DIARY


   






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Photo:「出口はこちら ― トゥールの駅で ー」  by Yoko.Y


 2002年10月31日(木) 寒い秋
 週明けからこっち、寒い日が続いている。10月ってこんなに寒かったっけ? と思ったら、明日は11月だとさ。なんで、こんなに時間がたっていくのだろう。坂道こらがり落ちるみたいに。

 書きかけだった月曜日の日記も同時にUPしたので、続けて読んでください。けっこうがんばって「掃苔記Vol.3」を書いているのだけど、こちらもなかなか書き終わらない。なんで、長編になるかなあ。でも、よそさまのサイトでも膨大な内容もけっこうある。みんな、さらさら書いているのだろうか。10月末には完成を予定していたのだけど、夜なべがすっかり苦手になっている。いかんねー。でも、今夜は、ちょっとがんばってみたい。そのために、昼ごはんの後でちょっと昼寝してみた(笑)。いやいや、午前中ちょっと緊張する出来事があったんで、気疲れしたのでせう。

 今夜はいわゆるハロウィーン。明日は万聖節。ヨーロッパでは11月は死者を思う月だ。掃苔記をUPするにはぴったりかもしれない。
 2002年10月28日(月) オンリーワン
 郵便ポストにAmazonからの配達物。2枚のCDを注文していたのだけど、週末ほとんどパソコンから離れていたため、発送の連絡も知らずにいた。早速、開封。

 正確には沢知恵の2枚組ライブアルバム『一期一会』と山下達郎の『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』の計3枚。

 沢知恵の方は、19日に発売したばかり。基本的に彼女はオリジナルでもライブでもピアノの弾き語り。ほとんどの曲はすでに持っているアルバムで知っているし、2枚組とはいえ、近頃にしては強気な4600円という値段にちーと躊躇したのだけど、聴いてみるとライブバージョンならではの魅力を充分に発揮していて、値段のことはまあ許そう(笑)。なかでも、「やぎさんゆうびん」は秀逸! しろやぎさんもくろやぎさんもお互いにもらった手紙を読む前に食べちゃって、「さっきの手紙の用事はなーに」と聞くばっかりで、話はいっこうに進まない。一見他愛もない童謡なのに、彼女が歌うと、アドリブも入ってちょっぴりアイロニカル。メールだ携帯だと、こまめに話してるようで実はまったく話が通じない、人間同士の虚しさを見事に表現しているのだ。童謡のカヴァーったって、これはもう、『大きな古時計』をそのまんま歌ってる誰かさんとは決定的に違う。まさに、オリジナリティ。

 山下達郎の場合は、1976〜82年に出したRCA・AIRレーベル在籍中の6枚のアルバムから自選したベスト盤をまず82年にアナログ盤で発表。97年にCD化なったものだ。それを2002年になってようやく手に入れたというわけ。Amazonがプライスダウンしていたので、思わず手を出してしまったけど、何しろ私にとって山下達郎はまさにこの時代なのだ。アルバムだって5枚持ってるし、“Ride on Time”のシングルだって買ってしまった(笑)。それこそレコードが摩り減るほど聴いたもんだ。2枚目のソロアルバム“SPACY”のA面1曲目“LOVE SPACE”を聴いたときは、全身鳥肌もんだった。スピッツのマサムネ君もびっくりのハイトーン。初めて京都会館第2ホールにコンサートに行ったのは、80年の2月。「27歳になりました」と照れながら話す達郎に、「おめでとう」の喝采を送ったことを、ついこの間のことみたいに思い出す。その後、コンサートのセットはどんどん派手になって、地味なのは彼の顔だけ(笑)という状況になっていった。ただ、足だけは不思議と長かった(笑)。そんな彼も来年は50歳の大台だ。相変わらずのロン毛(でも、おでこはさらに倍ほど広くなったみたい(笑))わお。今でも3時間ライブやってんのかしらん。

 収録曲の充実ぶりもさることながら、なんといっても面白いのは彼自身が書いたライナーノーツ。

 いくら自分の作品とはいえ、15年も前に移籍して今は知り合いもほとんど残っていない会社を相手に、こうした作業の重要性をほとんど理解できない重役や弁護士の目を盗みながら(その分現場の方々には色々と助けていただきましたが)、曲を足し、マスタリングを施し、ジャケットを作り直し、解説まで書いている、この努力だけくんでやって下さい。

 こんなことを書いてしまうアーティストはちょっといないだろう。収録曲についての解説を読んでいても、音楽的な話というよりも営業マンの苦労話のようで、おかしい。彼は音楽に対して職人芸のような徹底したこだわりを持つ反面、戦略的にはたくみに商業主義を組み入れてきた。TVには決して出ないのに、JRのCM『クリスマス・イブ』がロングヒットしているのは、その典型例だろう。竹内まりやと結婚したあたりから、どんどんそういうところが鼻についてきて、最近はめっきり聴かなくなっていた私だけど、すでに四半世紀前のものとは思えないほど、どの曲もまったく古臭くなっていないところは凄い。ミュージシャン魂を決して安売りしないところはさすがというべきだろう。

 この解説では長年の疑問も解けた。“Let’s Dance Baby”はおそらく今でもライブでははずせない曲だろうけど、作詞に「吉岡治」とクレジットされている。この人が謎だった。演歌の作詞でよく登場する名前だったのだ。でも、演歌とは似ても似つかぬテイストだしなあ・・・。とずーっと胸にひっかかっていた。ところが、

