水に映る
  双つの月

【6】

 


 平次は停泊している”プリンセスビーナ”号を見た。

 白い船体は、まさにプリンセスというのにふさわしい優雅で美しい姿だ。

「平次くん!」

 警備をしいている中、直接飛び込んでいくわけにもいかないので平次は先に携帯で有田に連絡をとっていた。

 有田はすぐに平次のもとへやってきた。

「まさか来てくれるやなんて思ってまへんでしたわ。用事はすんだんでっか?」

「ああ。どうも用がある相手は、この船に乗ってるようなんや」

「え?」

「探してもらわれへんやろか。どうしても会って聞きたいことああるんや」

「そりゃええですけど。でも、もうすぐ予告の時間がきますし」

「あ、そうやな。じゃ先に怪盗キッドを捕まえるか」

「平次くんが来てくれるんやったら心強いですわ」

「まかしとき。宝石は絶対に渡せへんから」

「頼もしいですわ、平次くん」

「じゃ、有田はん。万一のことがあったらアカンから、その人、前もって保護しとってくれへんか?」

「ええですよ。船ん中いるもんに言うときます。名前はなんというんです?」

「小宮や。小宮一男」

 

 

 

 船のラウンジにいた小宮は自分の腕時計で約束の時間を確かめると、席を立ってデッキへと上がっていった。

 ずっと会いたいと思い続けてきた相手に、ついに会うことができるのだ。

 45年生きてきて、こんなにも期待に胸をときめかせるのは初めてだった。

 彼にも甘い初恋や共に生きていきたいと思った女性はいた。

 だが彼女に対する気持ちはそれとは全く違う、夢や憧れの女性に抱く期待だった。

 彼女は小宮にとって永遠の聖少女なのだ。

 甘いときめきを感じながらデッキへ上がった小宮は、白いワンピースの少女の姿を認めた。

 手すりに両手をかけて海を眺めている少女の長い黒髪が緩やかに風になびている。

「レディブルー?」

 小宮が呼ぶと少女はゆっくりと振り向いた。 

 この夜、月は雲に隠れ少女の瞳が蒼く光ることはなかったが、まるで天使のようだと表現したくなるほどの美貌だけでも小宮の心を深くとらえた。

 整った白い顔。

 会うまでずっとあれこれ想像していた小宮だが、実際に目にした少女は想像以上に魅力的だった。

「小宮さんですね?」

 美少女は呆然と彼女に見入っている小宮に向けて微笑みかける。

「え、ええ・・そうです」

「レイジから、あなたのことはお聞きしていました。やっと会えましたわね」

 美少女は、まるで花が綻ぶようにニッコリと笑った。

「わ・・私も彼からあなたのことは聞いていました。でも、まさかあなたのような美しい女性とは思ってもみませんでしたよ」

「レイジは、わたしのことを何と言ってました?」

「内に真実を秘めた、魔物のように手強い相手だと」

 あら、と美少女は可愛らしく小首を傾げる。

「魔物なんてとんでもない!あなたは宗教画に描かれた天使のようです!」

 実際、目の前の少女は年齢的なものもあるのか性別不明のような不可思議な印象があった。

 まさしく性別のない天使のような。

「レイジから預かったものを渡して頂けますか?」

 美少女が言うと、小宮は迷いもなく持ってきていた小さな小箱を懐から出した。

 小箱を受け取った少女は、大事そうに両手でそれを包むときれいな瞳を小宮に向けた。

「中身を見ました?」

 いえ、と小宮は首を振る。

「箱だとはわかるんですが、開け方がわからなくて」

「ちょっと意地悪な仕掛けがあるんですよ」

 レイジが作ったものですから、と少女は面白そうにクスクスと声を上げて笑う。

 成る程、と小宮は納得した。

「で、いったい中身はなんなんです?」

「パズルですわ」

「パズル?」

 ええ、と少女は頷くと、突然甲板に姿を見せた数人の男たちに眉を寄せる。

「その女がミステリアスブルーか?」

「なんだ、君たちは!」

「おまえにはもう用はない。用があるのはその女だ」

 ごくろうだったな、と男が銃口を向けたその時、一枚のトランプが銃を持つ手を切り裂いた。

「何っ!」

「彼はレイジの大切な友人。そう簡単に殺してもらっては困るんですよ」

 えっ?

