上田作之助経済論稿集

  はじめに

 上田作之助。明治44年7月20日京都市生まれ。昭和10年3月東京大学経済学部卒業。徴兵で出兵。敗戦後東京が焼け野原になったため京都へ戻る。昭和25年9月16日、高山義三京都市長に請われて京都市経済局商工貿易課長に就任。以後、昭和41年4月16日に京都市を退職するまで、京都市の産業、経済行政を一貫して推進する。昭和29年4月1日産業局長に就任、以後機構改革にあわせて昭和33年4月1日には商工局長に、昭和40年2月1日には経済局長に就任。昭和41年から59年にかけては龍谷大学経済学部教授となる。平成2年1月27日死去。 

 上田作之助の論稿のほとんどのものは、昭和25年から発行された「京都商工情報」に掲載されたものであり、しかもその中に、考え方はよく示されている。したがって、本論稿集も、ほとんどは「京都商工情報」からの収載となった。単に号数のみを記載しているのは、「京都商工情報」の号数である。
 また、特に記載のない限り、発行は、京都市経済局商工貿易課とその後の機構改革による産業観光局商工課などである。
 縦書きのものは、横書きに直した。
 なお、旧漢字は原則として当用漢字に直した。

 この論稿集は、故上田作之助先生の追悼のために、できれば出版したいものと考え、数年前から、先生に特に親しく接してこられた元京都市経済局長の山本喜一氏や元京都市国際交流室長の野島英司氏をはじめとする数名の方たちと時折相談をしながら、記録を収集、整理してきたものである。いずれ機会を得て、出版ができればと今も考えている。両氏をはじめとする方々の助言と協力なくしてはこの論稿集はならなかったものと考えている。

 

 

    目   次

1.京都産業と商工情報(100号)1973.11

2.商工(貿易)課長時代1950.
        ことしの課題(2号)1951.1
     企業組合と税(6号)1951.8
     経営と生活(10号)1952.9
      マーケット・リサーチ(12号)1953.1      
      組合組織の前進のために(15号)1953.9


3.産業局長時代1954.04
      工業化について(17号)1954.5
     本市の工業振興と工場設置奨励条例の意義(特集)1955.4


4.商工局長時代1958.04
      1959年の課題(35号)1959.12
      経済における「地域」について(40号)1960.5
      中小企業相談所運営の1 0年(42号)1960.12
       「京都の伝統産業」はしがき1962.3
    景気調整と中小企業(47号)1962.9
       1963年を迎えて(49号)1963.1
      京都商工情報50号発行に際して(50号)1963.3
       京都公開経営指導協会創立創立十周年を迎えるに当たって
         (「協会だより−創立10周年記念号」)1963.8
      京都商品と市場開拓(54号)1963.11
      1964年の課題−近畿圏の整備(55号)1964.1
      39年商工行政の方向(56号)1964.3
     今後の西陣の動向とその問題点(57号)1964.5
     中小企業の成長と地域社会(59号)1964.9
  

5.経済局長時代1965.01
       中小企業の雇用問題(61号)1965.1
        「協業化」という新しい動き(62号)1965.3 
       消費者行政のあり方(63号)1965.5
         「高度成長過程における京都市中堅規模企業の展開」はしがき
           (『調査と資料』)1965.6
       不況と「中堅規模企業」(64号)1965.7
       協同組合運営の実態調査結果の公表に際して
        (『協同組合運営の現状と問題点』)1965.7
        不況下に迎えた1 966年の課題(67号)1966.1
       不況と新しい組織化の動き(68号)1966.3
       地域計画と中小企業(69号)1966.5

6.龍谷大学教授時代1966.04
        回顧 創設の頃(『京都市中小企業指導所「20年の歩み」』)1970.9
         「伝統産業を考える」から1970.12
      中小企業の組織と「協業化」(96号)1972.3
       京都産業と商工情報(100号)1973.11

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