essay


2006年10月〜12月

2006年10月〜12月
<エッセイ>
この最近に起こったはっとした出来事。
1)イスラエル=セデーニョ(ベース)とプロディヒオ以来、久しぶりに演奏した事。
  藤井摂(dr)とも一緒。あれ以来の毎日の過ごし方は正しかった!と思った。楽しめた。
2)ミチアキーノ(per)氏と話した。「この前、スティーブ=ガッド(ds)とやったんだけど、すごかったんだよね。
  結局、アメリカンミュージックの歴史そのものじゃない?毎日スゴい音楽を長年続けてきた存在感うんぬん」納得。
3)今日、生徒に自分で話した事。あれこれ、マイブームであんまり一貫性のない注文をしてくる生徒に。

京都に住んでて、自然と意識しているものって、僕にとって「所作」をマスターすることじゃないかと、ふと思った。
茶の湯、禅、武道。動きは、しっかり決められて、一見、窮屈ではあるけど、一度、しっかりそれをマスターすれば、
美しく整った姿を、自然に振る舞う事が出来る。所作を完全に自分のものにすることで、何も考えずに正しい動きが出来る。
自由を得る事が出来るのだと思う。禅の悟りとはよく知らないけど、集中することに「ただ慣れる」ことで
心の自由を得る事じゃないのだろうか?間違っていたならすみません。
全然違う話だけど、プロディヒオと一緒にやって思ったのは、プエルトリコの音楽には、しっかり決まったスタイルがあり、
いくつかの「所作」を自然にそれが出来る様になるまで、ただ一緒に繰り返す事で、すごく音楽を楽しむ、完全な自由が得られる。
それを感じた。モントゥーノというリズムパターンとトゥンバオというベースのパターン。
これを何せ毎日、夜から朝方まで、無心に繰り返すのだから、まあ、音楽に費やす時間の多い事。
しかし、無心に自然に出来るまで「所作」を繰り返し、覚えて、完全な自由になるなら、
武道とか茶の湯と変わらないのではないか?
アルゼンチンでフォルクローレを習ったときも。タンゴも、ジャズも、ブルースも。
結局、スタイルをマスターする事で、自己表現の自由を得るという。
逆の言い方をするならば、自分が自由に何かを表現しようとするなら、自分のスタイル「所作」が、やっぱりすべてなんだ、と思う。
そして、成長とは、毎日、自分のやりかたを「無心に出来るまで、無心に繰り返す」ことではないかと思う。
(2006.12/30)

<クリスマス>
クリスマスらしいこともあんまりなく、今年は、疾走してすぎていったクリスマス。
最近、ipod nanoを使って走ってますが、もう2回フリーズして、走っているデータが消えました。
せっかく、このクリスマスイブの午後は1時間走ったのに、、。7.5km損した。
Nikeのホームページにアップしているので、「目標に11km足りません」とか、
表示されると「うーん。違うねん。くそー。」と思います。
今日癪やから、1時間走ったら、半分のところでフルーズしよった。こいつめ。
今日は、トリオロータリー。明日は、赤木りえ(フルート)さんのライブレコーディング。

なんと、佐伯準一(キーボード)さんと同じという事が判明したティンバーランドの黒い革のスニーカー。
彼は「真っ黒な革のスニーカーがステージで重宝。」と普段から探していて見つけたら買うようにしているという。
「それが意外に、無いねんな。ちょっとラインが入ったりして。またデザインも良いのは少なくて」確かに。
彼は、結局同じモデルを2足目だという。僕は、りんくうアウトレットで買ったのだけど。
安かったので、合成皮革かと思ったら、やっぱり牛革でした。大事にしよう。
(2006.12/26)

<リハーサル>
昨日は、Okamoto Islandのリハ。今日は本番。
録音を終えてみると、40代って、人生後半の妖怪のような強者の中では、まだまだ若いなと思う。
やっと、音楽を自己表現のツールとして使えるようになったばかり。そんな気がする。
20代の音楽は、切り口が良く元気があれば成り立っていたけど、経験を生かして、余裕や深みを表現したいなと思う様になった。
今晩のLive Spot RAGでは、そんな自分を表現したい。「ギターは弾かなきゃ音は出ない」

今日のジョギングスタイルです。
ディーゼルで買ったtシャツにプレゼントされた『岡本魂』のTシャツ。
こういうリングネームのK−1選手が居たんだって。
あじりんさん、使ってますよ!
(2006.12/20)

