6.龍谷大学教授時代1966.05

 

 

 

回顧 創設の頃(『京都市中小企業指導所「20年の歩み」』)1970.9


     中小企業指導所「20年の歩み」
回顧
 創設の頃

                                                     上田作之助
 高山「革新」市長が実現したのは
,昭和25年の 2 月である。
 選挙公約はおきまりの教育・民生・中小企業対策の三つであった。文化観光という言葉はでない頃であった。選挙演説では高山候補の口から
,沈滞した伝統産業の振興がさけばれていたことをいまなおはっきりと記憶している。
 当時
,大阪市大の教員であった私は,高山市長や各方面からの要請をうけてお手伝いすることになった。市長当選の数日後に非常勤嘱託の辞令をもらい,経済局に出むいたのである。
 その頃の経済局には足羽・斉藤・村田それに私の
4人の嘱託がいたが,連日経済局長室で中小企業対策を論じたものである。その会議で中小企業相談所のアイディアかうかび,高山市長に進言して採用してもらうことになった。
 当時の商工行政は
,戦中戦後の荒廃期をへて空洞化しており,博覧会への参加と信用保証協会への出えんが主な仕事のようであった。相談所開設の方針が上部で決定したものの,具体化の運びは遅々として進まなかった。全く未経験な仕事であり,従来の役所仕事とはおおいに性質を異にしていたからであろう。
 
9月の1日に大異動があり,松嶋経済局長が就任したものの,大きい課題を背負わされた商工課長にはなり手がなく,空席のまま9月中頃になって,結局一番理屈の多かった私が教師をやめて,商工課長に就任せざるをえない破目になったのである。
 当時の商工課の人員は
15名ばかり,係は3,振興係長は山本現理財局長,指導係長は中辻前保証協会常務理事,調査係長は小西現調査室長,といった顔ぶれ,今の木下文化観光局長,篠崎経済局長は紅顔の青年で,振興,指導両係の職員であった。相談所長は僧籍をもつ変りだねの吉水順考氏が新しく就任することになった。さて職員であるが,職員局にお願いしてなんとかかり集めてもらったがもちろん未経験者ばかり,大橋現クラフト・センター所長も区役所の戸籍係からひっこ抜いた1人である。
 高山市長からは一日も早く相談所の看板を出すようにとのきつい命令。今も覚えているが「場所がなければ南座前の空地にテント張りでもよいから開設せよ」とのお達しである。当時は府市まことに仲がよく
,幸い府の関係団体所有の建物を借りうけることができた。一階が市の相談所,二階が府の産業能率研究所(中小企業総合指導所の前身),三階は後の中央会,しばらくして印刷組合からこられた堀江氏が専務に就任された。相談所,能研の運営を含む府市の商工行政について,市長公舎で蜷川知事,高山市長の会談があり,府から重商工部長,二塚商工課長が出席,市から私も同席したことを覚えている。
 さて,おそるおそる看板を出したものの,相談業務が軌道にのるまでは苦労の連続であった。けわしい時代であっただけに,相談の大半は金融と税金であった。最近のように多彩な融資制度があるわけでなく,銀行筋との接触も皆無の状態からの発足である。薬をもたないやぶ医者の開業に以ていたかも知れない。職員の諸君には酷な仕事であったにちがいない,しかし相談活動を通じて中小企業の実体にふれ,いろいろな施策かうみ出されてきたのである。経済局の中心的な活動をする職員は一度は修練の場として相談所を経験してもらったものである。税務関係では,個々の相談から公開経営指導協会の組織づく りに転じ,国税局や税務署との折衝を通じて,体当り的な活動が展開されたこともあった。 相談所が指導所になり,曲りなりにも一応の機能を果しているのは,各方面からのご協力と職員の皆さんの地道な努力のたまものと信じている。

 

 

 

 

 

 

 

「伝統産業を考える」から1970.12
 

    「伝統産業を考える」から

 上田  京都の伝統産業というのは,いまもお話しのありましたように,全国に散在している在来産業とは,かなりちがった特質をもっているわけです。それで,吉田先生のご指摘にもありましたように,技術の伝承というものが,非常に大きな支えになっている,技術そのものが,京都の伝統産業を支えてきたといえます。
 それに
,京都の伝統産業製品というのは,全国の国民に,相当,要求されているという,需要がなけれは,このようなものは,ほろんでしまうと思うわけです。
 ですから
,日本人が日本人であるかぎり,その伝統的な需要というものが,かなりあるということ。もう一つは,消費市場の構造がかなりかわっても,むしろ変われば変わるほど,しゅこう的な製品に対する需要というものはほろびないんだ,むしろ,それをますます評価される側面をもっているのが,京都の伝統産業製品であると思います。 
 たんなる在来産業ではなく
,また,すいたいしていく在来産業のなかに位置づけていくのではなくて,京都の伝統産業の特質をもっとはっきりつかんで,それを前面におしだしていき,伝統産業に従事している人々に勇気を与えていく,そういう角度で,日ごろのぞんでいたわけ です。その例として,西陣の着尺の市場調査をやったことがありました。これは,その当時,日本人はもう着物をきないのではないか,という考え方があって,西陣の業者自身が非常に心配していたわけです。それで,市のほうで,所得水準と,所得のなかに占める衣料費のウェイト,あるいは,衣料費のなかで占める和装と洋装費との関係などを分析して,所得があがり,衣料量があがれば必ず,西陣織物に対する需要がふえてくるという見通しをたてて,業者に自信をもたせるようなかたちで仕事をやっておったわけです。
 また
,先ほど,図案家連盟の話しがありましたが,図案家というものは,最初は染織業者に従属していたわけですが,私どもは,まず,図案家に組織をもってもらって,これを支援し, その結果,図案家が染織業以上にのびて,京都の染織業だけでなく,関東方面にまで,マーケットを拡大していくようになりました。
 当時
,私は,このように伝統産業を支えている要因をこくめいに分析し,体系づけ,それにもとづいて業界をげきれいしていく,そういうようなかまえで仕事を推進していくのに,伝統産業という言葉を,商工行政のなかで,大きくクローズアップしていくとともに,他面では,中小零細企業一般がもっている,経営上の諸問題には,それはそれとして,対処しておりました。といいますのは,そのころ,伝統産業を中小企業一般に解消してしまって,京都の伝統産業の特性ということを見失しなわしていく傾向があって,私は,それにていこうを感じておったわけです。政府の施策には,伝統産業対策というものはないわけです。伝統産業対策をやっていくのは,京都府・市,地元しかないわけですから,必要以上に,伝統産業という言葉を強調して,それを商工行政の中心にすえてきた,ということです。