 作詞は「大阪しぐれ」などで知られる吉岡治氏。演歌界の大御所とのたった一度きりのコラボレーション。

 って書いてあるではないの!! よくよく歌詞をみると、うーん確かになんか変な詞ではある(笑)。やっと謎もとけ、胸のつかえはすっきりしたのだけれど、なんで演歌界の大御所とこんな曲をつくることになったのだろう、という新たな疑問も沸いてくる私であった・・・。

 沢さんは場所を選ばず、ピアノ1本でどこでも歌う人。コマーシャリズムにはほとんど加担せず、まるで神様からのミッションのように音楽を表現する。かたや、レコーディングにもとことん凝るし、アルバムもコンサートも、その音の厚みは日本でも屈指の達郎。音楽を1つの経済行動としてとらえているのに、でも決して社会に迎合しない。二人のやり方は対極にあるのだけど、私が好きなのは、二人とも二人とないオンリーワンであるということだろう。そして、揺るがない実力がある。

 「桑田佳祐は嫌いや」と夫に言ったら、「変わってるなあ」とあきれられる。私にはどうも彼にオリジナリティを感じられない。同じように「ベッカム、かっこイイと思わない」と言ったら、夫が「ほとんどの人はああいうのがかっこいいと思ってるんだよ」とあきれ返った。これはもう生理的な問題かもしれない。

 少し前になるが、リンクした正論紅茶さんにメールを送ったら、ご丁寧なお返事メールが。「変わった内容ですね。ナンバーワンというより、オンリーワンですね」と書いてくださった。もしかしたら、言うに言われず苦肉の策でこうおっしゃったのかもしれないけど、そうだ、オンリーワンは私にとって最高の賛辞なのよん。揺るぎまくっているけど(笑)。

 2002年10月25日(金) 切ないほうへ
 水曜日に日記を書きかけて、そのままになっていた。もう金曜日も終わりで、とうとう10月最後の週末。最近、娘が「あたまの中のビデオ、まき戻し、トゥルルル〜」と言って、過去をフィードバックさせる仕草をすることがあるのだけど、毎日が早送りのように過ぎていく。巻き戻して録画しなおせるものなら、いいのだろうけど、そんなことは絶対に不可能で、今の一瞬一瞬が、見事なまでに過去になっていくのだ。嗚呼・・・。

 掃苔記をしこしこと制作中。気がつくと、単なる伝記になっていて(笑)、なかなかお墓に辿り着かない。「やばっ」と思いつつ、行きつ戻りつしているので、今日で決着をつけようと思っていたのに、無理だった。ふー。ほんとにねー、誰が待ってるわけでなし、お金がもらえるわけでなし、よくやるわと、自嘲しつつ結局は、自分がこういうものをつくろうと思って立ち上げた自己責任感のみ。のほほんとやっていられる幸せもかみしめている・・・。

 アメリカの連続無差別銃撃事件は、ようやく犯人がつかまった。ふたを開けてみたら、湾岸戦争にも従軍した元兵士で、イスラム教信者。彼は去年9月11日の同時多発テロ以降、反米感情を募らせていたのだという。「何故、罪もない市民を恐怖に陥れるのか」という疑問は、やはりテロ事件と結びついていたのだ。あれほど多くの犠牲を払いながら、国内に決して少なくない不満分子を抱え、それでもイラク攻撃への意欲を隠さないアメリカ。そうだ、西部開拓時代から、自分や家族の身を守るためにいわば合法的に銃の所有を許してきた国家。歴史的に「攻撃は最大の防御なり」という発想が、染みついているのだ。犯人が捕まってよかったね、とは手放しに喜べない、後味の悪さを感じる事件だった。

 ロシアでは、劇場を人質にとったチェチェンのいわば革命。これも大国ロシアに対する命がけの挑戦だという。「死も辞さない」態度ほどやっかいなものはない。人質の肉体的精神的ダメージは計り知れないだろう。早く解放してあげて、ってここから声なき願いをかけても、あっちに届くはずもなく・・・。

 ひるがえって、ここ日本でも、北朝鮮拉致事件の問題は、ますます深刻な状況に陥っている。しかし、こうなることも容易に予想はできたはずだ。予想してもなかったとすれば、外務省のお役人たちも想像力がなさすぎる。思えば、日本政府は、ずっと拉致問題には消極的だった。北朝鮮とは地下でパイプがつながっていて、決して公にはできないこともあるようだ。今になって、人道主義を標榜しても、「まぬけ」さはどこまでもついてまわる。おととい、昨日とたまたま国会中継を見てみたけれど、小泉首相は「技術的なことは専門家に」と、自分に迫られている質問からひたすら逃げの一手。威勢のよさは、どこへやら。憮然とした顔だけが目に余った。もう、彼には荷が重過ぎる問題だらけ。「お壊れ」にならないうちに、誰かもっといい政治家が現れないものだろうか。でも、民主党の議員があえなく刺し殺される昨今。政治家たちも、自分の身を守ることに、今必死なのだろう。

 横田めぐみさんの娘と断定されたキム・ヘギョンちゃんがカメラの前で日本の取材に応じていた。この期に及んでなぜお父さんは姿を現さないのか。15歳が背負うには、それこそあまりにも重荷。だいたい、一時帰国中の拉致犠牲者も子どもと連絡さえ取れないなんて。子どもたちを山車に取引を行うのも、いい加減にして欲しい。見ていて、切なくなるばかりだ。

