essay


2006年04月〜06月

2006年04月〜06月

<発見>
僕の信頼しているRAGのスタッフの中の二人です。
なかなか泣かせるコメントです。
本当に彼らの為にもがんばろう!と思わせてくれるんですよね、、。

http://www.onozomi.com/ongaku/topic7.html

http://www.onozomi.com/ongaku/topic8.html

(2006.05/23)

<Okamoto Island>
 今度、6月7日、7月19日。Okamoto Islandにこれを読んだ 人、絶対来てください。
5月19日のOkamoto Island、六甲ライブに、岡本は満足してま す。

 やっと、ここまで来れた気がします。メンバーとも、幾度となくミー ティングしたし
曲も作った。あれこれ推敲を重ねて、要らない部分を削ったり、、。
自分の表現力に、がっかりしたこともあったし。
 
 そういうことは、今も続いているのだけど、自分の中の第六感が、
「ウィーン」と音を出して、廻り始める瞬間を感じる事があるのです。
たぶん、すごく一生懸命自分を追い求めていると、結局、1カ所にたど り着くようです。
そのたどり着く先を見たい。

 最近、再び、「Jawango 」を聴いて、来てくれたお客さんが、
気に入ってくれて、「岡本さんって、誰に影響されたのですか。
あんまり誰にも似てないんですけど」と言われた。
すごく嬉しかった。

 僕は、間違いなくジャズギタリストなんだ。と、感じるのです。
しかし、スタンダードを演奏するのは、もう僕の仕事ではなくなってし まった。
でも、マイルスが、ビバップを作り、モードジャズを作り、
ジャズロックを作り、それでもマイルスがマイルスであったように、
何か、自分の仕事は、確実にあると思うようになっています。

 アコースティックであろうが、エレキを持とうが、
全力で今日、一日を無事に過ごせる事を感謝しているのです。
そして、ここ数年、共演していただいいたミュージシャン、メンバー、
叱咤激励してくれるスタッフに感謝したい。

 今まで、聞いた事のない音を聞きたい。見えないものを見たい。
嗅いだ事の無い匂いを嗅ぎたいのです。それだけなんです。

 まだまだ、Okamoto worldは、始まったばかりなんです。
(2006.05/21)

<見て見ぬ振り>
僕は、人の成長をサポートする時大事なのは、 見て見ぬふりではないかと、思う。
見込みがある人ほど、しばらくほうっておく方が いい気がする。
人は、迷っている時、どうにも誰かに相談したくなるけど、 決めるのは、結局本人なのだ。
僕は、深川和美(ヴォーカル)さんが、 神戸のジャズ喫茶『木馬』のマスターに
相談した話に感動した。
『以前木馬にレコーディング中の音源を持っていって、 「これ聞いてみて欲しい」
とマスターに渡しても聞いてくれなかった。
「迷っているから聞いてくれと言ってるんでしょう。
これいいねと僕が言ったら決めるんですか。 誰にも有無を言わせないものを持ってきなさい。」』
僕もレッスンしてて思うのだけど、 いつも悩んでて、気の毒になって、
スペシャルメニューを考えたり、手を尽くすほど、 辞めて行く人が多い。
世の中に向かって、新しい事を 発信する何かが無いか?と人に問ったところで、
答えは、すでに新しいものでは、ないのだ。
「ああ。見ちゃいられない!」と 思いながら、見て見ぬ振りをするのは、 意外に勇気も力も要る。
また、自分でしっかり考え抜くのも エネルギーが要るのだけど。(笑)
(2006.05/18)
<時代性>
「時代性」って言葉が、心のどこかに引っかかっている。
その時代、年代のファッションやムード。世の中の雰囲気。
「時代」をサウンドで表現すれば、何なんだろう。
70年代、ジミヘンのサウンドが、ロックを体現したような。
(2006.05/12)

<デモテープ>
5月19日、神戸メイデン=ボエッジで、Okamoto Islandをやり
ます。
共演は、尾崎タカオ(g)のバンド。最近は、大阪、神戸で大活
躍の若いギタリスト。再会が楽しみ。

で、今度は、殆どの曲が、神戸初お目見え。
前回、京都Live spot RAGで、発表した曲を練り込みます。
あと、新曲も1曲出来ました。これも、アフロと南米のリズムを
土台に書いた曲で、現在、パリ在住のピアニスト、
ヘラルド=ディ=ヒューストに捧げたものです。

Okamoto Islandを今年は、がんとまとめたくて、
この連休、作曲したり、デモテープを作ったりしています。
コンピューターでデータを打ち込んで、シーケンスを作ったり、
ギターを録音したり。何かと苦労も多いのですが、

