5.経済局長時代1965.01

 

 

 

 中小企業の雇用問題(61)1965.1
 

中小企業の雇用問題

 3月が近づき京都の中小企業は新しい学卒者の採用をまちかねている。
 不況ムードとはいえ
,中小企業むけ労働力のひっ迫は少しも緩和されそうにみえない。京都府における中学卒業者の求人充足率は,昨年,ついに30%を割り,とくに中小企業の充足率は格段にわるくなっている。
 全国的な労働力需給の動きを一べつすると
,中卒労働力の需給は31年にほぼ均衡し,32年から34年にかけて需要が供給をやや上回りぎみに推移したのち,35年に至って求人数が求職数を2倍近くも上回り,以後は2倍半以上の需要超過が続いている。そして39年には求人数が求職数の3.7倍という決定的ともいえる状態をもたらした。高校卒の場合は,中学卒に比べるとややズレがあり,32年から34年にかけて需給がほぼ均衡し,以後,需要が供給を急ピッチで追い越して35年には1.5,36年には2,37年には2.7倍となり,39年にはついに4倍に達した
 労働市場に限らず,一般に買手市場ではより強力な売手が優位にたち,売手市場ではより強力な買手が優位に立つことは常道である。わが国の労働市場が買手市場から売手市場に転換するにつれて,力の弱い買手である中小企業はかってない苦悩を経験する羽目におちいった。生産年令人口はふえても労働力率の低下によって労働力人口の増加率が鈍化し,ために中小企業の求人難はまさにお手あげの姿である。これを就業構造についてみても,26年から32年にかけては目立った変化がなかったが32年〜35年にかけて事態は一変し,従業者の増加率は大企業に高く,規模が小さくなるほど低くなり,とくに35年以降はこのような構造変化が一段と急速に進んでいる。それと同時に,中小企業の賃金もうなぎのぼりに上昇をつづけている。
 これまで大企業の優位性を是認しながらも業種によっては中小企業のレーゾン・デートルが主張されたのは
,豊富低廉な労働力の存在が前提となっていたからである。「二重構造」の解消はある意味では,かような与件の消滅でもある。そして成長経済の現実は,ある期間にわたって中小企業内部の格差を大きくするし,一時は優位にむかった中堅企業も最近の不況によって体質の弱さを露呈し,息切れをきたしている例が多い。資本の調達力,生産力,販売力等の有利さのほかに労働力調達力のはなはだしいへだたりが1枚加わって大企業と中小企業との格差はさらに大きくなりそうである。 経済の成長という,比較的新しい言葉の内容は,かつては資本の蓄積という概念で理解されていた。労働人口と労働の生産性のみを頭においた平面的で,模型のような計量モデルによる直線的なトータルの推計ではなく,たえず中間層の解体あるいは新陳代謝と労働力への編入を伴いながら進む過程の構造的な変化の現実が問題の中心とされたものである。
 さて
,賃金が労働の限界生産物の水準に一致するはずの近代的な労働市場の周辺にあった日本的な産業予備軍の第1次大動員が一応おわって,いまや第2次動員が開始されている。第1次大動員において,どうにかその存在を保持しえた中小企業は,成長経済の推進によってもたらされる第2次の動員にどのように耐えていくのであろうか。商店や飲食店はもちろん,百貨店や役所にさえ,なお,若い元気な女子従業員の姿がみられる限り,日本の経済は高度成長をやめないであろう,という理論の存在することは驚きである。
 成長経済の一翼を担う「基本法」と名づけられるいくつかの法律は
,近代化による経営規模の上昇をねらっているが,底流には零細経営の脱落が想定されている。想定された上昇の現実に多くの問題があるばかりではなく,反面,小企業ないしは零細企業は労働力の確保はおろか,自分自身が労働力化しなければならないかも知れないのである。
 京都市は
,中小零細企業のまちである。労働力のひっ迫は他の大都市よりも早く現れている。人口の伸び率が低いのは中小企業の従業員吸引力が弱いためである。経済力か弱いから人口が増えないが,また,人口が増えないから経済力が弱いともいえる。
 このような事情のなかで
,幾通りかの努力がなされてきた。人を雇うなら徹底した近代的な雇用関係を結ばねばならない。でなければ他人を当てにすることなく家族従業員のみで経営をまもり,がっちりした組合組織をつくって生き抜くことである。雇用関係の中心は賃金や厚生施設を主体とした労働条件であるが,所属する産業や,また,京都市という良き環境のイメージも労働力の吸引に作用する。それらをもっとPRしなければならない。職安のみに依存した「あなたまかせ」のやり方ではなく,産業ごとに労働力供給地と密接な縁故的つながりをつくっていく努力が今後の組合活動の中心であってほしい。西陣の出機のよぅに,安い労働力の存在するところに仕事を持っていくことはどの業界にも出来るというわざではない。パート・タイム方式や中高年令層の動員については,労働力の供給者側の心構えもさることながら受入れ側の仕事の行程管理の合理化が前提されよう。
 京都市中小企業雇用対策協議会は
,当面する事態の重要性を再認識し,思いを新たにして40年度の活動にとりかからねばならないと考える。(1965.1.30)
                                               (経済局長 上田作之助)