<発表会のゲスト演奏>
佐伯準一(キーボード)大森成彦(ベース)森山和弘(ドラム)のサポートで演奏したのですが、これが近年ないぐらい楽しかった。
ジャズをやりました。ジャズを。アドリブ楽しい。
Blue in green,Softly in the morning sunrise, ラプラタに降る雨、Watermeron man。
適度にオブストラクト。アコギを使いました。
良いなあ。最近、腕のいい伴奏者として扱われる事が多いから、
真ん中に居て最初から最後までアドリブ弾く快感になかなか触れられない。
自分のユニットOkamoto Island、Jawango Trioでさえ、曲の事を考えるとそうアドリブばかりも弾けないし。
楽しかったなあ。今度どっかでやらしてもらえないかなぁ。
(2006.12/18)
<Okamoto Island録音完了!!!>
やっと完了しました。内容は、まだ明かせませんが、かなり良い内容になってると思います。
ギタリストとして、結構、ディープなプレーが出来たと思う。
プロディヒオ以来、突っ走っているので、最近は、絶好調です。
結局、周囲は無理と言ってた録音を8曲全部、午後から完了しちゃったもんね。
しかし、ギターのサウンドは大事ですわ。
一番、これが心配だったんだけど、案ずるより産むが易し。
(2006.12/18)
<発表会>
17日、発表会が終わりました。みんな、よく頑張った。
ノロウィルスに襲われた中村君、残念。きっと、レイヴォーンばりの喉を聞かせてくれてただろうに。
応援に来てくれた皆さんもありがとう!
久加天 minor swing 初めてにしては、ジャズフレーズいっぱい出てました。こういうの合ってると思うよ。
溝渕 autumn leaves ずいぶん仕込みましたね。テーマの美しさが印象的でした。
作島 fly me to the moon テーマの弾き方とか、やっぱりセンス良いです。
海福 京都の夏 今回、色々発見があったと思います。無事終了!
千田 feel like making love これから本格的にジャズやりましょう。
島田 autumn leaves 1部で一番、印象に残った。福井から参加。相当腕を上げましたね。
<休憩>
中村 texas flood 風邪で不参加。
塩野  james メロディーは,本当にパットメセニーグループみたい。ソロになっても弱気にならない事。
しかし、2部の名演奏!!
久湊 wind jammer 着実に腕を上げてます。余裕でしたね!
田村 the day of wine なかなか、メロディーに流れが出てきました。美しくなった。
濱田 sunburst(ソロギター) こんな難しい演奏を、、。良く練習しました。
朝倉 t-bone jumps again とても良かったよ。ルーツがある事は素晴らしい。
<休憩>
澤村 autumn leaves 得意のポップなフレーズでまとめて、上手く主張しましたね。フルアコ買えば?いいかも。
西本 candy うん。8ヶ月足らずで、ばっちりです。175のサウンド、グッド!
天野 pride この日、レイヴォーンを歌い演奏してやんやの拍手だった彼。
友人たちもびっくり、満足だったと思うよ!
川村 basie's at night 今までで一番、まとまって主張もある演奏でした。次回は、オリジナルの出来が楽しみ。
中山 chevret 最近、またギターを弾き始めた彼。上手い。良い再スタートになったね!
野田 tangeline 好きなギターです。腕以上に『歌』が聞こえてくる。歌いまくってるんですね。才能有り。
<休憩>
ここからの人は、みんな言わば『別格』空手で言えば、1級とか有段者。いずれも聞きごたえのある演奏でした。
次の二人はなかなか惜しい感じです。でも、世間のアマチュアの中では、十分相当上手いと思います。
何か、音楽、タッチ、表現みたいなのもに深みとか陰影が出れば,さらに実力アップ!
児島 god bless the child ジョンスコっぽい香りのする演奏。いやあ。よくここまで来ました。
渡部 round midnight メロディーや,サウンドのコントロールが絶妙になってきました。
音域のレンジを広くとればもっと良い。
ここからは、ほとんどプロの演奏でした。全員について残念なのは、オーバープレー。
これ以上、盛り上がらない状態になっても悪戦苦闘し過ぎたことかな。
しかし、極限になったとき、何か変化やバリエイションを探す経験も良いと思ったので、僕自身は、大、大満足です。
偉い。上手い。徐々に「4部に選ばれた」ことが特別な意味を持つ様になって来たと思います。
他のみんなの励みにもなったと思う。
小杉 there will never be another you もうプロのコントロールの繊細なタッチでした。
練習してないという割に去年より全然良いです。
村上 wee ジャズを初めて1年も満たないのによくがんばりました。
速いテンポは,カウントを気にしすぎない様に逆に遅れます。
北脇 i hear rapsody ハーモニーセンス、上達度、春までアドリブなんてした事なかったのが嘘のよう。才能有り。
五十部 in your own sweet way 最近はライブでも引っ張りだこ。出会えて良かった素晴らしいギタリスト!一年で別人に!
治武 polka dots&moon beams 才能が開花しつつあります。もう十分上手い。サウンドの主張がこれも別人。

また、印象に残ったのは、久加天、作島、島田、野田、田村氏らのがんばりでした。
よく努力して日頃以上の演奏をしたと思います。 来年もがんばろう!
(2006.12/17)

