太田心平     

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 印刷されちゃう媒体では綴れない、太田心平の奇妙な毎日。書き込み不能の一方通行ブログです。
 
 
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2012年03月08日 (木)   タバコと人種差別 (米国>NY)

 えらく物々しいタイトルで書き始めましたが、社会的な内容ではありません。きわめて個人的な内容です。あらかじめ。

 欧米ではタバコが高いということは、日本でもよく知られるところでしょう。しかし、同じ米国のなかでも、ここニューヨーク市は異常といってもいいほど、タバコが高いのです。なんせ、一般的なタバコが20本入り1箱で約12ドル(円高なのに1,000円程度)もします。ニューヨーク市の川向こうのニュージャージー州ならば、同じものが8ドルくらいで買えて、電車で90分くらいのペンシルバニア州ならば、6ドル程度です。以下は、ニュージャージー州の国道沿いにある万屋さん。ペンシルバニア州の目の前に位置する地域なので、たとえニュージャージー州であっても、タバコの価格はペンシルバニア州なみに安いのです。「タバコを安く手に入れたきゃ、ここまで買いにおいで〜」ってな感じですねぇ。

    (2012年2月18日撮影)

 かつ、ニューヨーク市を中心としたメトロポリタン通勤圏は、そうでなくても物価が高いうえに、物を買うたびに間接税が倍に上乗せされて、何かと物入りの地域。おまけに、公共の場での喫煙も他の州より厳しく禁じられているので、喫煙者にとってはひどい生活環境であってもおかしくないはず。

 では、ニューヨーカーは喫煙率が低いのでしょうか? 結論をいえば、答えは「NO」です。ニューヨーク市保健局によると、2002年に21.5%だった成人喫煙率が、2008年には15.8%になったといいますが、これは諸外国と比べてまだ高い水準です。だいたい、2008年の日本の喫煙率だって、全国平均で21.8%(厚生労働省国民健康栄養調査)。そんなに劇的には違わないでしょう。かつ、私が上でキッパリ「NO」という理由は、「普段は吸わないけど、ときどき吸う」という人があまりに多いこと。そういう人たちは、しかし立派な喫煙者といえるほど、頻繁に吸っているものです。

 ニューヨークの街を歩いていると、歩きタバコの率があまりに多いことに驚かされます。正直、喫煙者のひとりとしては、「こりゃあ、いいわい」と思っていたワタクシ。人ごみや子どもの横を通る時はさすがに気を付けていますし、吐き出した煙が誰かの顔を直撃するようなことはないように注意していますが、ちょっと人通りから離れた場所で路上喫煙なんて、あたりまえの日々です。ただ、これがまた新たな問題を生むのです。

 「すみません。タバコ、一本もらえませんか?」――こう呼び止められることの、なんと多いこと! ひどい日には、1日で10人以上に話しかけられます。おじさんのこともあれば、若い女性のこともあります。そうです。これこそが、喫煙者統計の穴なのです。統計上は「吸っていない」となっている人でも、「(高いから)自分では買わない」という人がたいへん多いようなのです。代わりに、誰ふりかまわず「もらいタバコ」という輩が、この街にはとてつもなく多いみたいです。

 こういう輩に対応するのは、いちいち大変です。いくら仁川国際空港で1箱わずか2ドルで仕入れたタバコであっても、「おっしゃー、もってきな! 喫煙者みな兄弟!」とばかりに、気前よく全員にあげていては、毎日いったい何箱のタバコを消費することになるか。仕方がないので、私は「ゴメン、これしかもって出なかったんで」とか、「俺も人から1本もらったんだよね」なんて嘘をついて、丁重にお断りするようになりました。