 

 

 

 

 

 

 「協業化」という新しい動き(62)1965.3 

「協業化」という新しい動き

 協業化という言葉がさかんに使われている。その意味するところは,必ずしも最近の新しい事象を指しているわけではない。中小企業今後の組織活動の一方向づけとして,従来から行われてきた共同化の動きにいくぶんちがつた要素を加味し,それらに包括的な名称を与えることによって,必要性と効果とを強調しようとするねらいのように見受けられる。
 協業化の促進が政策として要請される背景は
,いうまでもなく開放体制下の高度成長経済である。中小企業基本法は宣言の役目を果している。中小企業近代化促進法や中小企業近代化資金助成法等は,協業化を進めようとする国の政策の裏づけとなっている。中小企業白書によると,協業化とは中小企業が協同で設備の近代化や経営の合理化や企業規模の適正化を推進してゆくことであり,協業化の概念としては,共同の事業や共同の活動一般を指している。具体的には,共同仕入・共同販売・共同作業等の比較的低次元の協業から,それらを組織化して組合による一本の事業にすること,団地造成等の集団化,ある事業だけを個々の企業から分離して会社組織によって一括行なうこと,さらに企業合同におよぶ高次元の協業化を包含するもののようである。資本と労力の一体化をはかる固有の意味の企業組合も,そのなかに入ってよいはずである。
 要するに
,協業化というのは,小規模であるがために効率の低い中小企業の経営単位を,何らかの形によって大規模化し,組織化,集中化して拡大し,より高い効果をあげることを目的とした活動一般をさすものと理解される。組織化の比較的おくれていた商業面においても,商業団地の形成を進めること,共同倉庫・共同計算・共同運送・共同購入・共同広告等の共同事業により事業規模の拡大を図ることが説かれている。
 中小企業組織化の唯一の形は組合だという協同主義至上観はいくぶん
19世紀的なにおいを残している。なるほど過去においては,より多くの企業,出来ればある業種の全企業が組合組織に包括されることの重要性が強調される余り,多分に画一主義に陥り,組織活動の機能的な面が等閑視されがちであった。何か何でも組合さえつくればよい,という考えがないでもなかった。それも大きい組合であればあるほどよい,という考えである。組合をつくる,という手段が目的のように思われがちであった。また,調整活動や産地商標のように,より多くの企業が,可能ならば全企業が加入することによって,はじめて充分な効果を発揮し得る仕事もたしかに存在する。しかし性格のちがった企業や格差の大きい企業を一本にまとめて,協同精神のヴェールを被せるだけでは,動きがとれるわけはない。組織化即組合づくりが強調される反面,休眠組合が意外に多いわけがいずこにあるか,一考を要するところである。企業間格差の増大や,系列化の浸透に伴う分断的影響は,協同組合の活動をむずかしくしている。
 さて
,早いテンポの経済の成長過程において,中小企業の高度化は必然的な要請のように見受けられる。そして,何らかの形で高度化し得ない中小企業は,衰退または解体の危に見舞われることもおこり得る。従って,協業化は中小企業の自己救済のみちであるとともに,発展の大きい前提条件ともいえる。かような意味での協業化は,従来の組合主義よりもたしかに次元の高い性質のものと考えられる。もちろん,組合は協業化の大切な一つの方法であり,前提でもある。しかし協業化のねらいは,組織づくりのほかに何よりも機能に重点をおいた活動そのものである。しかも,大型化の標準は,機能が最も効率的に働く適正規模におかれねばならない。もっとも,適正規模の計量に必要な要因は,主体の機能や仕事の種類や立地条件に応じて甚しくバラエティに富んでいる。極端ないい方をすれば,何が必要かが先行して,それに適した組織の大きさや形態があとに続いて生みだされてくる場合がある。団結の象徴として大きい組織がまず存在して,その組織の体裁を整えるために何とか仕事をつくり出してゆくのとは逆のコースである。適正規模であるかどうかは別にして,久世工業団地,清水焼団地,京都産業センターは,その典型的な例である。いずれも協業の目的が先行して生れた組織である。協業のために組織をつくらざるを得なくなったケースである。
