浪花文化を舌で支える
家は元々「北条」という名の武士の家だったが、戦に敗れて敵に追い詰められ、とっさに「喜多條」として言い逃れたとか。それで姓が「喜多條」。「うちは由緒正しきひきょうもんの家系なんです」
「ちょっと変な消火器売りが『消防署の方から来ました』って言うでしょ。あれ考え出したの僕なんですわ」。いまは北区内で立派に昆布業を営む喜多條さんも若気のいたりでそんな商売をやっていた時代があったらしい。
お兄さんの忠さんは、あのフォークの名曲「神田川」で知られる作詞家。「あれだって一歩間違えば『大川』だったかも。まあ『大川』じゃ、売れへんかったでしょうけど」
そう言えば、神田川の歌詩に「若かったあの頃何も怖くなかった」ってあるけど、まさにそんな人生。
19歳で東京に出て、お兄さんのつてで写真パネルを喫茶店などに貸し出す会社に勤めたが、3ヵ月で会社は倒産。それから消火器売りを始め、月100万円を稼いだ。大学卒の初任給が3〜4万円のころ、だれもがせっけんカタカタ鳴らして銭湯に行くような時代である。銀座で遊び回ったが、半年たって「未成年でこんな大金持ってたら、人生狂っしまう」と思い、大阪・天満に戻って父親が始めた昆布業を継いだ。大阪は北前船の発達で江戸時代から国内最大の昆布の集散地だった。
この人の昆布に対する思いには相当なものがある。昆布の良さを見つめ直そうと、昆布業者らを集めて「平成こんぶ塾」を企画したり、おいしい昆布を手に入れたい一心でサハリンヘの墓参団に紛れて船に乗り込み、昆布を持ち帰ってみたり……。
今は昆布文化資料館の設立を夢見ている。浪花の文化をシタ(舌)から支える男なのだ。
「昆布を違う角度から考えたい」とフランス料理学校にも8年間通った(生徒に若い女性が多いとか、別の理由がある気がするけど……)。
まじめな話、スイスに昆布を使ったフランス料理の店があるらしい。ブルターニュ地方はいい昆布がとれるとか。
「えっ、あのワインで有名なブルターニュで?」「それはブルゴーニュ」
いや、さすがナイスなつっこみ。こんぶ塾の活動を通じて知り合った旭堂小南陵さんに弟子入りしているだけある。名は天神堂梅光。大阪を舞台にしたNHKの朝のドラマ「やんちゃくれ」で小南陵さんが演じた天神堂梅林にちなんだという。講談を始めたのも多くの人に昆布の良さを伝えるため。いま、昆布を題材にした新作講談に挑んでいる。4月には2作目の「おぼろの便り」という「自分でやってても涙なしにはできん」ほどの人情もんを披露する。
また、小南陵さんらと昨年の大相撲春場所に先立ち「アルゼンチン力士を励ます会」を結成した。「わかった、アルゼンチンでも昆布がとれるんでしょ」「……」
本当は、星誕期(ほしたんご)と星安出寿(ほしあんです)のアルゼンチン出身の両力士がいろいろあって、カップラーメンを毎日すすり、長野五輪でも夏のはかま姿で寒さに震えながらアルゼンチンの旗手を務めたほど困っていたのを知り、立ち上がった。いわゆるタニマチとは違うが、さすがタニマチを生んだ大阪だけある。そんな声援を受け、星誕期関も十両力士に。
実はアルゼンチンがこの人の人生に大きくかかわっていると言えなくもない。高校時代に学生運動に加わって「日本にいづらくなって」渡米。その時の船が「あるぜんちな丸」という移民船だった。英語も出来ないのに、でたらめ英語で約1年、全米を放浪した。その経験から学んだのが「ものごと、ちょっと視点を変えて見ることが大事」ということ。けったいに生きる秘けつらしい。
自分の視点で「おもろい」と思ったことをやる。こんな人がいるから、浪花の文化が育まれた。そんな気がする人なのである。
(株)天満 大阪昆布
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