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ようこそ みのたけワールドへ!---- Kyoto Minotake Alpine Club

隊長のひとこと VOL.1VOICE


山を学び 山に学ぶ

 登山は人生そのものだと感じることがよくあります。山に登るためには多くのことを学ばねばなりません。登り方や下り方はもちろん、気象や天気図の書き方、山中での観天望気、風雪や雪崩、読図(地図読み)、地球の歴史や日本列島の成り立ち、地形や地質、樹木や高山植物、野生生物、危機管理とリスクヘッジ、病気と体調管理、リーダーシップとフォロワーシップ、料理…などなど。学ぶべきことはいっぱいあります。
 一方で、山から学ぶこと、山に教えられることが多々あります。私自身、登山を通して人生のさまざまな知恵や生き方を学んできました。苦しくつらい登高と己に打ち勝つ心、忍耐力。頂上に立った時の喜びと感動と解放感。下山するときの満ち足りた充実感と達成感。ふたたび里に戻る安堵感と早くも次の山行に向けた意欲とわくわくするような期待感。
 登山の魅力はなかなか語り尽くせません。
 新入会員への呼び掛けで、「初心者にも適切にアドバイスします」と書きました。しかし、私は基本的な指導やアドバイスは出来ますが、そこから先は会員自身が自らの経験を通して直接、「山から学ぶ」べきだと考えています。私の役目は、山という偉大で素晴らしい世界の入り口まで皆さんを案内するだけであって、あとはすべて、山が教えてくれると思っています。「山のことは山に聞け」です。
 会員の皆さんには、おおいに山に登り、偉大なる山の啓示を受けられることを願っています。

小泉武栄先生の「山の自然学」に共鳴!

 みのたけ山学会では、「知的登山を楽しもう」をコンセプトに「山の自然学」の探求を掲げています。実は「山の自然学」という言葉は、東京学芸大学教授の小泉武栄先生が提唱されているものです。私は先生のご著書「山の自然学」(岩波新書)を読んで、いたく心打たれました。その後、「日本の山はなぜ美しい」「百名山の自然学」「山の自然教室」「自然を読み解く山歩き」…などなど、先生のご著書をかたっぱしから読み、ますますフアンになりました。
 これまでは、どちらかというと頂上を目指すのが中心の山登りでした。もちろん、途中で好きな写真を撮ったり、美しい風景や動植物に心惹かれたり、感動することはいっぱいありましたが、さらに一歩踏み込んで「なぜ?」と科学する視点を持つまでには至りませんでした。
 還暦を過ぎたいま、ただ高みを目指すだけの登山ではなく、もっとゆったりとした気持ちで、山の素晴らしさを味わいたい、登山を楽しみたい、という思いが強くなりました。そんなときに出会ったのが、小泉先生のご著書です。
 先生の取り組みは、とかくこれまでは地学なら地学、植物なら植物、気象なら気象…と別々のジャンルで探求されてきた学問を、もっと相互の関連性に目を向け、トータルな視点から総体的にとらえ直そうというものです。
 そうすることで、私たちの山登りも、もっともっと実りのある楽しいものになるでしょう。
 会員の皆さんには、ぜひ、小泉先生の「山の自然学」を一読されることをお勧めします。

三十三間山で出会ったピッケル

 少し古い話になりますが…昨年11月、福井県の「三十三間山」に登りました。三十三間山は、その昔、京都の三十三間堂を建立するときに棟木を切り出したとのいわれのある山です。その日は天気も良く全山紅葉。眼下に三方五湖や若狭湾を眺めながら、頂上直下の気持ちの良い草原で寝転がっていると、高年の男性二人組が登って行かれました。その手に、長いウッドシャフトのピッケル。「はて、無雪期のこの山にどうしてピッケルが…」とは思いましたが、「杖がわりかな」と見送りました。
 その後、我々も頂上に立ち、少し下ってきたところで、先ほどの男性たちに出会いました。挨拶のあと、よく見ると懐かしいオールドスタイルのピッケル! 思わず「いいピッケルですね。ちょっと拝見させてもらっても…」と手にさせていただきました。「門田かな、山内かな」とつぶやいていると、その男性が「門田」ですと嬉しそうに話されました。ピックからブレードにかけての流れるような美しいカーブ、シャフトとの絶妙のバランス、まるで昔の刀鍛冶が一本一本鍛え上げた日本刀のような美しさがあります。
 札幌の「門田」も仙台の「山内」も、ずいぶん前に製造を止めてしまいましたから、今は登山用品店に並ぶのは外国製のピッケルが主流です。懐かしい日本製のウッドシャフトのピッケルなどはもう見かけなくなりました。
 帰宅後、懐かしくなって、自宅の押し入れにしまい込んだままになっていたピッケルを取り出してみました。私のもやはり「門田」です。門田が創業○○年を記念して限定製作したものです。ちなみに私のピッケルには「札幌 門田茂作 参百貮拾貮」と手彫りでナンバーが刻印されています。昔は「ピッケルは岳人の魂」などといったものですが、最近はどうなんでしょう。私も最近はもっぱらストック派です(笑い)