 中小企業基本法は
,開放体制下の高度成長経済に中小企業を適応させるために,牧歌的な協同主義や組合主義を脱皮して,専ら経済的合理主義に徹し,競争力をたかめるための大型化ないし適正規模化を要求している。大型化を実現するため,部分から全体に至るあらゆる経営的・営業的活動分野において,組織化の展開が期待されている。協業化とは,そうした組織による経済活動の総称である。
 ところで
,このような期待,かけ声のはげしさにくらべて,協業化の現実は必ずしも円滑な進行状態を示してはいない。つまり,かけ声やたてまえをうたった法律だけでは協業化は進まない,ということである。協業化をはばむもの,協業化を進めるに必要にして不可欠な要件がたいへん多いことも見のがせない。よくいわれることであるが,中小企業は大企業にくらべて人の要素が甚しく強い。人の協業には,利潤の追求に徹した合理的な資本の協業とはちがったむずかしさが存在する。中小企業は,資本力の弱さを企業主という人によって補っている。資本の協業と平行して人の協業を形のうえで整えていくのに想像以上の困難が伴いがちである。投資育成会社の活動をにぶらせている一つの原因として,株式の公開が同族会社的な性格を稀薄にすることの不安があげられているのも首肯される。個人意識を協業のなかにどのようにとけこませてゆくか,大きい課題である。
 更にもう一つの問題は
,府県を通じて行なわれる政府の施策が,かけ声の裏づけとなるほどには充分でないことである。資本力が弱く,個人的または同族的色彩の濃い中小企業を,高い次元の協業化の線にもってゆくには,相当に思い切った施策の援護を要する。費用のごく一部をやっかいな条件のついた時期おくれの融資でカバーしようというのであるから,きめ手になるほどの実効のあがらないのは当然である。ますますひどくなる格差の是正を専ら自力更生的な努力にまつ申しわけ的な施策では,基本法の期待は容易に達成され得べくもない。あたかも農業の現実が農業基本法のいだくイメージとは逆行しているように。  
 市内の
2つの工業団地の例は,協業化という美しい言葉の実際が,どれほどの労力と費用とを要するものであるかを示している。中小企業固有の同族的な性格と労力や費用を伴うデメリットを克服して,何らかのメリットを生み出してゆく努力には,おのずから限界のあることは当然であろう。この限界をつき被るには,従来のいわゆる中小企業対策のわくをつき被るほどスケールが大きく,しかもきめのこまかい施策が求められる。都市計画の一環としての団地造成もその一つであるが,いささか前途遼遠の感をいだかせる。
 これは現時点における見方である。今後
,開放体制下の経済成長が進行するにつれて,生産面,販売面,雇用対策の面で中小企業がますます窮地に追いこまれることがあるならば,企業主の同族意識は次第に変ってゆくかも知れない。また変らざるを得ないであろう。また施策の点において,せめて農業に匹敵する程度のものがとりあげられるならば,協業化はあらゆる分野において,もっと早いテンポで進む可能性が生ずるかも知れない。しかし,いずれにしても,協業化が日本経済の構造変化に伴う中心企業救済の特効薬の役目を果すには,極めて多くの問題の処理をまたねばならない。そしてこれは.中小企業の性格の変化を意味するし,また中小企業の問題というよりも,日本資本主義の問題といった方が適切である。(1965.3.30)            (経済局長 上田作之助)

