太田心平     

since July 10, 2011
    初期画面   基礎情報   私のA面   私のB面   アクセス  

 印刷されちゃう媒体では綴れない、太田心平の奇妙な毎日。書き込み不能の一方通行ブログです。
 
 
過去ログ

最新 

2011年07月 

 
2011年07月30日 (土)   若く見えるのはいいけれど…… (韓国>安山)

 急にこっちで学会へ参加することになりました。で、悩む。はて、なに着て行こう……。仕方なくアウトレットに駆け込んで、ちょっとマシなジャケットを試着など。すると、すっごい笑い声が聞こえてきました。店員がこっち見て笑っています。「あっはっは! 学生がそんなん着ちゃ変よ」。韓国での私の格好は、そこまで幼稚だってことなんでしょう。


2011年07月29日 (金)   送らない手紙 (韓国>安山)

 現地調査のために出張中の私。ただ、悲しいかな、出張中でも日本での仕事がメールでじゃんじゃん入ってきてしまいます。今日は、原稿の校正紙を日本に送りに、郵便局へ駆け込みました。いくら電子メールというものが出来ても、こういう仕事は郵便ベースでしか出来ないというところに、なんだかデジタル技術の限界を感じながら……。

 そうだ。どうせ郵便局に行くのなら、ついでに友人にお手紙でも送ってみよう。なんでもメールだ、SNSだという時代だからこそ、たまに手紙なんて送ってみると、新鮮でいいではないか! こうして私は、郵便局に向かう途中でカフェに立ち寄り、手帳のメモ用紙を一枚ちぎって、四隅をライターで軽く焼き、つらつらと二通したためてみました。両方とも、来週あたりにソウルで会おうと思っている人物なので、要件なんてなくてもいい。たんに「そのうちお会いしたいですね」みたいな内容で、約束を取り付けるキッカケ作りみたいな感じです。うん、いきなりケータイに電話するよりも、我ながらちょっとオシャレ。

 かくして、校正紙と手紙をたずさえて、郵便局へ。しかし、ここで「がーっ!」ということが起こりました。受付窓口のカウンターに、こんな通知が出ています。

 先日の大洪水で、ソウル南部とその周辺に宛てた郵便物は、たいへんな遅延が予想されるとのこと。これでは、「そのうちお会いしたい」という手紙が、会う時間がなくなった頃に届いてしまうかもしれません。意味ないです。仕方ない。自称「オシャレなキッカケ作り」はあきらめて、そのままゴミ箱にポイしてしまう羽目になりました。せっかく書いた手紙を送らないというのは、なんとも虚しいものです。

 それはそうと、「送らない手紙」とは、私が大好きだった韓国のシンガー・ソング・ライター金光石が、自殺する直前にレコーディングしたという、たいへん暗い歌のタイトルです。日本では、映画『JSA』の挿入歌として知られています。南北の友好関係が崩れ、激しい打ち合いが行われるシーンで流れていました。郵便局を出て、真夏の太陽を浴びながら歩いている私の頭のなかでは、季節外れの金光石の歌声が響いていました。

 
金光石「送らない手紙」

草の葉は倒れても 空を見て
花を咲かせるのはたやすくとも 美しく咲くのはなんと難しいか
時代の闇の道をひとり歩いていたら
人が死の自由に出会い
凍った河の風のなかへと 墓もなしに
荒れた地吹雪のなかへと 歌もなしに
花びらのように流れ流れて 君よ さようなら
君の涙は もうすぐ河になるから
君の愛は もうすぐ歌になるから
山を口にくわえた 僕は涙の小さな鳥だ
後ろは振り向かず 君よ さようなら

 まさに辞世の歌ですね。彼の死から、もう15年以上が経ってしまいました。5年くらい前までは、毎日のように聞いていた彼の歌も、いまではトンと御無沙汰。せっかく彼を思い出したので、今夜は大昔に買った彼のカセット・テープでも探し出して、久しぶりにラジカセで聞いてみようかと思います。


2011年07月28日 (木)   韓国式マッサージって何だ? (韓国>安山)

 最近、日本のテレビでIKKOさんが、「韓国式マッサージ」なるものによく触れていますよね。

 ただ、ワタクシ的には、「韓国式マッサージって何だ?」と思ってしまいます。韓国には中国のような在来のマッサージ術はないというのが、私の知るところ。実際に彼(彼女?)が言っているものも、欧米などでもよくあるオイル・マッサージ(韓国では「アロマ・マッサージ」)や、いわゆる按摩のような経絡を指圧するマッサージ(同じく「スポーツ・マッサージ」)のことに思えてしまいます。これらは、確かに韓国でも、少なくとも20年前から随所で行われていました。ふむ。

 ただ、私はつい最近になるまで韓国でマッサージに行ったことがありませんでした。韓国で男性がマッサージに行くと言うと、わずか数年前までエッチなマッサージを受けに行くことを意味していましたし、当局の取り締まりが厳しくなった今でも、そういうお店はたくさんあります。お勤め人の男性たちは、接待や会社の飲み会の後などに、そういったマッサージに連れ立って行くような習慣があります/ありました。そういうエッチなマッサージのイメージが先行してしまったり、エッチなお店と健全なお店との区別がつかなかったりして、韓国でマッサージ店に入る気になれなかったのです。