    <くらしの中の伝統産業>

 司会  行政の立場から,なぜ,伝統産業に力を入れてとりくんでるかといえば,伝統産業自体が,市民生活と非常に深い関係にある,生活そのものであるといってもいいような性格をもっていて,しかも他の大都市にみられない高いウェイトをもっている。企業者というだけでなく,そこで働らく労働者も含めた,京都市民の生活の問題とつながっているというところから,伝統産業を非常に重視しているわけです。
 前川  たしかにそうですね。先ほど
,伝統産業の位置づけとして,伝統的な手工技術に根ざしている。地場産業という側面をもちながら,その完成度としての性格は,きわめて国民的ニードにうら打ちされている,という話しがあったわけですが,京都市は,このような産業を多くかかえている。しかもそれが,小規模零細性とか,社会的分業制度のなかで,きわめてきめこまかく市民の生活のなかに入り込んでいる。というところから,市政と伝統産業は,きってもきれない関係にあるといえるでしょうね。
上田  先ほど
,前川先生から,全国で,二百五十もの地場産業の産地があるという話しがあったが,例えば,燕市の金物などのように,かなり中小都市,あるいは,もっと小さな町にはそういう地場産業が多く存在しています。しかし,京都市のように,大都市で,しかも数多くの特徴ある伝統産業があるというのは,全国でも例をみませんね。それに,いま,話しにでている市民生活との密着という特徴がある。
 西陣織関係で生活している人は
,三十万人もいらっしゃる,また,「染」は「染」で非常にたくさんおられる。他の何十もある伝統産業は,普通は,しもたやで,やられているので,表からはわからない。だから,伝統産業にたづさわっておられる市民の数は,総人口のなかで,相当高いウェイトを占めている。
 したがって
,市民生活のなかの伝統産業という角度をしっかりもっていく必要がありますよ。

 

 

 

 

 

 

 

   中小企業の組織と「協業化」(96)1972.3
 

中小企業の組織と「協業化」  

                                            龍谷大学教授 上田 作之助
                                 1

 戦後からこんにちまで,中小企業対策の中心的課題は,組織化ということであった。 それは中小企業の言葉が示すように,規模が小さいこと,数がおびただしく多いことのために,なにをするにもひとつにまとまることが必須条件とされたからである。また,団体にまとまっていることが政策の対象として筋が通って為政者がとりあげやすかったこともたしかである。昭和24年に中小企業等協同組合法ができ,その後団体の種類が増えたために,32年には中小企業団体の組織に関する法律が生れて,すべての中小企業団体をそのなかに総括すると共に,協同組合と企業組合以外の団体の規定は,新団体の誕生と共にこれにもり込むことになったようである。
 このような法的バックにささえられて
,経済情勢の流れにそって,政府あるいは地方自治体の誘導により,生れでた各種中小企業団体の数はぼう大であり多彩である。42年に制度化され中小企業団体のひとつに加えられた協業組合はユニークな組織であり,中小企業団体のあり方について少なからぬ論議をまきおこしたものである。
 さて
,「協業」あるいは「協業化」という言葉が中小企業関係に出まわってからかなりの年月が経過し,こんにちでは一般用語としてさかんに使用されている。昭和42年には「中小企業団体の組織に関する法律」の一部改正がおこなわれ,協業組合という新型の組織がうまれて, 「協業」は幅広い座を占めながら一応定着したかのようである。この言葉が出現した頃,中小企業の実務指導にあたっていた人たちは,古典的な協業概念が便宜的に使用されたものとして,甚だしく場ちがいの感をいだいたものであるが,その後の推移と組織に関連した問題状況とをさぐってみたい。
 「協業」あるいは「協業化」という言葉にお目にかかったのは
,昭和38年度中小企業白書のなかである。 周知のとおり,この白書は,中小企業庁が第46国会に提出した同年度の報告を,中小企業白書の形式で発表した第一回目のものであり,「協業」あるいは「協業化」という言葉はその数年まえから使用されていたようである。官庁関係では農業基本法に関連して最も早く農林省方面で使われていたともいわれている。 38年度の中小企業白書では,それまで具体的な他の名称でよばれていたいくつかの動きを,「協業化」として総括しているにとどまり,「協業化」そのものについての説明はなされていない。学者の間では,中小企業庁が使用しはじめた「協業化」の解釈をめぐって,多くの意見が開陳された。政府の意図する「協業化」の内容は,「中小企業団体の組織に関する法律」の一部が昭和42年に改正され,中小企業「協業化」のモデル組織ともいうべき協業組合が制度として創設されるにおよんで,やや明瞭にはなった。さらに,昭和44年の中小企業近代化促進法の改正により,中小企業の構造改善計画がうちだされ,「協業化」の推進が構造改善のなかに大きく位置づけられることになった結果,「協業化」の言葉が中小企業関係者の指導用語として広く流布されたのである。
 ところで
,中小企業「協業化」のモデル組織としての協業化法人=協業組合の結成状況は,かんばしいものではない。中小企業庁の調べによると,なる程457月現在で,全部協業・一部協業を合せて568組合が成立してはいる。しかし,その中味の筆頭は,運送業140,うち内航海運業134,陸運業6,共に運輸省の許認可業種であり,海運関係では保有船船200トン以上というスケール・メリットを重くみた許可基準にのっとって,協業組合をつくることを条条件に許可されたものばかりである。ほかに小売商業91のうち,プロパンが62組合,食料品関係が78組合,クリーニング・自動車整備が小数となっている。プロパンガス販売業の組合が他の業種に比べて多数占めているのは,「液化石油ガスの保安の確保及び取引の適正化に関する法律により営業の許可基準がきびしくなったため,小規模事業者がその打開の道を協業組合に求めた結果である。中小企業者が自主的に「適正規模」を達成する目的で協業組合をつくる件数は,協同組合に比してまことに少い。 なお,協業組合の組合員数は1組合平均10,4人−9人の組合が圧倒的に多く,協同組合の平均組合員数が45人であるのと,対照的である。京都府内では僅かに4組合,うち2組合が海運関係,2組合がプロパン関係である。中小企業者の自主的努力の誘導をたてまえに,構造改善計画のかなめの役割が期待されている協業組合の設立数が少いのは,特に京都府の場合,企業組合のさかんな土地柄だけに,注目すべき現状である。
 「協業化」を流布した政策意図と現実とのあいだには
,大きい懸隔がみられる。