 大阪教育大付属小学校の児童殺傷事件の裁判も、延々続いている。宅間守被告に、被害者の親たちは、「極刑にしろ」と感情を露わにする。そりゃ、そうだ。自分の愛する子どもがこの男にむざむざ殺されたのかと思えば、怒りを押さえることなんて、できっこない。怒りを内にためれば、それこそ自分たちが壊れてしまうのだ。悲しいかな、人間はそういう動物なのだ。

 だからこそ、憎しみのままに「殺せ!」と叫ぶことの怖さも、感じずにはいられない。今は、世界中、「闘え」「殺せ」のオンパレード。どこへ行っても安全ではなく、だれといても安心ではないなんて・・・。胸が痛くなる話ばっかりだよ。

 出来ることなら、せめて歴史を去年の9月11日以降に巻き戻してほしい。まだ世界に平和はあり得ると思えた、能天気なあの頃に。そんなこと、できるわけないけれど・・・。
 
 2002年10月21日(月) めだかのお墓
 昨日、水槽で飼っていためだか6匹のうち、1匹が死んだ。

 水槽は、日頃パソコンを使っている机の横の飾り棚に置いているのだけれど、酸素を送り込むポンプのモーター音がうるさくて、気になっていた。そこで土曜日、夫がペットショップで新しい形のポンプを買ってきた。音は格段に静かになった。モーターを通して、数箇所穴があいた小さなガラス管が水面に浮き、そこからちょろちょろこぼれる水音がして、心地よくさえある。

 水槽内の水の流れが変わったせいか、以前は緩慢だっためだかの動きが急に活発になった。水の流れを追いかけるように、水槽の底から水面に向かって飛び上がらんばかりに、水槽のガラス面に向かって鼻先をつつかんばかりに泳いでいる。まるで川の上流に向かっていくような激しさ。あきらかに新しいポンプのせい。水槽内の環境が変化し、めだかの本能が呼び覚まされたようだ。水音も、めだかには聞こえているのだろうか。

 ただ、水槽の上にそれまでかぶせていた透明のカバーをのせると、若干雑音がするので、とっぱらってみた。それが、めだかの運命を変えてしまった。

 「あれー」と夫が叫ぶ。「5匹しかいないみたいやけど、ちょっと数えてみて」という慌て声に、数えた私も慌てた。そういえば、あの異常な元気さ。まさかと思いつつも、水槽の外を探してみた。

 珍しく機嫌よくピアノを練習していた娘が、親たちの狼狽ぶりに不穏な空気を察したのか、「めだかがどうしたん?」と寄ってくる。「1匹いなくなっちゃったよ」と努めて平静に答えてみたけど、水槽の中には確かに5匹しかいない。

 「あった!ああ、だめだ」と夫が叫んで、めだかを指で拾い上げた。めだかは、飾り棚の後ろの壁のでっぱり(中に配水管が通っているそうだ)の上ですでに干からびていた。つい、数時間前、夫は自分で替えたモーターの具合に満足げに水槽を眺めていて、その時はちゃんと6匹を確認していたという。つまり、めだかは勢い余って水槽の外へ、飛び出したのである。うそのような本当の話。すぐに気がつけばよかったのだけれど、1〜2時間の間に起こった悲劇、とでもいおうか。

 指で拾い上げられためだかが目の前を通った娘は、いきなり「うわーん」と泣き出した。「たかが、めだか。されど、めだか」。我が家で初めて飼った生き物だ。以前からペットを欲しがっていた娘のために、手始めにと飼い始めたわけで、「めだかは一緒に散歩できひん」と文句を言いつつも(笑)、自分の妹弟分のようには感じていただろう。いってみれば、肉親(?)ともいえる存在の死。死骸を目の前で見て、悲しいはずはないのである。

 夫は「お墓を作ろう」と言って、ベランダに出て、使っていない小さな植木鉢を取り出してきた。私は白い発砲スチロールの食品トレーを切って、十字架をつくり、中国土産の線香を持ってきた。娘は泣きながらその十字架に「めだかのおはか」と書いた。

 いよいよ最期のお別れ。夫は敢えて死んで干からびためだかの身体を娘に触らせた。娘はまた嗚咽する。私は「(早く気づいたあげられなくて)ごめんね」と言った。この数ヶ月、私自身も、めだかの悠然とした泳ぎッぷりを水槽の外から眺めて、ちょっぴり幸せな気分に浸ってきたのだ。モーターを変えたことで、めだか1匹の寿命を縮めてしまったのかもしれず・・・。透明のカバーさえ、そのまま乗せていたらという、後悔の念も当然ある。

 そして、3人でめだかちゃんに別れを告げ、鉢の半ばまで入った土の上に小さな身体を横たわらせ、その上から娘がスコップで土をかけていった。土の上に線香を立て、合掌。後で、ベランダで咲いていた小さな花をいくつかむしり、お墓を飾ってあげた。娘はしばらく涙ぐんでいたが、やがて、夫と散歩に出て、帰ってくる頃には、ケロッとしていた。それでいいのだ。