 

 

 

 

 

 

 

 

 消費者行政のあり方(63)1965.5
 

消費者行政のあり方

 昨年8,札幌市で開かれた第26回全国都市問題会議の議題は,「都市の消費者行政」であった。その節,高度成長経済のなかでいささか置き去りにされた観のある消費者の保護が,消費者の集団である都市の行政のなかで,どのように位置づけられるか,また,その実体は何であるか,が大いに注目された。また,去る5 7日大阪市で行なわれた6大都市経済局長会議においても,中小企業庁指導部長や通産省企業局消費経済課長補佐の出席をみて,都市の消費者行政の進め方に議論が集中された。
 ところで
,現在の時点において,あちらこちらに消費者行政担当の局・課・係は出来ているが,効果やねらいのうえで,これが消費者行政の決定版だ,というほどのものは見当らない。どのような問題に対して,どのような立場から,どのように接近して,どの程度の効果を求めるのか,政策の理論は必ずしも明確とはいえない。
 もっとも
,従来消費者保護の施策がなかったのかというと,決してそうではない。消費者保護に関係のある取締り法規は数多くつくられているし,中央市場のある都市では生鮮食品の価格表示を行なっている。最近消費者行政担当のポストを設け消費者対策と銘うって行なわれているのは,これまでは分散的であった消費者に関係のあるもろもろの施策を一本にまとめ,PRや調査に力を入れ,消費者教育の活動をも展開しようというのが大体のならいのようである。また日常業務としては,消費者からもち込まれる苦情の処理が大きい分野を占めている。ただ,国の施策においては,消費の健全化,産業機造政策の一環として国民消費構造の調整が,一つの理念としてうち出されているのは当然であろう。
 思うに
,消費者行政は本来きわめて大きい課題をかかえている。消費物資の内容は,生鮮食品からかん詰類に至る食料品,衣料品,電気製品,薬品等その範囲は広大である。過大な設備投資は販売促進のためのブランド合戦をくりひろげているし,王様に仕立てあげられた消費者は,いつの間にか馬鹿殿様にされかねない。さればこそ消費者保護の必要性は強調される。しかし商品は,その種類によって生産と流通の事情を異にしている。また,国の場合は貿易品を除いて国内で生産されるものは国内で消費されるが,都市の場合は生産されるものと消費されるものとのくいちがいはひどい。国においては産業担当省の行政の一環として消費者行政がどうにか成りたつかも知れないが,都市においては産業行政と消費者行政とは同一の立場からは扱い難い。なお,広い意味での消費者対策には,大きい地域での生産対策・流通対策という問題の処理が包含される。従って都市においては,狭隘で人口密度の高い地域性の故に,消費者行政を推進する場合の構えは複雑である。
 さて
,消費者と商品との関係をおさえるポイントは,いうまでもなく価格・品質・量目の3つである。現在各都市が消費者行政の名のもとにまがりなりにも仕事としてとり上げているものは,価格については生鮮食品,量目については計量法にもとづく検査がその主軸になっている。品質に関しては,ものによっては消費者の依頼をうけて,試験研究機関でテストすることが可能である。役所が互いに競争関係にある商品内容に積極的にくちばしを入れるべきではないという理くつもあって,特にメーカー品の品質については消費者団体の依頼を受けて処理するという構えの方が,自然のように考えられる。
 いずれにしても
,消費者行政はこれからの大きい仕事になりそうである。消費者行政が看板だおれにならないためには行政機関の立場や処理能力をわきまえながら,つくべきポイントをはずさないことである。それには消費者の組織化も一つの前提となろう。
                                      
(1965.5.24.,経済局長 上田作之助)

 

 

 

 

 

 

 

 

「高度成長過程における京都市中堅規模企業の展開」はしがき
(『調査と資料』)1965.6

  はしがき

 周知のように,本市の工業は規模的には中小企業によって,業種的には繊維工業を中心とする軽工業によって代表されている。また,これを歴史的にみると京都のもつ古い歴史的条件と密接な連携をたもちながら固有産業ないしは在来産業として発展したもの,あるいは明治維新を契機として諸外国から移入された新技術・設備を基盤にして,それ以降,近代産業として成長していったものとが併存している。
 さて
,昭和30年代におけるわが国の高度経済成長は本市の工業にも少なからぬ影響を与えたが,このなかにあって総体的に著しい成長を示し,さらに本市経済を一貫して主導しているものとして注目されなければならないのが,ここでいう「中堅規模企業」である。
 この「中堅規模企業」は
,その歴史的な系譜,さらには業種,存立形態によって伸長率はことなっているが,それが本市経済の支柱であるだけに,「中堅規模企業」の成長をもたらした要因と「中堅規模企業」の今後の動向は,そのまま本市経済の成長因であり,さらに将来の動向につながるといっても過言ではなかろう。
 そういった意味をもって
,本調査は,「中堅規模企業」の成長因の解明とその今後の動向に視点をあわせておこなわれている。
 調査方法としては
,昭和33年から37年までの工業統計表による基礎データをもとに,38年末を調査時点とする実態調査,さらには主要企業についてはききとり調査をおこなったが,なにぶん時間的にも,資料的にも少なからぬ制約をうけたため,調査対象業種を金属機械工業にかぎらざるをえなかった。今後,機会をえて他の業種についても調査をすすめていきたい。
 なお
,本調査は立命館大学経営学部山下高之助教授にご担当していただいたが,調査にあたってご協力を賜わった企業ならびに関係各位に感謝する次第である。
     昭和
406月      
                                            京都市経済局長 上田作之助

 

 

 

 

 

 

 

 

