海遊館に入った平次は魚住の姿を探した。

 一応、魚住の写真は関が渡してくれたファイルの中にあったので顔はわかっている。

 さすがに週末ということもあって入館者は多かった。

 時間的に子供連れは少なくなっているが、結構カップルが目につく。

 丁度アメリカの豪華客船が来ていることも人が多い理由だろう。

 おまけに今夜キッドが現れると知れば、お祭り騒ぎになっていた筈である。

 今回は幸いにして予告状がマスコミに流れることがなかったせいで野次馬だけは避けられるようだった。

 (いつもやったら、大勢ギャラリーを集めるためにマスコミにも予告状を送ってる筈やのに・・・)

 警察も国際問題に発展する危険性があるからと、キッドのことは神経質なほど秘密にしていたようだ。

 警察に一番近い所にいる平次でさえ、有田から聞くまで全く知らなかったのだから。

 ホンマにキッドからの予告状なんやろか?と平次は疑問が湧く。

 確かにキッドが狙うには十分な価値があるビッグジュエルだが。

 平次が探していた男は、すぐに見つかった。

 男は吹き抜けの巨大な水槽の中を優雅に泳ぐジンベエザメをぼんやりと眺めていた。

 見ていて飽きないというのはこのことだろう。

 動物園もいいが、どっちかといえば平次は水族館の方が時間を忘れゆったりした気分になる。

「ホンマええよなあ。なんか気分が落ち着くわ」

「ボンもそう思うかあ。ええよなあ、魚たちは。特にわしはジンベエザメが大好きでなあ」

 魚住はそう言って平次に笑いかけた。

 50になったばかりということだが、髪が薄く痩せて皺が目立つせいか、もっと年に見える。

 孫を連れてニコニコ笑いながら魚を見ているのが似合いそうな中年男。

 実際、犯罪には全く無縁の男だ。

「あんた、魚住さんやろ?」

 平次が訊くと男は警戒するように表情を歪める。

「誰や?」

「オレは服部いうもんや。実は聞きたいことがあって、小宮さんをずっと探してたんや」

「小宮を?」

魚住は目を瞬かす。

「小宮に何を聞きたいんや?」

「三雲礼司って人のことを知りたいんや。今、行方不明になっとんのやけど」

「・・・・・・・・・!」

突然、魚住が平次に掴みかかった。

「なんや、おまえも宝石ねらっとんのか!」

 宝石?

「なんのことや?」

「とぼけんなや!おまえも三雲礼司が残したミステリアスブルーを狙う一人やろ!」

「ミステリアスブルー?」

 確か、怪盗キッドが謎を解く鍵になるものだと言っていたものだ。

「やっぱり宝石なんか、それ?」

 おまえ!と魚住は険しい顔で平次の首を絞めた。

「ちょー待てって!おっさん、なんか勘違いしてんで!オレは別に宝石を狙ってるんやない。あくまで三雲礼司の行方を知りたいだけや」

 ええ加減にせえって!と平次は男の手を振り払う。

「オレは礼子さんに頼まれたんや」

「礼子?」

「山根礼子!三雲礼司の双子の妹や!」

「双子の・・・」

魚住は目をパチクリさせながら息を整えている平次の顔を見つめた。

 ったく、このオッサン何勘違いしてんだか。

(・・いや、それだけヤバイっちゅうことなんか)