 「ところで、めだかっていつまで生きるんだろう」とあらためて夫がが言い、子ども用の理科辞典を読んでみたものの、「産卵」や「育て方」は詳しく載っていても、「寿命」には一切触れていない。まあ、当たり前といえばそうなのだけど(笑)、知りたい情報がないときほど、イライラするものもない。で、ネット検索してみると、めだかの寿命は約1年らしい。中には「長生きするものは、2〜5年ということもある」という記述もあったので、「なんやその幅は」(笑)と思ったけれど、結論からいえば、だいたい1年。とはいえ、ペットショップで買って来た時点でどれぐらいになっているか分からないし、ますます予測はつかない(笑)。

 日頃、「死だ、お墓だ」と息巻いている私。けっこう真面目にめだかの死を考えてみた。不謹慎な表現を使えば、めだかたちは川で自由に泳いでいたところを人間のエゴで拉致されてきたのかもしれない(それとも、養殖されているのだろうか)。あのめだかも、狭い水槽の中で飼われて一生を過ごすより、自由に泳ぎまわれる川に戻りたかったのかもしれない。それで必死のジャンプを試みたのかも、と・・・。
 「○○さんもな、めだかを飼ってたけど、全部死んだって。それで、今は金魚を飼ってるって言ってた」。しょげながらも、友だちの話を聞かせてくれる娘。ペットであれ、「死」を間近に経験したことは、まさに生きた教材。めだかも、本望だったりして。

「でも、本当は5匹のはずだったんだよ」と夫。ペットショップで「5匹ください」と言ったのに、帰って水槽に放ったら、6匹だと気づいたんだそうだ。店員がうっかり1匹余分に袋に入れてくれたんだろう。つまり、まぼろしの1匹。あのめだかは、そういう運命を甘受したのかも。

 北朝鮮拉致犠牲者の5名が相次いで先祖のお墓参りに出かけている。曽我ひとみさんは、お母さんともども死んだと思われていて、遺骨なきまま、遺品とされるものをお墓に入れられ、お父さんはそれを拝んでいたそうだ。拉致の事実がわかって親戚が取り除いたらしいけど、墓石には死者として名前が刻まれてはいないんだろうか。

 それにしても、亡くなったとされる犠牲者は北朝鮮のお墓を洪水やダムの決壊で流されたとされている。先日は、その中のひとり、増元るみ子さんのお父さんがなくなり、葬儀ではお姉さんが「るみ子が帰ったら、一緒に父親のお墓参りに行く」のと決意を語ったそうだ。めだかのお墓はあまりにも可愛らしい話だけれど、家族の苦しみは「お墓」一つとっても、明暗を分けているといえそう。

 そういう話を“From Media”のページに書こうと思ったのだけど、こういうやり方は新聞記事の二次使用ということになり、著作権侵害のおそれがあると、遅まきながら気づいた。サイトの容量も残り少なくなっていることでもあり、一旦“From Media”はお開きにすることとします。

 Movieの『まぼろし』は一応の完成をみたので、UP。うーん、日記同様、相変わらず長い〜。
 2002年10月17日(木) まぼろし
 すでに18日の真夜中3時。11時頃にうとうとして、再び動きだしたのは1時頃だから、今のところ眠くはない。頭はぼんやりしてるけどね。
 
 腰が異様に痛い。立ったり座ったりしている状態では大丈夫なのだけど、少しでも腰をかがめると、尾てい骨あたりに痛みが走って、自分の上半身を支えきれなくなってしまう。朝のウォーキングを始めたら、とたんにこのありさま。歩きたいけど、歩けない。もはや、オバンそのもの?

 昨日は、朝から奮起して大阪へ。前から観たかった仏映画『まぼろし』を観るためだ。水曜日は女性1000円デーではあるけれど、何しろ、上映館の梅田ガーデンシネマでは朝と夜上映の限定バージョン。仕方なくモーニング・ショーにチャレンジしたのだった。朝から観る類の映画ではない。しかも予告編なしでいきなり本編に入ったし、上映が始まっても入ってくる観客がいるので、なかなか落ち着かなかったのだけど、がんばって観に行っただけの収穫は充分あった。

 主人公を演じるシャーロット・ランプリングのきれいなこと! 顔は充分老けてるのだけれど、スタイルが抜群で、歩く姿さえ絵になる。

 長年連れ添った夫が突然バカンスの海に消えた。その妻の苦悩。最愛の存在の死をどう受け入れるか、というのがこの映画のテーマだ。嗅覚はますます冴えて、少しだけど、やはりお墓のシーンがあった。とても象徴的な死のイメージとして。

 感想は、この間日記でも書いた『阿弥陀堂だより』とともにMOVIESで書こうと思ったものの、出来上がったのは、前者のみ。明日へ積み残しということになった。でも、久しぶりにMOVIESのファイルを開けたら、UP予定を告知したまま放置していた映画のタイトルが(笑)。ここにもすでに積み残しがあったのだ(爆)。思えば、積み残し人生。やっぱり、思い立ったら、すぐにやらなきゃね。「自分の首はこうして締めるのかあ」(笑)、とあらためて苦笑した。

 合わせてこれも告知していたお便りへの質問と回答をLETTERSでUP。名無しの方からのメールで、直接個人的に回答をお返しすればいいのかもしれないけれど、せっかく問題提議していただいたんだから、ご紹介しておこうと運営管理者の特権で、このような形にさせていただいた。棺桶や葬儀費用について、しばしお考えくださいな。