 不況と「中堅規模企業」(64)1965.7
 

不況と「中堅規模企業」

 ここ数年来,「中堅規模企業」がにわかにクローズアップされ.その意義と役割とが,強調されてきたことは周知のとおりである。中小企業基本法は,中小企業を規定するが,資本金の上限を従来の1千万円から5千万円に引き上げ,中小企業の上層部を育成する意図を明確にうち出し,企業規模の「適正化」をはかる一方では,それとうらはらの関係にある事業転換について手回しよくふれている。中小企業近代化促進法や中小企業投資育成会社法の制定は,このねらいを具体化したものであろう。また,「高度化資金」による協業化の促進をも含めての産業機造の「高度化」もその一環をなすものであることはいうまでもない。開放体制下の日本資本主義が要請したこのような一連の政府政策の実効のほどは別にして,現実において過去10年間の上昇気構えのなかで相当な数の企業が「中堅規模」にのし上り発展してきたことは顕著な事実である。これらの企業は,日本経済の膨張の効果を何らかの面において何らかの形で多かれ少なかれ吸収し,精一杯の背のびをしてこんにちに至っている。
 さて
,経済の成長には不安定がつきものである。その速度がはやければはやいほど,不安定要素の拡大される可能性はつきまとう。22非円に及ぶぼう大な企業間信用は,一応この拡大された不安定要素を隠蔽してきたが,これが実に不安定要素をさらに大きくする結果となっている。専ら設備投資とその産出係数とによってわり出された高度成長路線や中期経済計画が,日本の企業にひくにひけない強気ムードを与え,また,そのあおりを食って中小企業がかなり無理な,そしていつ完結するともわからない設備の拡張にかり立てられてきたとすれば,最近の不況ないし転型期への情勢変化のもたらす影響は,まことに深刻なものというほかはない。
 京都市は「中堅規模企業」の比重が高い。それは
,立地条件の関係から従業員千人以上の企業が数えるほどしか存在しないこと,歴史的条件の関係から小規模乃至零細規模企業の数が圧倒的に多いために,従業員数と出荷額からみた「中堅規模企業」の比重は高からざるをえない。
 京都市は
,土地価の関係もあって,「中堅規模企業」の伸張が市勢の発展に極めて重要な要素であることを認め,工場設置奨励条令・設備近代化融資制度等を重点的に適用し,その育成に努力してきたつもりである。過去10数年間に「中堅規模企業」としての形態を具備するに至ったものの数は多く,市勢発展への寄与率は無視しえない。
 もっとも
,成長の度合からみると,京都市の「中堅規模企業」には,いく通りかの類型が存在する。高度成長の波にのってうまく新分野を開拓し周囲の制約にわずらわされることなく順調に伸びたもの,転換して大企業の系列に入ることによって伸びたもの,伝統的な企業で伸び率は低いが優秀な技術と製品の特異性の故に速度はおそいが比較的着実な伸びを示したもの,ある時期には伸びたけれども大企業のマーケットシェア-が大きく,また,同業者間の過当競争のために,最近は伸びなやんでいるものなどいろいろと企業の条件はちがっている。しかし全体としてながめると,自分の企業を浮揚させ「中堅規模企業」としてここまで発展させた京都の企業家の努力は高く評価されるべきであろう。
 それだけに
,見通しの甘さや,伸びるために少なからず無理をさせられた事情から,企業がなお安定した姿になりきらないうちに不況に見舞われ,ために成長の度合の低い小規模企業よりもかえって多くの問題につきまとわれていることが気遣われる。
 われわれは
,京都市の「中堅規模企業」が発展の成果を充分に保持してこの不況をのり切り,次の飛躍に備えることを期待している。                             (1965.7.7経済局長 上田作之助)

 

 

 

 

 

 

 

 

協同組合運営の実態調査結果の公表に際して
  
(『協同組合運営の現状と問題点』)1965.7 

協同組合運営の実態調査結果の公表に際して

 我が国における中小企業の組織化の歴史はかなり古く,戦後,中小企業等協同組合法の施行からも,すでに15年余の歳月が経過しております。現在,同法に基づく組合数は全国で45千を教え,うち事業協同組合は35千にのぼっています。
 この
15年間,我が国経済は朝鮮動乱ブ-,その反動の不況期,そして30年代の「高度成長期」とかなり激しい変動のなかで成長,発展をつづけてきました。この間,中小企業の組織化も着実に進展を示したが,「組織化の問題」は依然として中小企業対策に占める最も重要な「古くして新しい間題」であることに変りはありません。
 近時
,中小企業基本法をはじめ一連の中小企業近代化,合理化施策においてうかがわれるように,あるいは「協業化」が強く叫ばれているように,いま,中小企業の組織化は一つの転換期にあるといえましょう。
 本市では
,この時期に当り,昭和30年調査に次いで,再び本市の事業協同組合運営の実態について調査し,今後の中小企業の組織化活動の方向をさぐろうとしました。
 本調査に当っては
,同志社大学商学部 前川恭一助教授のご指導を得て,製造業の事業協同組合について,主として大企業との関係,業界あるいは組合内部の諸条件等から組合運営の現状と問題点の解明を試みたものです。
 本調査結果の公表に際して
,種々な制約にもかかわらず,終始,精力的にご指導いただいた前川先生に厚くお礼を申し上げる次第です。また,適切なご助言と多大のご便宜を賜った京都府中小企業団体中央会および調査にご協力をいただいた事業協同組合の方々に対し深く慰謝する次第です。
     昭和
40 7
                                      京都市経済局長  上 田 作 之 助

 

 

 

 

 

 

 

 

