3.産業局長時代1954.04

 

 工業化について(17)1954.5

 

工業化について

                                                     上田作之助

 京都市は所得の伸びが少い,担税力が低い,貧乏都市である,という言葉をよくきかされる。そして大きい工場の少いことがその原因だとされている。戦後京都市の財政が他の大都市に比べて弱体なのは,現行の税制にも由来するが,更には市民一人当りの所得が他の大都市よりも低い事情の反映である。
 ところで所得は,生産活動・商業活動・サーヴィス活動・公務自由業の活動等々の形で各人がめいめいその職業に応じて得ているわけであるが,京都市全体の所得総額をレベル・アップするための第一次的な所得の源泉は,何といつても生産活動が圧倒的な地位を占め,次いで他地方に販路をもつ問屋活動であり,また京都市の場合には観光客を相手とするサーヴィス業も無視し得ない比量を占めている。そしてこれらの職業にたづさわる人達の所得を需要対象として,いくたの職業がなりたち,所得の効果を累積させ,全体としての京都市民の所得の総額が形成される。
 西陣機業が繁栄すれば千本通の商店街の売行がよくなり,工場のサラリーマンの所得が上昇すれば河原町や四条通の商店の顧客も多くなるというわかりきった理くつも,京都市の経済構造と所得の流れを追うことによつて,系統的に把握される。
 そこでまず,京都市の経済をささえているいくつかのバックボーンをよく見きわめ,これらを補強すると共に,新しいものを継ぎ足したりつくり出してゆく努力の必要が痛感される。京都市の「工業化」とは
,生産面を主体とするそうした努力の綜合されたものにつけた名称である。
 現在,京都市の各業界の経営が直面している苦悩や問題の範囲はちよつと考えただけでも恐ろしく広汎多岐である。自覚されているものもあれば,慢性になったり,自覚されていないものもある。解決の可能性あるもののみが「問題」にされるというが,この「可能性」も問題意識の如何によつて「可能性」をうみ出す諸条件をつくる要求となり,その要求が条件そのものを変革して新しい問題を提起することになる。
 世界情勢や政府の政策は一応別として,交通・土木・水利・労働力・敷地といつた一般的な立地要素や,資本力・原料資源・技術水準・動力・金融機構・市場・税といつた,経営により 近接した問題,更に経営そのもの に至る広範囲な諸問題を,マンネ リズム化した「中小企業対策」を もつて片づけてしまうわけにはゆ かない。
一本の産業道路の方が下手な対策よりも中小企業に多くの利益をもたらす場合がありうるわけである。経営の直面する問題が充分に掘りさげて意識されずしては,協同組合による組織化も効果を発揮し得ない場合が多い。
 従つて,産業振興の手段についての考え方も役所内の限定された縄張からときはなされ,所得水準のレベル・アップに是非とも必要な「工業化」が広い観点から取上げられ,そうした認識が深まることを期待してやまない。尤もこれは幾多の障碍を承知してのはなしである。
                                                     (筆者産業局)
                                                巻頭言
17 54.05.15

 

 

 

   本市の工業振興と工場設置奨励条例の意義(特集)1955.4

 