 しかし、それだけでは淋しい。社会には分かち合いの心がなくちゃ。ましてや、喫煙者として抑圧されている者どうしなんだから、助け合いは必要なのです。そんななか、他の喫煙者たちはどうしているのでしょうか? ひとつの答えが、これ。喫煙者の知り合いから聞いた話なのですが、彼は自分と同じ黒人にしかあげないのだそうです。しかも、バカ高いタバコ税を払うのが負担に感じるくらいの、20代の黒人に限定して、タバコを分けてあげるのだとか。そうやって、タバコを常備している喫煙者が、別々にバラバラの援助対象を設定していれば、世の喫煙者たちはアバウトながら全員うまくいくはず。彼はそう力説していました。これが正しいかはともかく、私も彼に従うことにしました。私が設定した援助対象は、東アジア系のおじさんたち。

 ええ、はっきりいって、人種差別です! でも、これはそれほど悪い人種差別でもないと、私は思うのです!

 はてさて、こう決めたまではよかったものの、今日ちょっと困ったことも。いつも同じ場所で同じ時間に路上喫煙をしていたら、けっきょく自分がタバコを分けてあげる相手は毎日同じであることに、ふと気づいたのです。今日気になったのは、50歳くらいの、華北系チャイニーズないしコリアンのおじさん。ブルー・ワーカー丸出しの格好に、すこし疲れた表情。それなのに、とても品のある英語。そのギャップから、一発で顔を覚えてしまいました。この人、なぜだか、いっつも会ってしまうんですよねぇ。私がフィールドノートを付け終えて一服しに外へ出る夕方の時間に、一日の労働を終えてこの前を通るからなのでしょうか。いつも私は「Sure」といって、自分のタバコをあげます。でも、「これから毎日、俺から1本ずつもらう気?」と、内心モヤモヤしてもいます。

 とりあえず、今度彼がエクスキューズしてきたら、先にタバコを取り出して「これでしょ?」っていってみようと思います。「この時間に毎日お仕事が終わるんですね。ちょっとお話しても……?」って、喫煙仲間にしてしまおう、と。喫煙者でよかったと思うことは、喫煙者どうしすぐにお友達になれることなのですから。

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2012年03月07日 (水)   古い地下鉄の味わい (米国>NY)

 このごろ地下鉄ネタが多くて申し訳ないのですが、実はワタクシ、大好きなんです、ニューヨークの地下鉄が。

 NYの地下鉄といえば、90年ごろまでは、汚い、暗い、危険の3Kとして有名でした。しかし、そんなのはもう昔の話。いまは、壁の落書きもなくなったし、もっとも早く確実に目的地へ着ける方法として、ふたたび市民の代表的な足になっています。どこまで乗っても2ドル25セント(約180円)だし、乗り放題券とか、プリペードのカードもあります。カードはバスとも共通で、乗り換えの割引制度もしっかりしています。

 しかし、私がニューヨークの地下鉄を愛してやまないのは、あの雰囲気のせい。ニューヨークの地下鉄が最初に開業したのは1904年のこと(市庁舎-145丁目の区間)。この後に色々な紆余曲折を経て、増築、改修、路線変更などが行われてきました。マンハッタン内の駅は、たいがい古くて、日本人からすれば「大丈夫?」って不安になることもあります。しかし、逆にこういう古き良き時代の味が随所にあるんですよ。

 有名な駅名を表わすタイル・アートです。実は、このタイル・アート、時どき修復していて、古いタイルは取り換えられています。え? その古いタイルはどこへ行くのかって? 素敵なミニ・アートに生まれ変わって、市内に2件ある「New York Transit Museum」で売られているのです。何十年もこの街の駅を彩ってきたタイルたちが、自分のものに出来てしまいます。興味がおありの方は、オンライン・ショップでどうぞ。タイル・アートはこちらにありますよ。

 ほら、こんなに素敵!