<トリオロータリー>
山村誠一(パーカッション)氏が入って、リハーサル。
昨日リハ。今日本番。スティールパンに本格的にのめり込んだ彼の熱い、
しかし、何とも叙情系の繊細なプレーの素晴らしい事。
やっぱり、長年の付き合いである。
あ、12月26日、神戸、http://www.mokuba-kobe.com/ にて、
トリオロータリーのライブ「忘年会」が決まりました。これが、仕事納め。
(2006.12/12)
<デモテープ>
自分の録音も迫ってるのに、発表会前でレッスンの内容は、曲のくり帰り練習が中心。
5、6人つきあうとへとへと。
さらにデモテープ録ったり、Okamoto Islandの準備と、泣きが入るぐらい忙しい。
のに、それなりに慣れてしまう自分が怖い。
結局、暇だと暇な分だけ、だらだらしてしまう自分が居る。
ただ、作曲の時間も欲しいかな,,。
(2006.12/12)
<かまきり、その後>
早朝、壁を見たらいない。
ランニングを終えて帰ってみると、家の前の道路につぶれた屍骸が、、、。
何だか余りに悲しい。虫けらのような死、か。
(2006.12/12)
<ナノ>
買いました。iPod nano。
で、nike+ をつけて、走ったらiTuneで、
何Km走ったとかカロリーとか管理出来る様になったので、
このくそ忙しいのに走ってます。
ただいま、三日目。三日坊主これから更新します。
これが、走ってる途中に「あと何分です。」とか、
「何Kmです」とか言うので、かなり楽しい。


(2006.12/12)

<生きてる!>

うちの玄関のカマキリ。生きてた!今朝見たら上向きになってます。
(2006.12/10)

<かまきり>
ぼちぼち、冬の到来を感じます。うちの玄関にカマキリが居ます。
2週間前。植え込みに動いているのが見つけられ、
ほぼ、毎日、どこかにその姿を見る事が出来たのですが、
もう5、6日、一歩も動いていません。
もう、毎日、見るたびに違った思いがこみ上げてきます。

もう死んじゃったんだろうか。
(2006.12/08)

<誕生日>
誕生日でした。結構いい歳になりました。
今年は思った以上に忙しく(というかバタバタしてた)気がつけば、ここ数年で一番楽しかった年かな。
新しい出会いは少なかったけど、昔からの付き合いが復活したり、一段と絆が深まったり。
宮野弘紀(ギター)さんは、ギタリストとして近いタイプだと思うし色々指導していただいた。
どれだけインスパイアされたかわからない。
赤木りえ(フルート)さん、小川 紀美代(バンドネオン)さんは、まるで毎月会っているようだ。
クラブ活動「トリオロータリー」も最近やたら仲良しだし。
イスラエル=セデーニョや荒玉哲郎のような素晴らしいベーシストと仲良くしてもらったのも嬉しい。
ギタリストは、ベースしだいでプレーが変わるのです。
バルコス(p)と演奏してタンゴの理解が深まったし、プロディヒオとの4日間はまるで1ヶ月の様に濃かった。
隣で彼が8小節僕のフレーズをまねして弾いてウインクされてから、まるで魔法にかかった様に何かが変わったのです。
彼は本当にプロディヒオ『神童』で精霊かなんか憑いているのかもしれない。プエルトリコには、行くだろうな。
そして、Okamoto Islandもとうとう録音終盤。
ここ5、6年、色んな国からCDが送られて来て「Okamoto は、で、どうなの?」とか言われて、
恥ずかしい思いをしたけど、来年は胸を張って
「お待たせしました。こんなんできました」といえそうだ。やっとここまで来たって感じ 。
そんなこんなで、今年お付き合いした人は、一生のおつきあいだろうなあ、と思う人ばかり。
皆さん、これからもよろしくお願いいたします。
最近「本格的におじさんになっちゃった」みたいな話をしたら「まだまだ若造よ」みたいな事を返された。
確かに、クラシックの世界では、やっと良い仕事ができる様になる始まりみたいなもの。
これから、10年どんなことが起きるんだろう。楽しみ。

いただいたバースデイケーキ。しかし、なんでアンパンマンやねん、、。
(2006.12/06)