 不況下に迎えた1966年の課題(67)1966.1
 

不況下に迎えた1966年の課題

 昨年の秋にはいく分好転するかに伝えられた景気は,すべて期待外れにおわり,沈滞した空気のなかに年はあらたまった。過去いくたびか,不況の新年を迎えたときには,行先好転の予測が慣例のように流布されたが,今年ばかりはそうはゆかぬらしい。小さな波動をくり返しながら高い成長をとげた日本経済に累積したかず多くの矛盾が,いちどに露呈した恰好となって,病状のひどさは相当なもののようである。.「静かなる恐慌」という言葉があるいはあてはまるかも.知れない。
 しかも
,不況下に物の値段がとめどもなく上昇する,という珍現象がクローズ・アップされて,不況対策と物価対策とは国民注視の問題となっている。この相撞着するかに思われる二つの対策が,互に相手の効果を減殺することなく進められるか否かは,ことしの大きい課題というべきであろう。
 リセッション乃至不況という言葉は戦後ひんぱんに使われたが
,ちかごろ恐慌の実感はうすくなっている。むかしは,周期的な恐慌が生産施設や商品の形態の過剰資本を整理して経済に均衡をもたらす不可避的な現象と見なされ,恐慌局面を含む景気の循環は,発展過程にある資本主義の運動のリズムのように説明された。資本主義経済が弾力性を失いはじめ,構造的なものとなった不況から自動的に這いあがることが全く困難視されると,国家が経済のなかに大きく介入して投資活動と消費需要の喚起に積極的な役割を果すことを求める理論が有力になりはじめた。「有効需要」の増大を可能にするよう通貨制度は改められた。不完全雇用下の通貨の増発はインフレーションをおこさないことにはなっているが,失業よりはインフレーションの方がよろしいという考えが底流を支配していることは明白である。
 それにしても
,物価の騰貴は世界的な現象であるが,わが国の騰貴率はずばぬけて高い。そして,世界的には一般に好況であるにかかわらず,深刻な不況に見舞われているのは日本と香港だけ,というのもいささかいただきかねる。
 思うに
,経済の成長が最高の目標に祭りあげられ,既存の与件のもとでの「完全雇用」を通り越して,円滑な機造変化・与件の変化を伴いながら,経済は均衡を失うことなく一定の率で限りなく成長するかのような想定が,「計画」にまで仕立てられたところに問題はあったと思われる。根深い社会的要因を背負った土地や労働力をはじめとするもろもろの生産要素の分析や日本特有の農業と工業との関係や中小企業のなりたちは,マクロ的な経済理論の埒外の存在で,既存の与件を前提した本来短期の理論用具の利用方法を誤ったというほかはない。ミクロの実体を反映しないマクロは無意味であり,しかも,日本経済の現実はミクロとかマクロとかいったとり上げ方で扱いきれる性質のものではない。
 「有効需要」の不足額は
4兆円にのぼるといわれている。この不足額を補填するために7300億円の公債発行が見込まれている。18兆円の銀行貸出と24兆円の企業間信用とによってふくれ上った膨大な生産施設においつくまでに,「有効需要」の喚起が出来るか否か。また,購買力の散布が,多くの面で隘路にぶつかっている国民生活の打開や中小企業の体質改善を伴いながら進められるものであるか否か,心配ごとは多い。
 こんにちの企業経営の悪化と消費者物価の上昇は
,政策に総合性や計画性を欠いたまま民間設備投資を拡大させたことに起因する,といわれている。低生産性部門の生産性向上が少しもおこなわれず,地価の高騰が野放しのままで,財政支出が増大すると,どのようなことになるか。不況からも脱出できず物価も下らないということのないよう,諸般の努力が望まる。
 このような情勢のなかで
,京都市の産業をまもりかつ伸ばしてゆくことにわれわれは全力傾注するだけの覚悟が必要である。
                                       
(1966.1.24 経済局長 上田作之助)

 

 

 

 

 

 

 

 

