業界のため上質のもの必要
昆布の一大集積地、大阪でサハリン(旧樺太)産昆布の輸入機運が高まっている。サハリンは戦前まで全国の10%を占める昆布を生産、上質のだし昆布のとれる陸地として知られていた。しかし、国内の漁民保護などを目的に、戦後、輸入禁止措置がとられてから、すでに半世紀。国内産の天然昆布の生産が細る中で、上質の輸入昆布を求める声が強まっている。今年を“サハリン昆布元年”と位置付け、その実現に情熱を傾ける男たちを追った。
サハリン昆布の輸入に最も情熱的といわれる一人の男が大阪・北区にいる。中堅問屋、天満大阪昆布社長の喜多条清光さん(40)がその人だ。
喜多條さんがはじめてサハリンに渡ったのは、三年前の八八年夏。縁故を頼って青森県の墓参団の一行に加えてもらった。もちろんもぐりの墓参団員としてだ。一行を運ぶバスにはソ連のKGBの職員が乗り込んでいる。「スパイ容疑でいつ捕まるかもしれない。ホテルに戻っても呼び出しがあるのではないか」と滞在中は不安の毎日だったという。
それでも、はじめて昆布をトラックに積んでいる光景が目に入った時は、必死に頼み込んでバスを止め、トラックに駆け寄った。「このチャンスを逃すとあとがないと思った。その時は不安は全くなかったが、昆布を手にした感動で体の震えが止まらなかった」と当時を振り返る。手にした昆布はたった三枚。しかし「香りも色つやも形も最高級品」で、十分満足の出来るものだった。
なぜ、サハリン昆布にそこまで執着するのだろう。「年々、上質の昆布の入手が難しくなっている。これが国内消費を鈍らせ、いずれは昆布業界の衰退を招く」との危ぐによるものだ。国内生産は年聞三万トン前後でほぼ安定している。しかし、上質の天然ものの生産は減少している。一定の輸入枠はあるものの、輸入の対象は中国、韓国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の三地区に限定。その枠はすべて北海道漁連が持っている。上質のソ連産の輸入は「国内席の市況を圧迫する」という道漁連の反対で、対象から外されている。
サハリン昆布が日本の食卓から姿を消して、半世紀が過ぎる。この間、情報も皆無に等しく、サハリン昆布はいつしか“幻の昆布”と業界で呼ばれるようになった。喜多条さんの地道な努力の積み重ねで上質の昆布がサハリンに存在することがはっきりし、輸入実現に向けた動きが今年にわかに活発化した。
一月には大阪の業者二十七社が「ソ連産昆布を考える会」をつくり、四月には全国組織の「サハリン昆布輸入促進協議会」が発足。六月には同協議会がサハリンに昆布調査団を送り込んだ。
調査団長の池上勇さん(53)は嘉永元年(一八四八年)創業の老舗、小倉屋(大阪・中央区)の七代目で、協議会副会長。サハリンに出掛けたのは初めてだった。「採集した場所によって品質は異なったが、オジョルスキーで採った昆布は国内産の高級品に匹敵するものだった」。手は感動で震え「是が非でもサハリン昆布の輸入を実現したいと調査団の参加者全員が思った」という。
大阪・東成区の塩昆布などの加工メー力―、丸大産業取締役の平岩大典さん(47)もサハリン入りは初めて。「中元用の準備で忙しかった時期だけに会社には迷惑をかけた。しかし自分の目で見られたことの喜びは大きい」と言葉に力が入る。平岩さんは喜多条さんから、サハリンの海に潜ってもらいたいという要請を受けた。スキューバダイビングの経験のない平岩さんは、未経険の喜多条さんも学校で習うという話を聞き、快く引き受けた。仕事の合間をみつけてのダイビング教室の特訓はきつかったが「オジョルスキーで潜った時は感激した」という。岩盤がみえないほど昆布がびっしりと生えていた。しかも、良品ぞろいだったからだ。
帰国してから買い求めたサハリンの海図を前に平岩さんは、「今回行けなかったところにも有望な産地がある」と夢を大きく膨らませている。
協議会のメンバーは現在百四十五社と発足当時より二十社増え、年内に二百社に達するとみられる。
(株)天満 大阪昆布
〒530-0041 大阪市北区天神橋 1-13-8

0120-141-528
FAX: 06-6356-0259