      2

 38年度白書に掲げられた「協業化の動き」の節に総括されている内容は,事業協同組合,商工組合,企業組合等の,従来から一般に行われている共同事業の推移と団地造成であり,それに「共同会社」,合併等による「協業化」がつけ加えられている。しかし,さきにのべたように,「協業化」の概念規定はなされていなし。
 翌年度の白書では
,流通機構の変化に対する中小商業者の「適応等」として,「適正規模追求」の手段に「協業化」がのべられ,その内容は,「共同倉庫.共同計算.共同運送・共同購入・共同広告等の共同事業により事業規模の拡大をはかるための商業団地,小売店舗共同化・スーパー等の協業店舗.共同駐車場の設置」にいたるまでが含まれている。
 従って
,38年・39年度には,組合の共同事業から合併にいたるまで「規模の拡大」をねらった一切の事業を「協業化」のなかにいれていたようである。「協業」という言葉がとびだした背景には,農業基本法におくれて中小企業基本法が公布され,「規模の経済」を中小企業にも導入しようとする構造政策への含みがあったことは,充分に察せられる。
 もっとも
,合併を「協業」のなかに入れることについては,のちほど批判がでて,「協業化の動き」のなかから姿を消している。企業の大型合併,集中再編成は急速に進められているが,中小企業における企業合併についてはどうか。たしかに中小企業の企業合併件数は最近増加の傾向にあるが,合併は中小企業者の自発的な要求によるというよりは,巨大企業の中小企業に対する下請系列の再編として,親企業による系列企業への吸収合併,大企業傘下の企業間の合併が多い。自社系列ないし親子関係会社間のものがこれにつぎ,殆どが吸収合併の形態がとられ,「協業」に期待されるものとはほど遠い実状である。
 中小企業基本法発足の
389年当時,経済の高度成長についてゆけない協同組合の,機能的限界のようなものが感じられていたことはたしかである。昭和24年に中小企業等協同組合法が制定されたが,そのなかに制度化された協同組合・企業組合をつらぬく協同主義的精神は,いくぶん前世紀的なにおいをとどめていた。より多くの企業,できれば同一業種の全企業が組合組織に包括されることの重要性が強調される余り,多少は画一主義に陥り,組織活動の機能的な面がややもすると等閑視されがちであった。企業数に対する組織率の高さが,中小企業等協同組合法の効果測定の基準のような観を呈していたことはたしかである。中小企業者は「団結」して組合をつくり組合員の数をふやすことが,一つの指導方針のようであった。組合員数の多い大組織は,「業界団結」のシンボルでもあった。組合をつくる,という手段が目的のようにとりちがえられがちであった。調整活動を行なう商工組合や,産地商標を主たる事業とする協同組合においては,同一業種の高い組織率が,事業効果をあげる重要な要件ではある。しかし,体質のちがった企業や規模格差の大きい企業を一本にまとめ,協同精神のヴェールを被せるだけでは事業活動は活発化しない。組織化即組合づくりが強調される反面,休眠組合が意外に多い原因がいづこにあったか,一考を要するところであった。企業間格差の拡大や系列化の浸透にともなう組織の分断作用は,協同組合の機能的な活動をむつかしくしていった。
 また
,組合の共同施設に対する政府あるいは地方自治体の助成基準が,組合員数の多寡,組合員利用率の大きさ等におかれることが多く,総ばな的な事業活動が,先行した組合組織の附属物として計画されることが少くなかった。
 中小企業基本法の制定を転機として
,開放体制下の高度成長経済に中小企業を適応させるために,牧歌的な協同主義や組合主義から脱皮し,競争力をかためるための大型化ないしは「適正規模化」が要求され,「協業化」とはこれを実現するための経営的・営業的活動の全分野における,機能に重点をおいた組織再編成の展開への呼びかけ,という程度に当時の実務家は理解し,一種の困惑さえ感じたのが事実である。
 「協業化」について
,かつて日本学術振興会・産業構造・中小企業・第118委員会で共同討議が行われ,その記録が商工組合中央金庫の「商工金融」第18巻第3(昭和4011)に掲載されている
 「商工金融」はその後各号にわたって専門家を動員して「協業化」の解明に寄与しているが,本号の記録には,磯部浩一・細野孝一両教授の提供された討議のための素材報告と,参加者全員の討議に際し発表された見解が収められている。 公式の概念規定もなく,いささか無責任と思われる打出し方のなされた「協業化」について,中小企業庁の意向を忖度しながら,その背景に関しては似通った見解が開陳されている。しかし,肝心の「協業化」そのものの概念については,議論が八方にわかれ,統一見解はつかみにくい内容である。
 磯部教授の要約によると
,1.「協業化問題の意識の背景」 2.「協業化の実態」 3.「協業化」の諸原因 4.「協業化の主体的要因」5.「協業化」の目的 6.「協業化」の意義 7.「協業化」の本質 8.「協業化」の問題に対する具体的提案」,の八項目に分かれて討議されたことになっている。この八項目のなかには「協業化」の概念規定がぬけているため,「協業化」そのものについては,「高度な共同事実」を意味すること以上には,必ずしも明らかにされていない。どの程度「高度」になれば協業というのか,はっきりりしていない。すでにのべた中小企業白書に使用された際にも,進行中のいくつかの事例を「協業化の働き」といっているところをみると,「高度化」の程度がはっきりしないのは当然かも知れない。
 なお
,細野教授による素材提供「中小企業の『協業化』私見」のなかには,「協業化の概念」という項目がある。「協業化はどこまでも協業のための組織を進めることだと考える。協業は前述した通り分業の対立的概念で,したがってこの中には集中的な意味も含まれている。こうした協業を進める所のものが協業化だから,協業化はいかに進んでも,すなわち,100%に進んだからとて合同になるものではない」とのべられている。「協業化はどこまでも協業のための組織を進める」ことになっており,「協業」は分業に対立する概念とされている。 しかしこれだけでは「分業に基づく協業」(資本論)もあるのだから,何のことだかさっぱりわからない。その他の意見も概念の中核が不明のまま,堂々巡りになっているようである。
 ただし
,官庁の製造による天下り用語を忠実に苦心して意味づけようとするのではなく,「協業化」という古典的な経済学上の用語を乱用するのは好ましくない,という意見(藤田敬三氏),「協業化」という言葉を使用せずに,「企業機能の企業間部分結合」といったことを示す他の用語の方が,誤解や混同をさけるために好ましい,とする意見(山中篤太郎氏)もあることは注目すべきであろう。
 