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2012年03月06日 (火)   社会保障番号 (米国>NY)

 今日も午前中に調査は終わったのですが、昼飯を終えてみたらフィールドノートを書くのが億劫に。他のことがしたいと思いました。かといって、平日の昼間から遊ぶわけにもいかず、「こういう時にこそしておくべきこと」を考えてみます。日本の勤務先からジャンジャンやってくる仕事の依頼をこなそうか――、いや、それはフィールドノートの10倍くらい億劫です。これまでに作った英単語帳でも覚えようか――、あ、今日はそんなに頭が回らないや。こんな自問自答と、怠け者の言い訳をくり返した後に、やることを決定。これまた億劫だった社会保障番号の申請を終わらせることにしました。

 実は私、これを何度もトライしています。最初に申請しに行ったのは、こちらに来てから10日目くらいのこと。書類を出すと、「あなたのDS2019(ビザに関わる書類)のステイタスがアクティブでないから、アクティブにする指令を送った。48時間が過ぎたらアクティブになるから、また来なさい」といいわたされました。で、その3日後に行ったら、今度は「あなたの所属先が、あなたのステイタスをアクティブにしていないから、担当者にいいなさい」といわれ、また追い返されました。その足で所属先に行くと、担当者は休暇をとって不在。仕方がないので、メールで事情を説明しておいたところ、担当者が処理してくれたのは4日後。そのあいだにも、私はどんどん忙しくなって……と、先延ばし、先延ばしになっていました。ちなみに、ここまでのやりとりは、私と同じJビザで日本から来た人びとが書き残したウェブ・ページのどんな説明とも異なっていて、ハッキリいって謎でした。

 ちょっとここで一言。「なんで社会保障番号が必要なの!?」とお思いの方もいらっしゃるでしょう。これについては、私も分かりません。正直いえば、もともとは「いらない」という結論に至り、申請するつもりはなかったのです。現に、携帯電話の契約も、銀行口座の開設も、宿舎を借りるのも、社会保障番号がなくても出来ました。しかし、こちらにいる日本人や韓国人の友人たちは、一様に「社会保障番号なしで1年も滞在できるわけがない」というのです。ほとんどの知り合いが、「社会保障番号がないと、米国で社会人として暮らせない、何も出来ない」といいましたし、ある友人なんて、「もってないと、逮捕されるよ」と脅しました。これで私の自信は揺らいだというわけです。そして、「まあ、社会保障番号を申請して逮捕されることはないだろうから」といういい加減な理由で、念のために持っておくことにしたのでした。

 「今日こそは」と意気込んで、すでに何度も来た御近所の社会保障オフィスに乗り込む私。もう、入口のおじさんとのやりとりも慣れたものだし、自分に該当する区分の待機番号を機械で受け取るのもお手の物。待合室のテレビで延々と流れているのは、老齢年金申請のCM。スタートレックの宇宙船のなかで、年老いたジョージ・タケイが他の乗組員と老齢年金について話をしているというシュールなシーンを見ても、もう笑ったりなんてしません。

 番号で「82〜!!」と、囚人のようにブッキラ棒に呼ばれることも、もうヘッチャラ。イソイソと窓口に行き、「新規のカードを申請したいのですが」と書類を差し出し、お決まりの質問に答えます。「以前に社会保障番号をもっていたことは?」――「ないです」。これまでの申請では、この後に窓口の人が延々とパソコンをパコパコした後、「○○がアクティブでない」という難癖が付きましたが、今日は何もない。「OK。2〜3週間でカードを受け取ることになりますよ。これが控え」だそうな。証明書類もぜんぶ返してもらったし、これでOK!?

