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ようこそ みのたけワールドへ!---- Kyoto Minotake Alpine Club

活動報告 VOL.1 (2024年 1月~3月)report 1

活動報告 VOL.2 (2024年 4月~6月)
活動報告 VOL.3(2024年 7月~9月)
活動報告 VOL.4(2024年 10月~12月)

新年初例会は 日本一の山城「高取山」へ(1月14日)

 2024年の初例会として、奈良の「高取山」(584m)に登ってきました。「日本三大山城」の一つ「高取城」で知られる歴史の山です。コースの前半は城下町の街並みと、高い「石垣」や多くの「櫓」「曲輪」「桝形」で山全体を鎧った「日本最強の山城」に通じる「大手道」を歩き、後半は浄瑠璃の「壺阪霊験記」で知られる古刹「壺阪寺」の「参道」を歩き、冬の山歩きと共に歴史と祈りの世界に想いを馳せた一日でした。初例会の恒例、五色の祈祷旗「タルチョ」を風にはためかせて、今年1年の登山の安全を祈願しました。
 新年初例会は、急な寒波や積雪の影響を受けにくい、低山歩きからスタートしようと、「日本一の山城」とうたわれる「高取城」のある「高取山」に登ることにしました。昨年の晩秋に登った丹波篠山「八上城」の「高城山」(462m)に続く、山城歩き第二弾となりました。
 参加したのは、冬の寒さにも負けない元気な会員7人です。前日夕からは京都市内でも雪がちらつき、強い冷え込みとなりましたが、この日は朝から移動性高気圧に覆われて、晴れの穏やかな天気となりました。
 午前9時過ぎ、近鉄電車の「壺阪山駅」に集合。元気な顔がそろいました。登山は、麓の「城下町」の街並みを楽しみながら歩き、高取川に沿って山へと向かいます。趣のある風情漂う家屋群は、高取藩2万5千石の城下町。道の両脇に防火用の小さな水の流れを有する石畳の道「土佐街道」は、本丸へと続く「大手道」になっていました。白い漆喰塗りの壁や窓の連子格子、土蔵や家紋入りの屋根瓦、下屋敷の門を移築した古い建物が並び、まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分にさせてくれました。
 「本丸」のある山の頂きまでは約2時間の道のりです。1時間ほど幅広の道を歩いた後、山に登る細い自然道に入ります。杉林の中、「七曲り」「一升坂」などの曲がりくねった階段状の急登が続きます。敵の攻め登りを難しくするための地形的な工夫で、「一升坂」の名は、築城の際、急坂の難所を巨大な石材を運び上げた人夫たちに、米一升を加増したことに由来するそうです。
 登山道に入ってから約40分で、「猿石」がある分岐点に到着。ここから上は、いよいよ城の核心部で、次々に遺構が現れます。山城では珍しい「水堀」や多くの「石垣」、防御陣地の「曲輪」や「櫓」「桝形」などが次々に登場します。途中の「国見櫓跡」は素晴らしい展望スポットで、「大和の国」が一望。眼下には「香具山」「畝傍山」「耳成山」の「大和三山」が望め、はるか彼方には、大阪や京都方面まで望むことができました。
 「本丸」に近づくにつれて、進む道は両側にそそり立つ高い「石垣」と、何度も屈曲する「桝形」に阻まれるようになり、「日本最強の山城」と言われる鉄壁の守りを実感しました。攻め登る兵の視線で歩いてみると、恐ろしくて足がすくみます。前後、左右に取り囲んだ石垣の上から、突然現れた兵たちに一斉に矢や鉄砲を射かけられれば、ひとたまりもありません。十字砲火で完全殲滅されます。
 「大手門跡」「二の丸跡」を経て、「本丸跡」がある584mの「高取山山頂」に着いたのは午前11時30分。山頂は明るく広い芝生の平坦地になっており、石垣の最上部に立つと、目の前に「金剛山」と「葛城山」がどっしりと聳えていました。山頂からの眺めは絶景でした。
 気持ちの良い城跡の広場で、ランチタイムにしました。朝のうちは寒かったものの、昼には気温が上がり、風もなくて雲一つない青空が広がっています。1月とは思えない、暖かくて穏やかな日和の中での昼食でした。
 再出発は12時過ぎ。後半は、山頂から南西に尾根を下って「五百羅漢」を経由し、名刹の「壺阪寺」方面を目指します。こちらは「祈りの道」です。けっこう急な山道を下りました。途中、道沿いのあちこちに巨岩や岩壁が点在し、それぞれに無数の「羅漢さん」が彫り込まれていました。「五百羅漢」は、壺阪寺の「奥の院」になっています。
 さらに15分ほどで、「壺阪寺」に着きました。西国三十三カ所霊場の第六番札所。山腹にいくつもの美しい堂宇が並び、巨大な観音像が眼を引きました。高さ20m。インド政府から交流のお返しに贈られたそうで、石像としては世界最大だそうです。
 さらに山を下ること50分で、再び元の「城下町」に戻りました。途中、浄瑠璃「壺阪霊験記」で知られる「お里、沢市」の二人の墓がある「信楽寺」がありました。
 晴天に恵まれ、歴史と文化、祈りの道の山歩きを満喫できた新年初例会。今年も最高のスタートを切ることが出来ました。みなさん、お疲れ様でした。

