シアムの九天
 
ジム・トンプソンの家
 

  運河をゆく 
 
故郷喪失
 
  アユタヤの獅子 
 
随風舎

 
 
 アユタヤ紀行

 王室御座船博物館への細道
  photo 2010. 1. 3

  上の運河に、もはや小船も通らない。
  南西に延びる国鉄ローカル線近郊駅でも、
  運河の同様の情景が散見できる。
  タイ民族の「故郷喪失」である。
 
 
 
民主記念搭に近い大通りで、三輪タクシー「トゥクトゥク」を拾い、プラ・ピンクラオ橋を渡って、 チャオプラター川西岸の王宮御座船博物館に向かう。 バンコク・ノイ運河を越える橋のたもとに、「MUSEUM」の小さな標識。 それを頼りに細道をジグザグに、そして小さな運河に沿ってさらに進むと、 ようやく博物館に到着した。
 
色鮮やかに装飾された細長ボートの六艘が、舟入に展示されている。 数十人の漕ぎ手を要する二艘は、中央に玉座のある御座船。 他は護衛船だが、そのうちの二艘には船首に大砲が組み込まれている。 中国華南から南下したタイ民族の、 船の文化 の証なのであろう。博物館正面のバンコク・ノイ運河では、 隣接する民家の桟橋に小船が繋留されていた。
 
博物館の背後の細道を、プラ・ピンクラオ橋の船着場に向かう。 熱帯林が繁り放題の運河沿いに、静かな庶民的佇まいが続く。 ただ空地には放置されたゴミが目立つ。 『老子』の「轂」 を喚起させる大八車が数台、 自動車と並んで、屋根付き駐車場に置かれていた。
 
アユタヤ王朝滅亡後、タークシン王がチャオプラター川西岸のトンブリーに遷都。 その王の銅像の建つロータリー近くに、 南西の港町に向かうタイ国鉄始発駅、ウオンウィエン・ヤイ駅がある。 そのローカル線沿線の各駅前に、運河のある集落の痕跡が残る。 しかし郊外に向かうに従って、運河は埋め立てられ芥溜と化していた。