 今週の日本は北朝鮮拉致被害者5名の帰国ニュース一色に染まっている。『まぼろし』は結婚して25年の夫を突如失った妻の話だけど、24年前に忽然と消えた人たちが生きていたという事実。彼らは確かに襲われて北朝鮮に連れていかれたのだ。現実の日本に起こっていることはまさに「小説より奇なり」。それがとてつもなく恐ろしい。しかし、愛する者を突然失うという悲劇は、実は日常茶飯事で、生きていること自体が“まぼろし”なのだといえるかもしれない・・・。

 帰国された方たちのご家族・親戚・友人たちとの感激のご対面が連日TVで大写しになるので、私もついもらい泣きしてしまう。その一方で亡くなったとされる被害者のご家族にとっては、ある種辛い毎日だろう。5人には何の罪もない。むしろ、あまりにも「いい人たち」だ。北朝鮮に子どもや夫を残して、北朝鮮当局の厳しい監視に怯えながらでは、本当のことも言えないだろう。まして、先走って問いただし、それについて云々するマスコミもどうかと思う。そっとしておいて、と言いながら、どうにもそっとできないこの状況。彼らの人生は北朝鮮へ戻ってもさらに過酷のはず。解決までには、あとどれだけの苦悩が待ち受けているのだろうかと思うと、切なさで一杯になる。

 それにしても北朝鮮は不可解な国だ。稚拙な表現だけど、思わず「なめとんのか」と毒づきたくもなる。大人は子どもたちに「みんなで仲良くしなさい」と口では言うけれど、仲良くする難しさを感じているのは、誰より大人自身なのだ。常識が通じない相手ほど怖いことはない。そんな自己チュー国家の犠牲になった拉致被害者。もしかしたら、彼らは、私だったかもしれないのだ。
  
 2002年10月12日(土) 夜の美術館
 あへへ、またも更新おさぼり。何して過ごしてきたのか、今週はなんだか思い出せない。ボケてきたか、ついに!

 今日は本当にいい天気だった。昼間は散歩がてら近所をうろうろ。木曜日、すぐ近くにスーパーがオープン。お隣には再建中のDイエーがある。その向こうには、これまた斜陽なユニクロも今頃できた。便利になっていいかも、と思っていたけれど、できてみれば、車も自転車も人もバカに増えてびっくり。店内がこれまたびっくり。安さをうたった食パンやコロッケは、出来上がるそばから奪い合うように売れていく。レジには長蛇の列。まるで、鬼の仇のように、必死に買い物しているのだ。まあ、これも新しものみたさの一時的フィーバーなのだろう。実際、私もそのスーパーに2度入ってみたけど、値段・品揃えとも、それほど素晴らしいとは思えない。混み合った店内で買いたいものが見つからずにストレス抱えるぐらいなら、既に行きなれたDイエー(お客をとられて空いてるし)で買いたいものをささっと見つけて買い物を済ます方がいいかもしれない(笑)。

 夕方になって外出。このあいだ、行ったら休館だった神戸の美術館へ『ゴッホ展』を見に行った。普通の美術館なら5時ぐらいで閉館になるけれど、ここは金・土は夜8時まで開いているのだ。到着したのが既に6時を過ぎていたのだけれど、館内はまだ賑わっていた。とはいえ、昼間ならもっと混んでいただろうから、まずまず快適に絵を鑑賞することができた。

 今までは展覧会に行ってもすぐぐずっていた娘が、今回はけっこう楽しんだ。水彩か油彩かパステルか。まずそれを知りたがった。そして、描かれている人物や風景に対して、娘なりの感想を述べる。そして「絵が描ける人はいいなあ。描いたものをたくさんの人に見てもらえて」としみじみ。私は「でも、ゴッホは生きてる間は、だれも『いい』と言ってもらえなかったんやで」と説明。彼の悲惨な人生を娘が理解するには、まだ時間がかかるだろう。だた、その絵をその目で見た経験や記憶は、いつかどこかでつながってくるはずだ。

 それにしても、今回出品されている作品は、オランダ時代やパリ時代のものが多く、一般的にもたれているゴッホへの先入観、つまり「激しさ」や「狂気」、「精神不安」のイメージでは計れない、穏やかさに包まれていて、心地よかった。同時に、画家としての才能もまざまざと確信させられた。ゴッホはただ本能のまま、狂気にかりたてられるように、キャンバスに描きなぐったわけではない。、他人の絵にもきちんとした審美眼を持ち、人々をじっくりと観察し、自分の絵を客観的に、作品として描こうとしていただけなのだ。ただ、ほんの少し他人との距離感がとれなかっただけ。そして、亡き兄の身代わりのように生まれてきた出生への負い目から、「死」を意識せざるを得ない人生だったのだろう。短く貧しい失意の連続の画家人生も、21世紀の今に残る作品を生むための宿命だったとしか、いえない。

 見終わったら、結局閉館間際の8時前。館内のレストラン(雰囲気はなかなかよかった)で夕食をすませ、暗い海を臨むデッキをしばし散策した。昼間はけっこう賑わっていただろうデッキもさすがに人気はまばら。海も暗く、対岸のドッグの街灯が波間を静かに照らしていた。星のない夜空に半月。少し斜めに切れているので、ロッキングチェアのように、今にも揺れ始めそうな姿で浮かんでいる。娘は「夜はお月さんも寝なあかんから、ねんねしてんの」と解説する。まあ、そういうことにしてやろう。