 不況と新しい組織化の動き(68)1966.3
 

不況と新しい組織化の動き

 不況期になると資本の集中が進行する,これは昔からいいふるされ,今も変わらない法則のようである。大企業間における企業合同・カルテル・企業集団の形成等が,ここ数年来やかましく論ぜられ,不況の深化と共に産業界の地図は大ぎくぬりかえられようとしている。
 このような動きが中小企業に反映しないはずはない。大企業間の競争の影響は何倍かにはね返ってくるし
,受注減と過当競争の激化は中小企業を弱肉強食のすさまじい状況に追いこんでいる。殊に零細企業の苦悩は顕著である。過大な借入金によって中堅規模にのし上った企業もひどい起伏に見舞われている。大企業による系列化が一そう進んでいる反面では,系列企業の脱落ないし切捨てが行なわれている。全体として倒産は減少していない。
 しかも
,技術の革新・コストダウン・生産並びに取引単位の大型化は急ピッチに進んでいる。親企業と下請企業間,下請企業と再下請企業間の技術格差は,大きくなる一方である。そして,全体としての受注減は,下請企業の再編成を必至なものとしている。より以上の背伸びをしながら親企業の要請にこたえる努力を払い,下請にとどまることによって生き抜こうとする中小企業もあれは,不安定な下請から抜け出すかやむなく脱落して,自主生産の途を血まなこで探し求める企業も数多く見受けられる。成長経済に伴う構造変化は,底の深い不況の長期化と共に,新しい方向転換を始めているようであり,中小企業の階層分化はいや応なしに早まっている。
 さて
,「グループ化」,これは最近の不況を背景に散見されることばである。企業の組織的ないく通りかの新しい動きをさしているようである。中小企業においては,形のうえでは協同組合の線に達していないが,実在する多くの協同組合よりもむしろ活発な組織的な動きがあらわれている。競争か協同か,のせっぱつまった時点にたっての,上からの指導によらない自然発生的な動きとも見受けられる。それだけに,この集団的な動きには,企業の孤立化を防ぎながら最も切実な問題と対決しようとする真剣の構えが見受けられる。役所風の考え方からすると,組合設立の必要条件とはかけ離れた姿の場合もあるが,このような動きのなかにこそ,ほんとうの組織が生まれてくるのかも知れない。
 「グループ化」は
,高度成長から急変転して不況におちこんだ日本経済を構成する企業,特に中小企業の新しい動きである。カルテル・合併といった大企業の独占組織から中小企業の協同組合に至るまでの組織の動きと,これらの既成の組織に入っていない,またそこまでの形式を整えていない大小の組織的な動きの総称とも理解されるし,既成の組織の埒外にあるもろもろの集団的な新しい動きそのものをさしているとも考えられる。いずれにしても,不況下の日本経済の苦悩のあらわれであることに間違いはない。
 中小企業の場合においては
,生産上の業務提携,販売提携,設備の共同利用,部品の共同購入,カタログの共通化等,組織活動の範囲はきわめて広い。活動の進め方は,協同組合の定型とはかなり異ったものである。不況に苦しむ中小企業が単独でやるよりも一緒にやる方がコストが安くてすむ,効果が上る,正にそのものずばりの目標で提携してゆこうとする動きである。近隣のいくつかの町工場が,同業種ではなく異業種の場合にでも共同に使える機械なら共同で買って共同で使う,という性格の動きである。組合員の施設利用率がどうのという「「模範組合」の心配は不要である。また同一業種の組合員数がいくらでなければならぬ必要はない。今や中小零細企業は,自己防衛の立場から,同業種といわず異業種といわず,またその組織員の数の如何をとわず,せっぱつまった状況のもとに互に生き抜こうとする共通の目標に向って組織的な活動を始めている。組織をもたないわけにはゆかないのである。中小企業を救う途は組織以外にはない,ということを中小企業者が自らの動きによって示しているのである。このような動きに対して,既成の協同組合の多くはその活動内容の再検討を迫られているとも見られる。また,新しい目標に向って組織を再編成することによって,新しいそしてダイナミックな組織活動の創造が望まれるし,不況下の中小企業に対し,従来の観念から数歩前進した組織指導の積極的な展開が必要であろう。
                                        (1966.3.28 経済局長 上田作之助)

 

 

 

 

 

 

 

 