 小宮に庇われるように彼の後ろに立っていた美少女の手にはトランプ銃があった。

 しかも、可憐な美少女の口から出た声は、先ほどとは全く異なった、明らかに男の声だった。

「貴様ぁ!怪盗キッドか!」

 美少女はニィと笑うと、煙玉を甲板に叩きつけた。

 彼らの間に煙が立ちこめ、視界が全くきかなくなる。

 それと同時に船内は怪盗キッドの出現に騒然となった。

 怪盗キッドだぁぁ!

 え?え?と小宮は自分の腕を掴んで走る美少女を見、そして船内の騒ぎに戸惑った。

 この少女が怪盗キッドなら、今、船内で警察が追いかけているのはいったい誰なのだ?

「君は本当に怪盗キッドなのか?」

 小宮が目を瞬かせると、美少女はニコリと笑った。

「あなたは、ミステリアスブルーを手に入れるためのおとりとして奴等の監視がついていたんですよ」

「えっ!」

「でもご心配なく。この箱は間違いなくレディブルーの手に渡しますので」

「それじゃ、やっぱり君は・・・・」

 白の魔術師なのかと続けようとしたその時、突然彼の視界を横切るようにして吹っ飛んできた男の体が、手摺を乗り越え海に落ちていった。

 びっくりした彼の目に映ったのは、上品にフォーマルを着こなした若い男が数人の男たちを甲板に叩き伏せている光景だった。

 そして、キッドを追って甲板に出てきた警官が姿を見せると、美少女に化けた怪盗と金茶の髪の若い男は唖然としている小宮を残し姿を消した・

 

 

 

 

 

「絶対に逃がさへんでぇぇっ!」

 平次は船から飛び立つ白いハンググライダーを目で追った。

 警察はすぐさま夜空に白く浮かび上がるハンググライダーの後をパトカーで追うが、キッドはよくダミーを使って逃走することが多いので平次は前もって読んでいた逃走ルートへ向かう。

「よっしゃあ!読み通りや!」

 平次は怪盗キッドの白い姿を見つけニヤリと笑う。

 絶対に捕まえたる!

 キッドが逃げている方向を確かめた平次は、先回りするべく細い路地へと入った。

 どんだけ下調べしとっても、こういう裏道は地元の人間の方が有利なんや!

 待っとれえ!

 必ず化けの皮ひん剥いたる!

 平次は途中手ごろな角材を見つけると、それを右手に握り行き止まりになっていた壁を乗り越えキッドの前に飛び降りた。

「やっと追いついたで、キッド!」

 突然目の前に現れた平次の姿に、キッドは一瞬怯んだように後ずさった。

 倉庫が建ち並ぶこの区域は、週末であることもあって彼ら以外に人の姿はない。

 文字通り静まり返った場所で、怪盗キッドと西の名探偵服部平次が対峙する。

「このオレがいる限り、大阪で舐めた真似さらせへんでえ!」

 覚悟しいや、キッド!

「・・・・・・」

 キッドは角材を肩にのせている平次を無言で見詰めていた。

(なんや?前に会うた時と雰囲気ちゃうんとちゃうか)

 背格好は似ているが、あの時のキッドのように歯の浮くような台詞を口にするわけでもなく、どことなく自分に会って困ってるような気配まで感じ平次は眉間に皺を寄せる。

 ・・・・こいつ偽もんか?