<忙しすぎ?>
忙しい、忙しい。と、僕も言ってるけど、みんな忙し過ぎ。
いつの頃からか,なんでこんなに忙しくなっちゃったんだろう。と、考えたら、
先日話に出たのが「パソコンが普及したからだろう」という話になった。
チラシもDMもパリッとしたものにしようとするならば,印刷屋に頼まなければならなかった。
今は自宅で出来る。あとはセンスだけである。センスを見透かされると嫌だからやっぱり時間をかける。
パソコンで音楽が出来る。センスと腕が有れば,自宅でCDも出来る。ならば、完成度に磨きをかける。時間がかかる。
そんな事をしているうちに、中身の割に体裁のいいもの。商品として体裁の整ったものがなんと世に溢れる事か。
以前、携帯電話の開発の話で興味深かったのが
「何人もの人間で何年も開発にかかった事が、数ヶ月で古いものになる」という話だった。
本当に音楽家も開発に忙しい。(苦笑)世の中は、サービスに溢れ、サービスに質に厳しくなっていると思う。
こっちは、サービスを享受側であると同時に、サービスというものを提供するための奴隷でもあるようだ。
*** 以前、「ジャンルを飛び越えた」というのは、良い音楽を指し示す言葉だったと思う。
多かれ少なかれ長い間、他のジャンルからアイディアを得て新しい音楽が出来ていた。
今やみんなが、音楽を発信出来る。今や多少の才能がある人間は、こぞって挙手を出来る環境にあると思う。
しかし、手を挙げる人の何とひしめき合っている事か。
ジャンルを飛び越えてアイディアを広げる結果、ブラジルの音楽も、プエルトリコの音楽も、
アメリカの音楽も、アルゼンチンの音楽もなんて似て来たんだろう。と思う事がある。
今,「ジャンルを意識する」と言う事も大事なキーワードになって来た気がする。
「検索してもらう」「見つけてもらう」こと。
膨大な地球という図書館のどこに自分が居るのか、アドレスを主張するのも大事な事だと思う。

キクチタケオの靴。
実は、門奈紀生(バンドネオン)さんも、ギタリストの友人、尾崎君も履いてて、
意外にファンが多いのにびっくりしてた。
履き心地が良く、僕の足にぴったりでついつい履いてしまうのだけど、
同じものを、と買いに行ったら「靴メーカーのライセンス契約が切れて、入らなくなりました」とのこと。
こんなことなら、買いだめしておくべきだった、、。
門奈さんなんか、色違いで3種類買っていた。うーん。心の余裕の違いか。いや懐の余裕の違い?
そういえば、ポール=スミスの服も気がついたらついつい買ってしまっていたのだけど、
最近、細いシルエットが多くて「やっぱり若者ターゲットなのねえ」とか思って敬遠してしまう。
あ。これは、自分のサイズの余裕の問題か。失礼。
(2006.12/01)

<近況報告>
小川 紀美代(バンドネオン)ツアーも無事終わり。今年は,あれこれ突っ走ってきました。
12月は、Okamoto Islandのレコーディング、そして、20日にLive Spot RAGでライブで終わりです。
そこに行き着くまで突っ走ります。来年早々,Jawango Trioも復活します。
タケカワユキヒデ氏とのコンサートあります。
そうこうしているうちに、Okamoto IslandのCDも発売になるでしょう。
プエルトリコにもプロディヒオを訪ねて行くつもりです。
そんなこんなで全身音楽三昧です。音楽まみれです。
体に気をつけてがんばります。ハイ。
(2006.11/25)
<目線>
知り合いのご招待で、韓国舞踊の発表会に行ってきました。
アストロリコでソウルに行って、その町の雰囲気、料理やお酒も好きになった。
だから、初めての体験にわくわくだった。
友人、Nさんの踊りは「おお!」というぐらい良かった。こういう面もあったんだ。びっくり。
こういう晴れの日。ひときわ輝くものだ。
しかし、この日、僕が本当にびっくりしたのは、韓国の打楽器だけで演奏するアンサンブルの格好良さだった。
とっても、南米のフォルクローレに似ていた。
最近,リズムはアフリカ系の人たちのものだなと思っていたのだけど、
シルクロードを伝わって、日本のとなりにはこんな音楽が有ったのだ。
リズムを聴いているだけで涙が出て来た。
あと、何人も一緒に出てくるダンサーの中で,どうしても目が離せない人が居た。
圧倒的に違うのが、品のある笑顔だった。
そして、動作のきっかけにあごや体がぴくっと動くのだけど、
それが何とも、内面から何かが「きてます。きてます」って感じで、心を打たれた。
気がついたら、何か気高い心に悩殺されていて目線が他に行かない。
結局、やっぱり泣いていた。なんでだろ。
懐かしいようなアジア的異国情緒も楽しんだような韓国文化だった。
そして、ショーを成り立たせるのが、一人の目線だったりするそのマジックになんとも感動したのだった。
あとでパンフを見ると先生らしかった。何せ素晴らしい体験だった。
(2006.11/14)
<運命=朝ご飯>
深川和美(ヴォーカル)さんの知り合いで上海太郎さんという人が居る。
津田兼六(アコーディオン)さんとも知り合いで、二人の会話にいつも出てくる。
この人のベートーベンの「運命」の替え歌がすごい、と聞いていた。
こんなホームページもある。 http://ameblo.jp/shang-spo/ (ここの深川直美氏のイラスト&漫画がもの凄いのだけど。余談)
ある日、朝、テレビを見ていると佐渡裕氏指揮の番組でオーケストラに混じって、歌い踊っていらっしゃるではないか。
初めて見る上海太郎氏。あまりの面白さにmp3をダウンロードしちゃったじゃないですか。
何せ「運命」1楽章全部替え歌なのである。
「あさごはーん。あさごはーん。みんなで食べようあさごはーん。みんなで食べようあさごはーん。
サービス、定食。サービス、定食。朝は、ろっぴゃーくえーん!」という始まり。笑います。だんだん、尊敬してきます。(笑)
「聴くな - Bravissimo」ってアルバムに入ってます。

