一汁一菜の旅行歳時記(2000.5〜2004.12)
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目  次


24 2004.11.23〜    配偶者が本物の湯治で鹿教湯温泉へ出かけています。
23 
2004.11.6〜7    湯治のつもりで平湯温泉と上高地へ一泊旅行に出かけました。
22 
2004.8.15〜16   盆の墓参りを兼ねて信州上山田温泉へ一泊旅行に出かけました。
21 
2004.5.5〜6     今年は6月旅行の代わりに、連休ですが九州に出かけました。
S 
2004.3.6〜7     今年は家族で北陸・山中温泉へカニグルメ旅行に出かけました
R 
2004.1.4〜5     新年の休みを利用して森田一家とスキー旅行に出かけました
Q 
2003.12.13〜14   職場の忘年慰安旅行で一泊の伊勢・志摩へ出かけました
P 
2003.8.9〜10    家族で墓参りを兼ねた一泊旅行に出かけました。
O 
2003.6.16〜18   夫婦で奥飛騨と信州へ旅行をしました。
N 
2003.2.8〜9     恵那市立藤小学校の40年ぶりの奈良・京都方面へ同窓会修学旅行に出かけました。
M 
2003.1.4〜5     森田家と一緒に奥伊吹スキー場へ正月スキーに出かけました。
L 
2002.12.14〜15  職場の忘年・慰安旅行で城崎温泉へ行きました。
K 
2002.11.16〜19  勤続30周年記念して草津温泉・東照宮へリフレッシュ旅行
J 
2002.8.10〜11   盆の墓参りを兼ねて駒ヶ根高原で一泊して木曽駒ヶ岳へ登りました
I 2002.7.13〜14   恒例の多田商店旅行に出掛けました。今年は愛知県・蒲郡温泉郷でした。
H 2002.6.15〜18   銀婚式を記念して3泊4日で台湾旅行に行きました。 
G 2002.3.16〜18   家族旅行で「蔵王温泉スキー場」へ出かけました。
F 2002.2.2       妹さん夫婦と一緒に日帰りで「奥伊吹スキー場」で、スキーを楽しんできました。
E 2001.11.19     配偶者の親元の両親と我が家の2人・合計4人で小豆島へ小旅行を楽しんできました。
D 2001.10.26     自治会主催の親睦バス旅行があって、夫婦で参加しました。
C 2001.7.3〜6     年に一度の夫婦旅行として、シンガポール旅行へ行って来ました
B  2001.1.27〜28   家族で今年初めてのスキーに行きました
2000.9.23〜24   恒例 『T商店旅行』
@  2000.5.31〜6.6   夫婦初めての海外旅行はオーストラリア

R 2004.1123〜
 配偶者が本物の湯治 のために信州・鹿教湯温泉へ出かけています

 
11月23日の祭日を利用して信州・丸子町の鹿教湯温泉へ向かいました。実は、配偶者は、保母の職業病である「頚碗障害」で11月のはじめから職場を休んでいます。家で静養していましたが、早く職場復帰したいという願望もあって、膳所診療所に相談して、この場所を選んだというわけです。

 この温泉は、昔から湯治の湯として知られているそうで、脳卒中のリハビリ病院としても有名な
鹿教湯病院のお世話になる、計画です。

 自宅からは345q、高速を利用しても自動車で5時間かかる距離です。自宅を12時過ぎに出発しました。午後五時に到着。

 今回宿泊をお願いしたのは、ホテル河鹿荘別館。別館は2階建て、2階の東側8畳の部屋を借りることができました。炊事場があって、風呂は温泉で24時間自由。トイレは共同でした。早速温泉となっている内風呂に入りましたが、大きな風呂を独り占めする贅沢な入浴でした。


 この日は宿泊。翌日、早朝一時間かけて鹿教湯温泉を散策しました。谷川沿いの遊歩道には、
鹿の像と温泉湯飲み場が、枯葉に埋もれてひっそりとしていました。

 また、大きな病院があってそこが鹿教湯病院。途中には、リハビリのために作られた歩道が整備されていました。

 編集長は24日に自家用車で帰途に着きましたが、配偶者は1週間滞在の予定です。診療所は1ヶ月ほどという薦めでしたがとてもそこまでできない、ということで1週間の予約をとっています。

