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2007年04月〜06月
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<関東プロモーションの一日> 岡本博文、東京、プロモーションの旅。 1時前に東京駅から始まり怒濤の一日。 ************** ラジオnikkei。短波放送に出演。 「あはは。だれも聞いてないかもしれないんだけどね。 でも、誰が聴いてるかわからないのも、この放送!」とプロデューサー小西氏本人の弁。 アナウンサー、山本さんの美しいMCに、自然としゃべる私。 新しい音楽ジャンル「ダイビングミュージック」を提唱。「ドライビングミュージック」があるなら まあ、Okamoto Islandは、もうジャズには聞こえないだろうし。いいんじゃないかと。こう言い切っても。 彼には、何回かCD評を書いていただいているのだけど、手放しで褒められた事が無かった。 mixiにも彼のファンは多く「くまさんのちょっとジャズ」のコーナー懐かしいとか、「私、彼のCD評の音楽が好き」と言う人多し。 ************* そのあと、噂の銀座山野楽器へ。おお。ちゃんと、売り場が! 全国のCD店の皆さんへ「皆さん、ノーマークでしょうが、理屈はいいから仕入れて試聴機に入れましょう」 写真提供していただいたパラオ在住ダイバー花木豊さん、ありがとう。 ************* ************* Okamoto Islandは、相当ゆるゆるな立ち上がりですが、がんばってます。
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<銀座山野楽器で!> 6月20日。待ちに待ったCDの発売日です。 銀座山野楽器で、平積みどころか、コーナーが出来ていました。しかも試聴コーナーの1番に入っている! たいした知名度もない、Okamoto Islandが。是非,まず、見に行ってみてください。 そして、試聴してください。今,試聴10万人を目指しています! mixiの友人からの情報です。 こんなの人生初めて。 長いおつきあいのファンの皆さん。Okamoto Islandを気に入っていただいた皆さん。 ダイバーの友人、協力いただいているダイビングショップの皆さん。 本当にありがとうございます。 ちなみに 京都、十字屋三条店でも、3Fにコーナーが出来ているとか、、。 目撃された方は,jawango@gaia.eonet.ne.jpにmailください。 なんだか、怖すぎて、自分で見に行けない。 **************************************** もう、絶対絶対、ツアーは,良いものにします。 (2007.06/20) |
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<Okamoto Island CDが上がって来た!> 昼にU氏から電話「あがってきたよ」そうOkamoto IslandのCDが、とうとう出来上がってきました。 ジャケット是非、手にとって見て欲しいです。嬉しい。出来過ぎだ。 写真を厚意で提供してくれた花木さん、デザイナー池上さん、事務所のみんな、手に手をとって、やってきたS氏、U氏。 頭の固い僕に、いつもつきあっていただいてありがとう! ロゴの緊張感やら、写真のレイアウト、CDの円盤の色、すべて満足。(涙、涙)生きてて良かった。 で、見開きを開いてみると、ライナーノーツが入っている。これが、赤木りえ(フルート)さんのコメントに感動。 さらに原 昭さんの書いてくださったライナー本文を読んで、まじで、私、泣きました。 こんなのそんなに話したことなかったのに、ちょっとしたことを覚えていただいて、 僕が、曲の中で、一生懸命表現しようとしたことや普段自分に言い聞かせて、がんばってきたことをちゃんと見てくれていた。 そんな人がこの世にいた。僕にとって最高のご褒美だった。 ずっと、自分の新しいプロジェクトを立ち上げようとして来たけど、自分の中で空回りしているところがあり、あるとき、一言 「僕らリスナーはね、結局『かっこいい!!』って感じたいだけなんですよ」と言われた。 言い訳無し「かっこいい!」と単純に感じるアルバム。それに向けて格闘を始めた。 そこが始まりで、ずっと、昨年からそれに向けて集中して来た。 |