おまけ。見つけた瓶。どっちが入ってんねん!
(2006.11/11)

<ボリショイバレー>
もう、1ヶ月前だったか,チャイコフスキーの交響曲「悲愴」をボリショイバレーが踊っていた。
真夜中にテレビをつけるとたまたまやっていたのだ。
交響曲「悲愴」といえば、広島時代、宇品中学ブラスバンドでユーホニウムを吹いていたU君が
「やっぱり、ムラヴィンスキーの指揮のレニングラードフィルじゃろう」と言っていたのを聞いて、
紙屋町のYAMAHAに買いに行ったのだ。
中学2、3年だったか、それが、郵便貯金ホールにやって来て、聴きに行った。
ドボルザークの「新世界」とかやったんだかな。チャイコフスキーの交響曲5番だったかもしれない。
でも、恐ろしくコントラバスがずんずん来て、弦が荒々しくダイナミックで、
金管がばりばりと華やかで、ずっと鳥肌が立ってたのは覚えている。
交響曲「悲愴」は、グラムフォンのLPを冬に買った。
縁側でジャケットを見ながら聴いているとロシアって寒いんだろうなあ、、。と、気温を体感した。
心に張り付いた風景だ。
さて、ボリショイバレーは、見ていると最後の第4楽章をすでに2幕でやってしまった。
ええ??フィナーレはどうなるか?と、思って最後まで見てみると、何とスケルツォで終わるではないか。
でも、これが劇的で派手でやっぱり、かっこいいのである。
「悲愴」といえば、最後はまるで息をひきとるようなため息のような最後なんだけど、これにはショックを受けた。
曲順は、すべての印象を変えてしまう力があるのだなあと思った。
もちろん、振り付けも衣装も斬新で思わず引き込まれたのだけど。これを考えた人はスゴい。
さて、一度、ムラヴィンスキーの指揮のレニングラードフィルハーモニーオーケストラの
チャイコフスキーの交響曲「悲愴」をお聴き下さい。で、順番を変えて聴いてみてください。
結構、発見があります。

<おまけ>練習しようとして、一回も弾いた事のないクワトロが、自宅にあるんです。
元オルケスタ=デ=ラルスの寺内茂さんに借りたもの。
(2006.11/05)

<ラグでのエピソード>
ラグのパンフにコメントを求められた。
「ラグで起こったエピソードを何か書いてください」うーん。困った。
多すぎる上に、言葉にするのも恥ずかしいことばかり。
ホームページに書くからと言ったものの、やっぱり気がひける。
とても気がひける。大体が酒の失敗なのだけど。
今は、ほとんど飲む事のなくなった打ち上げ。もう粗相はしません。ごめんなさい。
(2006.10/29)
<プロディヒオ宣伝>
今,来週のプロディヒオのおさらいをしてるんでんですが、たぶん、とんでもない経験になりそうです。
CDでは伝わらないライブ感が満載になるでしょう。
CDに合わせてコードやらグルーブを研究してるんですが、とてつもない。
イスラエル=セデーニョ(ベース)と彼が居れば,何をどう弾けば良いかとってもはっきりイメージ出来ます。
なぜ、ラテン系がロマンティックなものが好きで、一様にエッチなのかわかっちゃいました。(爆)
これは、プエルトリコの音楽にハマる人が多いのがわかりますわ。
うーん言葉にならないけど、リハーサルが楽しみ。
夏のラテンセッションも楽しかったけど、
また、これでラテン一円よろずギタリストの引き出しが増える事間違いないなあと。
参考のブログ見つけました。
http://puertorico.exblog.jp/5883751/
どうも、ありがたみが、足りなかったかも。
赤木りえ(フルート)さんのホームページも参考に http://www.skz.or.jp/akagi/
まあ、騙されたと思ってお越し下さい。損はしないでしょう。
ちなみに練習しようとして、一回も弾いた事のないクワトロが、自宅にあるんです。
元オルケスタ=デ=ラルスの寺内茂さんに借りたもの。
これを機会にプロディヒオに習っておこうと思います。
(2006.10/23)
<高校の友人>
プロフィールには、大学からギターを始めると書いてあるけど、恥ずかしながら高校生の時もギター触ってました。
いわいるフォークギターという奴です。
僕は、最近、すごく高校時代にやってた音楽が懐かしい。
今から思えば、オルタナティブという奴のハシリだったんだと思う。
その時出会ったI君、S君は、今も心の中で尊敬している。
Sくんは、途中から転校して来て、広島宇品中学ブラスバンド部でホルンを吹いてて
「クラシックも好きだけど、本当は楽譜が読めるようになりたいから入った。」と言うクールなところのある奴だった。
彼は、ギターも上手くて、今思うと勘であのぐらいできてたらすごいなあと思う。
何せ音楽をするにも資料がなかった頃なので、全て耳で聴いてコピーするのだけど、
イエスとかE,L&Pのアコースティックギターのソロとか、弾いていた。
プログレッシブロックを教えてくれたのも、ビートルズを聴かせてくれたのも彼だ。
一緒になって練習を始めるのだけど、遥かに彼が上達が速かった。
Iくんは、高校の時に出会ったSくんの古い友達だった。
彼は、本当にセンスも良くて、中原中也とか、谷川俊太郎の詩を紹介してくれたのは彼だった。
(今頃になって、トリオロータリーでやってる。不思議な縁!)
彼は,ジョンレノンとか好きで、イギリスのペンタングルとかジョン=レンバーン、バート=ヤンシュ
といったケルトの匂いのする音楽を聴かせてくれた。
また、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングとか全部持ってて、僕もすぐ大好きになった。
彼のギターも独特で、泉谷しげるが好きとか言って、
ヘビーゲージのありえない太さの弦をフォークギターに張って、ガンガン弾いていた。
オープンチューニングも多用してて、オリジナルのチューニングも考案して才能溢れる奴だった。
彼のギターは、土の香りがしてカラッと乾いてて、聴いた事のないフィーリングに溢れてて憧れてた。
彼は、シリアスなのから相当ぶっとんだものまで、中学の頃からオリジナルを書いてて、どれもが良かった。
一曲覚えている。