「わかってくれたんやったら場所変えよか」

 さすがに掴みかかるような騒ぎは人の注目を浴びる。

 もうちょっと長引けば警備員が飛んでくる所だった。

 平次と魚住は、ひとまず人の多い水槽から離れた。

「ここで小宮さんと待ち合わせとんのんか?」

「いや・・待ち合わせ場所は別んとこなんやが、時間があるんでここに寄っただけや」

 なんや、と平次はガッカリする。

「三雲礼司の双子の妹や言うたな。彼女は兄が生きてるて信じとんのか」

「そりゃ、たった一人の兄が死んでるとは思いたないやろ」

「なんで行方不明になったか、彼女はその理由を知っとんのか?」

「妙な男たちに狙われとったらしい言うのんは聞いてるで。多分、そいつらから身を隠しとるんやと思うが・・・

 気になるのは、さっきもあんたが言うとった“ミステリアスブルー”や。三雲礼司がかかわっとるなんかやろうけど、いったいなんなんや?」

「・・・・・・・・」

「怪盗キッドを知っとるか?あいつが言うとった。“ミステリアスブルー”は謎を解く切り札や、て。最初は宝石を狙てんのかと思とったんやが、だんだんそうやないと思えるようになってきた。あの時、あいつが言っとったのは純粋に謎解きやったんや」

「あの白い怪盗に会ったことがあるんか?」

 ああ、と平次は頷く。

「そういや思い出したわ。キッドを追うたことのある頭のええ高校生探偵がおるって。ボンのことかいな」

「そうや」

「どうりで、よお知っとる筈やな」

 魚住は平次の身元がハッキリしたせいか、少し警戒を解いたようだった。

「うちの娘があんたのファンでな。剣道の試合も見に行った言うてたわ」

「あれ?娘さん、おんのんか?」

 確か独り身やって資料に書いてあったのだが。

「結婚はしてへん。けど、当時つきおうてた女が生んだ子がおるんや。今、高校1年や。ええ子やで」

 そう父親の顔で笑う魚住を見て平次は目をしばたいた。

「いつか会うてやってくれへんかな。きっと喜ぶ」

 そりゃええけど・・・と平次が言ったその時、突然二人が立っていた壁に小さな穴が開いた。

 なっ!

 瞬時に事態を悟った平次は、険しい顔でまわりを見回す。

「おっさん!こっから出るで!」

 平次は魚住の腕を掴むと駆けだした。

 くそ!

 こないなとこで銃をぶっ放しよって!

 巻き添えが出ようとお構いなしなんか!

「ヤツらかっ!」 

 なんでわしを・・・と魚住にはわけがわからないようだった。

「一応事情を知っとるあんたは、ヤツらには邪魔なんとちゃうか」

「そんな・・・・」

「あいつら小宮を追っとんのやろ?だから、あんたに接触するのを待ってた筈や。けど、強硬手段をとったいうことは、ヤツら、小宮の居所を知ったんとちゃうか」

「・・・・・」

 出口へ向かう平次たちの前に黒い影が立ちはだかった。

 黒ずくめの男・・・

 黒いコートからちらりと見える銃口に平次は眉をしかめた。

 一般客が多い水槽の所まで戻るわけにはいかない。

 だが、人がいようと遠慮なく撃ってくる敵に突っ込んでいくのも危険だった。

 しかし下手に警備員に知らせるのも危ない。

 と、その時だった。

ライダーキーック!

 ふいに黒ずくめの男の背後に現れた少年が、跳び蹴りよろしく勢いをつけて男の背中にキックをかました。

 うわっ!とふいうちをくらった男がひっくり返る。

「平ちゃん、こっち!」

 黒羽?

「どうしたんだっ!」

 騒ぎを聞きつけた警備員がとんでくる。

「丁度ええ!警察を呼んでんか!」

 平次は目を白黒させている警備員の手に、男が落とした銃を押しつけた。

 快斗はというと、とどめとばかりにボカッと倒れた男の頭を蹴り飛ばす。

 そして3人は警備員に後をまかせ、従業員専用の扉から外へ出ていった。

 快斗にとっては、1秒たりともいたくはない場所であったから、そりゃもう必死で外へ飛び出していく。

 

 

 

「助かったで、黒羽。けど、なんでわかったんや?」

「いや、オレって勘がいいからさあ」

 実は透視能力もあったりするんだよね、と快斗は言って無邪気に笑う。

 だが、そんなことをあっさり信じるような平次では無論ない。

 おまえ・・・と平次は眉間に皺を寄せて快斗を睨んだ。

「もう一個盗聴器を仕掛けてたんやな!どおりで、あん時あっさり白状したわけや!」

「やだ、そんな怒んないでよ平ちゃん・・・これも新ちゃんの命令なんだからさ」

「工藤がオレに盗聴器仕掛けろ言うたんか!」

「だって、一人で動いたら危ないからって」

 現にヤバかったろ?

