西国33カ所霊場へのアクセス

1番 青岸渡寺 10番 三室戸寺 19番 革堂・行願寺 28番 成相寺
2番 紀三井寺 11番 上醍醐寺 20番 善峰寺 29番 松尾寺
3番 粉河寺 12番 岩間寺 21番 穴太寺 30番 宝厳寺
4番 槙尾寺 13番 石山寺 22番 総持寺 31番 長命寺
5番 葛井寺(藤井寺) 14番 三井寺 23番 勝尾寺 32番 観音正寺
6番 壷阪寺 番外元慶寺 24番 中山寺 33番 華厳寺
7番 岡寺 15番 今熊野観音寺 番外花山院・菩提寺
8番 長谷寺 16番 清水寺 25番 清水寺
番外法起院 17番 六波羅蜜寺 26番 一乗寺
9番 南円堂 18番 六角堂・頂法寺 27番 圓教寺
<西国巡礼のはじまりの伝説>

長谷寺の徳道上人が、年老いて仮死状態にあったとき、閻魔(エンマ)大王と出会い 
「今の世は罪を重ねて地獄に落ちる者が多く、何とか救いたい。 
そのためには観音さまの三十三の救いの手によるのが最も手っ取り早いので、悩み苦しむ人たちが観音さまとご縁が結べるよう段取りをしてほしい。
お観音さまと結縁した者は全て極楽へまいれるようにしたい。 
ただし、人間は嘘つきもいるから三十三ヶ所の宝印(納経朱印)を与えるので、一ヶ所毎に捺印するように」と大王に指示されて、再び娑婆へかえされた。
 養老二年(718)、元気を回復した上人は、閻魔大王から預かった三十三ヶ所分の宝印を捧持(もったいない宝印なので行衣の上に、もう一枚袖なし「おいずり」を着ける)して長谷寺をあとに行脚の旅に出て、観音さまを奉安する三十三ヶ所を捜し求めた。
 しかし、当初は徳道上人を誰も信用せず、止む得ず中山寺に宝印が埋められた。
それから永延二年(988)、花山法皇がこの宝印を掘り出し、仏眼、性空、弁光上人などを供にして、紀伊・那智をはじめ美濃の谷汲で結願された。

西国巡礼は「あの世へ旅立つための覚悟を決める修業の旅」でもある。

般若心経で説く 「とらわれない、こだわらない、おおらかな気持」で、ご朱印のすんだたった一枚の「おいずり」を身に着け、なんの思い残すことなく、笑ってこの世からあの世へ旅立てるならば、本当の幸せな一生といえましょう。 

合掌