<分裂>
1小節にEm Am。それの繰り返し。テンポ160 8ビートのストローク 以下、歌詞。
分裂れつれつ オムレツ おむつに真っ赤に染まったシーツかいな。
大怪獣は真っ赤っか シャープペンシル突っ込んで リンゴをかじって みーるーとー、、、、。
歯茎から血が出ませんか?

何かスゴくないですか?
僕が、ニルヴァーナとか座禅ボーイズとか、思わず反応するのは、この経験によるんだと思う。
3人でグループを組もう!と言って、彼らのオリジナルをやって
ハッピーフォークコンテストとかいうコカコーラ主催のイベントに参加したら、
なぜか勝ち残って当時、広島で一番大きかった郵便貯金会館という1000人ぐらいのホールで演奏する事になった。
その頃、全然ギター弾けなかったから、彼らの力による。
僕らは、下手なりにいっぱしのビートルズ気取りだった。
セッションと称してデタラメに椅子とか叩きまくって人差し指でピアノを弾いて
「うーん。今日は音楽が降りて来ない」みたいな生意気な事を言ってた。
いずれにせよ、彼らは、かっこよくて何とか肩を並べようと努力はするんだけど、全然追いつかなかった。
何より創作力にコンプレックスを感じてた。オリジナルを作りたかった。ギターを持ったら練習するより作曲をしてた。
でも、僕には、歌が浮かんでこなかったそれより、オーケストラのサウンドのイメージが浮かんでくるのだ。
そういうサウンドに慣れ親しんでいたし。ギターは、さわっているだけで色んな響きがして、
オーケストラのような響きも楽しめ、
自分のコードを作ったりして、やたら、憧れとかイメージは膨らませていた。
しかし、ほぼ、上達とは無縁な高校時代だった。でも、あんな贅沢な時間の使い方をしたことはなかったなあ。
あれから、Sくんは「お前ら、遅れてる。」「じゃ何よ?」とか言って聞くと
「これからは、リー=リトナーだ」とか言って、クロスオーバーというか、そっちにのめり込んで疎遠になった。
その後、Sくんは、東京で有名なアレンジャーになった。
Iくんは、エキセントリックな性格が、だんだん合わなくなって、これも高校卒業後は消息を全然知らない。
しかし、コンプレックスを抱え、自分が何をどうしたいのか、さっぱりわからなかったあの頃だけど、妙に懐かしい。
未だにふたりの事を時折思いだしている。

<おまけ>
ミゲールーバルコスのコンサートの時。
左から荒玉哲郎、ミゲールーバルコス、おかもと

<おまけ2>
家の玄関にぴったりマッチしたアマガエル。
気がついたら、夕方までこうしていた。ど根性アマガエル。
(2006.10/21)