383940年頃の「協業化」は概念が不明確なまま,言葉だけが流布される状況であった。しかしいずれにせよ,さきにのべたように,日本経済全体の構造変化に伴って,適応性のにぶい中小企業誘導の施策として,「規模の拡大」がうちだされたのである。原材料革命・技術革新.需要構造の変化・労働力の逼迫・開放体制などが中小企業の分野にも大きい影響をおよぼし,中小企業の保護育成をはかる伝統的な考えに見切りをつけ,構造改善路線への適応をはかる発想が,「協業化」という言葉を中央が流布したきっかけであることは,間違いなさそうである。協同組合の一切の共同事業から合併に至るまで,凡そ「事業」の規模拡大につながる行動を,見さかいなく「近代化」あるいは「協業化」の動きとしてとらえた背景は,そのようなところであろう。
 昭和
43年のはじめに,全国中小企業団体中央会は,三部冊からなる「協同組合による協業化事例集」を出版している。これには,全国の各都道府県中小企業団体中央会から集められた,比較的順調な経過をたどっている130ばかりの「協業化事例」が集録されている。全国の協同組合数は3万数千といわれているから,ほんの一部の「模範事例」ではある。数多い協同組合の共同事業のなかから,「協業化事例」をえらぶにあたって,京都府中央会から提出された例をみると「協業化の概念は広義に解釈するか,あるいは構成員の事業の一部または全部を共同化し,構成員はその事業に全面的に依存するという,いわゆる狭義に解釈するかによって,おのずから組織の形態は異るが,ここでは広い意味での事業協同組合の協業化を中心として事例を集めた」ことをことわっている。京都府中央会の事例では,「狭い意味での」「全部協業」あるいは「一部協業」の事例は一つもなく,普通の協同事業のなかから「模範例」をえらんで提出したにすぎない。全国の都道府県の事例もこれと似かよったところが見受けられる。従来から行なわれている共同事業のなかから,比較的順調に進んでいる事例を,「協業化事例」としてあげただけのことである。構成員の事業の一部または全部を共同化し,構成員はその事業に全面的に依存する「狭義の協業化」の事例は,協同組合においては稀なケースである。「狭義の協業化」いいかえると厳密な意味での「協業化」をはかる協業化法人,協業組合の構想は,やがて論議されることになった。
 ところで
,さきにのべた日本学術振興会・産業構造・中小企業・第118委員会における共同討議のとりまとめのなかの,「協業化の実態」においても,「協業化の概念規定をするためには,協業化の実態が明らかにされなくてはならない。しかし協業化の実態を明らかにするためには,協業化とは何かということがある程度明らかになっている必要がある」といった堂々巡りのまま,中小企業庁のいう「協業化」とは,こういうことだろうとの「仮説的概念」を想定して,「協業化」は「主として事業協同組合について組合員事業の主要部分を完全合同した場合に,もっとも尖鋭的にあらわれているのではないか」というのが,当時における「学界」の一応の結論のようなものであった。
 