自分の姿を鏡でチェックしているようで、
楽しい発見が多いです。 
まず、リズムトラックを作るだけで、時間がかかります。
それでも、イスラエル=セデーニョ(ベース)が来て、
ちょこっと差し替えるだけで、全然良くなるのですけど。(笑)
そうも言ってられないので、打ち込みます。
最近は、ドラムは、サンプリングした生のドラムパターンが
沢山あるので、ずいぶん楽になりましたけど。

キーボードも録音しますが、シンセの音色とか、こだわり始めると
膨大な時間がかかってしまいます。好きなんです。(笑)

でも、一番時間をかけてしまうのが、やっぱりギター。
これが、さっさと終わりそうなものなんですが、
なかなか満足いかなくて、一番時間がかかります。
何度もやり直したり、録音前に、気がついたら
同じメロディーを1時間弾いてたり。

本当にキリがありませんな。
どうぞ、神戸にお越しください。
(2006.05/06)

<ツエッペリン>
たまたま、レッド=ツエッペリンのライブドキュメント
『永久の詩』をBSでやっていた。

高校生の頃、「ジミー=ペイジは、あんまり上手くないなあ」とか
これを見て言ってた自分が、信じられん。
いやあ、かっこいいじゃないですか。これは価値観も問題やな。
当時、これを友人に連れられて、映画館に見に行った。
正直、あんまりピンと来なかった。

あの頃はこいつらオッサンだなあと思ってた自分が、
今「こいつら意外に若いなあ」と、思ってる。
ギターソロが始まると、分け判らんイメージ映像になり、
つまらなかったけど、
今は、「ハリーポッター」やら、「ロードオブザリング」の
映像の美意識とダブって「ああ、イギリス風の神秘主義なんだなあ」と
楽しめる。

一人の音楽ファンとして見ると、バンドの芯に
ロバート=プラント(ボーカル)がどんと居て、
昔の少女漫画の学園の王子様の原点のルックスだ。
「Since I've been lovin' you」の歌詞とか
日本語の字幕が気が利いてて「こりゃ、グッと来るわなあ」と
思った。ツエッペリン=ジミーペイジというギタリスト的
視点だけでは語れない。
ボンゾ(ドラム)が、素晴らしいのは、昔からわかってたけど、
ジミーペイジが、「レインソング」とか、繊細で素晴らしい
タッチで弾いてて、なかなかやるではないか!と思った。

やっぱり、恐るべし。ツエッペリンであった。
(2006.05/04)

<平 和>
 以前、トリオ=ロータリーのライブで、広島に生まれたことや、
平和の事を話したら、すごく、びっくりされた。
ここでも、一度は書かなきゃと思ったので、書きます。

僕は、かねてから毎年、8月6日広島原爆記念日が来るたびに
思いをはせる事があります。

広島市では8月6日は、特別な日で、多くの家で家族、親類の命日です。
子供の頃、夏休みだというのに、ローカルのテレビは、朝から
古い記録フィルムを流したり、『夏休み子供大会』といった
アニメの時間が、暗いドキュメンタリーの時間になり、
それが嫌だった。

中学になり、吹奏楽部で平和記念式典で3年間演奏した。
朝、早くからリハーサルして、式に備えた。
8時15分には、テレビでそれが中継され、
家に居る時は、仏壇に手をあわせ、
近所のお寺などの鐘がなるのが方々から聞こえてくる。

しかし、故郷を離れて暮らすと、8月6日は、何の感慨のある事も無く
すぎて行く普通の一日なのです。日本中が悲しみに暮れる
一日なんだろうと思っていた自分には、軽いショックがありました。

広島市内に親の代から住んでいるという事は、
原爆の被害に家族が遭っているということです。
「僕の家は、何でこんなにお年玉が少ないんだろう?」と小さい頃
思ってました。
市内に住んでいた多くの親戚が亡くなったからです。

母は両親を亡くし、叔母に育てられました。
たくさん色々な話を聞いたのですが、
近所の僕の通った小学校で、市内中心部から大やけどを負った人が
集まって来た事。そこで死んだ事。山のように積んで灯油をかけて焼い
た事。
など、話してくれました。

去年の夏、8月6日がやってきて、ゴミの収集日でした。
朝、8時15分がやって来て、青いゴミのビニールの山を見ながら
「うちの親は、これが全部死体だった事を経験したんだ」と、
ふと思いました。なんてシュールな光景だろう。思わず、目眩が起こり
ました。

平和があって、初めてギターを弾いてられる。
それを強く感じたのでした。僕にとって、広島生まれは、
「仁義無き戦い」「広島カープ」「お好み焼き」以上にそういう事なの
です。

暑い日差しの中、家庭ゴミの山を見ると、
去年の夏以来、平和にギターに打ち込める幸せに思いをはせるのでした。
(2006.05/02)