 私がマッサージに行きはじめたのは、2000年代後半。この頃に韓国の都市部では、「中国伝統按摩」という謳い文句を掲げたショップが急激に増殖しました。こうしたお店は、わざわざ「男女兼用」とか、「退廃はお断り」などと書き添えているところも多く、以前のエッチなマッサージ店とは一線を画していることをアピールしているので、入りやすいと思ったからでした。ちなみに、この時期は、中国の朝鮮族が韓国で働くことが大幅に緩和された時期で、かつ外国人労働者の就労枠が増えて中国人全体が韓国に出稼ぎをはじめた時期にもあたります。おそらく、近年に韓国で急速に増えているのは、「韓国式」なのではなく、中国でいう「中医按摩」(ただし、医師資格をもつ人がやっていることは、むしろ稀)なのです。

 さて、最近ちょっとお疲れな私。今夜は、宿舎の近くの、行きつけのマッサージ店へ行ってきました。韓国出身の旦那さんが、朝鮮族出身の奥さんに思いっきり尻に敷かれ、ヒーコラ言いながら、2人で24時間営業しているお店です。

 扉を開けてドア・チャイムが鳴るなり、奥の方から「アンタ、お客さんよーっ!!」と奥さんの叫び声。間髪いれず、旦那さんのスリッパの音が響きます。パタパタパタ!! 「ああ、いらっしゃいませ。ゼー、ゼー。また日本に行ってらしたんですか? ゼー、ゼー」。ちなみに、この旦那さん、小柄で、痩せていて、青白い。「いつものやつで、ゼー、ゼー、いいですか?」。見るからに、虚弱そう。店の奥からは、奥さんが雇用人のマッサージ師たちと楽しくオシャベリに興じている声が聞こえます。旦那さん、かわいそう……。この瞬間に、私はいつも、ゆったりリラックスしに来た自分が申し訳なくなってしまいます。

 気をとり直して、お金を払い、Tシャツと短パンに着替えて出てくると、旦那さんが足浴とドリンクの準備をしておいてくれます。ここで私がいつも頼むのは、「足浴 --> スポーツ・マッサージ --> アロマ・マッサージ --> 足裏マッサージ」というフル・コース。100〜110分で、お得意様価格60,000ウォン(約4,500円)。

 足浴ゾーンに足を浸けながら、旦那さんと韓国語で日常会話をしていると、マッサージ師さん(8割が女性)が来て、足を拭いてくれ、半個室に誘導してくれます。なまりの強い朝鮮族のこともあれば、漢族のこともあり、場合によっては、ここから先は中国語会話の世界。

 ベッドにうつ伏せになって、スポーツ・マッサージがスタートします。ギューギュー押され、モミモミほぐされていると、だんだん夢心地に。ちょっと押しただけでバキバキ鳴る私の背中は、いつも「こってますね」と言われます。やがてTシャツを脱ぎ、アロマ・マッサージへ。アロマ・オイルを背中や手足に塗られ、今度は血液やリンパ液の代謝を促すマッサージです。それが終わると、温かいタオルを何重にも乗せてもらい、温浴みたいになりながら、足裏マッサージ。この足裏マッサージは、まったく痛くありません。むしろ、アロマ・マッサージの延長線と言ったところで、やはり代謝を促進する感じです。仰向けに向き直り、仕上げのストレッチをしたり、場合によっては腹部マッサージもサービスしてくれたりして、はい、終了。

 うーん、やはり普通のマッサージだと思う私でした。はて、IKKOさんが言う韓国式マッサージって、本当に何なんでしょうか? 冒頭の疑問に返って、ふと考えてみました。あ、そっか。こうやってコースでやるのって、中国でも日本でも体験したことないな。たしかに、コースで受けると、全身かなりいい感じにほぐれます。もしかすると、コースになっているっていうのが、彼(彼女?)(もういいって!)をして「韓国式」と言わしめるのかもしれません。

 

2011年07月27日 (水)   史上最悪の大雨と洪水 (韓国>安山)

 とんでもないことになってしまいました!

 朝起きると、テレビが大洪水のニュースを叫んでいます。韓国の経済発展の象徴だった、ソウル江南地域の道路が河と化し、私が前に住んでいた舎堂(サダン)駅の周辺が土砂崩れでふさがり、甚大な被害が出ています。特に、今回に集中的な被害を受けた地域は、これまで水害と無縁だったリッチなエリアなので、唖然としてしまいました。

 「そっちは大丈夫かー!?」

 こんなショート・メッセージが、今日一日、携帯電話にジャンジャン入ってきました。たしかに、韓国では今年の梅雨にたくさん雨が降ったし、ここ数日の降水量は凄まじく、特に昨夜は暴雨と雷鳴で何度も目が覚めたほどでしたが、まさかソウルがこんなことになるなんて!

 私はまったく無事です。ただ、個人的にも、たいへんショックなニュースがありました。私がこれから調査しようとしていた地域でも集中豪雨による被害があり、特に調査対象としはじゅいめていた陶磁器の窯が、完全に流されてしまったということです。これでは、今回の韓国滞在はもちろん、これから2年くらいの研究計画が滅茶苦茶です。知り合いに死傷した人はいませんが、それでも泣くに泣けない事態です。


2011年07月26日 (火)   タコ食べよう! (韓国>安山)

 一昨日は「中伏」(2011年07月20日の記述参照)でしたが、また狗肉や参鶏湯を食べ逃しました。

 というわけで、今日の昼食は、やはりスタミナ料理であるナクチ・ポックム(ミズダコ炒め)を食べに行くことにしました。

 あまり知られていないようですが、韓国の西の海(黄海)は、世界でも干満の差がもっとも激しい海のひとつです。よって、韓国の西海岸には、広大な干潟が広がっています。その干潟で、泥のなかに隠れて生息しているのが、このナクチ=ミズダコ。タコの一種で、足もちゃんと8本ありますが、韓国では文魚(ムノ)=タコとも、烏賊魚(オヂンオ)=イカとも区別され、別の生物のように認識されてきた感じがあります。余談ですが、かつて私が出会ったある韓国人が「ナクチはタコでもイカでもない」と言い張るので、「じゃあ、ナクチの足は何本? 8本だったらタコだし、10本だったらイカだけど」と言い返したら、「ナクチの足は、たぶん9本だ」と真剣に答えたほどです。