 この後は、5番街のUNIQLOで足りない下着を補充し、やっとやる気を取り戻して、バッテリー・パークスタバへ。自由の女神を遠巻きに眺めながら、書き物をガシガシこなして、22時ごろ宿舎に帰ってきては、バタン・キュー。

 それにしても、ですねぇ。米国の社会保障番号というものは、……ですね。米国ド素人の私がいうのもナンなのですが、とても機密性が高いものなのですよね。「受け取ることになりますよ」って、郵送するつもりなんかい! それが他人に盗まれたり、途中で覗き見されたりでもしたら、どうするんじゃい! だいたい、「控え」だといって渡された紙にも、「社会保障カードは持ち歩かず、安全な場所に保管してください」って書いてある。とにかく、腑に落ちないし、信じられませんでした。というわけで、これで無事に終わったとも思えず、煮え切らない気持ちになりました。

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2012年03月05日 (月)   満身瘡 (米国>NY)

 地下鉄に乗っていたら、気になる警告文が。

   

 NYでは、地下鉄の警告文やお知らせが五か国語で書かれていて、この警告文にも英語のほかに、スペイン語、ロシア語、中国語、韓国語が添えられています。問題は、各言語ごとに書いてあることが微妙に違う点。私はスペイン語が分からないので、まあ何ともいえませんが。

 英語では、ちょっとジョークを利かせた文体で、「列車でサーフしたら、吹き飛ばされるぞ、永遠に」と書かれています。「列車でサーフ」するような人びとに、より親しみやすいことばで書かれているとも指摘できるでしょう。しかし、これが中国語になると、「列車でサーフ」という部分が、分かりやすく真面目に言い換えられている。「列車の上に乗ったり、あるいは外側のドアにしがみついたりして乗っていると」という具合。まあ、「列車でサーフ」しているチャイニーズなんてNYでは見たことないので、これはこれで正解?

 問題は韓国語なのです。とりあえず、私が理解したままの意味に訳すと、「列車サーフィンをすると、全身ボコボコになって、死亡することもある」ということ。ふむ、「全身ボコボコ」ですか。警告したい対象に合わせたヒップな表現かもしれませんが、文末の「〜ある」という表現といい、なんか不自然。その他の警告文やお知らせでは、文末は「〜です」「〜ます」調になっているので、これは単なるこの広告だけの問題なのだとして、気になるのは、やはり「全身ボコボコ」の方です。

 ここで私が「全身ボコボコ」と訳しているのは、原文では「満身瘡(マンシンチャン)」という漢字語です。私は、この単語を辞書でひいたのが初めて。でも、韓国で暮らしていた時に、ごく稀に友だちが「疲れ切って、もうほとんど満身瘡」とか、「おまえ、こんなところから飛び降りたら満身瘡になるぞ」とか、そういう使い方をしていたので、「全身ボコボコ」くらいの口語だと思っていました。もしかして、私の理解に間違いがあったのでしょうか。気になって辞書で調べてみたら、『ポケットプログレッシブ韓日・日韓辞書』では「全身に広がってできたもの」となっています。疱疹や湿疹みたいなものの全身バージョン? これは今回の場合には明らかに違う。やはり、「全身ボコボコ」の方がピッタリの意味だと。

 だとすれば、「全身ボコボコになって死亡することもある」という表現、やはり警告文としてはどうなのかと。今日は書き物ばかりしていたので、そんなことしか日記に書くことはございません(涙)。

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2012年03月04日 (日)   対比的なふたつのアジア (米国>NY)

 いま私が住んでいる界隈は、かつてヘルズ・キッチンという名前で呼ばれてた大そう物騒なところでした。今でも自動車の修理工場とか、倉庫とか、荒地などと、マンハッタンにはおおよそ不釣り合いなものが残っていて、かつてマフィアが暗躍したころを彷彿とさせます。ところが、1990年代後半にニューヨークの治安が格段に良くなってからは、「ハドソン川に夕日を臨むミッドタウン1の景勝地」として、高級タワーマンションなんかがボコボコと建っています。地名も、危険地帯になる前のクリントンという大人しいものに戻りつつあります。

 その一角に建つのが、ジャヴィッツ・コンベンション・センター。1986年に完成して以来、ニューヨークの大型展示場として、各種の商品展示会や業界ショーに使われています。今朝はここに「New York Times Travel Show」というのを見に行ってきました。なんてことのない、単なる旅行博覧会で、各国の旅行会社、リゾート開発会社、航空会社、政府観光局などが、ワイワイと広報する場です。さすがに米国だけあって、米国人に人気のカリブ海の島々が幅をきかせ、島の大型リゾート施設の宿泊券がオークションされていたりします。そういうなかをかき分けて進むと、ありましたよ、私の目的が!