雪山讃歌のふるさと 嬬恋村

 先日、何気なくテレビのBSチャンネルを回していたら、突然、大好きな「♪雪よ岩よ我らが宿り…♪」の歌声が耳に飛び込んできました。御存じ、「雪山讃歌」の一節です。思わず画面にくぎ付けになり、そのまま最後まで見てしまいました。(TBSの「うたの細道」という番組でした)
 舞台は群馬県吾妻郡嬬恋村。浅間山を望むこの村こそ「雪山讃歌」誕生の地なのです。大正15年1月、京都帝国大学の山岳部が鹿沢温泉にスキー合宿に訪れ、悪天候のため宿に閉じ込められました。その時、退屈しのぎに「山岳部の歌」を作ろうということになり、それぞれが思い思いに上の句と下の句を出し合って歌詞が出来上がったそうです。メロディーは、外人教師から教えてもらって気に入っていたアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」がベースになりました。
 このときのメンバーこそ、のちに第一次南極越冬隊長となられた西堀栄三郎さん、京大カラコルム遠征隊長の四手井綱彦さん、アフガニスタン遠征隊長の酒戸弥二郎さん、東大スキー部OBでチャチャヌプリ遠征隊長の渡辺漸さんたちだったのです。歌詞を作るにあたっては「下品に堕さないように」との申し合わせをされたそうです。あの、気高く凛とした品格のある歌詞。今でも山を愛する人たちの間で歌いつがれています。
 私も、いつも下山途中に歌詞が心に浮かんできて、無意識にメロディーを口ずさんでいることがよくあります。「♪山よさよなら ご機嫌よろしゅ また来る時にも笑っておくれ…♪」
 ちなみに、スキー合宿の宿舎となった「紅葉館」は今も営業を続けておられます。私も機会があればぜひ一度訪れてみたいと思っています。
 

「下山」のすすめ

 「登山家」という言葉があります。エベレストやK2のサミッターで「あの人は有名な登山家だ」と聞くと何となくカッコがいい。憧れや尊敬の念まで抱きます。けれど「あの人は有名な下山家」だといわれても少しもピンときません。だいいち「下山家」なんて言葉は聞いたことがありません。「下山」はどこか負のイメージをともなうのでしょうか。でも、有名な「登山家」がいるのなら、有名な「下山家」がいてもいいのでは…。五木寛之さんのベストセラー「下山の思想」(幻冬舎新書)を読んでいて、ふとそんなことを考えました。もっとも、下山するためには登らねばならず、結局「登山家」ということになるのでしょうか(笑い)…しかし、力点の置き方が違う…。
 五木さんは「明治以来、近代化と成長を続けてきた我が国、そして世界はいまや登山ではなく下山の時代に入ったように思う」と書いておられます。いまだ経験したことのない未曾有の時代です。一国の隆盛と経済の成長、発展、成熟。人の一生や人生の変遷もまた…。五木さんは「登山」を比喩に、みごとに説明されています。
 「登山より下山が大事」、「下山は決してマイナス思考の対象ではない」、「むしろ下山の中にこそ価値があり、文化が育まれる」と…。たしかに登りと下りでは、山の見え方が違ってくるのは私たちもよく経験することです。ただひたすら、がむしゃらに頂上を目指していた時には気付かなかった別の風景が下りでは見えてきます。心の余裕も出来てきます。姿勢や視点が変わり、路傍の一木一草にも心が止まります。
 「山は登ったからには下りねばならない。登りっぱなしはあり得ない。下りてこそ、また次の新たな登山が始まる」。人生もまたしかりでしょう。「頂上を極めた後は、下山しなければならない。それが登山というものなのだ」と。
 下山は登山のおまけではありません。下山そのものの中に価値があります。私たちも、日本の国の行く末を思いつつ、次の新たな山への夢と希望を抱き、ゆっくりと安全かつ優雅に、奥深い味わいを楽しみながら、心豊かに坂道を下りましょう。

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