 ナクチは、タコ以上にタウリンを豊富に含んでいて、食べると元気になれます。ただ、食べている時は、それほど元気になれない。なぜなら、ナクチの食べ方は、なぜか人をゲンナリさせるのです。

 まず有名なのが、サン・ナクチ。これは、生きたままのナクチをブツ切りにして、まだ動いているのを刺身醤油で食べるというもの。つまり、踊り食いですね。上手に食べないと、唇や口の中にへばり付いて、なかなか噛めません。エグいと言って、食べられない外国人も続出です。

 次に有名なのが、ナクチ・ポックム。各種の野菜とナクチを、コチュヂャンやトウガラシをたっぷり入れて炒めたもので、これが滅茶苦茶に辛いのです。付け合わせとして必ず出てくるのは、塩ゆでしてゴマ油をたっぷり絡めた豆モヤシ。これで辛さをゴマ化しながら、みんなやっとの思いで食べるのです。そう。いくら韓国人だって、辛いものは辛いのですよ。よくナクチ・ポックムの専門店の前なんかを通ると、あまりの辛さに顔を歪めている韓国人たちが、ガラス戸越しに見えたりします。「なんで、自分でお金出して、あんな拷問を受けているんだろう」と思ってしまうほどです。

 今日我われが選んだのは、あまり辛くないナクチ・ポックムの、しかも丼バージョンでした。ナクチ・トッパプといいます。


2011年07月24日 (日)   韓国の結婚事情 (韓国>安山)

 急に猛烈な雨が降ってきました。昨日の続きで朝7時半にバスを降りた私は、ヘロヘロな状態で何とか傘をさしながら、部屋に帰って寝ました。

 起きたら午後でした。ふむ。今日は調査の予定もないし、昨日までの調査ノートでも付けるか……と、日本から持ち込んだソバ茶を沸かし、そいつを片手にパソコンに向かいました。

 さて、話は昨日の内容に戻り、いったい韓国人はどうして急速にワインを好むようになったのでしょうか。新しいモノ好き、欧米への憧れ、上流志向……。理由になりそうなものを挙げはじめたら、キリがありません。でもでも、昨日の話の内容や、近年私が考えていることからして、独身主義の急速な波及というのも、ひとつの理由になるように思えます。

 日本を出る少し前、某テレビ局の情報番組のスタッフから、電話インタビューとデータの提供依頼を受けました。何に関するものかと言えば、韓国で一人暮らしの人びとをターゲットとした商品が売れている背景について。一答に付しがたい話ではあるのですが、私は、そのもっとも端的な理由として、30代の未婚率の急増と、それによるシングル族の急速な購買力増加を挙げました。高いワインが急に流行するようになったのも、この理由で説明できるのではないかと思います。

 どうせ私がリサーチしたものなので、番組の許可を得ずにここでも使ってしまっていいでしょう。韓国の30代未婚率は、2000年には13.4%に過ぎなかったのに、2005年には21.6%、2010年には29.2%と、もの凄いスピードで増加しています。これを見ても多くの方は、「晩婚化は日本も同じこと」とお思いでしょうが、番組側が調べてくれた日本のデータだと、同じ期間に日本の30代未婚率は2%くらいしか増えていません。

 こうして急増した経済力ある未婚者たちは、同じ世代の既婚者たちが子どもの養育に莫大な負担を負っている反面、人生を楽しむことにお金を使いがちです。というか、自分の人生を楽しみたいから、結婚に興味がないのかもしれません。そんな人たちの存在が、きっとワインの消費にも影響しているのだと、私は思うのでした。

 ただ、もちろん彼/彼女らの親の世代は、そんな個人主義に理解を示していません。「結婚しろ」という圧力は、日本人以上のものがあります。子どもに結婚してもらいたい時、その親たちはどんな行動に出るでしょうか? お見合いを勧めるというのも、ひとつ。そして、結婚紹介業に駆け込むというのも、日韓両国でよくあることでしょう。現に、韓国でも結婚紹介業はたいへんありふれています。ただ、韓国の結婚紹介業は日本のとちょっと違うなと思うのが、登録会員の職業によって紹介相手の経済力を露骨に示してくる点です。たとえば、こんな感じ。

 日本でも、「お医者さんと結婚しませんか?」みたいな業者はたまに目に付きますが、この結婚紹介業者の広告のように、ここまで細分化して示してくるのは凄いと思ってしまいます。「大学教授」なんて項目も上位にあり、個人的にも「ムムム」と思ってしまうのであります。

 はてさて、韓国人の結婚事情はどこへ行くのか。変化の速度が速いだけに、今後とも目が離せません。

 

2011年07月23日 (土)   江南の夜は更けて (韓国>ソウル)

 知り合いの韓国人が職場の飲み会に来いと行ってきました。場所は、ソウルの江南(カンナム)。オフィス街にも近い新興繁華街で、週末ともなれば、勤め人も、若者たちも、こぞって遊びに出かけるエリアです。私には、「特に小金をもった小僧たちが、夜通し遊び歩く街」という印象があります。