38年度の第一回中小企業白書において,初めてお目みえした「協業化」という言葉は,そのころを転機とする新しい動きを反映したものか,あるいは政府の構造改善政策の政策意図を表明したものか,「協業化の動き」という表現にもかかわらず,後者ではないかと思われる。というのは,白書に掲げられている協同組合の事業実施状況は,それ以前の状況と変ってはいない。助成対象団地は件数において38年の26件をピークとして下降し,42年には僅か2件におちている。企業合併は,資本金1000万円一5000万円の中小企業においては,系列支配進行の影響でやや増加しているが,それ以下の小企業では減少している。従って,当時においては,「協業化」の新造語を必然的にするような実態の動きは明瞭ではない。
 なお同報告は
,事業協同組合を機能の視点から次の三つの類型に分けている。
 
1)同業組合型組合。組合員の企業の維持・存続の面における共同化,教育・情報・調査の共同化,金融の共同化,求人・給食・宿舎の共同化。
 
2)企業合理化型組合。組合員の事業活動の一部を共同化して組合員の主要事業の補完的役割をになわせるもの,原材料の共同購入,共同受注,生産行程の一部の共同化,・製品の共同販売。
 
3)企業集中型組合。組合員の事業活動の主要部分の共同化を行なうもの,完全共同受注,完全共同販売,特に主要生産行程の全部を共同化するもの。
 これらを共同化の程度を基準とした場合
,同業組合型は組合員の事業活動の末端部分の一部共同化,企業合理化型は組合員の事業活動の一部共同化,企業集中型は組合員の事業活動の主要部分の全部共同化,となる。
 
38年度白書の「協業化の動き」には,これら三つの「類型」は団地や合併と共にすべてが包含されていた。そして報告は模索をくり返しながら,協同組合における「協業化問題」を「企業集中型組合」に発生していることを指摘している。しかし現実の姿は「企業集中型組合」の例が僅少であるところからみると,これは既に,当時「企業集中型組合」を推進しようとしていた中小企業庁の構造改善への政策意図に対応しているようにうけとれる。
 要するに
,中小企業においても大企業と同様,合併が進み「協業的」な新会社が設立されて規模の経済が貫徹するならば,政府の方針にとって問題はないはずであるが,大企業が資本と資本との合併集中化の性格をもつのと異り,家業的で一城一郭の主的意識のつよい中小企業においては,人と人との関係の調整がきわめて困難な場合が多く,ことは簡単には進まない。協同組合の組織形態をそのままにして「企業集中型」のものを伸ばそうとするのが,基本法公布以来のさし当りの方針のようではあった。しかし組織の形態が,一人一票の平等主義ないしは協同主義と,組合員企業の事業活動の補完的役割との(を)たてまえとする協同組合である限り,集中管理を求める「協業化」にはおのずから越え難い限界のあることは当然であろう。
 
42年に,協同組合とは性格の全くちがった協業組合の制度が設けられたのは,新しい試みと理解されるが,苦肉の策というほかはない。

        3

 協業組合が法的に制度化される前年の416,「中小企業政策審議会・組織小委員会」は「協業組合の創設について」の中間報告を行った。この報告は「協業」について次のような規定をするに至った。「複数の業者が中小企業の構造改善を目指して,共同出資を行なし,自己の経験・信用および事業自体を投入し,これを互いに有機的に結合させて,共同経験の下に,より高度の経済的効率を発揮せしめる共同行為を指し,その共同経営の対象となるべき事業に関して,各構成事業者はこれに全面的に依存し,共同事業体との競合的状態はこれを脱却するもの,すなわち,事業の共同化が高度に進んだ形態であるのが,協業である。」その後,商工中金編の「協業化事例集」によると,(1)複数の事業者が,自己の事業の全部,または,生産・加工・販売・購買などの事業の主要な一部,を投入し,一つの事業体として共同で経営することを指し,(2)共同経営の対象となる事業に関し各構成員がほぼ全面的に依存する状態にあるもの,ないしはそのような状態をめざしているもので,その事業活動が各構成員の事業にとって補完の域を脱する程度にまで達しているもの」と規定されている。この段階において,「協業」を合併とも区別し,しかも以前とちがって狭義に,限定的に解釈されることになった。従来「中小企業団体」には,事業協同組合,事業協同小組合,火災共済協同組合,信用協同組合,協同組合連合会,企業組合の6「中小企業等協同組合」のほかに,商工組合および商工組合連合会がその構成員にあげられているが,ここに至って,上記のように規定された「協業化」を行なうにもっともふさわしいモデル組織としての協業組合が,これに追加されることになったのは,自然のなりゆきともいえる。中小企業団体が「狭義の協業化」をもっとも効果的に進めるための組織は協業組合とされることになった。
 改正団体法は
,協業組合の目的として「協業組合は,その組合員の生産,販売その他の事業活動についての協業を図ることにより,企業規模の適正化による生産性の向上等を効率的に推進し,その共同の利益を増進することを目的とする」(5条の2)と述べているが,協業組合が従来の「協業化」の母体であった,制度としての協同組合と,決定的に異る点を拾い上げてみると,次の通りである。
 