 ところが、いったん3階(最上階)のデッキに出てしまったものだから、地下駐車場に戻る道が分からなくなった。もはや閉館し、薄暗くなった通路をうろついているとエレベーターが出現。これで地下に行けるかなと乗ってみた。そのエレベーター、壁や天井がすりガラスかアクリル板でできていて、照明によって三方が白・黄色・緑と変幻する。なかなか感動的ではあった。でも、エレベーターは1階まで。降りたところで、途方に暮れていると、どこからともなく警備員が現れた。警備員さんは「こっちからは出られないんですよ」と、親切にも一度は施錠された自動ドアを開けて、通してくれた。その後も誘導されてようやく地下へ。いやはや、本当に迷路のようだった。設計者・安藤忠雄氏のコンセプトは分からんでもないけれど、館内もけっこうややこしいつくり。もう少しシンプルな設計にしてもよかったのでは、と思わないでもない。でも、暗い美術館で親子して迷子になるなどという経験は、けっこう面白かった。そんなこんなで、夜の美術鑑賞、チャンスがあれば、ぜひお奨めする。

 車が地下駐車場から道に出て、家路に向かう頃には、半分の月はいつのまにかオレンジ色に染まっていた。

 世間では2人の日本人ノーベル賞受賞者を大クローズアップ。というより、43歳のサラリーマン、田中氏が受賞したことで、普通以上に盛り上がっている。今日はお里から帰って来られた田中氏の奥方を駅の改札で迎える田中さんをカメラ押さえさようと取材合戦。田中氏の務め先では、早くも役員待遇のポスト昇格があるとか、浮き足立って、あの飄々とした変人風情(笑)が下世話な世間の風に染まりませんように。

 7日分に書いた『阿弥陀堂だより』のおうめさんの台詞、後半は「いい気持ちになるような話がききたいんでありますよ」ってな感じだったようだ。その意味では、今日のゴッホは「いい絵を観た」という印象が強い。

 数日前にリンクページを追加。日記を更新しなかったため、告知がおそくなってしまった。それから、とある方からとある質問をいただいた。その答えも、次回には更新したい。
  
 2002年10月7日(月) 大事なもの
 お風呂に入って、そのまま寝てしまうつもりが、またなんとはなしに、パソコンの前へ。今日感じたことは、やっぱり今日書いておこう。「昨夜は何時まで起きてた?」と夫は尋問のように聞く。私から見れば寝過ぎる(笑)夫が不可解なように、夫にすれば私がただ睡眠をないがしろにしているようにしか映らないらしい。心配してくれる気持ちは分かるけど。確かに昨夜はちょっとね・・・おかげで一日中眠気が取れなかった。おおーっと、短めにしとこう。

 お昼、哀れなニュースが流れた。ドリカムの元メンバーが傷害事件で逮捕されたという。身内のけんかのような事件が身内から公にされてしまったのも、なんとも哀れだ。現ドリカム自身、アメリカ進出が結局不発で、若いアーティストからどんどん追い越されて、ちょっと苦戦気味だけど、元メンバーは、最盛期の頃でもなんだか末席に遠慮気味に存在しているような影の薄さがあった。一度は交通事故で謹慎してたこともあるし。脱退後は兄と音楽活動をしていたようだけど、ここまで来ると、それももうご破算になるだろうな。なんか、ハイファイセットの末路を連想させる展開。どんなグループも仲良しを続けることは難しい。だからこそ、自分が立つ場所を自分で創るしかないのだけれど、彼自身、焦りといらだちを抱えていたのだろう・・・。

 夕方はもっと悲惨なニュース。幼い子ども4人を道連れにした一家心中。遺書はないが、生活苦が背景になっているようだ。つい最近、長男がラジオで作文を朗読したとかで、そのテープがTVで流れた。「お父さん、お母さん、ありがとう。これからもよろしくお願いします。弟たちの面倒もみます」というような内容。文面や声は無邪気なものだったけれど、彼はどこかで感じていたのではないだろうか、親たちが何かに苦しんでいることを。また、昨日はその子が小学校の運動会で元気に走っていたという。がんばっているところを両親に見せたかったんだろう。父親は一生懸命働いていたというけれど、どうにもならない借金でも抱えていたのか。死を選ぶしか、方法はなかったのか。子どもたちの命まで奪って・・・。日本もとうとう、こういう人を救えないほど逼迫しているということなのか。

 どちらも切なすぎる現実。映画『阿弥陀堂だより』で、96歳のおうめさんは主人公の夫の売れない小説家に言う。「せつねえ話はもういいであります。心が楽しくなるような話を書いてほしいでありますよ」(セリフの詳細は間違ってるかも)。ネット上の映画批評の中には、「欺瞞に満ちている」とか「田舎の現実はこんなもんじゃない」と書いている人もいた。確かにそういう思いもある。でも、監督はとにかく、見る者を切なすぎる現実社会から離して、心の温度が少しでも上がるような作品にしたかったのだと思う。それでなくとも、世界はどんどん殺伐としているのだから。

 沢知恵のニューシングル『小さな恋のうた』は、例によってピアノ一本弾き語りのカヴァー。もとうたは少しもいいと思わなかったけれど、彼女の手にかかると、なんとも珠玉のラヴソングなのだ。ただ歌っている平井堅の『大きな古時計』とはわけが違う。

 ♪ ほら、あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの
   ただ あなたにだけ届いて欲しい 響け恋の歌   ♪