本市の工業振興と工場設置奨励条例の意義

                                                 産業局長上田作之助

 かねてより,京都市が準備中であった工場設置奨励条例は,去る三月市会に提案され,四月一日から実施のはこびとなった。
 工場の新設と拡張にたいし,市が三ヵ年,固定産税相当額の奨励金を交付し,あわせて立地条件の整備に応分の協力をすることを規定したこの条例については,各界各様の御意見が参っている。
 いまさらこういう条例をつくってみたところで大した効果はないという見解,既存の中小企業にもっと力を入れよという見解,商店街や零細企業の対策こそ緊急の問題である,等,いずれもまことにごもっともである。
 にも拘わらず,このたび本条例が出たことの意義は,条例という形をとって,ちょっぴり頭を出した京都市産業対策の手段と,考え方と,スケールとにあると思う。
 京都市は戦災を受けなかったことの故に,戦後きわめてめぐまれた発足をとげたのであるが,これが反ってある意味において,新らしい技術の導入をさまたげ,古い経営の構造の脱皮を遅らせ,他都市の飛躍的復興につれて,当初のめぐまれた条件も次第に発展へのふみ切りをにぶらせる要素に転化した向きがないではなかった。いわゆる伝統産業のうちで,染織関係は一応別として,戦前に比し,生産額が絶対的にも相対的にも減少している業界が多い。すなわち,雇傭量,人口扶養力の低下している業界が可成多い。
 かといって
,それにとって代る新らしい京都市縦済の支柱としての産業が発展してきたかというと,その成長の遠欧は池都市に比して甚だしくにぷい。戦後,京都市が貧乏都市としての性格を明確にしはじめた根本原因は,実はその辺にあるようである。
 京都市は観光都市であるから
,都市の紙済基盤を,もっぱら観光収入に求めようとする考えがある。しかし,人口百二十万に近い都市の経済基盤が,観光収入である例は見当らないようである。観光収入とは,外から遊びに-用事にではない-きた人達にサーヴィスまたは物品を提供することによってうる収入,すなわち,バス,電車といった交通機関や旅館,土産品店等の収入に外ならないが,観光都市としての設備を充実するための経費が一般市費によって賄われるものとすれば,一般市民の所得の成長率にどの程度プラスするか,見かけ程のものではないようである。
貧乏都市をかこちながら
,観光都市の名称をもっていることのために,市民の主たる生活基盤が産業であることを忘れるようなことがあっては,悪戦苦斗されている産業人にたいして申駅ないばかりではなく,京都市の将来のためにもなげかわしいことといえよう。
われわれは
,所得を個々人の収入面でとらえてみると,生産活動・商業活動・サービス活動・公務員自由業の活動等の形で,各人がめいめいその職業に従ってえているわけであるが,京都市を一つの経済圏として眺めたばあい,物品およびサーヴィスの代償として他地方に支払うだけのもの,あるいはそれ以上のものを,物品およびサーヴィスの代償として,他地方から獲得しなければ,都市全体がジリ貧になることは明らかである。京都市民の生活は,それぞれ互に提供しあう物品およびサーヴィスへの依存度が強ければ強いほど,より多くの物品およびサーヴィスを他地方に提供する活動を旺盛にしなければ,市民の生活はたちかなくなる。
 右のぱあいに
,百二十万近い市民の生活を支える基盤としての力は,サーヴイス活動よりも,物品生産活動の方が比例的に大きいことは明らかなのであろう。
 「産業京都」確立の声は
,京都市の産業人が,自己の利益のためのみからあげたものとすれば,さして注目を引かなかった筈であるが,京都市の産業的確立が,都市の経済力を増大させ,そのことが,商店をも,サーヴィス業をも,小企業をも盛んにする根本策であるとい5意味において,重要なるが故に,大方の注目を引く結果となったと考えられる。つまり,産業的独立なくして国の独立がないように,外来客の落す金のみに都市の経済を依存させようとすることでは,大都市の面目もなく,子弟の働き場所もますますなくなるという懸念があって,商工会磯所,経済同友会,経営者協会,商工組合中央会をはじめ,総評等の労働組合からも,産業京都確立への要望があったわけである。
 この点について
,われわれは,ずっと以前から思いをいたさないではなかったのである。 いわゆる中小企業対策に重点を置いた商工行政は,大体において中小企業庁の処方箋にのっとって,中小企業の組織化,金融,経営診断に重点が置かれてきたのである。われわれは今後もこの方向に向って,さらに一層の努力を払う必要を痛感するが,同時にそれのみでは中小企業対策としては充分ではなく,都市の産業政策を論ずるぱあい,甚だしく片手落の感なきをえない。中小企業対策のポイントとして,まず,流通機構上,金融機構上の圧力から中小企業をまもること,個々の経営体の強化策を講ずること,組織化によって力の増大を図ること,技術振興や販路拡張の施策を講ずること等,数多くあげられるが,中小企業の置かれている地域の諸条件の整備をはかることは,さらに重要なことではなかろうか。
