essay



<最近の心境>
さて、Okamoto Islandのツアーが、近づいてまいりました。
たぶん、僕から、ご案内のmailが届いたりしている人の多いのではないかと思います。
是非,よろしくです。

さて、最近、感じることがあるのですが、ミュージシャンの人生って、意外にシンプルなんではないかと。
「新しい人に出会い、必ず、昨日よりすこしでも良いプレーをして、心から満足してもらい、それを喜ぶ。」
その為に、毎日、何かしら努力している、準備しているだけなのではと思います。

言ったら、照れることでもあるのですが、ステージに立って、自分が欲しいものは、「愛されたい」ってことじゃないかな、と。
で、自分が、わざわざ自分を選んで、ライブに来ていただく時に、自分が伝えたえなければならないのは、やっぱり「愛」ではないかと。
最近、それが、テーマです。「愛」は、簡単で、難しい。サッカーを表現するのに「足を使って相手のゴールにボールを入れるゲーム」と
単純に表現出来るのに、実際には、それで済まないのとおなじような気がします。

やっぱり「愛」ではと。当分、離れそうにないテーマです。

(2008.02/28)

<メロディーにコアが無い?>
そういえば、あまり感動的な音楽に出会うことが少なくなった。

「君も歳だろう」と言われれば、
そうかもしれないと思うこともあるのだけど、
最近、やっぱり、そうでもない気がしている。

どうにも、メロディーにコアが、少ないのだ。いや。
何と言っていいのかな。
どうも、メロディーにフェイクばかりが、目につく。
そんなに、最後の芯まで、辿り着いた形跡が見えないのだ。

音楽家に感動が無ければ、致命的だ、と思っているから、
新しい良いバンドがあれば聞かなきゃ、とアンテナを張ってみるのだけど、
TVでは、まず、それは、見込めない。

たまに良いものもあるのだけど、聞きながら胸に手を当ててみると
「歌詞のストーリー」に耳を奪われていたり、
アレンジの完成度に感心させられていたり、
アンサンブルのタイトさだったり。
ある民族音楽の香りが、濃いことに翻弄されていたり。
まあ、総合力で、何か合格点に辿り着いているのを感じる。

最後まで辿り着いたメロディーが、聞きたいと思う。
さすがに、クラシックは、そういうものの宝庫で、本人が死んでも残るだけのことはあるなあと思う。

アメリカとイギリスが、音楽で世界を席巻した1960年後半から70年半ばに、今の世間の音楽のジャンルは、出来たと思う。
特にインストの音楽は。

80年代は、あの頃、音楽産業に金をかけ始めた頃で
「何て商業主義になっていくもんだ」などと、思っていたけど、
思えば、コアなメロディーが、ゴロゴロある、と思う。
ポップだという意味では、まんざら、捨てた時代ではないな、と。

どうも、最近は、You Tube とか、My Spaceで、ワクワクするものに出会う。
僕もマニアックかもしれないが。

結局、自分がわくわくする音楽は、もう自分で作るしかなくなった、
ってことだろうな。

いや「俺様のが、世界一!」とか、そういうつもりは、全然無いです。
そういう意味じゃなく、

「暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけましょう」
と、思った訳です。

(2008.02/13)


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