 どこまで治るかが問題ですが、家事から開放されるだけでも、相当の休養になると踏んでいます。職場に復帰する体力は1ヶ月が駄目なら2ヶ月と、気長に行く以外にないでしょうが。
 


R 2004.11.6〜7
 湯治のつもりで平湯温泉と上高地へ一泊旅行に出かけました。

 この土曜日・日曜日は信州・平湯温泉へ旅行に行ってきました。

 配偶者の
父母と一緒の旅行の予定でしたが、親父さんの足が痛い、ということで中止となり代わりに(?)長女を連れて3名の旅行となりました。

 配偶者は左の肩付近が非常に痛くて、
温泉療養をしたいという強い要望もあり子どもに声をかけたところ長女が空いていたので参加してもらった旅行です。

 平湯温泉は奥飛騨温泉郷の一つで、湯量が豊富で
源泉・かけ流しのお湯であることを確認して申し込みました。泊まった所は平湯館という旅館。古くからある旅館のようで、庭が非常にきれいな所でした。
 お湯の量は非常に豊富で
露天風呂に流れ込んでいる4本の瀧のようなお湯は圧巻でした。大きな部屋をもらって、食堂で食べる料理はまあまあでした。丁度食べてしまえるだけはありました。風呂には食事前・食後・翌朝と3回入って、十分に温まりました。

 丁度紅葉の季節です。土曜日は
古川町へ回って街なかを散歩しました。宮川から取り入れた水が街なかを流れています。そこを錦鯉が悠然と泳いでいて落ち着いた町でした。

 翌日はバスに乗って
上高地へ。大正池で降りて河童橋まで約4キロメートルを散策しました。快晴で焼岳や穂高岳がよく見えて快適でした。河童橋で記念撮影。お決まりのコースです。

 そのあと、高山までもどって、せせらき街道を郡上八幡まで下っていくドライブを楽しみました。道の駅で食事をと思っていましたが、超満員で、食堂の順番が取れなくて結局食事にありついたのは午後2時半を回っていました。それも、最初の清見ではなく、宝来の道の駅でした。皆、紅葉を楽しもうという気持ちは一緒みたいです。

 郡上八幡から
長女の運転で高速に乗りました。い眠っている間に110キロ〜120キロのスピードで飛ばしたようで、そこから2時間弱で家まで帰ってきました。車好きの長女はスピード狂?楽しい旅行でした。
 

R 2004.8.15〜16
 
盆の墓参りを兼ねて信州上山田温泉へ一泊旅行に出かけました

 
盆に墓参りを兼ねて信州に旅行に出かけました。少し時期をずらして15日(日)~16日(月)としました。長男が友人と一緒に別の旅行に出かけるということで、長女と夫婦と3人で出発しました。8時過ぎに家を出て、名神高速から中央自動車道を経て瑞浪インタ-で下りて、恵那の墓参りに。集落の真中に2車線の真っ直ぐな道が通っています。花と水は自宅から持っていきました。水をかけて花を飾って線香とろうそくを立てて、年に2回の訪問です。

 その後、中津川まで走って高速に乗りました。中央道を諏訪まで行って、長野自動車道で更埴ジャンクション手前で降りました。そこから国道18号線を南に下ること30分ほどで、戸倉上山田温泉に到着しました。午後三時に到着です。選んだ旅館は上山田ホテル。温泉風呂自慢の宿、ということで選択しました。お湯が47度で、加温も加水のなしでお風呂は源泉かけ流しというキャッチフレーズです。

 旅館に早く着いたので付近を散歩しました。貰い湯も。温泉は丁度夏祭りでした。露天風呂などゆっくり浸かって楽しみました。

 翌日は、先ず長野市の
善光寺へ出かけました。初めての参拝です。裏側に駐車場が整備されていました。大きな寺で門前の出店を見て回って買い物をするのが楽しい時間です。そこから松本市まで戻って美ヶ原からビーナスラインを走りました。外は涼しい位の気温で、見晴らしもよく、霧が峰は車で一杯でした。

