鴨長明 「方丈記」

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。…
  盛年不重來
  一日難再晨
  及時當勉勵
  歳月不待人 
  少年易老学難成
  一寸光陰不可軽
  未覚池塘春草夢
  階前梧葉已秋声

  

ごあいさつ
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鴨川の河畔にありて (2008年7月上旬)


【淀みに浮ぶうたかたは…】

 私が経済学の研究・教育者として今一度リフレッシュするために与えられた、天の賜物だったのかもしれない。昨年3月末に定年(63歳)で京都大学経済研究所を去ってからの1年余の日々を、とりわけ足繁く訪れるようになった鴨川の河畔で過ごした時間を、今ではそう思うようになった。
 ふり返れば、定年当時の私は胃がん手術後の化学療法を受けており、副作用のため長く立ってさえいられぬ状態だった。加えて、過去10年近く家族の健康問題に手をとられて仕事に満足に打ち込めなかったし、以後も、自分の体調がどうであれ、介護戦力であり続けなければならないという家庭の事情もあった。そんな私にしてみれば、定年イコール廃業が既定路線であり、事実、その日までに引退に向けた身辺整理を完了していた。
 かくて研究・教育界を離
れた私だが、家族ぐるみの
リハビリの趣で鴨川沿いを
散策していると、鴨長明
ばりに「行く川のながれ」
に誘われて物思うことしき
りだった。「淀みに浮ぶう
たかたの、かつ消え、かつ
結ぶ」様を眺めている折に
脳裏をかすめた雑感を、泡
と消えるに任せず、書き留
めるのもまた一興、と幾度か手帳にメモしてきた。それを手にしながら、久方ぶりに活字になる一文の筆をとる。

【断想の数片】
 ばさっ、と顔の左側で音と風が巻き起こり、黒い影が一気に空に駆け上がる。なんだ、これは? 左手に残る衝撃。あれっ、ない!
 昨秋某日の昼下がり。河川敷の芝生にシートを広げ、家族ともども自宅から持参した昼食をとり始めて間もないときだった。私は、左手におにぎりを持って一口食べ、マガモが中州に出入りする様子に見入っていた。その私に背後から鳶が襲いかかり、食べかけのおにぎりを奪い去ったのだった。あわてて場所を移し、「せっかく新米のコシヒカリでつくってきたのに」と照れ隠し半分にぼやく。
 そう言えば、市中に出回りだした今年産ブランド米が同銘柄・同産地の昨年産米よりも安い値段で売られているとのニュースを耳にしたが、あれはどういう次第なのか。そんな奇妙な現象が起きるのは、「古米が売れ残っており、しかも値下げが難しい」、「新米の販売価格を前年より大幅に下げる必要が生まれ、そのための施策も整った」という2条件が満たされるケースだろう。となると、米需要の長期低落、産地間競争の激化、米価形成メカニズムの変容等の要因が作用しているはずで、問題は構造的な性格のものだと解される。ここは一番、家できちんと調べてみなきゃ。そうそう、帰りがけにスーパーをのぞいて新米の値段もチェックしておこう。
 鴨の瀬音をBGMにして思考がこう進んだところでハッと気づいた。そうだ、自分も生活防衛上あちこちのスーパーに出入りするようになり、おかげで生活物資の相場がわかるほどになっているんだ、と。また、以前なら農業問題は専門ではないのでと尻込みしたのに、今では馴染みでない分野ゆえ知的好奇心をより強くかき立てられるのだ、と。
 実は、鳶事件は今春にも起きた。二度目は強奪されたわけではなく、10羽以上の鳶が舞い降りてきて至近距離を飛び交うのに恐れをなし、手にしていたサンドイッチを放り出してしまったのだったが。格好をつけて、鳶に餌をあげたことにしておく。
 コンビニで買ったサンドイッチの値上がりが癪にさわっていたせいか、この時は物価問題に連想が向かった。なんだ、近頃のパンの価格上昇は。パンだけじゃない。乳製品、コーヒー、ビール、食料保存用ラップなど、値上げラッシュだ。それなのに消費者物価の落ち着きぶりときたら、小憎らしいこと。
 だけど、小憎らしいで済ませちゃいけないとの思いが、後に続く。なぜ物価指数がほとんど横這いなのかと聞かれれば、経済学の基礎知識がある者なら誰でも、指数の算出方式に即して一応の説明はできよう。とはいえ、肝心なのは庶民の生活実感にぴったりくる指数がまだ編み出されていない点であって、それを専門家たる者は恥じてしかるべきだ。私にしても、自分の持ち場とする領域で同種の怠慢をおかしてきたのではないか。陽春なのに、水面をわたる風を肌寒く感じた。
 手帳をめくると、昨年12月の欄に、鳶(留鳥)ならぬユリカモメ(渡り鳥)にパン屑を与える人を見かけた時の感想も記されていた。内容は次のとおり。
 東京都が、上野公園の鴨への餌やり防止キャンペーンを始めたそうな。可愛いからと大勢の人が食べ物を与えるせいで越冬中の鴨がメタボ化し、飛行能力が落ちて春にシベリアに帰れなくなる、日本に残れば夏の暑さで死んでしまう。餌やりが生態系を壊す結果になっている、というのだ。もっともらしいけれど、本当なのか。冬眠前の熊が目一杯食べるのと同様、むしろ体力がないとシベリアまで行き着けないのでは? 餌のやり過ぎで鴨の個体数が増え、シベリアの方で過密の弊害が出る、といった恐れはなしとしないが。
 素人には真偽はわからないが、善意からではあれ、我田引水的な主張をするのは厳に慎むべきだ。「もっと科学を」と願う。ちなみに、中洲に鹿の姿を認めた日のメモ書きは「しかと見た、我が目を信じよ」となっている。


【朱熹と陶淵明のはざま】
 立場が変われば、目にとまる景色や感じる空気も違ってくるのが、世の習いか。鴨川の河畔にあって私の頭をよぎった想念の幾つかを記したが、どれもが何とも素朴なものだ。しかし、同時に直截的かつ根源的な語りかけでもあって、私自身そのことに驚いている。多分、プロフェッショナルの世界に身を置くうちに、特有の論理・思考パターンや評価基準にとらわれ、それ以外に意識が届きにくくなっていた面があるのだろう。
 ところで、抗癌剤の服用が終了して体調が上向きだした昨夏から、社会とのつながりを求めて立ち上げたホームページに、「折々の独り言」と題して経済寸評を載せ始めた。それが思考力のリハビリになったのか、研究の意欲と何とかやれそうだという自信も次第に戻りつつある。家庭の事情による制約と折り合いをつけて、再び研究・教育の仕事に関わることも、もはや想定外ではない。もし部分的にでも前線に復帰するとなると、その時には上述の断想は心すべき自戒の言となるはずだし、必ずそうしようと考えている。
  「少年易老学難成 一寸光陰不可軽」。いかに若い時代が過ぎやすく、学問の成就が難しいのか、私も身をもって知った。遅まきながらではあれ、少しの暇も無駄にするなとの「偶成」(朱熹)の教えに従いたい思いはある。陶淵明の「歳月不待人」も「勧学」の詩として広まっているが、実は時はみるみる流れ去るものだから楽しめるうちに楽しんでおけとの意だとかで、これまた魅力的だ。リフレッシュの気分を自覚的に保ちつつ、生き長らえた「おまけの人生」を、時に朱熹に、時に陶淵明に肩入れして、今しばらく教学の世界で送ることになるのだろうか。


                   (本稿は、『日本の科学者』2008年9月号に掲載された。)




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