『だし』きかせ職人描く
食欲の秋をいっそう深めそうな本が出版された。昆布だしのきいたうどん、甘辛く煮た昆布つくだ意、駅の売店に並ぶ酢のきいたおやつ昆布・・・。日本人の食文化を支える大阪の昆布業者や職人の生き様を聞き取った「昆布(こぶ)売りでござる」だ。
企画したのは、北区天神橋1丁目で昆布問屋を経営する段野治雄さん(57)と喜多條清光さん(48)。
商売人たちの自負をうかがわせるエピソードを交え、ほどよい“だし”をきかせた列伝になっている。
次の目標は昆布資料館の開設だという。「昆布の一大集散地の大阪に、資料館すらないのはあきまへん」と、二人は文献や資料集めに取り組み始めている。
大阪と昆布との深いかかわりは江戸時代から。北海道の海産物などを積んだ北前船で天下の台所、大坂に運ばれた。
現在、大阪では百四十社近い問屋や加工・小売業者を数え、全国の昆布流通量の六、七割が集まる。総務庁統計局の調べでは、大阪市民一世帯当たりが昨年、昆布と昆布つくだ煮に使った金額は年間四千七百六十七円で、都道府県庁所在地では富山市に次ぐ二番目の高さだ。
本に描かれているのは、明治以降の商売人や職人たち。刃物作りのまち、堺には、昆布の細工業者が多数集まる。専用の刃物で昆布を薄く削り「とろろ」や「おぼろ」を作り出す職人は「むきもの師」と呼ばれる。ある職人の熟練の技はこう称賛された。
「地べたへ放ったら、びたっとへばりついてはなれへん。表でそっと放すとそよ風にのって天人の羽衣のようにひらひらと舞いあがった」
満足のいくまで塩昆布作りに挑戦し、完成まで四年をかけた人もいる。
喜多條さんのエピソードもある。十一年前、良質なサハリン産の昆布輸入を夢見て、引き揚げ者の墓参団に交じって現地へ。旧ソ連国家保安委員会(KGB)職員に警戒されながらも、六年がかりで輸入を実現させた。
段野さんら若手経営者は四年前、文化や歴史、栄養などいろんな観点から昆布の魅力を検証しようと、「平成こんぶ塾」を設立し、勉強をはじめた。塾は三年余り続けて今年二月に終わったが、同時にそこで学んだ内容を集大成し、昔ながらの商売人の生き様を今のうちに聞き取っておこうと、本の出版を企画。取材は出版社社長の遠藤章弘さん(六三)が手がけ、三年がかりで.四十人以上にインタビューした。
段野さんと喜多條さんの二人が、次に構想するのは、昆布資料館の設立だ。多くの大阪の昆布業者は第二次世界大戦で被災し、多数の資料が失われたという。会社の代替わりに伴って、昔からの資料が破棄されることもあり、「今のうちに資料を収集しておかなければ」との危機感があるからだ。
二人は「文献や資料のほか、昆布が水中で漂っているところを間近に見ることができたり、加工を体験できたりする施設をつくりたい。昆布料理も味わえたらいい。昆布に関するものは何でもそろう資料館にしたい」と意気込む。

(株)天満 大阪昆布
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