西国33カ所霊場へのアクセス
<西国巡礼のはじまりの伝説> 長谷寺の徳道上人が、年老いて仮死状態にあったとき、閻魔(エンマ)大王と出会い 「今の世は罪を重ねて地獄に落ちる者が多く、何とか救いたい。 そのためには観音さまの三十三の救いの手によるのが最も手っ取り早いので、悩み苦しむ人たちが観音さまとご縁が結べるよう段取りをしてほしい。 お観音さまと結縁した者は全て極楽へまいれるようにしたい。 ただし、人間は嘘つきもいるから三十三ヶ所の宝印(納経朱印)を与えるので、一ヶ所毎に捺印するように」と大王に指示されて、再び娑婆へかえされた。 養老二年(718)、元気を回復した上人は、閻魔大王から預かった三十三ヶ所分の宝印を捧持(もったいない宝印なので行衣の上に、もう一枚袖なし「おいずり」を着ける)して長谷寺をあとに行脚の旅に出て、観音さまを奉安する三十三ヶ所を捜し求めた。 しかし、当初は徳道上人を誰も信用せず、止む得ず中山寺に宝印が埋められた。 それから永延二年(988)、花山法皇がこの宝印を掘り出し、仏眼、性空、弁光上人などを供にして、紀伊・那智をはじめ美濃の谷汲で結願された。 西国巡礼は「あの世へ旅立つための覚悟を決める修業の旅」でもある。 般若心経で説く 「とらわれない、こだわらない、おおらかな気持」で、ご朱印のすんだたった一枚の「おいずり」を身に着け、なんの思い残すことなく、笑ってこの世からあの世へ旅立てるならば、本当の幸せな一生といえましょう。 合掌 |