悲惨な事件がわんさか。ニュース番組やワイドショーでは、北朝鮮の非常識ぶりを連日報道しているけれど、日本も相当おかしくなっている。 おまけにアメリカは国連決議が思い通りになって、ますます鼻高々。どうなるの、この世界は。 いやいや、頭の中でぐるぐる回って悩まされている問題は、それではないんだけどね。我ながら、自己チュー。 |
| 2002年11月7日(木) ダウン |
| 連休をはさみ、週明けもバタバタ。で、ついに娘の風邪をもらってしまった。いろいろあって、抵抗力も落ちているのでせう。頭痛・発熱・悪寒。微熱はやがて本格的な熱に発展した(笑)。日記もほったらかしたままで、あいすみません。今夜はお風呂に入って即効で寝ることにします。明日は元気になるぞ! |
| 2002年11月1日(金) 雑感 |
| ノーベル賞を受賞して、引っ張りだこの田中さん、会社の超昇進、文化功労賞と文化勲章のダブル受賞から、客員教授、仙台市の田中耕一賞創設、あっちこっちの県民栄誉賞と、名誉のオンパレード。そりゃ、ノーベル賞は凄い賞だろうけど、田中さんが今どき化石のようないい人だったことも起因しているんだろうけど、今まで一企業の研究員としてほとんど「変人」扱いして、相手にしていなかったくせに、海外から評価されたら急に浮き足だしちゃって、どいつもこいつも調子いいのである。北朝鮮問題もそうだけど、どうも皆、すぐ横並びになりたがる。いい人は十分分かったので、彼につきまとうのはやめて、もうひとりのノーベル賞受賞者の小柴さんをクローズアップしようという天邪鬼はおらんのかなあ。彼はきっと田中さん人気に拗ねてると思うけど(笑)。 10月にオープンしたスーパー「N」が毎日、ガンガンチラシを打ってくる。隣のDイエーも涙ぐましく頑張っているけど、お客を取られているのは歴然だ。チラシにつられて私もついそっちに行ってしまう。もっと悲惨なのは、Dイエーの隣にあるショッピングセンター。元々不況が忍び寄っている頃から1階にあったパン屋が消え、薬局がなくなり、レストランが2軒続けて閉店していたけど、ここにきて、生鮮品も大打撃。肉屋、魚屋に続いて、昨日はついに八百屋さんも閉店していた。八百屋の前の食料品店も早晩なくなりそうな気配だ。1階で残っているのは、100円ショップとクリーニング店、2軒の飲食店ぐらい。ブティックがメインの2階も1軒は閉まっている。歯抜けのようになっているあの空間を、いったい大家の第3セクターはどうするつもりなんだろう。 近くにあった銀行もどんどん店舗統合している。とある銀行に行ったら、女性の制服はすでに廃止され、ある支店は狭い店舗には中年の男性スタッフばかり。窓口業務を兼務しているというありさまだった。制服の綺麗どころが窓口にずらり、なんていう銀行が珍しくなっているのかもしれないが、ATMの台数も少ないから、引き出す時は長蛇の列。しかも、両替のサービスも以前より縮小されている。インターネットが利用できるとはいえ、その分窓口のサービスがせこくなって、普通の利用者にとって今の銀行は明らかに使いづらい。竹中さんの経済改革案に頭取が雁首そろえて抵抗したというけれど、金融の自由化なんて叫びながら、そんなときだけ横並びして、どうするんだと腹立たしい。 夏前から延々ひっぱってきた「掃苔記」もやっとVol.3のUPにこぎつけた。ふー。例によって長ったらしく、しかも話がやや脱線してしまった感もある。けれど、ショパンに関しては他にもさまざまなサイトがある。基本的には無手勝流でお許しいただきたい。 ショパンと結びつく林檎の思い出というと、初めてフランスに行ったとき、二人で一緒に見た映画『愛人―ラ・マン―』がある。マルグリット・デュラスの自伝的小説の映画化で、フランス領時代のベトナムを舞台に、フランス人の貧しい少女と華僑の中国人男性との退廃的なラヴストーリー。かなりきわどいベッドシーン、しかもノーカットでぼかしなしだったけれど、そんなものは当たり前だから、嫌らしいとは少しも思わなかった(時々TVの映画番組で放映されるけど、どえらいカットとぼかし、気持ち悪い吹き替えで、全然感動しない)。もちろん、セリフは仏語。当時はまったくちんぷんかんぷんだったのだが、恋人の中国人と別れた船内のシーンでは、主人公の涙に思わず胸が熱くなったことを覚えている。そのラストでかかっていたのが、この日記のBGMで流れているショパンのワルツ第10番。原作を忠実に再現したシーンでもある。主題曲も印象的で、サントラ盤を買って帰って、部屋で聴きながら二人で語り合った。この映画(というか、原作)の感動的なシーンは、数十年後に作家として成功した主人公が、恋人だった中国人から突然電話を受け、「死ぬまであなたを愛し続けるだろう」と告白されるラストだろう。 ショパンの人生をみても分かるように、愛することはできても、愛し続けることは、本当に難しい。数年後、田中さんも銀行も、どうなっているだろうか・・・。 |