 私は、留学生の時代から、あまり江南で遊ばない人でした。そんなお金もなかったし、貧乏くさい場末の飲み屋をむしろ好む人間だからです。なので、これだけソウルという街に親しんでおきながらも、週末の江南というのには、ちょっとした異世界を感じてしまいます。「まあ、せっかく呼んでくれているんだし、これも体験か」。そんな気もして、参加してみることとしました。

 1次会は、ちょっと洒落たレストランでワインを飲みました。10年前までワインを飲む人なんて滅多にいなかったのに、ここ数年で韓国のワイン愛好者は急速に増えました。流行というものは恐ろしいものです。おまけに、関税が高いので、経済的な負担は相当なもののはず。それでも、30代や40代の社会人を中心に、いまや韓国人はやたらとワインを飲みたがるようになったのです。この勢いには、かなり驚くものがあります。おまけに、ワインに関する知識も急速に普及。おまけに、ブドウの品種やら、産地に関する知識を、お互い競うような風潮も見られ、「今日は気分を変えてピノ・ノワールにしてみようか」とか、「このグラス、ブケに合ってないわ」などと、数年前だったら意味不明だったはずの会話まで、普通になされるようになりました。

 ちなみに、今日行ったレストランは、あちこちにこんなインテリアがある、ちょっと気取ったお店でした。

 1次会が終わったのは22時半くらい。すでに終電の時間だという人が駅の方面に向かうなか、一部は「じゃあ、我われは仕事の話があるから」と2次会に。ほんらい部外者な私は、とうぜん「ああ、そうですか。じゃあ、ボクも帰りますね」と言いたくなるものです。しかし、ここがいかにも韓国らしい。本当は、「仕事の話」なんて嘘なのです。この発言の裏の意味は、「面倒なヤツらはとっとと帰しちゃって、気の置けないメンバーだけで飲みなおそうぜ」なのです。

 で、2次会は、これまた小洒落た中華料理屋で、白酒。この場になって、なぜ私が呼ばれたのかも、よく分かりました。ふむ。お酒の席をアレンジして、その場で色々お願いやお誘いが行き交うものなのですね、会社員の社会は。

 夜は更けました。現在26時。とうぜん郊外に活動基地をもつ私は終電も終バス逃し、帰るなら6千円くらい出して乗合タクシーにでも乗らなきゃならない状態でした。しかし、江南の金曜は、まだまだこれからの模様。街は煌々と輝き、若者たちはこれからクラブにくり出そうという雰囲気でした。

 正直、ちょっと毒々しい感じがしました。私だって、若い頃は朝までカラオケ・ボックスで過ごしたり、飲み屋から出た瞬間に朝日で目が焦げたりという体験はしたものです。だけど、もうそんな歳でもない。そろそろ失礼しようかと思いました。でも、なんか帰してもらえない。

 けっきょく、6時20分の始バスまで、なかば昏睡状態で頑張ってしまいました。何やってんだ、まったく……。


2011年07月22日 (金)   予想外の出来事 (韓国>安山)

 私は街を歩きまわるのが好きです。ひとりで、やることがない時は、たいてい目的もなく街をブラブラしています。歩いていると、気分も落ち着くし、頭の中も整理できる。それに、ふとした発見があったり、思わぬ面白いことに出会ったり出来ることだってあります。

 今日の昼さがりも、そんな街ブラを楽しんでいました。交差点の信号待ちをしながら、「暑いな〜」と、ボーっとしていた時のこと。目の前に1台のトラックが停車しました。

 グイーン!!

 目の前のトラックが、とつぜん凄い音を発しはじめました。次の瞬間、私は驚きのあまり仰け反ってしまいました。

 パカッ!!

 げ、運転台の部分が、後ろに反り返って外れたのです。なんじゃ、こりゃ〜!

 運転手はすでに運転台から下りていて、開いた部分に何やら液体を流し込んでいます。

 きっと、内部の冷却水か何かを足していたのでしょうが、目の前で急にくり広げられたこの光景に、私は心底ビックリし、なんと青信号を逃してしまいました。頭の中は、すっかり映画「トランスフォーマー」の世界で、これからこのトラックは何に変身するんだろう……と、ワクワクしてしまったのでした。

 ちまたでは、「トランスフォーマー3」が上映中ですね。おバカな想像に胸を膨らませているくらいなら、映画でも見ようかと思う今日この頃。しかし、それでも私は空き時間を街ブラに費やしつづけるのでした。今日みたいな、変なワクワク体験を求めて。


2011年07月21日 (木)   絶望を研究する人類学者の悲しみ (韓国>安山)

 自分の無力さに脱力してしまいます。

 研究テーマの関係から、メランコリックな話を聞いて歩くことがお仕事な私。でも、「生きる目的が感じられない」「孤独で死にそう?」をくり返すインフォーマントを前にすると、こっちまでメランコリーに感染しそうになります。今日もそんな1日でした。

 韓国では、不安障害やうつ病に対する社会的理解も、神経科や精神科医に対する親しみも、日本以下に低いと思います。「悪くなる前にお?医者にかかった方がいいよ」と言っても、「カウンセリングなんて?受けたくない」という彼に、「いや、薬とかもあるから」と答えた?ら、余計に拒否感を示されてしまいました。

 たしかに、人類学者は人の話を聞くことに慣れているでしょう。だけど、相手の心を癒してあげる技能はありません。もちろん、薬も処方できないです。それだけならまだ普通の人なのですが、問題は他にあります。時には相手の悩みを掘り下げ過ぎて、容態を悪化させてしまうこともあるのです。

