November,2005
モントルー (Montreux)
ジュネーヴのコルナヴァン駅でスーツケースを預け、
シヨン城の観光に向かいました。
モントルーで列車を降り、湖畔のほうに降りていくとバス停があります。
右手にレマン湖を眺めながら走っていくと、湖上に建つシヨン城が見えてきます。
シヨン城(The Chillon Castle)
ローマ時代からこのシヨンの岩塊は、サン・ベルナール峠を越えてイタリアへ通じる細い道として重要な交通路でした。
この通路の見張りに、シヨン兵を駐留させるため、サン・モーリス修道院によってシヨン城は構築されました。
12世紀になると、現在のイタリアとフランスにまたがるサヴォイア伯国のサヴォイア家の所有となりました。
13世紀、サヴォイア伯国の領地の中心であるシヨン城を気に入ったピエトロ2世(Pietro II)は、城を要塞としてだけではなく、居城として使用できるよう、改装や増築を行い、現在の外観になったとのこと。
14世紀に、サヴォイア家が居城を他に移してからは、おもにイタリアから運ばれる商品を課税する関所としての役割に代わりました。
城主の大広間
城主の大広間はサヴォイア時代の建築で、ピエトロ2世は、シヨン城の上部を城主や廷臣のための部屋とし、入り口に近い下部を城兵や召使のために整えました。
天井と暖炉は15世紀のものだそうです。
ロウラ・ノヴァ
城主の宴会場だったところで、現在は博物館となっています。窓の張り出しに置かれているベンチに座りながら、レマン湖を眺めることができます。
紋章の間
「騎士の間」とも呼ばれています。
壁面には16世紀から18世紀にかけて、シヨン城に居住した城主や、ヴェヴェイ(Vevey)に派遣されたベルンの城守たちの紋章が掲げられています。
1536年にシヨン城を占領したベルン軍は城を兵器庫や監獄として使用し、自らは城に住まず、モントルーの隣ヴェヴェイに住んでいました。
サヴォワ伯爵の礼拝堂
円天井と張出し窓は13世紀に改造されたそうです。
ボニヴァールの牢獄
丸天井のある地下室の中で一番大きな部屋は牢獄として使用され、多くの囚人がここの柱につながれ、処刑されました。
16世紀、カトリック教徒だったサヴォイア公カルロ3世(Charles III, Duke of Savoy)によって、ジュネーブのサン・ヴィクトル修道院長フランソワーズ・ボニヴァル(Francois Bonivard)は投獄され、1536年ベルン軍がシヨン城を占領するまでの4年間、5番目の柱に鎖でつながれていました。
彼を投獄したカルロ3世は敗戦し、亡命したまま、生涯を終えました。
18世紀のイギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron)がシヨン城を訪れ、『シヨンの囚人』としてこの出来事を著わしました。
その時のバイロンのサインが柱に残っています。
『シヨンの囚人』の日本語の小冊子が、シヨン城の前の小さなお土産屋で売られていて、
前半にシヨン城の歴史や案内、後半にバイロンの詩が書かれていました。
シヨン城をあとに、モントルー駅まで戻りました。
モントルーからインターラーケンまで、天井までガラス張りの「パノラマ車両」に乗って移動することとしました。
「ゴールデンパス・ライン」はスイスを横断するルートで、シーズン中は予約をしないと乗れないくらいだと聞いていたのですが、11月の終わりともなると、ほとんど観光客らしき人も乗りあわせていませんでした。
モントルー駅を出るとすぐに列車は、山を登っていきました。
登り始めた瞬間、左手に美しいレマン湖の全貌が見え、写真におさめようとしましたが、間に合わず、レマン湖は木々で見えなくなり、列車は湖から離れてしまいました。
途中ツヴァイジンメン(Zweisimmen)で乗り換えてインターラーケンに到着しました。