「・・・・・・・・・・・」

「服部はさあ、組織のこと甘く見過ぎてるぜ。

 あいつら証拠隠滅のためには平気でビル一個吹っ飛ばすような連中なんだからさ」

「工藤もおまえも、ずっとオレに隠れてそういう連中相手にしてきた言うわけか」

 快斗は答えない。

「まあええ。そのことは後でゆっくり聞かせてもらうことにするわ」

 平次はそう言うと、まだ息を切らせている魚住の方を向いた。

「魚住さん。小宮さんはどこにおるんや?」

「小宮は・・・今、港に停泊している“プリンセスビーナ”号にいる」

「あのアメリカの豪華客船か?」

「そうや」

「なんでそないなとこに?だいたい、ずっと身を隠していた小宮さんが、なんで急に出てきたんや?」

「ミステリアスブルーが現れたからや」

 え?

「小宮はミステリアスブルーに会いに行ったんや」

「会いにって・・・ミステリアスブルーは宝石やのうて、人なんか?」

 魚住は驚く平次に向けてコクンと頷く。

(ミステリアスブルーが人間やてえ?)

 それは予想もしていなかった事実だった。

 行方を追っていた小宮がアメリカの客船“プリンセスビーナ”号にいる。

 そして、謎を解く鍵になるとキッドが言っていた〈ミステリアスブルー〉も。

 だからキッドはあんな予告状を!

 警備が厳しければ、ヤツらもそう簡単には動けない筈だから。

 いや・・と平次は快斗を振り返る。

「場合によっては船を破壊するのも平気なヤツらか」

 そうだね、と快斗は肩をすくめる。

「おまえも工藤も、とっくに〈ミステリアスブルー〉のこと知っとったんやな」

 平次の問いに快斗はニヤニヤと笑うだけだった。

(こいつ〜〜)

 平次は顔をしかめるが、今は問いつめている時間はない。

「黒羽。この人のこと頼むで」

「オレがぁ?」

 快斗は不服そうに口を尖らせる。

「そうや!おまえは絶対に動くんやない!」

「だってオレ、キッドが見たいのに〜〜」

「ミーハーギャルみたいなこと言うなや!」

「キッド?まさか、ここへ来るんか?」

「ああ、そうや。府警に予告状を送ってきよったんや」

 それじゃ、やっぱり・・・と魚住は呟く。

「なんや?」

「小宮が言うとったんや。ミステリアスブルーを守る白の魔術師は怪盗キッドやないやろかって」

 白の魔術師?

 全く。

 平次の知らない謎ばかりが増えていくようだ。

 

  

 平次が行ってしまうと、快斗はフッと短く息を吐いた。

「おじさんさあ。ちょっと知りすぎてるね」

 振り返った少年の顔に魚住は、え?と目を見開く。

「まあ、小宮のおっさんも昔からの友人だってことで喋っちゃったんだろうけどさあ。けど、このことはもう誰にも話さない方がいいよ」

 今回は服部だからなんとかなるけどさ。

「ホントはあいつには教えたくなかったんだよ。知ったら絶対に自分から巻き込まれてくることはわかりきってたし」

 あいつも新一のためだったら命賭けちゃうとこあるもんな。

「ねえ、おじさん、娘さんいるんだって?だったら、巻き込みたくないよね?知ってていいことじゃないしさ」

 忘れちゃう?