 悲しいことです。


2011年07月20日 (水)   鰍魚湯 (韓国>安山)

 ふと思いました。

 「そういえば、今年の伏(ポク)はいつだっけ?」

 「伏」というのは、日本で言う「土用の丑」みたいな日。毎年夏に3回やってきます。「初伏」は、夏至から数えて3回目の「庚日」で、「中伏」は、同じく4回目の「庚日」。「末伏」は、立秋の次の「庚日」です。で、調べてみたら、今年はそれぞれ7月14日、7月24日、8月14日でした。

 韓国人は、この日にスタミナが付く補身料理を食べ、夏バテを防ぐのが習わしです。狗肉で作った「補身湯(ポシンタン)」(別称: 栄養湯、俗称: モンモン湯=ワンワン鍋)を食べるのが、もっとも良いとされていますが、ワンちゃんを食べられない現代人たちは、ニワトリ丸々1羽に漢方薬やモチ米を詰め込んで煮込んだ「参鶏湯(サムギェタン)」を食べます。

 「なんだ、初伏はもう終わったのか」

 でも、最近なんだか夏バテ気味の私。今日は、逃した初伏を補うため、同じく補身料理として人気がある「鰍魚湯(チュオタン)」、つまりドジョウ鍋を食べに行きました。

 鰍魚湯の専門店に到着。入口には水槽があって、たくさんのドジョウたちが元気に泳ぎ回っています。

 ちなみに、詳しく調べてみたら、これは日本で食用にされているドジョウと少しだけ種類が違う「カラドジョウ」というものらしいです。

 店内に入って、席にドッカリと座り、一緒に行ったインフォーマントと2人で、鰍魚湯を1つ、「スペシャル・セット」を1つ注文。鰍魚湯は7,000ウォンで、鰍魚湯に、ドジョウのテンプラや餃子が付いた「セット」の方は12,000ウォンでした。

   

 よく知られた鰍魚湯は、こんな感じで、ドジョウが完全にすり潰され、菜っ葉と一緒に煮込まれて出てきます。ただ、姿煮みたいなのもあって、すり潰しバージョンか、姿煮バージョンかを選べるお店がほとんど。私は、姿煮の方が好きですが、今日は姿造りのテンプラも一緒なので、すり潰しバージョンを頼みました。エゴマや山椒の実を好みで加えて食べます。ほとんど辛味もないし、美味しいんですよ、これが。

 ドジョウには、狗の鍋や参鶏湯のように強力な滋養効果はありません。でも、マイルドに滋養を付けてくれるし、エアコンで疲れた呼吸器系にとても良いので、この季節にはとてもピッタリなチョイスでした。

 

2011年07月19日 (火)   禁じられた遊び (韓国>安山)

 一昨日に書いた噴水での水遊びの件ですが、今日同じ場所を通りかかったら、こんな看板が四方八方に取り付けられていました。

 「入水・汚物投棄禁止」と書いてあります。

 たしかに、ここはプールではありません。衛生管理も出来ていないし、監視員だっていない。禁止を呼びかけていない限り、何か問題が起きた時には、「そんなの自己責任」と突っぱねることも出来ないのです。行政側としては、必要な看板なんでしょうね。

 かくして、私が韓国の都市部の夏の風物詩だと思った「噴水水遊び」は、禁じられた遊びとなりました。


2011年07月18日 (月)   夏の味覚 (韓国>安山)

 昨日予想していたとおり、韓国中部(ソウル周辺)は今日梅雨明けしました。

 さて、夏に韓国にいると、私はしょっちゅう食べたくなるものがあります。それが、これ。何だと思いますか?

 冷麺ではありません。「コングクス(豆汁面)」と言います。大豆を水に入れて砕いただけのシンプルなスープに、ちょっと太い素麺みたいなものを冷やして入れ、キュウリの千切り、ゴマ、氷を添えた食べ物です。ちなみに、夏限定メニュー。付け合わせは、キムチとタクワン(日本のと同じもの)。これ、定番。

 昼食にコングクスを食べて、「夏だなあ」という思いを噛みしめ、ここ数日の調査ノートを付けるため、冷房の利いた喫茶店をハシゴする私でした。ああ、これって、毎年何日もやる私の夏です。


2011年07月17日 (日)   夏の風物詩 (韓国>安山)

 今日のソウルは、すっきり晴れました。まだ梅雨なのですが、きっと間もなく梅雨明け宣言が出そうな雰囲気です。

 梅雨が明けて夏ともなれば、ソウルにも日本の都市部とほぼ同じような夏が来ます。大阪や東京よりは気温が3〜5度くらい低いし、湿度もずっと低いのですが、それでも蒸し暑いのがソウルの夏。

 私の宿所の前には、昨年に大きな公園が出来ました。石畳のダダっ広い空間に、弱々しくて低い木が生えている程度で、まだあまり公園らしくありません。でも、展望台や噴水が何箇所かあって、夜にはライトアップもされるんで、ボーっとするのには最適な場所です。

 さっき通りかかったら、そこの噴水がこんなことになっていました。「あ、やっぱり!」と思いました。韓国の子どもたちは、どこでも水遊びをするのが大好き。たとえ街中でだって、噴水だの、浅い人工池だのを見つけると、歓び勇んで入り込んでしまうのでした。

 それにしても、親はこれでいいんでしょうか? なんか、親が率先して子どもを噴水で遊ばせているようにも見えるのですが……。噴水の水は、元がいくら水道水だとはいえ、お世辞にも清潔だとは言えないように思えるし、だいたいビショビショになった子どもを家まで連れて帰るのって、大変なんじゃ?