   

 それはもちろん、韓国コーナー。韓国人のおばさんたちが、チマ・チョゴリを着て水墨画を描いていたり、アシアナ航空のおじさんがフライト時刻表を配っていたり、政府の役人らしき人が今年ある麗水世界博覧会の広報をしていたりしました。

 うーん、なんだか期待はずれ。もっとナウな感じで、派手にやっているんだと思っていたのに。韓流スターの等身大ポスターやら、韓国料理の試食会やら、そういうので打って出ているんだと思っていたのに、あまりの地味さに肩透かしを食らいました。

 韓国と対照的に意外と頑張っていたのが、日本。ステージでは、たまたまYOSAKOIソーランの時間だったこともありましたが、客の数が明らかにすごい。東北のブースも出ていて、そこにはかなりの米国人が集まっていました。よかったね、日本のみなさん。

   

 ただ、わたくし、いつのまにか日本の伝統になりつつある、このYOSAKOIソーランというものが、どうも苦手なのです。自分自身が日本にいなかった時期に普及したためか、どうも意味が分かりません。まあ、これは個人の好みとして……。

 あと、全体的に、どこの国のブースも、「分かりやすい伝統文化」に染まっていたかな〜と。その国に対するステレオタイプを、いかに助長できるか、いかに米国人の期待を裏切らないか、という点に終始しているようで、少し残念でもありました。まあ、これもお勉強になったのですが。

 会場を出て、お昼は御近所にオープンしたばかりのラーメン屋さん「TABATA」に行ってみました。中に入ってみると、どうやら日系人らしい人びと(日本語は辛うじてという感じか)と、日本語も少し話す東南アジア系および南アジア系の人たちがやっているお店でした。オーダーしたのは、「味噌チャーシューつけ麺」と「ひじきサラダ」。味は、忠実に日本のものだったけど、お値段がちょっと高いかな〜。うーん、でも、これから頻繁に行ってしまいそうな予感。

 午後からは、私が大好きな文化施設、アジア・ソサイエティ―・ニューヨークへ。3年前に来た時に見た展示がとても素晴らしかったし、併設されているショップも普段使い出来る素敵な品物ばかりだったので、今日はメンバー(友の会会員)になりに行ったのです。

      (この写真は3年前のもの。)

 勤務先の職員証を持参で行ったら、一般会員の年会費100ドルのところを、割引会員(associate)として50ドルにまけてもらいました。会員になっておけば、無料で入場できるし、情報誌を送ってくれたり、映画会や講演会に特別料金で入場させてくれたりもします。ちなみに、会員制度は各種あって、もっとお金を出せば、さらに特恵が受けられるものもあります。たとえば、パーティーに呼んでもらえるものとか、ディスカッションに加われるものとか。こういうレベル分けされた友の会制度って、日本じゃなかなかないですよね。

 せっかく来たので、開催中の展示も見ておきました。ひとつは、インドの王族おかかえ画家たちに関するもの。こちらは17世紀あたりのものが多く、私にはあまりよく分かりませんでした。もうひとつは、父親が中国系の造形アーティスト、サラ・シェー(Sarah Sze)の展示会。あまり期待していなかったのですが、これがすごかった! 人びとが毎日つかっている日用品を組み合わせて、ちょこっとライトを当てたり、紙をナイフで切って文字を浮かび上がらせたりしたものを、たくさんの糸を張った無数の平行線のなかに配置するスタイルなのですが、作品群が作り上げる空間が不思議。どこからどこまでが作品なのか、自分が立っている位置は観客として正しいのか、もしかしたら自分も作品の一部にされてしまっているんじゃないか、色々なことを考え、感じてしまいました。また、同様の空間づくりを活かして、色々な計測器のなかに地球や観客を取り込み、自然科学の理解しがたさや、それでも人は数値にひかれてしまうということを表現した(と、私には見えた)なんかは、その前(なか?)に立っているだけで、考えさせられすぎてクラクラしてしまいます。

