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			   2019年2月9日 更新 
			  佐治敬三氏養子縁組改姓の謎 
             2.名古屋電燈会社物語 
             2017年5月13日 講演要旨  
             異業種ものづくり親子二代の百年 
			   昭和初期の両御霊町の思い出 
			   執筆者プロフィール 
			   執筆者について 
             
              
             このHPの執筆者でもある父は、約5か月間の闘病生活の末、平成30年1月8日に逝去いたしました。享年91歳でした。 
              実直だった父の人生において88歳まで現役を貫いた精密機械業とは別に、生き甲斐を見いだせた事は、執筆書「甲賀武士と甲賀・知多大野の佐治一族」をお読みいただいた方はじめとし、皆様のご支援の賜物でもあり、子として感謝の意に堪えません。真に有難うございました。 
              父が『 甲賀武士と甲賀・知多大野の佐治一族』を執筆するに至っては、当時はまだ仕事も続けており、その合間に各地への調べものを通して多くの時間と労力を要しておりました。かつて私が 「そんなこと、調べてどうするの?」 
              と聞いたことがございます。父は 
              「今、調べておかないと、途絶えてしまう。将来、困ったことになる。」  
              との返事がありました。 
              『誰も困らないのに。』 
              とその時、心の中で自答したことを記憶しております。然しながら父の書籍が出版と同時に評価され、多くの方々にご購読頂いたことによって、父の成しえたことはたとえ小さくはあっても偉業であったことを子として誇らしく感ずる次第です。 
             父が平成29年10月、闘病、余命1か月と宣告された際、義姉が看護師であったこともあり、名古屋の長男宅に老夫婦そろって転居していきました。転居後も父は病床にありながらこのHPを完成させるべく執念を燃やし死力を尽くしました。まだまだ書き綴りたい事柄はあったでしょうに、病状が悪化するにつれ遠のく記憶と体力に抗いつつ、これが精いっぱいであったと感じます。  
             父の死去に伴い、整理をしていると様々な遺稿が出てまいりました。 「異業種ものづくり親子二代の百年」もその一つです。ベッドの枕元に何気なく置かれてありましたが、読み進んでいく上で、「ほーっ」と感心したり、昔を思い起こし胸が熱くなったりしました。  残念ながらPCにデータは残っておらず、紙資料でしか存在しないため、これを打ち直そうと決意した次第です。丁度、打ち終えたと同時に、ふと父が生前に京一中の記念誌2冊を私にも、兄にも渡すようにと話していたことを思い出しました。  本棚より取り出し、ページをめくっておりますと、父の投稿が目に入り、その内容が今回、打ち上げた「異業種ものづくり親子二代の百年」と全く同一であったことに『やはり、父が伝えたかった事はこのことだったのか。』と感涙した次第です。  とはいえ、私事であって、皆様には興味をそそるものかどうか。然しながら、先人はこのように仕事をしていたという史実参考になるべく IT時代にはないアナログな昭和を味わって頂ければとリンクにいたしました。お読みいただけましたら幸いでございます。遺稿にはまだ「昭和初期の両御陵町の思い出」「旧滋野校区の歴史と町内の今昔」 等がありました。時間の許す限り、今後も打ち直して投稿したいと思います。  
            H30.5.31  
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