1)組合員の4分の1までは大企業者でも参加できること。
 
2)組合員1人あたりの出資は総出資口数の2分の1未満まで可能なこと。
 
3)員外利用の制限がないこと。
 
4)加入・脱退に制限のあること。
 
5)原則として組合員は,組合の事業と競合する事業を行なうことが禁じられていること。
 
6)剰余金の配当は,出資配当のほか,定款で定めれば自由にでき,なお出資配当の限度に制限がないこと。
 
(京都府商工部,中央会,協業組合のしおり)
 以上の諸点は,協業組合が協同組合や商工組合と一緒に,「中小企業団体の組織に関する法律」のなかに位置づけられておりながら,全くそれらとは性格のちがったものであることを示している。
 さて
,協同組合は営利を目的としない法人であり,組合員の事業に対し直接的な助成を行なうための組織である。主体はあくまで組織を構成する個々の組合員の事業そのものであり,これを援助するための法人が協同組合なのである。組合の活動はそれによって組合員の経済的地位の向上に奉仕することになる。協同組合が「協業」を行なう場合でもその点には変りない。ところが協業組合の場合は,「規模の経済」を追求する組合の事業が主体で,組合員個々の経済活動は,組合の活動に従属することになっている。「一部協業」にせよ「全部協業」にせよ,協業組合方式によって個々の組合員が「共出同資(共同出資)を行ない,自己の経験・信用および事業自体を投入し,これを有機的に結合させて」競業が禁止された場合,「中小企業団体の組織に関する法律」の目的とは全くちがった性質のものとなる可能性がうまれる。 協業組合は協同組合とちがって,営利稼得の事業主体であり,組合員の事業が組合に吸収統合されると,組合員が脱退しても吸収された事業は組合員の手に復帰することはありえない。
 「協業化」を図って「企業規模の適正化による生産性の向上等を効率的に推進」することが協業組合の主目的であってみれば
,「その共同の利益を増進する」仕方は,中小企業者である組合員の事業を直接的に助成し,「相互扶助の精神に基き……その自主的な経済活動を促進し,且つ,その経済的地位の向上を図ることを目的とする」(協同組合法第1)協同組合とは,ちがってくるのは明白である。
 まず
,さきに掲げた協同組合との六つの主要な相違点のうち,(1)4分の1までの「中小企業以外の者」が参加できることは,中企業の上位または大企業を中核とする組織化を想定するものであり,中小企業の大企業への従属化や系列支配に途を開くものである。(2)の組合員1人あたりの出資を総出資口数の2分の1までとしたことは,一面では中小企業団体としての制限的規定の如くみえるが,2分の1の実勢は(1)の場合と関連して,大企業の系列支配を極端におしすすめることになりかねない。(3)の員外利用の無制限,(6)の出資配当の無制限は,同じ団体法のなかの協同組合にみられる協同精神とは全く無縁の,株式会社に似かよった純営利団体の性格を明らかにしている。「一部協業」の場合には,組合員事業の利益に反してでも営利行動を進めることがありえよう。4)の加入制限は,組合の総意によってきめられることになり,協同組合の場合とは全くちがっている。(5)の脱退の自由は認めないが法定の手続をへて持分を譲渡することにより組合から離脱することを可能にしたのは,株式会社の株式譲渡に通じるものがある。企業組合と異なり,協業組合において組合と組合員との関係が不明確なのも,協業組合方式による組合員の階層分化を促進することは,11票の原則を定款に明記しないかぎり必然となろう。
 政府の考える「構造改善」を進めることは
,上昇の可能性をもつ中企業の一部上位のものは別にして,成長力の弱い多数の中小零細企業に対して,「適正規模」への誘導を進める場合,合併か協業化かのいずれかを迫ることになる。しかし合併の件数はそれほど伸びてはいない。それも下請再編成にともない親企業の誘導によるもの,弱体企業の吸収合併が多く,一応の自立的経営を行なっている中小企業者が自発的に合併にふみ多きる例は多くはない。また,「協業化」にしても,協同組合による共同事業はある程度の成果を上げているが,「一部協業」にせよ「全部協業」にせよ,協業組合方式による「協業」は,外部の圧力によって強要されるか,業界全体が余程の危機的様相に見舞われない限り,人的要素の強い中小企業においては簡単には進行しない。これは冒頭に掲げた協業組合の数字が示す通りである。