 午前に見た「米国人の期待を裏切らないアジア」、午後に見た「アジアのなかの偏見に縛られないもの」。両方とも、いまの米国におけるアジア像なのでした。

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2012年03月03日 (土)   シュークリームに誘われるの巻 (米国>NY)

 朝から調査に出かけて、夕方に帰ってきた。宿所で溜まった家事などしていたら、電話が。御近所に住んでいる在NY歴20数年のEさんからだ。「シュークリーム、食べたくない? こっちじゃ、売ってないでしょ、日本の」という。「いまシュークリーム屋さんの前なんだけど、食べたかったら君のも買っておいてあげるから、あとでうちに食べにおいで」たしかに、日本の某シュークリーム・チェーンが数年前にNYで大流行して、しかしすぐ飽きられて、あっけなく消えていったという話は聞いたことがあるが、私は酒飲みのタバコ吸いの中年男性である。残念ながら、正直いってシュークリームには心ひかれない。

 でも、Eさんはどうしてシュークリームでお誘いをくれたのだろうか。Eさんだって、50前のオッさんである。お酒はカラッキシ駄目だが、タバコは吸う。甘党には見えない。ただ、私には思い当たるフシがあった。ソウルと大阪を頻繁に行き来していたころ、よく日本人へのお土産にと、私もプリンだのエクレアだの、日本でならコンビニでも各種とりそろえているが、なぜかソウルにはないものを、たくさん買って行ってあげていたのだ。ああ、Eさんも、こういうものが日本人の渇きを癒してくれること、御存知なんだ……。

 というわけで、無下に断るのではなく、そのへんをお話してみよう、と。せっかくなので夕飯のお約束もして、夕暮れ時のマンハッタンを東へと横断することになった。Eさんが住んでいるテューダー・シティー・プレイスは、私の宿所があるクリントンから真西に歩いて30分のところにある。バスに乗ればもっと早いはずだが、私はこのルートを歩くのが好きだ。

 歩きはじめの5分くらいは、365日24時間お祭り騒ぎなタイムズ・スクエアなので、ゲンナリするが、それを過ぎれば、NY市民の憩いの場所ブライアント・パークニューヨーク公共図書館(最近だとドラマ「セックス・アンド・ザ・シティー」で主人公のひとりの結婚式が行われた場所として有名)があって、のどか。次に見えてくるのは、勇壮なグランド・セントラル駅で、そのあたりでは私が好きなスタイルの服屋さん(ケネス・コールなどなど)のディスプレーも楽しい。おまけに、テューダー・シティー・プレイスに入るあたりから西をふり返れば、私がNYでいちばん好きな建物クライスラー・ビルがとっても綺麗に見える。ちょうど、こんな感じに。

 で、到着すると、「マンハッタンのことなら、なんでもござれ」という感じのEさんにひっ付いて、安くて美味しい広東料理店「鳳城(Phoenix Garden)」へ。「そう、昨日チャイナタウンに行っておきながら、ベトナム料理を食べたんですよね、ボク」なんていいながら、メニューを開く私。すると、なんかメニューが変。お店の人が気を利かせて日本語のメニューを持ってきてくれたのはいいのだが、あっちこっちに、「ちょっとここでマメ知識」みたいな薀蓄が書いてある。そういうのを読んでいると、そっちに集中してしまい、何も選べないときたものだ。そして、極めつけは、これ。