信仰の山・亀岡の「行者山」へ立春登山!(2月4日)

 立春の日の4日、2月例会の第一回として、亀岡市の「行者山」(430m)に登ってきました。寒波や急な積雪のリスクを避けた、初心者向けの身近な里山歩きです。亀岡盆地の西端に位置する「行者山」は、山中に石灯篭や鳥居、祠などが点在する地域信仰の山。「役行者」の石像などが祀られた山頂直下の苔むした巨岩群は大迫力で、神秘的な山岳信仰の「行場」の雰囲気を漂わせていました。
 参加したのは、京都のメンバー7人。「節分寒波」の南下で、前日までの天気予報では「近畿中部も大雪の恐れ」との予報が出され、実施判断を少し迷ったのですが、天気図の前線位置の微妙な距離感や等圧線の具合などから「夜間に雨もしくは雪になっても、明け方には止み、回復に向かう」と判断し、決行することにしました。
 集合はJRの「千代川駅」。午前10時という、いつもより遅めの集合時間設定が功を奏し、全員の元気な顔がそろう頃には、徐々に青空が広がり始めました。気温は低いものの、風はさほど強くなく、陽が射すと温もりすら感じられました。登行時間も距離も比較的短く、行動時間にゆったりとした余裕がとれる、近場の低山ならではのメリットが活きました。
 登山口は亀岡市上水道「湯井配水池」の貯水タンクがある地点。そこから山道に分け入ります。つづら折りの地味な登り坂が頂上まで伸びていて、登り、登り、の連続に汗がにじんできました。
 途中、石の灯篭や石仏を祀った石室、鳥居などがあり、登るほどに苔むした大きな岩があちらこちらにゴロゴロ点在するようになりました。歩き始めてから1時間ほど。山頂に近づいたころに、見上げるような迫力のある巨岩がいくつも重なる「行場」が登場。祠のある大岩の奥まで潜って見ると、観音像や不動明王像、役行者の像などが祀られていました。周囲には「行場」らしいどこか神秘的で厳かな空気感が漂っていました。
 「行者山」山頂に着いたのは午前11時30分ごろ。明るい自然林の木立の中に、「行者山」430.75mの二等三角点がありました。灌木に囲まれ、あまり展望は利きませんが、西の方向にひと際高い山が望めました。半国山(774m)あたりでしょうか。暖かな日差しもあり、平らな大きな岩の上で、ちょっと早めのランチタイムとしました。
 後半の出発は12時30分。西側にある尾根続きの「堂徳山」(440m)に向かい、そこから進路を南に転じて、弘法大師ゆかりの「千手寺」、石垣や山門跡などの遺構を残すかつての「瑞巌寺跡」、現在の「瑞巌寺」などを巡って、ゴールの薭田野町「奥条」のバス停に下ります。約1時間半の下り道です。
 「堂徳山」に向かう途中、北東に向かって小さな尾根が延び、その先に見晴らしの良い展望岩があるので立ち寄りました。大岩の上に立つと、眼下に亀岡盆地と桂川の流れが広がり、東の方角に牛松山~愛宕山~地蔵山へと続く山々。そのスケールの大きな景観に感動の声が上がりました。
 「千手寺」では、一直線に伸びる石段と立派な山門と仁王像、本堂を参拝。裏山の高台に登って、亀岡南部の展望を楽しみました。旧跡の「瑞巌寺跡」から「奥条」に下る下山路は、2018年の台風でなぎ倒された倒木や竹の林が行く手を塞ぎ、少々荒れていましたが、その上を跨いだり下を潜ったり…まるで障害物ラリーのようなワイルドさも楽しみながら、難なくこなして予定通りの時間に下山しました。
 今回は近場の低山で、時間的にもたっぷり余裕があったので、途中、地図とコンパスで「ベアリング」の練習をしたり、「山座同定」をしたり、それぞれが、思い思いに冬の里山歩きを満喫しました。