      4

 さて,中小企業庁の流布した「協業」という言葉は,その後の経過からみて,多分に政策意図をおびたものであることが,明らかとなった。正確な概念規定はいまなお為されているとはいえないが,ことの経過のなかで推測が行われ,政府の企図するところに近い意味づけが試みられてきたことはすでに述べた通りである。「構造改善」が日程にのぼる段階においては,中小企業を主体性をもった中小企業として育てるのではなく,「規模の経済」が優先して,そのためには中小企業の解体再編をも促進しようとする意図が,協業組合の制度化のなかに含まれている。そうした政策意図とは無関係に「協業」あるいは「協業化」という言葉をつかうことには問題があり,「協業化」という言葉の乱用に反対する意見,また協業組合という組織の論理に疑問をいだく人達もあることは,さきにふれた通りである。
 ところで
,中小企業庁が「協業」を流布しはじめ,法律上の用語にまでしたきっかけが, 「古典的用語」からの思いつきに発するか否かは知るところではない。だが「協業」の「古典的」な意味とは一体どういうことなのか,一応調べておく必要はあろう。
 資本論第一巻第四篇「相対的剰余価値の生産」の箇所で
,相対的剰余価値を生産し増大するメカニズムとして,単純なる協業から「分業と工場手工業」,「機械装置と大工業」等,協業の本質と歴史的展開の諸形態が,詳細かつ明快にのべられている。内容の一部をひろってみよう。
 「同一の生産過程において
,または相異なっているか関連ある諸生産過程において,計画的に相並び,相協力して,労働する多数者の労働の形態を協業という。
 「協業によって展開された労働の社会的生産力が
,資本の生産力として現われるように,協業そのものは,分立した独立労働者,あるいは小親方の生産過程に対立する,資本主義的生産過程の一特殊形態として現われる。それは現実の労働過程が,資本に従属することによって受ける,最初の変化である。……ゆえに,一方では資本主義的生産様式が,労働過程への転化のための歴史的必然として現われるとすれば,他方では,労働過程のこの社会的形態は,労働過程をその生産力の増大によって,より有利に搾取せんがために,資本を用いる一方法として現われる」「単純な協業と同じく,工場制手工業においても,機能しつつある労働体は,資本の一存在形態である。多数の個別的部分労働者から組立てられた社会的生産機構は,資本家のものになっている。それゆえ,労働の結合から生ずる生産力は,資本の生産力として現われる。」
 「したがって
,資本家の指揮は,一面では生産物の生産のための社会的労働過程であり,他面では,資本の価値増殖過程であるという,指揮さるべき生産過程そのものの二重性のために,内容から見れば二重的であるとしても,形式から見れば専制的である」(向坂訳)
 上の引用からもわかるように,協業は単なる共同化や集団化,あるいは「こころをあわせ気をそろえて行なう業務」でないことははっきりしている。少くとも「古典的な用語」からはそのようにうかがえる。
 
38年度の第1回白書にもり込まれた「協業化の働き」のなかに,従来からの組織化・集団化などの共同事業的なものから「共同会社・合併等による協業化,新会社の設立による新部門の「協業化」までを含め,これらの「働き」の総合概念とも受けとれる,言葉としての発足は,根底には「古典的な用語」としての協業に通じるものがあったのかも知れない。「協業」概念が不明確で無内容にうけとられた39年頃から42年に協業組合が制度化されるにおよんで,政府の意図する「協業」の実体が,単に共同で仕事をするということではなく,資本の集中,資本主義的経営の高度化,資本による支配の推進であることがクローズ・アップされてくる。「規模の経済」は特に中小企業においては,資本の集中による支配従属,階層分化の論理をぬきにしては進行しない。
 協同組合は共同事業の運営によって個々の構成組合員の地位を向上することを目的とするが故にこれが助成は中小企業対策となりうるし
,また中小企業運動の組織母体ともなってきた。ところが協業組合は,自主的な独立性を保持した中小企業者としての組合員の資格を解体して,すべてをあるいは決定的な一部を会社企業に近似する協業組合の事業に投入して,統合された資本による単一の「専制的」な指揮権のもとに運営されなければ,「規模の経済」を効果的に進めるわけにはゆかないのである。
 さきにのべたように
,協業組合の組合員は,株主相互の関係に近似し,組合は出資金に対する配当の義務をもつが,組合員への奉仕への義務を負わない。「内部留保の外は剰余金の配当は定款に別段の定めのある場合のほか,出資口数に応じてしなければならない」(団体法5条の202)とされ,資本の支配権が無制限に認められている。協業組合は,組合員に対して競業を禁止し,組合員は組合の行なう事業と同種の事業主体ではありえないから,当然に組合員の経済活動に対する助成的機能を有するものではない。逆に,組合員の主体的な事業活動を停止することによって,専ら営利団体として機能し,配当の支給という形で組合員に「奉仕」するにすぎない。また,組合員と組合,従業員と組合との関係について明確な規定が存在しない。この点,企業組合とも全く異なっている。全部協業の場合は組合員の一切の事業活動は協業組合に吸収され,統合された資本の優位が支配するのはいうまでもないが,「一部協業」の場同(合)に利益をあげ配当するためには「協業」の性格は協同組合の「協業」とは全くちがうものとなる。配当を受ける「利益」と,組合員の「協業化」されず残存する事業への奉仕とは,相矛盾する関係にたつこともありうる。また組合と組合員との関係が,協同組合のように一人一票の原則がなく,明確でないから,組合員の階層分化は促進される。のみならず,階層分化を促進することによって,「規模の経済」の推進面における協同組合の限界を打破し,スクラップ・アンド・ビルドに道を開くことを必然化する。