「・・・・・・・・・」

 魚住は、笑みを浮かべながら自分の頭に右手を伸ばしてくる少年の白い顔を、魅入られたように凝視し続けた。

 

 

 平次は停泊している”プリンセスビーナ”号を見た。

 白い船体は、まさにプリンセスというのにふさわしい優雅で美しい姿だ。

「平次くん!」

 警備をしいている中、直接飛び込んでいくわけにもいかないので平次は先に携帯で有田に連絡をとっていた。

 有田はすぐに平次のもとへやってきた。

「まさか来てくれるやなんて思ってまへんでしたわ。用事はすんだんでっか?」

「ああ。どうも用がある相手は、この船に乗ってるようなんや」

「え?」

「探してもらわれへんやろか。どうしても会って聞きたいことああるんや」

「そりゃええですけど。でも、もうすぐ予告の時間がきますし」

「あ、そうやな。じゃ先に怪盗キッドを捕まえるか」

「平次くんが来てくれるんやったら心強いですわ」

「まかしとき。宝石は絶対に渡せへんから」

「頼もしいですわ、平次くん」

「じゃ、有田はん。万一のことがあったらアカンから、その人、前もって保護しとってくれへんか?」

「ええですよ。船ん中いるもんに言うときます。名前はなんというんです?」

「小宮や。小宮一男」

 

 

 

 船のラウンジにいた小宮は自分の腕時計で約束の時間を確かめると、席を立ってデッキへと上がっていった。

 ずっと会いたいと思い続けてきた相手に、ついに会うことができるのだ。

 45年生きてきて、こんなにも期待に胸をときめかせるのは初めてだった。

 彼にも甘い初恋や共に生きていきたいと思った女性はいた。

 だが彼女に対する気持ちはそれとは全く違う、夢や憧れの女性に抱く期待だった。

 彼女は小宮にとって永遠の聖少女なのだ。

 甘いときめきを感じながらデッキへ上がった小宮は、白いワンピースの少女の姿を認めた。

 手すりに両手をかけて海を眺めている少女の長い黒髪が緩やかに風になびている。

「レディブルー?」

 小宮が呼ぶと少女はゆっくりと振り向いた。 

 この夜、月は雲に隠れ少女の瞳が蒼く光ることはなかったが、まるで天使のようだと表現したくなるほどの美貌だけでも小宮の心を深くとらえた。

 整った白い顔。

 会うまでずっとあれこれ想像していた小宮だが、実際に目にした少女は想像以上に魅力的だった。

「小宮さんですね?」

 美少女は呆然と彼女に見入っている小宮に向けて微笑みかける。

「え、ええ・・そうです」

「レイジから、あなたのことはお聞きしていました。やっと会えましたわね」

 美少女は、まるで花が綻ぶようにニッコリと笑った。

「わ・・私も彼からあなたのことは聞いていました。でも、まさかあなたのような美しい女性とは思ってもみませんでしたよ」

「レイジは、わたしのことを何と言ってました?」

「内に真実を秘めた、魔物のように手強い相手だと」

 あら、と美少女は可愛らしく小首を傾げる。

「魔物なんてとんでもない!あなたは宗教画に描かれた天使のようです!」

 実際、目の前の少女は年齢的なものもあるのか性別不明のような不可思議な印象があった。

 まさしく性別のない天使のような。

「レイジから預かったものを渡して頂けますか?」

 美少女が言うと、小宮は迷いもなく持ってきていた小さな小箱を懐から出した。

 小箱を受け取った少女は、大事そうに両手でそれを包むときれいな瞳を小宮に向けた。

「中身を見ました?」

 いえ、と小宮は首を振る。

「箱だとはわかるんですが、開け方がわからなくて」

「ちょっと意地悪な仕掛けがあるんですよ」

 レイジが作ったものですから、と少女は面白そうにクスクスと声を上げて笑う。

 成る程、と小宮は納得した。

「で、いったい中身はなんなんです?」

「パズルですわ」

「パズル?」

 ええ、と少女は頷くと、突然甲板に姿を見せた数人の男たちに眉を寄せる。

「その女がミステリアスブルーか?」

「なんだ、君たちは!」

「おまえにはもう用はない。用があるのはその女だ」

 ごくろうだったな、と男が銃口を向けたその時、一枚のトランプが銃を持つ手を切り裂いた。

「何っ!」

「彼はレイジの大切な友人。そう簡単に殺してもらっては困るんですよ」

 えっ?