『作曲』  とうとう、タンゴのオリジナルを本格的に書いてしまった。
来週のアストロリコで初演するのです。
作曲といっても、今までは、せいぜい3段譜程度。
メロディーにコード、ベースラインを所々、ちょこちょこ書いておしまい、
だったけど、今回は、バイオリン、ピアノ、バンドネオン、ベースまで、
全部書きました。4分30秒の曲を書くのに1週間かかった。
譜面もスコアで10数枚。
昨日のリハーサルで、全員の音が鳴ったときは、興奮しました。
「ああ、作曲家って、こういう興奮を味わうのね」と思った次第です。
普段は、新曲を持って行って、音を出してみて、みんなでアレンジして、
とやっている訳ですが、クラシックのように全部音が書いてあると
「せーの」で始めた瞬間から想像した音が、現実になるんですね。

良い経験でした。病み付きになった。自分が演奏しないって良いですね。
僕は、小さいとき作曲家になりたかったしなあ。
次は弦楽四重奏とか、書いてみようかな。

さて、気がつけば、なんとなく「作曲」なるものをするようになった。
どうやって作曲するんですか?とか、言われると、どうも説明のしようがない。
一言で言えば、「鼻歌」の延長にあるのが、僕の作曲です。
良い鼻歌が出たときには、「おおお!」と興奮するわけですが、
これが移動中だったり、トイレ、お風呂だったりすると
「どっこいしょ」とか掛け声をかけた瞬間に忘れたり、は、しばしばです。

それがたまたま、メモに残るご縁があれば、ちゃんと曲に残ったりします。
ここでポイントは、メモを取れなかった事を後悔するより、
どんどん朝から晩まで、鼻歌を歌い続ける事が大事なようです。

良いと言われる曲は、作り出すと早いです。本当に紙に書く時間だけで
出来てしまう事も多いですし、オーケストラが、曲が出来たときに
すでに頭の中で鳴っている事もあります。
最近、ライブでやっている「京都の夏」は、メロディーが短いので、
本当に10分もかからなかった。『Jawango 』に入っている
「オーディナリー ラテン ソング」も。

 自分で興奮するような8小節ぐらいが出来れば、後は終わるまで歌い続けることで
なんとか、曲の体裁は、慣れで作れるように成るんですが、
良い曲にするには、自分と上手く対話する事が大事なようで、
あれこれ考えると、可能性ばかり見えてきて筆が止まる事も多いです。

みなさんも鼻歌を歌って曲を作りませう。
(2006.04/19)

<マイルス>
 僕は、マイルス=デイビス(tp)が、好きだ。
いや、マイルスの作る音楽の周辺にいつも居た、と思う。
先日、ワイト島のマイルスのバンドの演奏のDVDを見て、ぶっ飛んだ。

正直、マイルス自身の凄さが、僕は長い事ピンと来なかった。
なんだか、彼のソロより、いつも他のメンバーの演奏に
いつも、気を取られていた。
でも、いつも彼が作るバンドのサウンドが好きだった。

今、DVDを見ると、サウンドの中心にマイルスが
どんと座ってすべてをコントロールしてるのが判る。
凄いんだか、どうだか、パッとわからないけど、
明らかに凄い。
特典映像のインタビューもこれまた凄い。
イスラエル=セデーニョ(ベース)なんか、
このインタビューを見て、涙ぐんだぐらいだ。

このインタビューとマイルスの自叙伝(宝島文庫から2巻)
は、最近、僕のバイブルだ。
(2006.04/12)

<カセットテープ>
ここのところ、部屋の掃除をする!と決めて、
古い機材や譜面、CDを整理していたのだけど、
学生の頃から集めていたカセットテープを処分しようと思った。

もう10年以上も、ひとつも聞いていないのだけど、
その学生の頃、聞いては集めた音楽は、今、CDで買おうにも
売ってないもの、見つかりにくい物も多い。

その頃、熱中してたデイブ=リーブマン(sax)リッチー=バイ
ラーク(P)
ジョン=スコフィールド(G)の古い録音は、すごく貴重。

ギターを始めたばかりの岡本も多重録音(!?)やら、
1982年ジョンスコ&マイクスターンが両方いた頃のマイルスの大阪公演、
生まれて初めてコピーした渡辺香津美氏の
広島のうが高原ジャズフェスティバルのライブ音源、
昔やってたバンドの未発表曲、リハーサルテープなど、

いざとなると、全然捨てる事が出来ない。
下鴨の下宿に壁一面カセットテープをダビングして並べてたあの頃の
部屋の空気がよみがえって来る。

しかしながら、今後10年もたぶん、聞く事はあるまい。
そう思って段ボールに集めてしまっておくことにした。
これを聞くときは、自分の人生が終わる予感がした時ではないか?