       5

 「協業化」がゆきついた「協業化」のための中小企業モデル組織,協業組合の性格とねらいは,以上のように考えられる。 しかし,中小企業の体質と政策的な意図とはいまのところ合致しそうにはない。
 全国中央会調査部調べの「協業組合の現状」によると
,一組合当りの平均出資金は831万円で事業協同組合の375万円にくらべ,組合員数による組織規模とは逆に協業組合の出資総額は平均してたしかに多い。しかし,100方円~500万円の組合が半数近くを占めている。大企業の加入している組合の数は僅少である。また,決議権・選挙権に出資額による差等を設けないで,協同組合と同じように11票制をとっている組合が相当数存在することも注目される。以上の点からみると,協業組合は協同組合とちがって制度としては資本の無制限の支配に道を開いてはいるが,政府の政策意図に向って軌道にのった進行を始めているようにはみえない。競業を抛棄した程度の,協同組合的な域を脱しないものが多く,いまの段階では,協業組合の制度としての政策意図には中小企業者は抵抗を感じているのが実態のようである。
 全国中央会が
4512月に発刊した「協業組合経営事例集」は,アンケートをとりその結果を収録している。それによると,協業組合設立の効果として,設備の近代化,販路の拡大・売上増,生産性向上・コスト引下げ,労働力不足の解消,品質の向上・技術の向上,資金調達の円滑,過当競争の防止,経営管理の近代化,等をあげている。しかし組合運営上の問題点として,「効果」とはうらはらの次のようなマイナス要素をあげている。設備が過大化する,組合員の協調難,管理者の人材不足,機動的・弾力的経営の困難,資金不足,賃金の上昇,経営計画の実現灘,等。
 協業組合の「効果」は一応の事実にもとづく回答のほかに
,「効果」への期待も混入しているであろうが,組合運営上の問題としてあげられているデメリットは,深刻な事実を反映した回答であるにちがいない。最初から問題の発生することがわかっていれば,協業組合をつくるはずがないからである。
 「協業化」の効果は「規模の利益」の追求にあるとされているが
,中小企業における「適正規模」の決定は簡単ではない。この「理論」はいくつかの仮定のうえにえがかれた,全くの抽象論であって,企業の現実は,無数の互に交錯する要素によって多角的に規定されている。また,外部経済の不断の変化によって,「適正規模」は短期的にも流勅化はまぬがれない。ある時点における「適正規模化」に費す費用は,つかの間に動きのとれない負担となってはねかえってくる。ある特定の業種について,「適正規模」の基準を算出することは極めて困難である。中小企業者が容易に自己の決意と負担とにおいて「適正規模」に上昇しうるものならば,世の中に中小企業問題は存在しないはずである。もっとも,わが国では,中小企業を経済構造上のネガティブな面からのみ観察されるきらいがあった反動として,中小企業存立のポジッティブな面の説明根拠として,「適正規模論」が導入されたようではある。しかし,「適正規模論」がそのまま通用するならば,中小企業問題は存在しないことになる。例えば,中小企業の経営診断を行って,規模拡大の必要を説いても,中小企業者にとっては,意味をなさない。あえていうならば,「適正規模」でないのが中小企業であり,構造的に規定された数多くの「問題」が伏在するわけである。中小企業の問題を規模の開題にすりかえることは,適切ではない。
 このように
,具体的に算定しにくい「適正規模」に向って,協業方式によるレベル・アップを行っても,「協業」に伴うマイナス要因が「適正規模」の効果を相殺する場合が多い。また,「適正規模」が存在したとする場合,大企業が「適正規模企業」に投資して,その有利な条件を存分に利用するであろうし,下請中小企業が「適正規模化」したとしても「規模の利益」は親企業によって収奪される状態があらわれる。また,そのような目的で親企業が下請中小企業の合併や「協業化」を強要する例がみうけられる。なお,規模基準は工場等の経営単位で測るのか,さまざまな経営方式をとりうる企業の資本規模で測るのか,の問題もはっきりしない。業種ごとに異なる生産構造も規模基準の算定を困難にする。いわんや,「業協」方式ないしは協業組合方式で,「適正規模」にもってゆくことは,余程の外的圧力か,強力な誘導方策がない限り,極めて非現実的というほかはない。ただし,階層分化が進行して小零細企業が自主的な経営か(を)断念する場合に,規模の大きい企業が吸収合併するか,まれには協業組合方式によって自主的な営業を放棄することがありえよう。
 以上にのべたところからもわかるように
,「適正規模」化を目標とする「協業化」の推進は,協業組合方式にまで到達すると,中小企業対策としての域をこえたものとなる。それは,日本資本主義の「高度化」への適応策ではあろうが,中小企業自体の存立のためというよりも,資本の論理の優位を中小企業にもち込もうとするものであり,中小企業の解体に通じる結果となりかねない。構造改善政策の一環としての「協業化」には中小企業の多くが抵抗の姿勢を示しているのは当然であろう。
 以上は
,「協業化」の政策的意図に対して問題を提起したわけであるが,「協業化の動き」の内容にあげられている共同事業・集団化等,従前からの既存事実は,今後の中小企業対策として必要なことはいうまでもない。そして,これらの事業を進めていくうえに,昭和24年以来の協同組合の組織の姿が必ずしも適切とはいえないことは既にのべたとおりである。既存の組織の多くは,親睦団体的なもの,名目的な「事業」が多いわりに実効をあげていないもの,単なる連絡機関にとどまるもの等,組織の形態が実質的な経済事業を遂行するのに不適切なものが多く,中小企業の自己防衛に必ずしも充分には役だっていない面も見受けられた。今後の組織化は,官庁の誘導や形式にこだわらず,自主的に組織化の意欲をもつ中小企業が中心になることが必要である。事業企画が先行して,それにもっとも適した組織形態と組織規模が形成されてゆくことが望ましい。協同組合による「協業化」のネックとされている点は,企業の一元化ではなく二重経営的になること,人材不足,資金調達難等であるが,このようなネックの解消される条件が成立した場合にのみ,それに見合った組織方式によって「協業化」は進められよう。 しかし「協業化」の組織母体は依然として協同組合が圧倒的に多数を占めることに変りはなさそうである。その場合においても,従来のような金融と税制上の恩恵的施策にとどまらず,最も実質的な都市再開発・地域開発の一環としての集団化プランの必要性が増大してこよう。また,組織の目標がまず設定され,「協業化」の態様にマッチした組織が多様な形態と規模において生まれてくるものと思われる。(1971.2.10)
 本稿は
,経済局庶務課調査係の求めにより,龍谷大学「経済論集」第1112合併号に掲載された拙稿を加筆修正し,同大学経済・経営学会担当者の了解を得て提出したものである。何かのご参考になれば幸せである。                                                       −筆者−  

 

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