 小宮に庇われるように彼の後ろに立っていた美少女の手にはトランプ銃があった。

 しかも、可憐な美少女の口から出た声は、先ほどとは全く異なった、明らかに男の声だった。

「貴様ぁ!怪盗キッドか!」

 美少女はニィと笑うと、煙玉を甲板に叩きつけた。

 彼らの間に煙が立ちこめ、視界が全くきかなくなる。

 それと同時に船内は怪盗キッドの出現に騒然となった。

 怪盗キッドだぁぁ!

 え?え?と小宮は自分の腕を掴んで走る美少女を見、そして船内の騒ぎに戸惑った。

 この少女が怪盗キッドなら、今、船内で警察が追いかけているのはいったい誰なのだ?

「君は本当に怪盗キッドなのか?」

 小宮が目を瞬かせると、美少女はニコリと笑った。

「あなたは、ミステリアスブルーを手に入れるためのおとりとして奴等の監視がついていたんですよ」

「えっ!」

「でもご心配なく。この箱は間違いなくレディブルーの手に渡しますので」

「それじゃ、やっぱり君は・・・・」

 白の魔術師なのかと続けようとしたその時、突然彼の視界を横切るようにして吹っ飛んできた男の体が、手摺を乗り越え海に落ちていった。

 びっくりした彼の目に映ったのは、上品にフォーマルを着こなした若い男が数人の男たちを甲板に叩き伏せている光景だった。

 そして、キッドを追って甲板に出てきた警官が姿を見せると、美少女に化けた怪盗と金茶の髪の若い男は唖然としている小宮を残し姿を消した・

 

 

 

 

 

「絶対に逃がさへんでぇぇっ!」

 平次は船から飛び立つ白いハンググライダーを目で追った。

 警察はすぐさま夜空に白く浮かび上がるハンググライダーの後をパトカーで追うが、キッドはよくダミーを使って逃走することが多いので平次は前もって読んでいた逃走ルートへ向かう。

「よっしゃあ!読み通りや!」

 平次は怪盗キッドの白い姿を見つけニヤリと笑う。

 絶対に捕まえたる!

 キッドが逃げている方向を確かめた平次は、先回りするべく細い路地へと入った。

 どんだけ下調べしとっても、こういう裏道は地元の人間の方が有利なんや!

 待っとれえ!

 必ず化けの皮ひん剥いたる!

 平次は途中手ごろな角材を見つけると、それを右手に握り行き止まりになっていた壁を乗り越えキッドの前に飛び降りた。

「やっと追いついたで、キッド!」

 突然目の前に現れた平次の姿に、キッドは一瞬怯んだように後ずさった。

 倉庫が建ち並ぶこの区域は、週末であることもあって彼ら以外に人の姿はない。

 文字通り静まり返った場所で、怪盗キッドと西の名探偵服部平次が対峙する。

「このオレがいる限り、大阪で舐めた真似さらせへんでえ!」

 覚悟しいや、キッド!

「・・・・・・」

 キッドは角材を肩にのせている平次を無言で見詰めていた。

(なんや?前に会うた時と雰囲気ちゃうんとちゃうか)

 背格好は似ているが、あの時のキッドのように歯の浮くような台詞を口にするわけでもなく、どことなく自分に会って困ってるような気配まで感じ平次は眉間に皺を寄せる。

 ・・・・こいつ偽もんか?