<録音二日目> Okamoto Islandの録音。
イスラエル=セデーニョ(ベース)佐伯準一(キーボード)マーティー=ブレーシー(ドラムス)と。
昨日、怒濤の6曲ベーシック録りをやってのけたOkamoto Island。
今日も2曲録って、ベーシックは完パケ。信じられん。おまけにキーボードもバッチリ終わり。
この二日間、信じられないぐらい色々なことが起きた。
この3年間ぐらい、くすぶり僕らの周りに浮遊してたアイディアの断片が,一瞬にして結晶化して、形になった感じ。
すべてのアイディアの贅肉がそぎ落とされて、シェイプアップされた本来の姿になって行く。
永遠に出ないんじゃないか、と思っていた自分の事実上の2作目が、急に形になり始めた。
それは、種を蒔いた地面から、突然芽が出て大きな木になり、もうじき、花を咲かせんばかりになっているようだ。
嬉しいしやっぱり不思議な感覚。
イスラエルは、ベースをぶいぶい言わせてる。マーティーは、カラッと空気を乾かせてる。
佐伯さんは、空気に虹を描いてるようだ。録音が一段落してみんなで定食屋へ。
そんな何気ない時間が、とっても充実してる。まず、一段落。
これからが正念場か。せっかくだから、後悔を残すような事はしたくない。全力を尽くしたいと思った。
(2006.10/19)
<レコーディング初日、中間報告>
京都河原町ラグスタジオにてレコーディング始まりました。思った以上に好調な仕上がり。
一日3曲のつもりが、興に乗って6曲録りました。 なんちゅうこっちゃ。
いざとなったら仕事の速いイスラエル=セデーニョ(ベース)とマーティー=ブレーシー(ドラムス)。
京都の売り出し中ギタリスト、安達久美ちゃんもシュークリーム持って駆けつけてくれました。ありがとう。
来週は則竹氏(ds)と録音を控え忙しい中、嬉しかった!お互いがんばろう!
リズム録りが、こんなに速いのは珍しい。夜9時には「もうええか」となって終了。
マーティーと佐伯準一(キーボード)さんは、夜の京都に「一杯ひっかけ」にそうそうに出て行きました。
なかなか良いアルバムが出来そうです。一昨日のバルコスといい、ハードな毎日。

左は、ラグのスーパーエンジニア、三浦くん。
是方博邦(ギター)さんのコレノスやら、いっぱい録音してます。
右は、京都のカリスマギターテクニシャン、みーやん。

左は、元、僕のアシスタント、内潟君。今回は特別に手伝ってもらいました。
「もうアシスタントは沢山!」だそうです。(笑)
右は、うちのベーシスト、イスラエル=セデーニョ。

一日、レコーディングを終わって、魂の抜け殻の二人。
それでも、イスラエルの笑顔に力があるのはスゴい。
やっぱりラテン系は違う。
(2006.10/18)

<今日の出来事> 10月14日。
明日は,ミゲール=バルコス(p)と本番。みっちり、リハーサル。

 

数多くの本番で、ここんとこお世話になっている盟友たちと旧交のあったミゲールの再会コンサートが出来て、
とっても嬉しい。写真を撮ってくれたのは、明日タンゴ歌手デビューを果たす深川和美(ソプラノ歌手)氏。
自分の出番が終わりリハーサルを一足先に終え気楽になったのか、リラックスしてみんなの演奏を見てた。
ミゲールと1999年に初めて演奏した時、何が何だかわからなかったけど、
今回は、ミゲールが演奏するたびにコードやらリズムも違うのに荒玉哲郎(ベース)氏と共に
「うーん。あらよっと。ええ、どうだ。これで」と丁々発止。
小川 紀美代(バンドネオン)氏も「君の音には特別な響きがある」と褒められておった。
サクサクとリハーサルが進んでゆく。楽しい一日。コンサートも楽しみだけど、打ち上げも楽しみ。
これでまた、色んな人脈がリンクしたわけだ。
(2006.10/14)