道なき道 朽木の奥山で雨中の「ルート探索訓練」(2月18日)

 2月例会の第二回として、滋賀県・朽木の「西山」(360m)で「ルート探索訓練」を行いました。道のない山域を舞台に、地図とコンパスを頼りに、隊長が指定した尾根や谷のルートラインを探りながら前進、踏破するのが目的です。今回は小雨が降る中、濃いガスに包まれて、難易度が一段とアップ。道がなく、雨で濡れて滑りやすくなった急な草付き斜面の「激登り」「激下り」を繰り返すなど、気合のこもった訓練となりました。
 挑んだのは、男性3人、女性4人の計7人。何れ劣らぬ猛者ぞろい。これまで多くの山行経験を重ねてきた「百戦錬磨」の勇士たちです。
 舞台に選んだ「西山」は、かつては里人の古道もあったらしいのですが、今ではすっかり道が途絶えています。ほとんど自然に回帰しつつあるワイルドな状態で、訓練にはもってこいです(笑い)。踏み跡程度の道が残っているのか?尾根や谷は荒れていないか?どこまで前進が可能なのか?所要時間は? 未知の要素をいろいろ含んだ上での、ぶっつけ本番のトライアルとなりました。
 スタート地点は、朽木の「野尻」地区。安曇川の流れが大きくS字型に蛇行する地点の南西部にあたります。この日は、移動性高気圧が日本列島の東に移動し、その後に暖かく湿った南東気流がどっと流れ込んだため、雨模様の天気に。午前9時過ぎに「野尻」のバス停に到着する少し前から細かい雨が降り出し、久しぶりに、最初からザックカバーや雨具をつけてのスタートとなりました。
 先ず最初に、北方にある標高303mの小ピークを目指しました。ほとんど道は無く、前方にやや明るい空が見通せる鞍部に向かって、荒れた谷を詰めて行きます。途中、散乱する白骨がいくつも目に飛び込んできました。いきなり、なんとも言えないワイルドな雰囲気です。足の骨や頭蓋骨、歯の付いたあごの骨などが、バラバラにあちこちに点在しています。角を見て、初めて鹿の遺骸であることを知りました。おそらく、熊か猪か、何かの獣に襲われて食べられた跡と思われます。また近くには、明らかに鹿とは異なる大きな獣の糞もありました。まだ新しい物です。クマ鈴を鳴らし、ホイッスルを吹いたり、手拍子を打ったり、声を上げるなど、緊張感が漂いました。
 谷筋を登ること約30分でコルに着きました。昔、「野尻坂」の峠があった地点です。スギ林の中、周囲は濃いガスに包まれていました。視界はわずか20m程度。左右に、小さなピークがあることは灰色の世界にぼんやり浮かぶ黒いシルエットで想像できますが、普段のようなマクロスケールやミクロスケールでのしっかりした地形読みは困難で、コンパスによる厳密な方位確認が欠かせません。晴れた日なら一目瞭然の地形が、濃い灰色のガスに包まれた霧雨の中では、はっきりと見えず、難易度がグッと上がります。
 コルからは、右手に見えるピークに向かって急斜面をよじ登りました。道はありません。雨で濡れた草付きの斜面は滑りやすく、転倒や滑落のリスクを伴います。雪山やザレ場のように、登山靴を地面に蹴り込み、靴底のエッジを効かせて横滑りを食い止めながら、バランスをとって登ります。木立に掴まりながら、ようやく這い上がるような急登になりました。