 一緒にいた韓国人に、「楽しそうだけど、あれって汚くない? それに、どうやって乾かすの?」と言ったところ、彼は皮肉たっぷりに答えてくれました。「それを知らないから、子どもはワクワク出来るんだよ。それを知っているから、大人は入らないんだよ」。

 自分の子どもを大切にするのは、どこの国の親でも同じです。それが行き過ぎて過保護になりがちなのも、現代生活の常なのでしょう。ここ韓国の親たちだって、子どものこととなると必死のパッチで守ってやろうとするものです。でも、夏の水遊びに限っては、「子どもだから楽しけりゃいいや」的な大らかさが今でも見られる。

 夏の水遊びは、子どもたちにとってだけではなく、親たちの親心にとっても、羽目を外せる解放区なのかもしれませんね。


2011年07月16日 (土)   結婚衣装の最新事情 (韓国>安山)

 昨夜は、韓国人の研究者(てか、後輩だけど)と、三十路男2人で飲みすぎました。ヤツは、けっきょく私の宿舎に泊って行くことに。でも、なんとヤツの鞄の中には、歯ブラシから着替えまで、きっちりお泊りセットが。もともと部屋飲みで語り明かすつもりだったのか……。

 はてさて、三十路男2人の土曜の朝は、とても遅起きでした。しかも、起きてすぐ外出する力もないので、酔い覚ましのチゲなどを出前で取って、ダラダラとVOD(ビデオ・オンデマンド)で最近の人気番組など見て、番組の内容について「あーでもない」「こーでもない」と言いながら、ブランチ。お陰で、最近のヤツの物事の考え方は、今までより更に分かるようになりました。まあ、こういうのも、私なりの現地情報の入手技法だったりします。

 こうしてヤツは15時すぎに帰って行きました。で、ひとりでダラダラしているとせっかくの韓国滞在がもったいないので、宿舎の周りを歩いて、気の向くままに写真を撮ることに。みんぱくという職場で仕事をしていると、なんだかんだとエッセイや講演のお仕事があって、韓国関係で思わぬ写真が必要になることがあります。こうしたお仕事は、「韓国の社会文化に関することなら、なんでも来い」という姿勢で情報を発信し、社会に貢献しつづけるという、我われの役割のひとつであったりもします。だから、時どきこうして、ターゲットを絞らずに色々な写真を撮り歩いておくことを、私はたいへん重要だと思うのです。

 今日の収穫のなかから、ちょっとだけお見せしましょう。私の宿舎の近くには、結婚式場がいくつか集まっている関係で、結婚衣装のレンタル屋が何件もあります。そういうお店のショー・ウインドーは、トレンドの結婚衣装で鮮やかに飾られているものです。もちろん、お店の奥にはオーソドックスな伝統婚礼衣装(こんなの)もありますが、それでは店ごとに違いが示せず、「うちの店で借りて」とアピールする力がありませんよね。それに、なんせ一度借りるだけの衣装なので、いまのトレンドずばりのものを前面に出して、「ほら、素敵でしょ?」と人目を引くのだそうです。例えば、こんな感じ。

       

 このトレンドがかなりダイナミックに変化するのです。去年くらいまでは、シックな濃い色の下地にアールデコ調の唐草模様を施したものが流行りでした。でも、いまのトレンドは、パステル色にドレス調の仕立てへと、徐々に変化しているように、私には見えました。

 1970年代に在日コリアンの文化を調査していた韓国人の某先生は、在日の人びとが純白のウェディング・ドレスと韓国の伝統衣装を調和させ、純白ドレス調の花嫁衣装を創りあげていることに驚いたという記録があります。いわく、「これは韓国のものとは違う。在日が在日ならではの文化を創りあげていることを象徴的に示しているのだ」と。でも、韓国には韓国の流行があり、韓国の婚礼衣装だって、変化しないものでは決してないようです。


2011年07月15日 (金)   ワイアード・カフェ (韓国>安山)

 このところ、韓国で私が根拠地としているのが、京畿道安山市。ソウルから南西に地下鉄で40分ほど、仁川空港からもバスで40分ほどのところに位置し、1970年代に韓国で初めて作られた計画都市で、現在の人口は75万人くらいです。それまではソウル市内を拠点にしていましたが、落ち着いて作業できる環境や、ソウルの外環状線に乗って外郭地帯を動き回れる機動性を求めて、2年前からはここを拠点にすえています。

 さて、今日のお仕事は、この安山市内で済んでしまいました。昼間にインタビュー、というか、親しいインフォーマントとの会話がひとつ。そして、こっちの研究者、というか後輩とのサシ飲みがひとつ。人類学的な調査研究の特徴は、親しくなった人とのダラダラ話を通じて、生きた情報や相手の深い考えをじっくりと聞き出していくことにある、と私は思っています。そんなわけで、丸々1日、気の置けない2人の韓国人に焦点を当てて、どっぷりと話しまくりました。

 どこで話をするのかと言えば、私の場合には比較的に静かなコーヒーショップを選んで、そこでナチュラルに行うのが好きです。あ、あと、欠かすことの出来ない条件が、もう1つ。喫煙ルームを完備していること。韓国人の喫煙率は、近年どんどん下がっていますが、それでも男性の場合、まだ49%以上。私自身も喫煙者ですし、じっくりお話するためには、お供にコーヒー&シガレットがある方がいいですね。

 日本と同じように、ここ韓国でも、シアトル・スタイルのエスプレッソ・カフェが、ここ10年でたいへん増えました。しかし、韓国のカフェが日本と違っている点が、(1)喫煙ルームを完備している店が多いこと、(2)必ずと言っていいほどWiFi(無線LAN)を提供していること、(3)ノートPCを使う人のために電源が使える席もあること。この3つの条件を備えたカフェが、私の宿舎から徒歩3分圏内に3件、徒歩10分圏内だと8件くらいあります(!)。これは、現地人とダラダラ話をしながら、話の途中に一緒にネットの情報を確認したりするのにはもちろん、ひとりで調査ノートを整理したり、日本の人びととメールのやり取りをしたりするのにも便利便利!!