 いや宝石を盗み出した手口は間違いなくキッドだ。

 ふと、止まっていた時間が動き出したように怪盗キッドが行動を起こす。

 向かってくるよりは、平次から逃げることを選択したらしい。

「野っ郎ぉぉっ!逃がすかぁぁぁっ!」

 平次は持っていた角材を振ってキッドの動きを止めようとしたが、ひらりとかわされてしまう。

 加減はしたものの、あっさりかわす身のこなしや反射神経は、やはり本物の怪盗キッドか。

 だが、なんとなく自分のマントが邪魔っけというように動く白い手を見てまた疑問が湧く。

(なんや・・・?)

「待たんかい!」

 平次は何度か左右に角材を振ってキッドを倉庫の壁に追い詰めた後、剣道の面打ちの要領でそれを頭上めがけて振り下ろした。

 ガッ!と振り下ろされた棒の先がキッドのシルクハットを弾き飛ばした後、壁に食い込んだ。

「・・・・・・・!」

 モノクルはまだつけてはいるものの、平次の眼前で素顔をさらしてしまったキッドはとっさに顔を背けるが既に遅く、平次の瞳は驚きに大きく見開かれた。

「おまえ・・・・」

 平次は、まさかという思いで自分が追い詰めたキッドの顔に手を伸ばす。

 と、いきなり強烈な蹴りが平次の向こう脛に飛び、あまりの痛さに平次は飛び上がった。

「痛ってえぇぇぇっ!」

 この野郎ぉぉぉ!何さらすんや!

 平次はすり抜けようとするキッドの肩を掴むと、壁に向けて突き飛ばした。

 激しく壁に背中をぶつけたキッドが低く呻く。

(あ、いかん・・!本気でやってもた!)

 もしキッドが”彼”なら乱暴すぎる。

 絶対に傷つけたくはない相手なのだ。

 衝撃でキッドのモノクルが飛んだが、そんなことよりも怪我をしなかったかという方が平次は気になった。

「大丈夫か?」 

 キッドは、さっきまでの勢いが嘘のようにオロオロしだした平次の方に視線を向けた。

 倉庫を照らす明かりが顔を隠す役目をしていたシルクハットとモノクルを失った怪盗キッドの顔をあらわにした。

「・・・・工藤」

 平次はキッドの衣装を身に着けた東の名探偵〈工藤新一〉を見つめた。 

 新一は困惑の色を浮かべる平次の眼差しをまっすぐ受け止めながら、壁に背をつけたまま地面に腰を落としていった。

「どういうことなんや?おまえ、工藤なんやろ?」

「怪盗キッドは変装の名人だぜ。化けてるとは思わねえの?」

 初めて口をきいたキッドに平次は眉をひそめた。

 間違いなく工藤新一の声だ。

「このオレが、おまえを見間違えるわえあらへんあろ」

 へえ、そう?とキッドは苦笑を浮かべた。

 それに・・と平次は続ける。

「あんな蹴りをくらわすのは、オレが知る限り工藤新一だけや」

 お前と会ってから何度もくらっとるからなあ。

「・・・・・・・」

 新一は瞳を伏せると俯いた。

「なんでや?なんで、おまえがキッドの格好なんかしとんねん!ホンマにおまえが宝石盗んだんかっ?」

 新一は黙っている。

「黙っとらんと訳を言えや!探偵のおまえが犯罪に走るわけあらへん!なんか、あんのやろ!」

「服部・・・オレはおまえが思ってるような人間じゃねえよ。おまえはオレに自分の理想を重ねて見てるだけなんだ。オレは清廉潔白な聖人でもねえし、お綺麗な人間でもなんでもねえんだよ」

 だから、なんや!と平次は言い返す。

「オレは、おまえんこと神様やなんて思とらへんわ!そないな奴やったら最初からつきおうとらへん!」

 けどな、と平次は言う。

「工藤。おまえは怪盗キッドを追ってとった筈や。それは自分が探偵やからやないんか?真実を知りたかったからやないんか!」

「・・・・・・・・」

 工藤!