 ピークに上がると、頂上部に三角点が見つかりました。標高303.37m、点名「野尻」の4等三角点でした。
 頂上から30mほど東に斜面を下り、再び登り返すと小さなピークになっていて、山頂に鳥居と木造の小屋がありました。「金」の字の紋があり、「金毘羅神社」のお社でした。参拝を済ませた後、来た尾根のルートを逆に戻って、元のコルへ。次は反対の西側に聳える360mピークを目指します。こちらも確かな道はありません。急な草付きの斜面をよじ登ります。途中、傾斜がやや緩やかになって錯覚を起こしそうな「ヒドゥンピーク」がありましたが、そこからさらに20分ほど登り続けた先に目指す360mのピークがありました。途中、ズ-ッと霧雨のような状態が続いていましたが、ここにきて、雨足が強くなってきました。周囲は相変わらず灰色っぽい乳白色のガスのベールに包まれていて、先の見通しが利きません。
 360mピークからは、コンパスを頼りに、なだらかな細い尾根を北進。到達目標である「朽木西山」(360m)に向かいました。いったん30mほど下ったコルで、野尻地区から伸びてきた林道「野尻西山線」に最接近し、そこに「出曲輪」の遺構を示す標識がありました。
 実は「西山」は、戦国時代に近江源氏・佐々木氏の分家である朽木氏によって築かれた「西山城」があった山城の跡地になっています。里の「野尻」地区には、朽木氏の本城である「朽木城」があり、「西山城」はその背後を守る出城として、西の若狭街道(鯖街道)や東の朽木街道(琵琶湖方面)に睨みを利かせていたようです。
 西山の山頂直下には巨岩を背にした愛宕神社の祠があり、山頂部に上がると、多くの遺構が残されていました。「土塁」や「堀切」の跡があり、戦国の歴史を伝える由緒の立て札や「虎口」や「桝形」「曲輪」「主郭」「狼煙台」などの標識が立っていました。お城マニアならきっとワクワクすることでしょう。
 山頂での記念撮影を済ませたあと、愛宕神社近くで雨宿りをしながら昼食を取りました。雨は依然として止まず、雨脚も強まってきたため、訓練は「西山」までで終了とし、後半は「野尻西山林道」を下って「野尻」集落に下山することにしました。
 帰りのバス時刻まで余裕があったので、江戸時代末期の「朽木陣屋」の遺構に立ち寄りました。かつて朽木氏の本城「朽木城」があった場所で、江戸末期には広い敷地に、御殿や侍所、剣術道場、各種倉庫などが建ち並んでいたそうです。
 久々の雨中訓練となった今回の例会。普段なんともなく歩ける山道が、いったん雨やガスに包まれると様相が一変し、一気に難易度が上がることを実感した一日となりました。ガスの中での読図、読地の難しさ、雨に濡れた急斜面の登行の困難さ、レインウエアやフードをかぶった時の視野の狭さ、周囲の地形に対する観察眼や集中力の低下、体力の損耗、所要時間の増加…など、晴天下での登山では気がつかない、多くの学びと経験を積み重ねることが出来た充実の例会でした。