 わたくしたちは
,京都市のように,その産業の大部分が中小企業によって構成されているところでは,中小企業対策に一段と留意しなければならないが,大資本にたいする中小企業という問題のとらえ方とともに,京都市の地域経済をどうするかというとらえ方もあってよい筈である。国家の集中方式からとりのこされ,経営が必ずしも楽ではない数少ない大企業をもつ京都市では,大企業に対立する形で中小企業をとりあげるだけでは問題は解決しない。対立点は当然明確にしなければならないが,同時に,世界の経済から,国の経済から,圧力をこうむりながら,次第にとり残されようとしている京都市の地方経済をどうするかという問題が,大きくわたしたちの眼前にたちはだかつているのである。
 中小企業の振興を地域経済の発展のなかでとらえねばならず
,また地域経済の興隆は中小企業をも含めたそれぞれの産業の振興が綜合されて,始めてなりたちうるものである。京都市の地域経済に不利に作用する経済情勢や国の施策にたいしては強く地域的な反発をする必要があるが,同時に地域的な自主的努力によって,少しでもその地域の経済条件が改善されるならば,われわれはその方向の努力を怠つてはならない。
 京都市の経済力が
,ほぼ同一人口の名古屋に比して,半分または三分の一といわれるのは,都市の経済を支えている商業が振わないところに根源があるとされ,産業の振わない原因が,立地条件の悪いせいにされている。 してみれば,立地条件に関する検討は,少なくとも地域の産業政策をたてるばあいの第一着手でなければならない。
 京都市は産業の立地条件が悪いとされている。ところで
,産業の採算に影饗する立地上の要素は非常に多い。これらの要素も技術の進歩とともに大きい変化をとげるものである。海がない,原料資源が遠いなどの理由は,不利な要素にあげられている。しかし,天然の要素以外は国の施策や地域的努力によって,ある程度改変しうるものである。また,天然の要素も技術の進歩とともに,その影響力に変化をきたすものである。かつて,わたくしたちは,「京都市工業化対策要綱」なるものを作り,交通,水利,通信,動力,労働,住宅,教育から,金融,税制,資本市場,産業組織といった経済行政全般にわたって,京都市の産業振興上必要な措置を要綱にして作りあげたことがある。すなわち,かかる「京都市工業化対策要綱」の内容のことからが実行できる客観的情勢と主体的条件がととのい,着々進捗することになれば,京都市の相貌は一変するであろう,という訳である。
 昨年九月
,新潟市で行われた全国都市問題会議において,いわゆる中小企業対策の形でとりあげられている既存産業の振興策と併行して,産業開発の問題が熱心に討議され,立地条件整備の問題がその主要内容となったことに徴しても,四年前につくりあげた工業化対策要綱のねらいが,都市の産業行政のあり方として,正しい方向であることの確信をえた次第である。要はそういう体制をつくり上げてゆく政治力が問題なのである。
 昨年九月
,商工会議所,経済同友会,経営者協会の三団体が京都市理事者と産業振興上の基本策について懇談されたが,これを契機として,京都市に,「工業振興対策委員会」が生れ,産業振興対策の手段が産業局のみにあるのではなく,理財,交通,建設,水道等,市の一切の機能のうちにあることの自覚にたち,各局一体となって目的意識的な活動の組織が生れたことは,市の産業政策上の一歩前進かと思われる。
  「工場設置奨励条例」は
,この対策委員会の最初の仕事としてとりあげられたのである。他都市ではすでに工場誘致条例の名のもとに類似のものが出されているが,京都市の条例の特色は,既存工場の拡張にもこれを適用しうることとしたのと,立地上の協力に比較的細密な規定を設け,建設,水道の協力体制を義務づけたことである。
 京都市の土地柄からくるむつかしさと
,苦しい財政事情とは,こうした条例をつくる上にもいろいろと困難な問題を提起した。しかし,これによって,観光京都の大きいアドバルーンの横に,いまだ大きいとはいえないが,産業京都のアドバルーンをいま一つあげさせていただいた訳である。われわれは,市民の皆様の御理解によって,このアドバルーンをより大きく,より高く掲げげるための組織的な活動が展開されることを望んでいる。そして次々に新らしい施策を準備して,京都市の経済をより豊かに,より明るくする努力を続けたいものである。

 

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