   

 実はワタクシ、ここ1ヶ月ほど大阪で、この3つの条件を備えたカフェを探しまくりました。が……、まったくもって見当たらないのです。1件たりともですよ。これは、ない。もっとも、私のボヤキを聞きつけた友人から、「某学生街に1件あるよ」という情報を、日本を発つ直前に得たのですけれども、その場所は私にとって決して便利ではない。ふむ。どなたか、喫煙ルーム完備のワイアード・カフェを、大阪で(出来れば北摂西部で)始めていただけないものでしょうか?


2011年07月14日 (木)   ビバ、仁川空港 (韓国>仁川)

 今日のお昼の便で、関西空港から仁川空港に飛んできました。今回の韓国滞在は、1ヶ月半の予定です。

 仁川空港に着いて、ふと気が付きました。預け荷物が出てくるベルト・コンベアと税関検査のあいだに、着替え室が出来ていました。ここ、前は税関職員の詰め所か何かだったと思うのですが、いつの間に!

 2004年の秋に開港した仁川国際空港。開港当初から、北東アジアのハブ空港として話題を集め、顧客満足度のワールド・アワードを着々と獲得してきました。たしかに、使い勝手よく出来ていて、よく計画したものだと思わされるのですが、それ以上に私が賞賛したいのが、この空港の日々の発展ぶりです。開港当初に「ソウルから遠くて不便」と言われたと思ったら、続々とリムジン・バス路線は出来るわ、鉄道は走るわ、あっという間に不便じゃなくなりました。免税店や食堂やコンビニも、どんどん増えていったし、今日発見した着替え室のように、「あると便利」な場所に「あると便利」な附帯施設が続々と追加されていく。いつの間にか、空港全域にフリーのWiFi(無線LAN)が走っている。仁川空港は日々進化しているのです。しかも、開港して7年も経つのに、まだ新品みたいに綺麗に保たれていて、メンテナンスもなかなかグッドです。

 大阪人としては、先行して開港した関空が及ばないので、ちょっと悲しくもあり、まぶしくもあります。

 はてさて、韓国にやってきました。今夜は、有線放送のVOD(ビデオ・オンデマンド)で、私がいなかった間の時事番組や人気番組を見まくって、変化が速い韓国社会の動向をリビューすることとします。


2011年07月12日 (火)   夏の日のにわか雨 (日本>大阪)

 毎日暑いですね。「いやぁ、よぉ照りまんなあ」という関西の夏の挨拶が、とてもよく似あう毎日です。

 ただ、めっぽう暑さに弱いヘナチョコの私は、すっかりゆだっています。特に大阪の夏は、気温も湿度も高いので、「人間が、こんなところで、なぜ生きていけるのだろうか」と気が遠くなってしまうくらい。はっきり言って、夏ってだけでストレスを感じます。あー、もう夏のすべてが嫌だーっ!!

 ――夏は、夜。(中略) 雨など降るもをかし。

 清少納言さん、そりゃ、あなたが生きた時代、夏の夜は今よりずっと涼しかったでしょう。温暖化し、都市熱がたまる現代の夏は、夜も熱帯だし、雨なんて降った日にゃ、蒸し暑くて寝られません。

 ただ、今日はふと「夏の雨って、いいなあ」と思いました。場所は職場の会議室。会議の前に窓辺にたたずんだら、外にはにわか雨がシトシトと降っていました。この季節、晴れた日には眩しすぎるくらいの木々の青葉も、雨の日には少し落ち着いた色に変わります。そのシックな緑色が、たっぷり濡れた幹のベージュ色と重なっているのを見ると、実にきれいなものです。「この色の組み合わせは、きっと今の季節の雨の日にしか、お目に掛れないのかも」。しみじみ、心の和む瞬間でした。

「あー、夏は嫌だ」と思い続けると、イライラしたり、ゲンナリしたりして、そのストレスは倍増しますよね。たとえ夏が嫌いでも、この季節なりの自分のお気に入りは、きっとどこかにあるはず。そっちに目を向けて、環境ストレスを自己培養しないようにしたいものです。


2011年07月11日 (月)   大阪ベイブルース (日本>大阪)

 昨日、中之島に行ってから、ある曲がずっと頭の中を回っています。それは、上田正樹の「悲しい色やね」。

 私は、大阪と京都のあいだの高槻という街で生まれ育ちました。幼いころは、母親のお買いものに連れて行ってもらう途中に、赤いバス(京阪バス)や青いバス(阪急バス)に乗るのが大好きでした。バスに乗ると、大きな川を越えて、別の街(枚方)に行けました。バスに乗ること自体も好きでしたが、別の街に行けることが楽しくて、「赤いバス、乗せて」「青いバス、乗せて」。そればっかり言っていたそうです。

 ただ、バスに乗ると、必ず起きる怖いこともありました。今でも鮮明に覚えているのは、バスで越える大きな河に、なにかしら怖いものを感じていたということ。ドス黒く淀んで、音もなく横たわる静かな河。なんだか不気味でした。バスが河にさしかかると、お外を眺めるのはやめて、しばらくじっとしていたものです。 