 いや宝石を盗み出した手口は間違いなくキッドだ。

 ふと、止まっていた時間が動き出したように怪盗キッドが行動を起こす。

 向かってくるよりは、平次から逃げることを選択したらしい。

「野っ郎ぉぉっ!逃がすかぁぁぁっ!」

 平次は持っていた角材を振ってキッドの動きを止めようとしたが、ひらりとかわされてしまう。

 加減はしたものの、あっさりかわす身のこなしや反射神経は、やはり本物の怪盗キッドか。

 だが、なんとなく自分のマントが邪魔っけというように動く白い手を見てまた疑問が湧く。

(なんや・・・?)

「待たんかい!」

 平次は何度か左右に角材を振ってキッドを倉庫の壁に追い詰めた後、剣道の面打ちの要領でそれを頭上めがけて振り下ろした。

 ガッ!と振り下ろされた棒の先がキッドのシルクハットを弾き飛ばした後、壁に食い込んだ。

「・・・・・・・!」

 モノクルはまだつけてはいるものの、平次の眼前で素顔をさらしてしまったキッドはとっさに顔を背けるが既に遅く、平次の瞳は驚きに大きく見開かれた。

「おまえ・・・・」

 平次は、まさかという思いで自分が追い詰めたキッドの顔に手を伸ばす。

 と、いきなり強烈な蹴りが平次の向こう脛に飛び、あまりの痛さに平次は飛び上がった。

「痛ってえぇぇぇっ!」

 この野郎ぉぉぉ!何さらすんや!

 平次はすり抜けようとするキッドの肩を掴むと、壁に向けて突き飛ばした。

 激しく壁に背中をぶつけたキッドが低く呻く。

(あ、いかん・・!本気でやってもた!)

 もしキッドが”彼”なら乱暴すぎる。

 絶対に傷つけたくはない相手なのだ。

 衝撃でキッドのモノクルが飛んだが、そんなことよりも怪我をしなかったかという方が平次は気になった。

「大丈夫か?」 

 キッドは、さっきまでの勢いが嘘のようにオロオロしだした平次の方に視線を向けた。

 倉庫を照らす明かりが顔を隠す役目をしていたシルクハットとモノクルを失った怪盗キッドの顔をあらわにした。

「・・・・工藤」

 平次はキッドの衣装を身に着けた東の名探偵〈工藤新一〉を見つめた。 

 新一は困惑の色を浮かべる平次の眼差しをまっすぐ受け止めながら、壁に背をつけたまま地面に腰を落としていった。

「どういうことなんや?おまえ、工藤なんやろ?」

「怪盗キッドは変装の名人だぜ。化けてるとは思わねえの?」

 初めて口をきいたキッドに平次は眉をひそめた。

 間違いなく工藤新一の声だ。

「このオレが、おまえを見間違えるわえあらへんあろ」

 へえ、そう?とキッドは苦笑を浮かべた。

 それに・・と平次は続ける。

「あんな蹴りをくらわすのは、オレが知る限り工藤新一だけや」

 お前と会ってから何度もくらっとるからなあ。

「・・・・・・・」

 新一は瞳を伏せると俯いた。

「なんでや?なんで、おまえがキッドの格好なんかしとんねん!ホンマにおまえが宝石盗んだんかっ?」

 新一は黙っている。

「黙っとらんと訳を言えや!探偵のおまえが犯罪に走るわけあらへん!なんか、あんのやろ!」

「服部・・・オレはおまえが思ってるような人間じゃねえよ。おまえはオレに自分の理想を重ねて見てるだけなんだ。オレは清廉潔白な聖人でもねえし、お綺麗な人間でもなんでもねえんだよ」

 だから、なんや!と平次は言い返す。

「オレは、おまえんこと神様やなんて思とらへんわ!そないな奴やったら最初からつきおうとらへん!」

 けどな、と平次は言う。

「工藤。おまえは怪盗キッドを追ってとった筈や。それは自分が探偵やからやないんか?真実を知りたかったからやないんか!」

「・・・・・・・・」

 工藤!