北摂・能勢の「妙見山」で春の里山ハイキング(3月3日)

 3月例会の第1回として、大阪・兵庫府県境の「妙見山」(660m)に登ってきました。春の息吹きを感じながら、クヌギやコナラの里山林を歩き、大阪湾や六甲山を遠望できる「上杉尾根」をピストンするハイキングです。山頂には日蓮宗の寺院「妙見宮」があり、大阪府の天然記念物に指定されている「ブナの原生林」にも出会うことが出来ました。
 参加したのは、兵庫、京都の会員8人です。午前9時15分、能勢電鉄の「妙見口駅」に集合しました。
 当初計画では、「初谷渓谷コース」を登り、「上杉尾根コース」を下る予定でしたが、前週の木~金曜日に低気圧通過で本格的な雨となり、土曜日には850hPaでマイナス6℃の寒気が南下、冬の寒さに逆戻りし北部や山間部では雪となりました。このため、渓谷コースは積雪や凍結の可能性があり、数か所ある沢の渡渉に支障が出るリスクを想定し、安全な尾根コースの「上杉尾根」をピストンすることに変更しました。
 この日は朝から青空が広がり、風も弱く穏やかな登山日和に。「妙見口駅」から見上げる周囲の山々は、本格的な芽吹きの季節を前に、どこか優しく穏やかな春めいた風情が漂っていました。地元である吉川地区~黒川地区一帯は「日本一の里山」と呼ばれ、のどかな山村の風景が広がっています。もともとは「コジイ」を優先種とする照葉樹の森であったようですが、その後、人々の生活と密着した薪炭やシイタケ栽培の原木として利用されるクヌギやコナラの広葉樹林が育成されたそうです。今もその両方の森が残されていて、野鳥や昆虫など多様な生物が生息する貴重な自然が残されています。
 登山開始は9時30分、上杉池に近い「上杉尾根登山口」から。いきなりの急登で始まり、つづら折りの急坂が続きました。しばらく登って尾根に乗ると、徐々に植生が変わり、スギやヒノキの針葉樹林からクヌギやコナラの広葉樹林に変化。さらに登り続けると、眼下の展望が開けてきました。登ること約1時間、いくつかの石塔や八丁茶屋跡を過ぎた所の「展望ベンチ」からは、南に大阪平野画一望でき、大阪湾の眺望と共に、南西方向には六甲山の山容も望むことが出来ました。
 尾根の途中にある「534mピーク」を過ぎたあたりから、コースはこれまでの東から北へと直角に進路を転じ、妙見山の山頂に向かって登っていきます。途中には、疎林に包まれた谷の源頭部や「台場クヌギ」の林があり、里山の森の美しさを満喫しました。山頂に近づくにつれて気温も少し下がり、登山道に白い霜柱が見られるようになりました。踏むとザクザクと音をたてて崩れます。
 午前11時20分、山頂の直下にある山上駐車場に到着。広い駐車場があり、ここから先は鳥居や茶店などが並ぶ「妙見宮」の境内地という感じです。先ずは山頂の「妙見宮」に参拝。続いて、南西斜面に広がる「ブナの原生林」を訪ねました。大阪府と川西市の天然記念物に指定されている貴重な森で、アカガシやヤブニッケイなどの落葉広葉樹と混生する形で、直径が1mほどもあるブナの巨木が何本も生えていました。おそらく樹齢は200年を超えているのではないかと思われます。一般的に、西南日本ではブナは標高1000m以上に生育すると言われますが、ここ妙見山では660mという低地で見ることが出来ます。大阪府内では、妙見山と和泉葛城山の2カ所にしかない貴重な樹林です。
 ブナ林を見た後、三角点で記念撮影。点名「妙見山」660.07mの4等三角点でした。ランチタイムは山頂の芝生の広場で。風も弱く、暖かな日差しが差し込んでくれました。
 下山開始は午後1時。登ってきた上杉尾根を下りました。同じルートであっても、下りと登りでは視点や視界が変わり、登りでは気付かなかった新たな発見や感動があるものです。午後の早い時間帯の中での尾根下り。周囲の自然をゆっくり味わいながら、午後2時半にスタート地点の「妙見口駅」に下山しました。

早春の「多紀連山」で、三嶽~西ケ嶽の岩稜縦走(3月31日)