<なぜギターなのか?>
結局、高校生になってギターを買うのだけど、その理由は、「みんなが弾いてるから」
「メロディーが弾けるから」「クラシック以外のジャンルが出来るから」であった。
吹奏楽漬けの中学3年間。とっても楽しかったけど、メインのメロディーを3年間、弾いたり吹いたりした事が無かった。
サックスは、対旋律が専門。コントラバスは、ベースライン。
始まりは、中学3年の時,同級生が放課後にフォークギターを弾いていたのを見た事。
その子は吹奏楽部でホルンをやっていたので、どうしてギターか聞くと
「譜面が読めるようになりたいから、入部しただけだ」という。
それから、フォークとか、ロックとかいう音楽のレコード(レコード!)をその子から借りるようになる。
E,L&Pとかのプログレッシブロック。井上陽水の「氷の世界」とか。すごく別の世界の香りがした。
その頃、受験生で深夜放送を聞いてデヴイッド=ボウイの「ステーション トウ ステーション」が気にいり、
レコードまで買ったけど、それが洋楽で買った最初のアルバムだった。
デヴイッド=ボウイが、ホモセクシャルだと聞いて「う、俺は、オカマの音楽を好きになったのか」と、
ショックを受けたのもその頃。
ともかく、そんなちょっと大人の世界が刺激的で、高校に入ったら、ギターを始めようと心に決めたのだった。
(2006.10/12)
<なぜタンゴか>
なぜギターか?に答えが出ないままに、なぜタンゴか?を。
タンゴなんで全然やりたいとかなかった。
ただ,グスタボ=グレゴリオをいう友人のアルゼンチン人ベーシストが、出来たのだ。
奥さんが、村上ゆみこ(ピアノ)さんと言って、この人が、僕の昔行っていた
アンミュージックというところの同僚講師になったのだ。
手近なところで、僕に白羽の矢が刺さり、彼らのオーケストラやら、バンドをいつも手伝った。
グスタボは、たいした人で本国ではちょっとした有名人らしく、
アルゼンチンの相当な音楽家ばかり家に泊めては、ちいさなツアーを日本で繰り返していた。
僕も共演者の経歴を後で聞いて「どおりでスゴい」と思った事が何回もあった。
いわいる外人慣れしたのも彼が居たからだ。
特にホルヘ=クンボ(ケーナ)は、フォルクローレであるが、
ものすごい巨匠で一生忘れられない経験になった。
そのあおりでアルゼンチンにギターを習いに行く気になった。
ともかく、習いたくてしょうがなかったのだ。
そして、その後、ゆみこさんが亡くなり、グスタボもマドリードに移り、
僕には、アルゼンチンの音楽をやる必要が急に無くなった。
喪失感の中、誘っていただいたのがアストロリコだった。
それは、グスタボの友人でアストロリコの歌手でもあるロベルト=デ=ロザーノの口利きによる。
ここで歴史的なあらゆるタンゴに接する事になり、また一苦労する。
その後、小川 紀美代(バンドネオン)とも出会い、ますます、タンゴに引き寄せられる。
最近はここまでやってると、ある種責任感まで出てくる。
以前のように、「いや、わかんないんですけど、タンゴは、付き合いでやってるんです」なんてもう言わない。
それなりにこだわりもある。
そんなとき、右も左もわからない時に出会ってたミゲール=バルコス(p)と5年ぶりぐらいで再会する。
節目を、また迎えたようだ。
(2006.10/10)
<なぜ、ギターか>
なぜ、ギターを選んだのか?さて、これには長い話がある。
最初ギターを聞いたのは、親父の弾く古賀メロディーだった?
Bあれだけ弾くには、今から思えば、親父は、まずまず練習したはずだ。
しかし、僕はギターは手に取らなかった。身近な楽器過ぎたかも。
悲しいメロディーが多かったからかな。
しかし、ギターを磨くワックスの匂いやケースを開けた時の匂いが、
普段嗅がない匂いで、とってもロマンティックなものなのだと思った。
それに、いつだったか親父が、念願の新しいギターを買ったとき、
ふたを開けて、眺めていて新品のギターの表板にぽっかり、傷をつけてしまった。
普段、あんまり怒っても、すぐに元に戻る父が、すごい剣幕で怒って、
しかもいつまでも傷ついたギターを眺めて溜め息をもらしてた。
意外な親父のへこみ方にショックを受けた。今の僕なら、絶対に許さないだろう。
今思うと、気持ちがわかる。そんなこともあった。
ともかく、ギターだけは辞めようと思った。難しそうだし。でも、気がつけば、音楽は大好きだった。
小さいころから広島の港の近くの住まいで何かと吹奏楽団がパレードしたりしていたのだ。
消防とか、警察とか。金色に光るトランペットのたぐいが、かっこ良かった。
小学校に入ると鼓笛隊があり、友達が小太鼓をやるとかで「そ、そんなのがあったのか」と、入る。
笛しか吹かせてもらえなかったけど。
中学に入ると小学校からの友人が、吹奏楽部に入った。
親父さんは、海上保安庁のなんか偉い人で、すごいカッコいい人で、お姉さんもクールな美人だった。
そのお姉さんは、クラブのOBで彼も入ったらしい。
僕は,まさか大人の楽器「トランペット」を吹かせてもらえるとは思わなかったので、すぐ入った。
が、もう、楽器の空きがなく「色も金色で似ている」とダマされてサックスを吹いた。楽しかった。
中学1年、6月ぐらいに学校の体育館で初めてのコンサートがあった。
父兄を呼んで演奏するのだけどヤマハかどこかから、先生が借りて来たお揃いの音符が
胸にちょこっと書いてある紺色のTシャツを着た。それだけで晴れやかな気持ちだった。
曲は1曲だけ「ウエスタナーズ」という西部の人々を題材にした良く知られたアメリカ民謡のメドレーだった。
人生初のコンサートは、半分も吹けなかった。技術がどうというのでもない。
ただ、初めて40人以上で一緒に演奏した時、あまりに響きがかっこ良くて、
自分がその和音の一部になっている事に思わず、ニコニコして、マウスピースがくわえられなかったのだ。
あれは、最高の経験だったと思う。音楽であれ以上の幸せを味わった事が無い。
その後,コントラバスを弾いたりしながら厳しい吹奏楽部で3年間過ごした。厳しかったがすごく楽しかった。
高校になると最初は吹奏楽部に入るつもりだった。しかし、これだけで終わるのがもったいなくなった。
で、結局入らなかった。全国で優勝するぐらい強い高校だったのに。(つづく)
(2006.10/06)