3  最後の審問廷

   2011年7月初旬、公調委の「審問廷」には7〜8名の職員がずらりと着席していました。この事件は「棄却に間違いない」と予測していたからなのか、何故か皆うつむき加減の固い表情でした。重い空気が漂う中、裁定委員長と裁定委員2名が入廷し着席しました。申請人側は当方夫婦と弁護士、被申請人側は弁護士のみが出廷しており、公調委としての「調停案に対する最終的判断」が示されることになっていました。

 裁定委員長から告げられた内容は、当方の「加害音源移設」の要求は退けられ「12ミリの石膏ボードを工場の壁に貼り付ける案が相当と判断した」ということでした。その案に受諾の意志を示さないのであれば、つまり、拒否すれば「調停不成立」となり、「責任裁定に入る」とのことでした。
     
 裁定委員長は、相手方弁護士に対し「この防音対策が有効であるという科学的根拠を示して欲しかったが、最後まで示されなかったのは残念だった」と言いました。また、当方には「本当は加害音源移設を希望していたようだが、工場側が出来ないという回答なので仕方がない。しかし、12ミリの石膏ボードでも全く効果がないわけではないでしょう」と続けました。そして「何か言うことはありますか?」と淡々とした口調で当方に向かって言いました。
 当方は夫婦それぞれ「加害音源の移設以外に問題の解決は出来ない」「今、最も繁忙期で、もの凄い稼働状況にあり、低周波音も一際きつく耐え難い日々を過ごしている」等を切々と訴えました。しかし、それに対する裁定委員長の返答は一切なく、当方の「何か答えてほしい」という期待には反し、裁定委員長は無表情のまま「これで終わります」と宣言しました。                     
 公調委の「最終判断」とは、「何でもよいから、相手がやってくれると言うことを、贅沢やわがままを言わずに受け入れなさい、ほんの僅かでも、やらないよりはマシでしょう」ということのようでした。公調委は科学的根拠を重要視しているとしますが、工場側がそれをしめさなくても大目に見たようです。そして根拠のない調停案を「相当と判断した」と当方に言い渡しました。このようなことなら、裁判形式で精神的負担の重い「責任裁定」を選ぶべきではありませんでした。これまでの大袈裟とも言える「裁判劇」は、全く無意味で無駄であったと思い知らされ、虚しさと同時に疲労感に襲われました。
                   
 この「調停案」を受諾するか否かの回答期限は8月初旬とのことでした。当方弁護士はこの調停案では受諾できないだろうから、当家に防音ガラスの取り付けを相手側に求めればどうか、相手方弁護士と交渉すると提案してきました。それで当方を納得させて(諦めさせて)調停成立として終止符を打ちたかったようです。防音ガラスが低周波音対策にならないことをこの弁護士は知らないのでしょうか、当然、当方は「交渉の必要はない」と断り、公調委には「調停案拒否」の意向を伝えました。それにより、「責任裁定」に移り、裁定結果である「裁定書」の送達は10月半ばと伝えられました。
                    
 最後まで申請を取り下げなかったのは、このような理不尽な事案が棄却されるはずがないと思ったからです。そして、解決にならなくても、たとえ「一万円の損害賠償」でも被害を認める裁定が出たのならば、その結果を持って裁判に移行するつもりでした。ところが「一万円の損害賠償」どころか「一円の損害賠償」でも決して認められることがないということを、この時点では予測していませんでした。
 
 2009年3月 工場操業
   11月 公調委申請
   12月 自治体測定
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2011年2月  和解勧告
2011年7月  調停案拒否 
  10月中旬 裁定書送達予定

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