そばにある整理されてない写真を眺めながら
(仕事柄、写真を撮って送っていただく事も多いのです)
「これもなんとかしなきゃいけないんだけどなあ」と、思いつつテープを収めた。
(2006.04/11)

<時代の響き>
時代の持つ響きのような物を何だか漠然と感じるんです。
一番昔は、たぶん「木の響き」の時代。
それは、基本的にずっと続いていた響きの中心ではないかな。
それから「金属の響き」。
これは、たぶんここ100年ぐらいで大幅に幅を利かせてきたのではないかな。
60年代から70年代前半頃まで。
その後は、「プラスティックの響き」。漠然と80年代以降って気がします。
そして、つい最近、ここ2、3年でメインになってきたのが「バーチャルな響き」。
「バーチャルな響き」は、今までの概念の根底をくつがえすもののような気がします。

「木の響き」は、自然で暖かみのある均整のとれた音。
「金属の響き」は、より主張が強く、はっきりした音。
「プラスティックの響き」は、もっと中高域が強調された厚みの少ない音。

少なくとも、現実に手で触れることの出来る、
リアリティーのあるものだったと思います。
「バーチャルな響き」は、実際に無い音をテクノロジーを使って
自然に聞こえさせるその中に,手に触れることの出来ない事の、
価値観の変化を感じます。

つまり、木を、金属を、プラスティックを叩いた実感を捉える「心」自体が、
そのまま音に出てくるのが「バーチャル」だから。
未熟に感じると未熟な音が出てくる。

僕の身近では、エレアコが、そうでした。
アコースティックギターでは、音が上手く通らない。それを解決するために出てきた
エレアコ。アコースティックの音を目指しながら、決してアコースティックではありえない。
実際、音楽の現場でアコースティックということは、もうまずあり得ない。
アコースティックギターを使っても、ステージでも録音でもマイクを通した音。
聞き手もCDプレーヤーから聞く。

そう考えるとレコードが出来たときから、良い音を作る事プラス、
「良い音をどう加工して伝えるか」が、すでに大切な技術になっていたわけですな。
さらに「良い音」を作る自由度が増してきている昨今であると。

何だか、今までだと「時代に寄り添ってられた」安心感があったんだけど、
寄り添ってられない厳しさ、すっくと立ってる力を要求されてる気がするのです。
(2006.04/08)

<サウンド>
良い音色、っていうものに、今、とっても興味がある。中学生の頃、僕は吹奏楽部でサックスを吹いていた。
長い間、ろくな音色が出なかった。毎日、毎日、ロングトーンと言って長ーい音を出して「良い音」を作る練習をした。
これは僕の音楽の原体験の一つで「良い音は一筋縄では手に入らない」と、それ以来、いつも心のどこかに感じている。
ギターを手にしたとき、果たしてサックスより簡単に音が出た。
これでは何かやり残している事がある、という罪悪感のようなものから、
「どう練習していいかわからないが、音階練習ぐらいはしなければ罰が当たるのではないか?」と感じて
来る日も来る日も「滑らかにすばやく」と音階を練習したのを思い出す。
何年も前、アルゼンチンに行ったとき、ファン=ファルー(g)の最初のレッスンで
「北アルゼンチンの民族音楽で一番大事なのはバラード。
ゆっくりの曲で出来る事を早い曲で適用する事で、色々なバリエイションを演奏できる」と言われた。
僕は、それ以上にゆっくり演奏する事、喜怒哀楽をしっかり演奏することの難しさまで一言で言われたような気がした。
それから数年後、あるアメリカのエンジニアに「素晴らしいアーティストは、最初の2、3音を聞けば、誰か判る」と言われた。
今、僕は、良い音色は、人生そのものだなあ、と思う。ジェフ=ベックやマイルス=デイビス、サンタナのような聞けば、
それとわかるような指紋のようなテイスティーなサウンドを手に入れたいなあと、つくづく思うのです。
(2006.04/06)
<パーティーシャッフル>
iBookに持っているCDを取り込んで、家のCD戸棚をすっきりさせようとしている。
これが、結構な手間なのだけど、iTuneの持つパーティーシャッフルという機能が、結構お気に入りなのです。
これは、パソコンに入っている曲を無作為に演奏してくれるのだけど、突然予期しなかった曲が流れる。
しかもすべて僕の好きな曲だ。というか、「ああ、こんなにジャンルは違っても全部僕の好きな曲なのだ」という感慨に浸れる。
某ギタリスト氏もその話になって「ああ、やっぱり人の数だけ音楽ってあるんだ、と思ったね」と言っていた。
良い音楽にあらためてジャンルは関係ないなあ、とつくづく感じるのです。
(2006.04/05)