 「…… おねがいがあります ……」なんて書いてあるので、すごく真剣に読んでしまう。「麺類、御飯類はサイドオーダーとしてご注文ください。当店は「ラーメン屋さん」ではありませんので。くれぐれも「焼そば、ひと〜つ!」なんてことのないよう、お願い申し上げます (勝手なお願いで申し訳ありません)」だそう。なんか、「この翻訳を頼まれた人、たぶんこのお店の常連さんで、ここの人たちのことがつくづく好きなんだろうな」と想像できて、ちょっと微笑ましい。

 そんなことをしているうちに、ウェイターのおじさんが来てしまった。あまり英語が上手じゃないみたいだし、Eさんも「今日は何にしようかなあ。何がいいかなあ」と考えあぐねているみたいなので、「ここはボクの出番です!」とばかりに、吉林省仕込みの中国語で「这件的拿手菜呢?」(このお店の御自慢の料理は?)なんて聞いてみる。一瞬、Eさんの表情が変わった。NY歴1ヶ月というお荷物な私が、役に立つではないか! しかし!! ウェイターのおじさんの答えは、同じ中国語であっても、普通語ではなく、広東語なわけで、私にはほとんどベトナム語くらいに聞こえるわけで……、けっきょく恥ずかしい立場に立たされた私だった。

 けっきょく、スッタモンダの挙句、おじさんが指さしで教えてくれた「肉粟米羹」(コーンとカニのスープ)、「金牌椒蝦」(エビのから揚げの塩コショウ風味)、「白汁海鮮炒飯」(白餡かけ海鮮チャーハン)を注文。おじさんが、「ザーサイ、ザーサイ」というので、それも付けてもらった。

 お店の雰囲気も上品だし、料理のお味も素晴らしかった。特に、ザーサイが写真のとおり立派で、かなり美味。これは大満足です、はい。なのに、チップをはずんでも1人32ドルだった。てか、この曲者ザーサイが、実はスープよりも高かったので、これを頼んでいなかったら日本円で2,000円/人くらいで十分だった気が……。「だけど、あのザーサイなら、また頼んでしまいそう」。ふたりでそう話しながら、我われは食後の塩っぱい口のなかをシュークリームで中和していたのだった。

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2012年03月02日 (金)   華商超市に行くの巻 (米国>NY)

 金曜の午後って、なんだかいい加減な感じです。何がかといえば、博物館の雰囲気が。そもそもアメリカでオフィス・ワークをする人びとは、出勤や退勤の時間に融通が利く場合が多いようで、特に金曜の午後となると、15時半くらいに帰っていく人がいたりして、17時には誰も残っていなかったり。そういうわけで、私までなんだかいい加減な感じになってしまうのでした。(ハワイやラオスに長く住んでいた友人らによれば、当地では金曜なんて午前中しか働かなくても普通だそう。これはすごい!)

 午後17時半、かくして私も何もやる気がなくなり、研究室を後にしました。かといって、別に予定もなし。このまま帰宅するのも億劫で、気分がフワフワしてきました。そこで考えたのが、「そうだ、知らないバスに乗って、どっか行ってしまえ!」ということ。博物館の前から、M10なるバスに乗り込みました。「まさか、うちのアパートの前まで行って終点」なんてことはないよな。へへへ」と、冒険のワクワクが湧いてきます。ところが! なんとM10番、うちのアパートまでもまったく届かず、私が乗ってから200mくらいで終点でした。この時の空しさといったら、もう!