「はい、そこまで」

 ふいに平次を止める声と共に、パン!と小気味よく手を打つ音が響いた。

 平次を驚かせたのは、突然聞こえた声が新一によく似ていたためだった。

 え?と瞳を瞬かせての方を振り向いた平次は、予想した通りの人物が立っているのを見てすぐに顔をしかめた。

「どういうことや、黒羽?」

「どういうことって」

 快斗は転がっていたキッドのシルクハットを拾うとニヤリと笑った。

 つまり、こういうことv

 快斗が持っていたシルクハットに手をいれたかと思うと、平次は夜の闇の中に純白のベール広がる錯覚を覚えた。

 だが、それが怪盗キッドのマントだと知るのに、そう時間はかからなかった。

 平次は、またも現れた顔等キッドに声を失う。

 どういうことなんや? 

 唖然とする平次を眺めながら、怪盗キッドは優雅に腰を折り一礼してみせた。

「それでは私めは後の始末をしてまいりますので、麗しの名探偵のことは西の名探偵殿におまかせ致します」

(・・・・まさか、こっちがホンマもんなんか??)

 キッドに変わった快斗はニッと笑うと、あらかじめロープを張っていたのか、フワッと倉庫の屋根に飛び上がり、あっと言うまに闇の中へと消えていった。

ちょー待てぇーッ!説明していかんかーい!

 後始末てなんなんやっ!

「・・・・・・・」

 消えたキッドに喚く平次の背後では、立ち上がった新一がスーツの埃を払っていた。

 ハッとして平次は新一の方に向き直る。

「ちょっと待てや、工藤!どこ行くんや!」

 さっさと踵を返し歩き出した新一を見て、平次は大慌てで呼び止める。

 わけもわからんまま行かせてなるかい!

「帰るんだよ」

「帰るって・・・どこへ?」

「東京に決まってんだろ。もうオレのやることはねえんだし」

 わかりきったことを聞くなというように、素っ気無く言い返された平次はすぐに言葉が出てこなかった。

 ちょっと・・・ちょっと待てやぁ・・・

 ホンマに聞かんならんのはこんなこととちゃうやろ!

「・・・・・・・・・」

 ・・・・アカン!混乱する!

 うぅぅぅ・・と平次は自分の額を押さえて呻く。

 そんな焦る平次を、新一は無言で見つめていた。

 尋問を受けても当然の状況にあるというのに、まるで立場が逆のような自分たちに新一は内心苦笑する。

「服部。今は何も話せねえからな」

「工藤!」

「おまえに会う筈じゃなかったんだよ」

 だから、当然話をする気もなかった。

「でも、それじゃ納得できねえよな」

当たり前や!

 わかった、と新一は肩をすくめる。

「東京へ来いよ。話せるようになったら連絡するから」

「そんなに待たれへんで!オレの頭はごちゃごちゃに混乱しまくっとんのやからな!きっちり理由を言うてもらわんと頭がわやになってしまうわ!」

「その前に、おまえも探偵なら少しは推理してみな」

 なっ・・・!

「工藤!本気で言うとんのかい!」

 あまりの言い草にさすがの平次もくわあぁと歯を剥くが、新一はというと涼しい顔でそれを受け流した。

 フフンと鼻で笑う新一の顔は、まるで悪戯を思いついた子供のようだった。

「ヒントをくれる奴は、まだこっちに残ってんだろ。攻略してみろよ、服部」 

 じゃあな、と新一はキッドの衣装のまま平次に背を向けた。

「おい工藤・・・、まさかと思うけど・・・・そんままで帰る気ぃか?」

 平次が問うと、新一は振り向きもせず、ばあかと言い返し闇の中に消えていった。

「・・・・・・・」 

 大阪人に”バカ”は禁句やで、工藤。

 平次は心底疲れたというように大きく息を吐き出すとその場にガックリとしゃがみこんだ。

「いったい、どないなっとんのや・・?」

 訳わからへんわ!

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