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<プロセスと個人の資質> 音楽の制作が、ロック出現以降、変わった。ビートルズ以前は、「まず、素晴らしい設計図を書くリーダー」が居て、 その指導のもと、新しい音楽が作られて来た。 西洋クラシック音楽は、練習して、間違えず、最後まで、演奏能力のすべてを発揮して、音楽を表現する。 この方法のマイナスは、苦手なフレーズがあっても、気に入らない部分が有っても、なんとかして乗り越えなければならないことだ。 ところが、ロックが出て来て変わった。楽器を持ってろくな時間をかけてない人間が、ウッドストックをいっぱいにしたのだ。 メンバーが、ひとりひとり、もっとも得意なことをする。ギターは,Amのコードが弾ける。ドラムは、8ビートが得意。 マイルスは,「あれだけの人気を誇るロックバンドの連中が、ほとんど、音楽について何も知らないのに驚いた。 「音楽の制作に、プロセスを積極的に持ち込む」ためだ。当時のロックミュージシャンのような「一芸名人的素人」でなく、 プロセスを経て音楽にするには、だから、個人の資質が、重要になってくる。 今、プロセス自体が、変わりつつあり、次の時代が、来つつあると思う。「全てのことを知っていて、全てのことを使わない」資質の時代だ。 <匿名性> <出来そうで、出来ないもの> <コピーガードは、リスペクト> <もうミュージシャンが嘆く時代は、終わったのでは?> |
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<久々に語るぞ> <その一 1+1=3理論> 「1+1=3理論」というのは、宮野弘紀(ギター)さんが提唱する理論。 言わば,「あるものと対照的なあるものを上手く作用させて、新しい第3の結果を得る」ということ。 これは、色んなことに応用出来て、クリエイティブの基本と言える概念だ。 彼が言うには「父と母が居て子供が出来る」のが、基本という。なるほど。音楽にも、こういう考えは、すごく有効。 「ドラムが居てベースが居て、初めてグルーブするリズム隊が生まれる」「ツイーターとウーハーで、フルレンジ=スピーカーが生まれる」 ツアー中にこの話に夢中になって、ギターデュオについても話した。 ギターリスト二人が、共演すると、しばしば、競争することに一生懸命になってしまう。これは、1+1=2の考えである、と。 <その二 和テイスト> それは、日本語で生きて、日本のご飯を食べて、日本のアニメを見て育った、そんなところからじわじわ滲み出る「和テイスト」である。 <その三 世の中の変化> 2月にタケカワユキヒデ氏と仕事をしたとき「これからはお金をかける時代じゃない。手間をかける時代だ」と説明を受けた。 少し前、アメリカのタワーレコードが潰れた。CDより音楽配信が、さらに増えて行くらしい。 mixiやブログ、You Tubeが、すでに一般的だと言う事に最近気がついて、それを実感している。 <その四 知恵を使う> むしろ、物事の初体験にたくさんのインスピレーションが潜んでいると思うから、20代の意見は貴重だ。 ******** |
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<ジンジャーエール> 現在、Okamoto Islandのツアーを7月に組み立て中である。 お陰様で嬉しいのが「おい。出来たか!どうぞ、どうぞ!」みたいな反応があって、やっぱり嬉しい。 ちっちゃな所をこつこつまわると思いますけど、皆さん、よろしくお願い致します。さて ****************************************************** ジンジャーエールは、長い間謎の飲み物であった。 物語を読むと時折、『「まあ、ショウガビールでも飲んできな」と5ペンスを渡した』『彼は,ショウガ水を飲みながら、 道ばたを見渡たせる手すりにもたれかかった』などと、何かおしゃれに出てくる小道具である。しかし、マズそうである。 でも、主人公の少年は、まんざらでもなさそうに飲む。 その初めての遭遇は、「カナダドライのジンジャーエール」である。 遭遇するのは、ホテルの自動販売機。コカコーラ系あるいはペプシ系しかない中で「カナダドライ」なんて妖しかった。 しかもコーラもあったはずだ。小学生の頃、家族小旅行で初めて見かけたとき、飲みたかった、が、母にとがめられた。 きっと、腐っている」 中学の修学旅行でも、見つけたが、買わなかった。意外に奥手なのである。 高校に入って、広島、流川のジャズ喫茶に親友だったtくんとタバコ吸いたさに行ったところ、 彼が頼んだのが「カナダドライのジンジャーエール」だった。「お酒に見えるじゃろ」 飲んでみると拍子抜けするぐらい普通の味だった。 「サイダーじゃないか」 大学を卒業し、ぼちぼちジャズ喫茶や小さなパブで演奏し始めた時、 「ウィルキンソンのジンジャーエール」に出会う。 「ジンジャーやんか!」初めてショウガの味。これなら、物語の主人公も納得である。 最近は、銀色の缶に入って、コンビニで売られているらしいが、正しくは、緑のガラス瓶が、オリジナルで好ましい。 同様にルートビールも謎であった。小説にも出てくる。 これは、今世紀に入って、NYだったか、ボストンだったかサイパンだったかで飲んだ。 これの味には、正直がっかりであった。甘くなくて欲しかった。しかし、これも書きながら懐かしくなったけど。 (2007.04/09) |