「はい、そこまで」

 ふいに平次を止める声と共に、パン!と小気味よく手を打つ音が響いた。

 平次を驚かせたのは、突然聞こえた声が新一によく似ていたためだった。

 え?と瞳を瞬かせての方を振り向いた平次は、予想した通りの人物が立っているのを見てすぐに顔をしかめた。

「どういうことや、黒羽?」

「どういうことって」

 快斗は転がっていたキッドのシルクハットを拾うとニヤリと笑った。

 つまり、こういうことv

 快斗が持っていたシルクハットに手をいれたかと思うと、平次は夜の闇の中に純白のベール広がる錯覚を覚えた。

 だが、それが怪盗キッドのマントだと知るのに、そう時間はかからなかった。

 平次は、またも現れた顔等キッドに声を失う。

 どういうことなんや? 

 唖然とする平次を眺めながら、怪盗キッドは優雅に腰を折り一礼してみせた。

「それでは私めは後の始末をしてまいりますので、麗しの名探偵のことは西の名探偵殿におまかせ致します」

(・・・・まさか、こっちがホンマもんなんか??)

 キッドに変わった快斗はニッと笑うと、あらかじめロープを張っていたのか、フワッと倉庫の屋根に飛び上がり、あっと言うまに闇の中へと消えていった。

ちょー待てぇーッ!説明していかんかーい!

 後始末てなんなんやっ!

「・・・・・・・」

 消えたキッドに喚く平次の背後では、立ち上がった新一がスーツの埃を払っていた。

 ハッとして平次は新一の方に向き直る。

「ちょっと待てや、工藤!どこ行くんや!」

 さっさと踵を返し歩き出した新一を見て、平次は大慌てで呼び止める。

 わけもわからんまま行かせてなるかい!

「帰るんだよ」

「帰るって・・・どこへ?」

「東京に決まってんだろ。もうオレのやることはねえんだし」

 わかりきったことを聞くなというように、素っ気無く言い返された平次はすぐに言葉が出てこなかった。

 ちょっと・・・ちょっと待てやぁ・・・

 ホンマに聞かんならんのはこんなこととちゃうやろ!

「・・・・・・・・・」

 ・・・・アカン!混乱する!

 うぅぅぅ・・と平次は自分の額を押さえて呻く。

 そんな焦る平次を、新一は無言で見つめていた。

 尋問を受けても当然の状況にあるというのに、まるで立場が逆のような自分たちに新一は内心苦笑する。

「服部。今は何も話せねえからな」

「工藤!」

「おまえに会う筈じゃなかったんだよ」

 だから、当然話をする気もなかった。

「でも、それじゃ納得できねえよな」

当たり前や!

 わかった、と新一は肩をすくめる。

「東京へ来いよ。話せるようになったら連絡するから」

「そんなに待たれへんで!オレの頭はごちゃごちゃに混乱しまくっとんのやからな!きっちり理由を言うてもらわんと頭がわやになってしまうわ!」

「その前に、おまえも探偵なら少しは推理してみな」

 なっ・・・!

「工藤!本気で言うとんのかい!」

 あまりの言い草にさすがの平次もくわあぁと歯を剥くが、新一はというと涼しい顔でそれを受け流した。

 フフンと鼻で笑う新一の顔は、まるで悪戯を思いついた子供のようだった。

「ヒントをくれる奴は、まだこっちに残ってんだろ。攻略してみろよ、服部」 

 じゃあな、と新一はキッドの衣装のまま平次に背を向けた。

「おい工藤・・・、まさかと思うけど・・・・そんままで帰る気ぃか?」

 平次が問うと、新一は振り向きもせず、ばあかと言い返し闇の中に消えていった。

「・・・・・・・」 

 大阪人に”バカ”は禁句やで、工藤。

 平次は心底疲れたというように大きく息を吐き出すとその場にガックリとしゃがみこんだ。

「いったい、どないなっとんのや・・?」

 訳わからへんわ!

 

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