サハリン産の昆布が加工昆布の特産地ナニワの業者たちの熱い視線を集めている。
かつて国産の一割を占め、上質のだし昆布として知られたが、戦争で入荷が途絶えて半世紀。
「北の海には今もおいしい昆布が眠っているはず」と大阪・天満の昆布業者喜多條清光さん(四〇)らは四年前から毎年サハリンに渡り、天然昆布の生育を確認した。六月には、大阪の昆布業者二十人を乗せた直行便が現地へ飛ぴ、輸入を目標に本格的な一調査にとりかかる。〜(井原圭子)
「これがその昆布。形も色ツヤも香りも最高級です」。喜多條さんは、四年前にサハリンの海岸でとれた
昆布をいまも大事にとっている。形は少々崩れてはいるが、手にとるとプーンとオホーツク海の潮の香りが
漂い、昆布と初めて出合ったときの興奮があらためてよみがえってくるようだ。
乾物問屋の町、天満のしにせの昆布屋に生まれ育った喜多條さんにとって、見たこともないサハリン昆布はあこがれだ
った。「サハリンはかつて有数の天然昆布の漁場だった。それが戦後五十年間も手つかずのまま。
国内ものの生産が頭打ちになり、しかも養殖昆布が増え、良質のだしのとれる天然ものの比率が下がってきている今、
サハリン昆布は大きな魅力」という。
昆布はアジ、タラ、ホタテなどとともに、国内産業保護のため輸入割当制の該当品目の一つ。
輸入の資格を持つのは北海道漁連だけで、輸入先は中国、韓国、朝鮮民主主義人民共和国一(北朝鮮)に限られている。
だが、おいしい昆布があるのならとにかく行ってみよう-そう思い立ったのが五年前のこと。
当時はサハリンに行くのもひと苦労。やっとのことで四年前、引き揚げ者の墓参団一行に加えてもらった。
もちろん"モグリ。だ。墓参団の一行とバスでサハリン最大の漁港、ネベリスク近くの海岸線を走っていたときだった。
海面を黒々と染める天然昆布と、それをゴムボートで採取する現地の漁民たちの姿が喜多條さんの目に飛び込んでき
た。バスを止め、夢中で海岸まで走った。昆布を二本だけこっそりもらい、その場で干した。まぎれもない、上質の
昆布だった。
翌年も、その翌年も喜多多條さんはサハリンヘ渡り、北緯五〇度以南は「昆布だらけ」といってよいほど豊富な漁場で
あることを確認。現地の漁民らとも親しくなった。採取量も戦前の二十分の一の三百トンだけ。埋もれた資源だった。
今年一月に大阪の業者二十七社が「ソ連昆布を考える会』をつくり、先月『サハリン昆布輸入促進協議会」を発足させた。
その最初の事業として、サハリンツアーが企画された。ツアーは七日間、名古屋からサハリン州都ユジノサハリンスクヘ
の直行便で、コルサコフ、ホルムスクなど、漁村をめぐり、昆布の生成状況視察とサンプル採収、海辺の環境視察、
現地コルホーズとの交流といったプログム。この結果を夏に報告し、政府、関係団体に輸入を求めていく材料に、と期待して
いる。
こうした動きの一方、輸入に警戒感を強めているのが、国内産のの九割を生産している北海道の漁業関係者ら。
道漁連は「昆布は沿岸の漁民にとってコメみたいなもの。安価で良質な昆布が大量に入っで来ると太刀打ちできない」
と心配する。また道漁連は現在、歯舞諸島の貝殻島でソ連に入漁料を払って昆布漁をしているが、サハリンから輸入
を始めると、貝殻島の昆布も買ってくれと言われかねない、との声も。
農水省は「生産、流通のバランスにに立って決めることで、生産者側に懸念がある以上、輸入には慎重にならざるを得
ない。」
喜多條さんは、サハリン昆布と出会ってかえらあごひげを伸ばしている。
輸入実現の日までそらないつもりだ。「昔ながらの味を子孫に残したい。これを日本の食卓にのせることが
僕のライフリークと決めてます」
朝日新聞 1991年5月21日
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