 カップリングの『おなじ』はオリジナル。短い繰り返しのようなフレーズが、かえって深い。

 ♪ あなたと同じ日に親になった おそれと感動で涙があふれた
   あなたと同じ日に死にたい かなわぬしあわせとわかっていても  ♪

 心中した夫婦は図らずも歌の通りになった。でも、ここにある「死」の意味とは全然違う結末。

 大事な人、大事なもの、自分にとってそれが何かをさがすのが、生きるってことなんだろうな。苦しくてもさ。さあ、もう寝なくちゃ・・・。
 
 2002年10月5日(土) あるがまま
 下の日記を書き上げて、更新のためにファイル転送をしようと思ったら、「容量が一杯で転送できない。ファイルを削除すべし」というようなアナウンスが出てしまった。仕方がないので、緊急的措置として、「What’s New」と「ルシイドの部屋」をアップロードするファイルから削除した。というのも6月か7月、「ルシイドの部屋」を書いてくださったルシイドさんから続編がいただけるとの返事をもらってから、なぜかぷっつり音沙汰がなくなった。このたびの事態についてのご報告を兼ねて近況を伺わんとメールを出したものの、今のところお返事もない。何かが行き違っているのかな、と小心者の私はいつも気になりつつも、亡きお母さんのことを書くという作業を、ご本人の思いも考えずに強制することもできない。ましてや、私自身がほとんど更新できていないのに、誰かに求めることなど、できるわけもなく・・・。

 それにしても、日記を更新しているだけで、無料HP開設に与えられた5MBを使い果たしてしまうとは。what’s Newなどはもともとそう重要なページでもなかったけれど、今後のこともあるので、有料分の増設を行うか、またはもっと無料の容量が大きなプロバイダーを探すか、ここが思案のしどころだ。

 今日は夕方まで娘が保育園時代の友達宅に遊びに出かけた。歩いてすぐ保育園があるお宅なので、仲良し卒園生3人が連れ立って園を訪問。たまたま運動会があり、お兄ちゃんお姉ちゃんコーナーの競技に飛び入り参加させてもらったという。日頃小学校では幼稚園出身の友達ばかりで、「ようちえんやったらよかった」とこぼす娘だけど、今日ばかりは、お姉ちゃん面して、ちゃっかり楽しんできたようだ。
 
 そんなわけで、私もちゃっかり夫を誘って映画を観に行った。今日が封切りの『阿弥陀堂だより』。ロードショー初日に映画を観るなんて、初体験かも。実は1000円で観られる平日のレディースデーを狙っていたのだが、日頃何かと不遜な夫に(笑)たまには謙虚な気持ちを取りもどさせんと、強制的に(笑)連れて行ったのだ。でも、観て納得。まともに1800円を払うだけの価値は、あると断言できる。

 まさに不況どん底な日本で、よくもまあ、これほど丁寧なつくりの、そして商業的には極めて地味な映画ができあがったものだ。映画館の入りも思いの外、いまいちだった。けれど、タイトルロールが終わり、徐々に明るくなった劇場内では、誰一人しゃべらない。その沈黙が実に雄弁に映画への感動を表していた。

 都会の大学病院で働いていた女医が心の病を癒すため、夫の故郷、長野の小さな村に夫とともに移り住み、その村の保育園にできた診療所で働き始める。ドラマはその村の美しい四季の移り変わりと、愛と死にまつわる人々の心模様を、見事にシンクロさせながら、人間の究極のテーマである生と死の真実を、決して押しつけでなく、描き出していく。いやあ、参った。映像の美しさ、役者の素晴らしさ、涙が何度もあふれそうになりながら、そのたびにぐっとこらえていたけれど、少なくとも2人以上、鼻水をすする音が劇場内にずっと響いていた。

 樋口加南子扮する主人公が吉岡秀隆扮する若い医者に「医者になって何人の死に立ち会った?」と聞く場面がある。私の記憶が間違っていなければ、若い医者は「医師になって5年ですから、30人ぐらいです」と答える。主人公「私は300人以上の死に立ち会った」と返す。主人公はそういう患者の死のエネルギーにからめとられ、お腹に宿した赤ちゃんを流産していた。それによって精神のバランスを欠いてしまう。遅ればせながら、私ははっとした。医者という職業は、患者の病気を治すのが仕事なのだけれど、現実には人の死を看取る仕事でもあるのだ。そして、病院は完治して退院する患者と、病を乗り越えることが叶わず、死をもって立ち去る人にわかれる場所でもあった。医師が自分の無力さに心を苛まれることがあったとしても、不思議ではない。完全無欠を求められる医者も、考えてみればただの人間なのだから。この映画の清らかさは、何より、傷ついた医者が自然の中で救済されるというシチュエーションにあるのだろうと思う。「癒し」なんて、安っぽいものではないのだ。

 死者をお祀りする阿弥陀堂を一人で守っている96歳のおうめさん演じる北林谷栄の素晴らしさは、いったい何なのだろうか。自然な演技なんて陳腐すぎるほど、あまりにも凄い。寺尾聡演じる夫をは、売れない作家だから、経済力はなく、村の男たちには「花見百姓」と半分からかわれながら、都会に疲れた妻をいたわり、おうめさんや他の村人にも献身的に尽くす。卑下せず、奢らず、包み込むような温かさ。なんて、いい男なのだろう。