 春まだ浅き兵庫県丹波篠山市の「多紀連山」で、「三嶽」(793m)~「西ケ嶽」(727m)の岩尾根縦走を楽しんできました。険しい岩のピークや、そそり立つ急峻な岩場のアップダウン、ロープ場などが連続するハードな縦走路。まさに、かつての丹波修験道のメッカらしい、厳しい修行の場の雰囲気が伝わってくる山歩きの一日となりました。
 参加したのは、大阪、滋賀、京都の会員7人。いずれも、本会の中核をなす、精鋭メンバーたちです。
 当初は、滋賀県・湖北の「大御影山」を予定していたのですが、寒波の影響などで開花が遅れ、まったく咲いていないことが分かり、急遽、5月に予定していた兵庫の「多紀連山」を繰り上げることにしました。
 目指したのは、「多紀連山」の主峰である「三嶽」と、その西側に連なる「西ケ嶽」へのピストン縦走です。東側に鋭く聳える「小金ケ嶽」を含めた一帯の山岳は、鎌倉時代から室町時代にかけて、この地に栄えた「丹波修験道」の中心地。今も三嶽の山頂部の東峰には、石積みの石室が残され、役行者の石像が安置されています。
 この日は、前日から全国的に気温がグングン上がり、各地で20℃超えの5月並みの陽気に。列島を覆う黄砂のせいで、山は全体に霞がかかったような景色に包まれていました。
 登山の起点は、「大たわ」の駐車場にある登山口です。京都から車で約2時間。午前10時過ぎに登山を開始しました。しばらくは雑木林の中の緩やかな尾根の登リが続きます。春の目覚めには少し早く、木々の枝にも緑の新芽はまだ出ていません。ヌルデやコナラの木、スズランのような小さな白い花をいっぱいつけたアセビ、淡いクリーム色の花のシキミ。そんな中で、赤いヤブツバキの花が印象的でした。途中、足元にひっそりと咲いたミヤマカタバミの花を発見! 落ち葉の下で春を待つかのように、小さな白い蕾を膨らませていました。
 しばらく進むと、目の前に急坂の丸太の階段が飛び込んできました。いよいよ急登の始まりです。標高差約100m。空に向かって一直線に伸びるような急な階段。息が切れ、汗がにじんできます。途中で立ち止まって背後を振り返ると、東方に岩峰鋭い「小金ケ嶽」がその美しい雄姿を見せてくれていました。登るにつれて、周囲に岩盤が増えてきます。この山が岩に鎧われた修行の山であることを実感しました。
 急坂を登りきるとやや緩やかになり、岩尾根をしばらく登ると三嶽頂上が近づいてきます。山頂はちょっとしたツインピークになっていて、手前の東峰には役行者像を祀った石室がありました。すぐ目の前が山頂です。
 頂上には大きな丸い方位盤。その脇に793.36mの三角点がありました。点名「御岳山(みたけさん)」の一等三角点です。展望が素晴らしく、遠くまで幾重にも重なり連なる丹波の山並みが見渡せました。
 記念撮影の後、西ケ嶽」に向けての岩稜縦走に突入です。すぐに、急な岩場の下降になりました。急角度で空に突きあげている三嶽山頂直下の急な西稜の岩場です。岩角や木の根に掴まりながら、バランスを崩さないよう慎重に下ります。場所によっては、垂直に近い角度の岩場もあり、「復路はこれを登り返すのか」と思うと、心が折れそうになります(笑い)
 目指す「西ケ嶽」は、霞の彼方に聳えており、そこに至る尾根の全容が見渡せます。「けっこう遠いな」という印象がしました。途中、大小のピークがいくつも連なり、その間には、深そうなコルもいくつが望めました。岩場が続く尾根のアップダウンは、けっこう体力を消耗します。
 それでも699mピーク、栗柄越分岐、最低鞍部の642mコル、690mピーク、661mコル…と制覇し、12時半ごろ「西ケ嶽」の山頂に到達しました。山頂は灌木に覆われていますが、岩の上に立つと遠くまで見晴らせました。東に「三嶽」、その奥には「小金ケ嶽」、「八ケ尾山」、「雨石連山」方面。はるかなる丹波の山並みです。
 小鳥のさえずりを聞きながら、山頂で昼食をとり、午後1時15分に再出発。こんどは、縦走してきたルートを逆にたどって「三嶽」を目指します。再び、険しい岩尾根のアップダウンが続きます。当然ながら、往路での急な下降は、キツイ登りに変わります。それでも、昼食でエネルギーチャージをしたせいか、全員、足取りも軽く快調に飛ばします。後半、「三嶽」の西斜面あたりで、前を行くメンバーが、岩場に咲くバイカオウレンの花を発見。歓声が上がりました。目を凝らすと、小さく可憐な白い花があちらこちらに咲いていました。
 「三嶽」山頂に戻ったのは、午後2時15分頃。後は、大たわの駐車場まで下るだけです。天気も良く、時間にも余裕があるので、ここでコーヒータイムを楽しむことにしました。緊張が続く岩稜の往復縦走を無事に成し遂げた達成感と安堵感。持ち寄った山盛りのオヤツとコーヒーの「乾杯」に、全員の笑みがこぼれました。

4月以降の報告は「VOL.2(4月~6月)」のページをご覧ください!


京都みのたけ山学会