 やがて大学生になり、私にはバスが必要なくなりました。別の街には、電車に乗って行けるし、大阪の市内くらいなら、足で歩き回れるようになりました。大阪は水の都。都心に向かえば向かうほど、大きな河も、小さな水路も多くなります。ただ、私が大学生のころは、まだ汚いドブみたいな河が多く、とても「水の都」などと呼べるような雰囲気でなどありませんでした。そういうドブだらけの街に興味がもてず、やがて私は河の少ないキタでばかり遊ぶようになっていきました。 

 いま思うと、私は大阪の河に、幼いころから一貫したイメージをもっていたようです。おどろおどろしい場所、目を背けたくなるような現実、そして何があるのかも分からない異界……。

 30歳を過ぎたある日。ひょんなことから宮本輝の川三部作(『泥の河』『蛍川』『道頓堀川』)を読みました。そこに出てくる川は、まさに私のイメージしている河でした。しかも、『泥の河』と『道頓堀川』は大阪が舞台で、抜け出したくても抜けられない底辺生活の場、悲しくて汚い現実の場として、河を描きあげています。それ以来、幼いころから自分だけがもっていると思っていた漠然としたイメージが、大阪の人びとに共通の確信的な心象なのではないかとまで思うようになりました。

 昨日、中之島から見た堂島川も、見違えるように綺麗になったとはいえ、相変わらず暗く沈んでいました。「河を見ると、色々な現実を思い出す」。頭の中のBGMに「悲しい色やね」を流しながら、今日はそんなことを考えていました。「♪河はいくつも この街流れ 恋や夢のかけら みんな海に流してく」。オリジナルの日本語版が何と言ってもダントツでメジャーですが、あえて英語バージョンで聞くと、さらにカッコよく、切なさもグッと増す気がします。


2011年07月10日 (日)   浅川兄弟展に行ってきました (日本>大阪)

 今日の日中、大阪は灼熱地獄のような暑さでした。こんな日は、出来れば出歩きたくないほどだったのですが、今日を逃すと見れなくなる展示会があり、中之島の大阪市立東洋陶器美術館へ。特別展「浅川巧生誕120年記念 浅川伯教(のりたか)・巧(たくみ)兄弟の心と眼――朝鮮時代の美」に行ってきました。

   

 といっても、私が見たいと思ったのは朝鮮時代の美術品ではなく、むしろ浅川兄弟の活動記録でした。実はワタクシ、これまでとはガラッと路線が違う研究にも手を出そうと考え、植民地期朝鮮で日本人が行った工芸振興活動について、最近ちょこちょこ調べているのです。特に、フォーカスを絞っているのは、これまで全然と言っていいほど知られていなかった青磁(高麗青磁)の復興について。一方、浅川兄弟というの人たちも、植民地期朝鮮の工芸振興に寄与した日本人ですが、彼らが振興したのは主に白磁や木工品ですし、彼らの活動は何冊もの専門書や文庫本が出ていて、すでに整理されつくされた感もあります。なので、ワタクシ的には、この展示会に行っても、新たに得られるもがあるとは、あまり期待できませんでした。が、「もしかして、青磁についても新しい情報が手に入っちゃったりして……」と思いはじめると、いてもたってもいられなくなるというのが、調べ物をしている人の心理というもの。

 かくして一念発起。15時すぎのムンムンする空気と日差しを浴びて茹だりながら、美術館の中へ逃げ込みました。いやぁ、暑いのに、けっこう観覧客がいらしていました。いかにも美術館らしい。お茶会帰りのような見事な和装の淑女、美術品がいかにも好きそうな老夫婦、通訳をともなった中国人の紳士。みんなハイソな雰囲気をプンプンさせながら、美しい白磁に見入っていらっしゃいます。この美術館は、大阪の都心にありながらも、喧騒を離れて静かに美を堪能できる、とっても素晴らしい場所なのです。中は思ったより広くて、簡素ながらシックに出来ているし、東洋陶器の渋さを邪魔しない落ち着いた雰囲気が、よく計算されている感じです。中之島周辺で近代建築など見学された際には、足をお運びになることをお勧めします。

 でも、ワタクシはと言うと、玄関を入ってすぐのところで、まず図録を購入し、それだけでもすでに目的を半ば達成。本体であるはずの展示は、図録をパラパラめくりながら、横目でチラチラ見る程度。「う〜ん、図録にバッチリ書いてあるとおりだ〜」なんて思っているだけで、朝鮮時代の美になんて見入ってなどいませんでした。挙げ句、閉館時間の17時に外に出て、「いやぁ、ちょっと涼しくなった。さあ、喫茶店だ、クリアランス・セールだ」と梅田に向かっていく始末。きっと周囲のハイソな方々は、「何しに来はったん?」とお思いだったことでしょう。

 余談ですが、もともと私の周囲の人びとのあいだでは、太田心平といえば韓国の政治文化を研究している人と認識されているようで、こんな展示会に出没していると知られた日には、「?」と思われているそうです。しかし、私の心の中では、「政治から青磁へ」が最近の静かなるスローガンなのでした。そして、今回に展示を見て、図録を購入したおかげで、端的に浅川兄弟の情報を把握できたとともに、白磁の場合と青磁の場合とを比較する糸口のようなものが得られた気がしました。めでたし、めでたし。


 
 

このウェブサイトは、太田心平が個人で管理しております。内容についての責任を
所属組織および商用サーバーの管理者やその他の個人に課すものではありません。