 死や病は、決して年功序列ではない。そういう矛盾も、この映画はきちんと描いている。だから、より味わい深い。

 映画を観ていたら、シナリオを読みたいと思った。と同時に、9月で終わったNHKの連ドラ『さくら』の脚本家、田渕久美子氏のことも思い出した。彼女は公式サイトや他のメディアで「さくらのテーマは21世紀の“和”。主人公はただ“あるがまま”に生きているのだ。自分に優しい人間は他人にも優しくなれる」と語っていたけれど、視聴者の半分以上は、あるがままではなく「ただのわがまま」にしか感じ取れなかった。テーマはどうあれ、そういう描き方しかできなかったのだ。田渕氏は最後の方で「融通無碍」という言葉をだして、「とらわれずに心のままに生きよ」というメッセージを送ったのだが、言葉だけが上滑りして、まったく共感を得られない最後に、非難囂々だった。

 『阿弥陀堂だより』はまさに「あるがままを受け入れる」人々の物語。誰もが喪失の悲しみを胸に宿しつつ、だからこそ他人にも優しい。これが「融通無碍」なのだ。この作品の監督でもある小泉堯史の脚本は、ある意味理想的なドラマの絵空事を書いている。事実は小説より奇なり。北朝鮮拉致事件をいうまでもなく、世の中はもっと混沌とし、残酷で、悲惨だ。それでも、彼が伝えたかったことは、奇をてらうことなく、観客の胸をまっすぐついてきた。いくら映像がきれいでも、どれだけ役者が上手くても、脚本が悪くてはこうはならなかっただろう。ほんと、『さくら』とはあまりに好対照だった。やっつけのTVドラマと1年がかりで制作した映画を比べるのも、やや酷とは思うけれど・・・。これも人生経験の差、というヤツだろうか(ちょっと皮肉・・・)。

 生死を扱う映画だけに、お盆のお墓のシーンもこれまた美しかった。山のふもとに立ち並ぶ墓石。夕闇の中で灯るろうそくの火。あの世とこの世をつなぐ道しるべのように。「ご先祖様」という言葉も何度も出てくる。子どものいない女医夫婦が新しい仏壇を買おうと話し合う。妻がこういう「私たちもご先祖様にならない?」。このセリフが最後、見事に生きてくるのだ。微にいり細にいり、やっぱりすばらしい脚本・・・。

 映画館にいた観客のうち、私はおそらく最年少の部類かもしれない。ほとんどが中年以降老年期にさしかかっているような人たちだった。彼らにはもっと切実な問題として映ったかもしれない。だた、そんな大人でなければ、分からないという複雑な話ではない。どうせなら、娘にも見せたいと思った。小学生だって、きっと理解できるはずだ。ましてや、親に反抗的で、世の中をなめているような10代にこそ、ぜひおすすめしたい。たまたま今日の日経の夕刊に『生と死の現在−家庭・学校・地域の中のデス・エデュケーション』という本が紹介されていた。暴力やいじめ、幼児虐待、残虐な殺人事件。それらは、子どもたちの身近な場面から「死」を排除してきたからだという主張がこの本の背景にあるようだ。まさしく同感!

 
 2002年10月2日(火) 金木犀の香り
 東日本では台風が吹き荒れた。幸い、こちらにはほとんど影響がなかったけれど、戦後最大級、という予報は不幸にも当たってしまった。2年前の奄美で味わった台風の恐怖を思い出す。犠牲者に心よりお悔やみを・・・。

 昨日は、久しぶりにマッサージの贅沢にあずかった。肩凝りがスッキリするというコースだ。もみ始めてもらってまもなく、突然「何の仕事、してはるんですか」と聞かれた。「パソコンを使ってるんですけど」と私。「右腕の付け根がカチカチです。背中は左が張ってます。凄いですねえ」。つまり、プロもびっくりされるほど、私の肩はゴリゴリに凝っていたのだった。そうせいか、親の敵でも取るかのように力いっぱいもんでくれたのはいいけれど、かなりのもみ返し。未だに背中が痛い。なんのこっちゃ。

 今日はまた久方ぶりに、朝のウォーキングを決行。梅雨からこっち、まったく歩いていなかったから、スピードも遅めに軽く30分ぐらい歩こうと思っていたのだけれど、歩いてみると、気持ちいいのだ。乾いた空気、晴れているけれど穏やかな日差し。街路樹は色づき、どこからともなく金木犀の香りが漂ってきた。歩いている時は何も考えない方がいいのだろうが、こういう小さな感動は、足で歩いてこそ、得られるもの。やっぱりウォーキングっていいなあ、つくづく実感した。結局、40分間歩いてしまった。2〜3日後に襲ってくるであろう筋肉痛が怖い・・・。

 北朝鮮の拉致問題、家族の苦しみは、晴らされるどころかますます泥沼状態。我が子や兄姉が本当になくなったのなら、せめてお墓の在処だけでも知りたい、というのは私みたいなお墓好き(という表現も、ここではフィットしないけれど)でなくても当然のことだろう。なのに、洪水とかダムの決壊でことごとく流され消滅しているという説明。いくらなんでも、都合よすぎる。なのに、小泉さんは「北朝鮮は誠意をもってやってくれたようだ」というお粗末なコメントしか言わない。自分の言葉にひたすらうなづくだけ。心は日朝国交のヒーローまっしぐら。こういう時、彼の心の底が見えてしまうんだよね。かなり浅そうな心の底を。糠に釘なんだろうか。

 図書館から、予約していた本を、また借りてきた。今度こそほったらかしの掃苔記、近々UPさせようぞ。
   
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