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第4話 東京の老舗 “砂場蕎麦(そば)” 発祥の地は、大坂 新町! 


この石碑は、昭和六十年に、「大阪のそば店誕生四百年を祝う会」によって、建立されました。
東京で麺類といえば、蕎麦(そば)、そして、その東京の蕎麦屋さんの中でも、江戸時代から続く老舗の代名詞ともなっているのが、『砂場蕎麦(そば)

さてこの「砂場」って、いったい何のことでしょう? 

実は、「砂場」は豊臣秀吉が大坂城を築城するとき、石や砂を置いた場所のことで、今の大阪市西区新町あたり。
大坂城を作るため、全国から人と資材が集められました。人が集まれば、食べるものが必要となる。
築城で集められた人々は、ほとんどが単身赴任の男たち。安くて美味しくてすぐ食べられるもの・・・今で言うところのファーストフードが、欲しい。

ということで、砂場に誕生したのが、「うどん&そば屋さん」
最初のうどん・そば屋が開業したのは、大坂城築城開始の翌年の1584年とも、いう説もありますが、遅くとも1700年代には、「和泉屋」「津国屋」をはじめとして、うどん・そば屋が大繁盛していました。


これらのうどん・そば屋はそれぞれの店の名前で呼ばれることもありましたが、一般的には、「砂場」という名で呼ばれたようです。

左は、石碑の横面の碑文
 「本邦麺類発祥の地 大阪築城史跡・新町砂場」
右は、石碑裏面の碑文
「天正十一年(1583)九月、豊太閤秀吉公大阪築城を開始、浪速の町に数多、膨大を極めし資材蓄積場設けらる。ここ新町には砂の類置かれ、通称「砂場」と呼びて、人夫、工事関係者日夜雲集す。人集まる所食を要す。早くも翌天正十二年、古文書「二千年袖鑒」に、麺類店「いずみや、津の国屋」など開業とある。即ちこの地、大阪築城史跡にして、また、本邦麺類店発祥の地なり。        坂田孝造・識」


「和泉屋」と「津国屋」
大坂城の砂場で繁盛した麺類屋(おうどんとお蕎麦)の「和泉屋(いづみや)」の初代は「和泉国」(現在の大阪府南部)出身、「津国屋(つのくにや)」の初代は「摂津国」(現在の大阪府北西部と兵庫県南東部)出身だと言われています。
和泉屋」(砂場いづみや)は、和泉国熊取郷(現在の大阪府泉南郡熊取町)の「氏」が初代であるらしい(『摂津名所図絵』)。
 「中家」は、重要文化財として、熊取町五門に保存されている。
 

◆重要文化財 中家住宅◆ 熊取町HP

◆中家住宅◆  入館案内
大阪府の南の町熊取町と言えば、「こんぴら」「よしの」などおそらくは、讃岐の流れを汲む 美味しいおうどんやさんのある町です。
 泉南(大阪南部)のおうどんやさん

 麺房 こんぴら 絶品のおうどん

砂場にはじめての麺類屋を出店したのが、熊取町の中氏であるとすれば、江戸時代にすでに、熊取町は、おうどん(蕎麦も?)で、有名な町だったのでしょうか?
   
「砂場いづみや」店の外の様子              「砂場いづみや」店内の様子     『摂津名所図絵』 より
   
打ち明けたる風情ある物は、和泉屋のうどんそば、砂場すなば とうたわれて、
      いさましげ也、賑はしきを風味として

                         『富貴地座位』安永6年(1777年)
 「津国屋」は、『二千年袖鑒(にせんねんそでかがみ)』に、「天正12(1584年)根元そば名物 砂場」とうたっているが、裏づける資料は見当たらない。 この1584年が、上記石碑の根拠となっている。
砂場蕎麦(そば)と砂場うどんの発祥年がいつかということは、はっきりしませんが、1700年代には、和泉屋・津国屋をはじめとして、多くの麺類屋が砂場に店を出して繁盛していたようです。

                                        第5話 大坂の “砂場蕎麦(そば)・うどん” 江戸進出!



おうどんの秘密!?! 内緒で教えてあげる・・・。
     index
第1話 大阪おうどんって何?・・・“若い娘さんのもち肌”
第2話 小麦の構造 と 麺の発祥地!?!
第3話 おうどんにお酢?!? 松葉家の謎
第4話 東京の老舗 “砂場蕎麦(そば)” 発祥の地は、大坂 新町!
第5話 大坂の “砂場蕎麦(そば)・うどん” 江戸進出!
第6話 きつねが化かす? たぬきに化かされる? おうどん合戦の巻
第7話

更新情報
Last Update  2010/05/24



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