 仕方がないので、地下鉄に乗り換えて再チャレンジです。とはいえ、地下鉄だと、おおよそどこがどこだか分かってしまうので、面白くはありません。普段は乗らない路線に乗ってみたところで、それは大した冒険にもならないもの。なんとなく、さっきまでの冒険心が挫けてしまいます。そういうことで、あきらめて、とりあえずチャイナ・タウンへ日用品の買い出しに行きました。

 降りたところは、キャナル通り。ここは、駅前のマクドナルドまで「麦当労」になっているし、「大通銀行」みたいな、近年に中国でボコボコ出来ている地方銀行の支店もあります。私が目指したのは、「金門食品公司(New Kam Man Mart)」。床面積も広いし三階建てだし、とにかく広くて、中国関係のものだけじゃなく、日本ものや韓国ものもあります。私のお目当ては、第一に日系スーパーの「サンライズ・マート」や韓国スーパーの「ハナルム」と価格を比較してみること、そして第二にステンレス製のザルを買うこと。でも、私の目は入り口を入ってすぐ、こんなお菓子に釘づけでした。

 「江戸パック ベアのチョコお菓子」だそうな。どう見ても、クマさんというよりコアラだし、某○ッテ社から出ているお菓子のバッタモンにしか見えませんよね。でも、こんだけタップリ入って、1ドル99セントとは、敵もやるものです!

 価格調査の結果、やはり日本ものは日系マート、韓国ものは韓国マートが一番いいということが分かりました。まあ、当たり前といえば、当たり前。(一部、韓国マートの方が品ぞろえが気に入った日本ものもありましたし、華商超市はマンハッタンという立地でも品ぞろえが他を圧倒している感はありましたが。)そして、無事にザルも買えました。これで、日系マートで買ってきたソバで気楽にザルソバが作れます。めでたし、めでたし。

 ただ、満足して帰ろうと思った時、問題は発生しました。変なものが猛スピードで床を横切ったので、ついつい目で追ってしまったのですが、なんと、と〜っても汚い色をしたネズミさんではありませんか! ネズミごときで動じる性格じゃない私でも、思わず「ウエッ」とくるほど気持ち悪い様相。しかも、いちばん中国的な(日本ではちょっと嗅がない)食品の臭いが漂うエリアでした。こういう体験を加味するならば、やはり私は日系マートや韓国マートに行くべきなんだろうなと思ってしまったのです。

 ベトナム料理店でフォーなんか食べ、整体でも受けて帰ろうかなと思ったところで、突然の雨。まあ、整体はまた今度ということで。今日も楽しい一日でした(マル)。

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2012年03月01日 (木)   パーティーな気分か、否か (米国>NY)

 今日は、こちらで在籍している博物館の人類学部門で、新任キューレーターの歓迎行事がありました。お誘いは、一斉メールでいただきました。とってもポップなポスターまで添付してあって、「どこまで本格的やねん」と思ってしまうほど。楽しそうだと、かなり期待していました。

 今回のパーティーにはテーマがありました。「luau, to embrace the intersection of popular culture and anthropology」だそうです。後ろの方は、「ポピュラー・カルチャーと人類学の関わりを大切に」という意味だとして、最初の「luau」って何だ? 調べてみたら、ハワイ語で「宴」の意味。こんかい着任するキューレーターの方がオセアニアの専門家だからでしょう。行ってみたら、参加者は首からレイを掛けているし、わざわざアロハっぽいシャツを着てきている人もいるし、パーティー自体がハワイアンな感じでした。

 しかし、こういう欧米的なパーティー、非欧米人にとっては、なかなか慣れないものですね。私の場合、日本でも学会などで立食パーティーによく出席するので、まったく慣れていないわけではありません。でも、どうも日によって浮き沈みがあり、「うまく馴染めそうな日」と「そうでない日」というものがあります。今日の場合には、不運にも思いっきり「馴染めそうな気分じゃない日」。それなのに、こっちのパーティーというものは、知らない人を紹介してもらって、お友だちの枠を広げる場なわけで、行くと、知らない人とたくさんお話をしなければならなくなる。「馴染めない日」や「そんな気分じゃない日」だと、結構な疲労を感じてしまったりもします。

 というわけで、新しい知り合いも出来て有益だったし、これはこれで楽しい一日でした。ただ、どっぷり疲れちゃったのでした。

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