 地域計画と中小企業(69)1966.5
 

地域計画と中小企業

 「戦後経済」が一段落して,地域開発の計画がやかましく論議されてから十数年がたっている。その間,印刷物になった「計画」は,全国版・地方版・府県版・市町村版を合わせると,おびただしい数量にのぼる。まさに「計画」の氾濫時代といった感がする。
 「計画」を促進するために法律が出来
,法律が出来たために何らかの「計画」をつくらないわけにはゆかなくなって,「計画」はふえてゆく,資源開発中心主義の段階から工業開発中心主義をへて,最近の地域格差是正主義の段階に至るまで,日本経済の膨脹と平行して,また問題状況の変化に応じて,「計画」の重点は移動している。
 さて
,このような数多くの「計画」書を通覧.すると,計画とは何かという,言葉の基本的な定義があいまいな感がする。単純で具体的な事業を中心にした「計画」の場合には,内容の筋道は比較的にわかりやすい。ところが,多少複雑な要因の競合を前提した綜合的な目標をかかげたものとなると,論理の構成が理解し難い。計画という表現のもとに書かれている内容が,果して計画なのか,構想なのか,心がまえなのか,調査書なのか,宣言なのか,その辺のところが明確ではない。比較的に形のととのった中央の「計画」においても,各省の主導権争いのようなところが見受けられ,主体と責任のはっきりしないものが多いし,地方自治体においては万事が玉石混淆といったところである。殊に具体的な事業ではなくて行政的な施策の効果を中心とした計画では,施策とその実際的な効果との関係に責任ある考慮がはらわれていないために,計画の名にふさわしくないことも往々にしてありうる。いずれにしても,計画だおれにまでも達しないロスの多いことだけはたしかである。
 われわれが計画を立てる際には
,まず正しい現状分析から出発しなけれはならない。現状ともろもろの要因とをどのように認識するかによって,問題意識はちがってくる。現状分析が間違っていたり杜撰なものであっては,すべてが狂ってしまう。未成熟な計量的方法や借りもののモデルを,開放的でそれぞれ特殊な構造をもつ小地域に実験的に無理矢理に適用してことがすめば便利であるが,現実はもっと手におえない複雑なものであることを知らねばなるまい。
 次は目標の設定である。現状の分析と問題意識とによって
,目標の設定に対する構え方もちがってくる。現状分析の仕方と目標との関係が理論的に構成されていないものがある。現状把握がものごとの一面にしか及んでいなかったり,間に合わせ的であるために,目標そのものが遊離していたり,価値判断の規準が現実とかなり食いちがつている例も少なくない。あるべき姿,願望といったものが,歴史的なイメージや広大な土地にめぐまれた外国のモデルとごっちやになって,近寄り難い崇高なものか精神分裂症的な戯画に堕して,行政機関の軌道から逸脱した例もないではない。その結果,中小企業や住民不在の姿がえがかれることになりやすい。目標の設定にも拘らず,目標とは逆方向の現象が急ピッチで進んでいる現状に案外無神経なのも気にかかる。
 次に目標達成のための手段やプロセスの提示が大切である。手段の裏づけは資本である。資本主義の世の中では
,問題のおこりはすべて資本の運動がその背景をなしている。アンバランスもその運動の過程でおこってきた事柄である。これを是正するために,国や貧弱ながら地方自治体がカウンターバランスの資本投入を実行するたてまえになっている。国の場合は,その財政が国の経済を動かす段階になっている関係から,手段の体系が多少はくみたてやすい。しかし地方自治体ではそうはゆかない。手段の示されていない「計画」,時間の要素や価格の変動が無視されている「計画」が多いのは,それなりの理由があろう。しかし,「百年の計」といった責任のはっきりしないものは別として,まず何から始めるかを具体的に示していない長期計画が少なくないようであるが,それらは実現について疑問をいだかせる。
 おもうに
,資本主義の経済においては,計画化しうる部分に限界があるばかりではなく,限られた分野における計画推進にも多くの制約を伴うことは当然である。にも拘らず,経済の高度成長は,多くの問題をひきおこしているために,国や地方自治体は「計画」という名目で経済に新しい介入を進めている。資本主義経済を対象とした計画の理論は,なお充分には深められたり展開されたりしてはおらず,必要にせまられて,理論的裏づけのうすい「計画」が乱発されているのが実情のようである。理論の未成熟,現状分析の不徹底,地域産業集団としての中小企業の性格や地域経済とのつながりに関しての無理解,専門家の欠除等,の好ましくない条件が早急に克服されて,地域の住民に説得力のある現実的な計画が進められることが望ましい。
 それにしても
,まず計画を推進する手段の体系や動員しうる資本量との関係をにらみ合わせて目標を設定するのでなければ,責任のもてる計画とはいえまい。ヴィジョンの壮大さが計画の立派さのように誤認されたり,各地方自治体が狭隘な地域を対象に,相矛盾したり重複したり反発する目標をかかげあって,経済の必然が正に逆の方向に急ピッチで進んでいる現実との関係の計測が無視され勝ちとなっている。そのような「計画」コンクールにネグレクトされやすいのが,中小企業の体質の研究と,地域住民の生活基盤となっているその重要性の認識であろう。
 どの「計画」書にも中小企業の問題では団地をとり上げている。しかし
,中小企業のために団地をつくるのか,他のもっと大きい目的,例えば都市計画の推進のために中小企業を団地にまとめるのか,その辺の事情がはっきりしない。どのような地価の団地をどのような助成のもとに,いつ頃つくれば中小企業の役に立つのか,また都市計画上,どの地域の中小企業を団地にまとめれば,街がすっきりなるのか,そのためにどれだけの準備がしてあるのか,説明のない「計画」書が多い。ただ計画に中小企業をとり上げないと片手落ちになることを考慮してか,申し訳けのように団地が掲げられている例が多い。従来の中小企業庁方式の団地が頭うちの情勢にあるとき,手段や効果や目標のはっきりしない団地づくりを掲げるだけでは不充分である。 
 われわれは,中小企業が都市住民の生活をささえる中枢の経済基盤であるという認識のもとに,性急に,また申し訳け的に団地にとびつくのではなくて,あらゆる地域計画の基本に中小企業が位置づけられることを望みたい。
                                         (1966.5.15 経済局長 上田作之助)
 (上田経済局長は516日付で退職,竜谷大学経済学部教授に就任されることになりました。 調査係)

 

目次へ