 帰りは渋滞に巻き込まれて1時間遅い8時着でした。長女が忙しいスケジュールを縫って参加してくれたことが夫婦の何よりの慰安旅行でした。


R 2004.5.5〜6
 
連休中ですが、夫婦旅行で 九州へ1泊2日の旅に出かけました。

 
今年は保育園が忙しくて6月に旅行の日程が取れないだろうということで、連休中でうが、北九州に、1泊2日で夫婦旅行に出かけました。JTBの旅物語に申し込んでの団体旅行でした。

 
コースは、新幹線の新大阪集合―新幹線で小倉まで−バスに乗り換えて、宇佐八幡宮―肥後高田の昭和村―湯布院温泉−別府温泉−別府湾ロイヤルホテル泊−阿蘇長者原−仙酔峡−飯田高原−柳川・川下りー小倉−新幹線で新大阪へのコースです。 だいぶ欲張ったコースで、バスの移動も沢山ありました。

 よりも天気が2日とも快晴で、文句のない日でした。写真は左が、湯布院のアイスクリーム屋さんの前(後ろの山が由布岳)と、右が長者原で中岳の噴火の煙を背景にした写真です。

 旅行はいのちの洗濯とよく言いますが、温泉に入って、いい空気を吸って、なかなか快適な旅行でした。柳川の川下りも初めての経験でしたが、町並みが掘割を中心にしてよく整備されていて、観光のまちとして生き返っている気がしました。

 宇佐八幡宮で、デジタルカメラを石段の上に落としてしまって冷っとしました。へこみが3箇所でましたが、幸い、撮影には支障がないということで、ホッとしました。前回のカメラは落としてズームが効かなくなりました。傷だけでしたので、未だ使用できます。

 写真を40枚ほど撮りましたが、デジタルは焼くときに選択が可能ですので、気軽にシャッターを切ることが出来ます。


R 2004.3.6〜7
 家族で北陸・山中温泉へカニグルメ旅行に出かけました

 
今 毎年3月に家族でスキーに行きたいと計画を練るのですが、今年は早々に諦めてカニグルメ旅行にしました。場所は北陸・山中温泉。温泉に入ってカニを食べたい、という配偶者の声が生かされたプランです。

 今回は長男はバイトのために留守番となって代わりに長女が参加。長女は朝2時に会社に呼び出されて出勤、不具合を何とか克服しての参加でした。そのため家の出発は11時過ぎとなりました。一時間の睡眠。車の中でずっと爆睡していました。

 折りしも低気圧の接近で北陸自動車道は雪・雪。一面の雪景色に変わっていきました。山中温泉にはごご3時前に到着。そのままチェックインして、部屋でのんびりすることにしました。温泉に入って夕食は午後6時から。カニのフルコースは、ゆでガニ・刺身・焼きガニ・鍋・吸い物・煮物・揚げ物等等。2時間かけてじっくり味わいました。 温泉にまた入ってゆっくりしました。

 翌日は一面の雪景色。外は30cmの積雪でした。温泉に入って朝食を食べて、チェックアウトは10時過ぎ。スタッドレスタイヤなので運転は怖くありませんでした。雪のこうろぎ橋を見に行って、カニ汁で暖まって、みやげ物を買って、付近を散歩しました。

 帰りもずっと雪景色の中でした。途中は普通タイヤのチェーン規制をしていました。3月の旅行に雪を堪能できて楽しい旅行でした。
 

R 2004.1.4〜5
 森田一家と奥伊吹スキー場にスキーーにでかけました

 
今年は1月4日〜5日と森田家の一家と一緒に奥伊吹スキー場へ出かけました。
1月4日の朝5時に家を出発しました。自動車は3台。森田家3人、松村+林田家の計3人、石塚家2人の
合計8名です。名神の米原インターで下りてコンビニに寄って朝食を購入。そこから30ほど川を上っていくとスキー場につきます。かっては、この道が山にへばり付いていて交通の難所だったようですが、今はトンネルができて快適です。

 陽気は穏やかで、道の周りにも雪は見当たらないほどです。スキー場の公式発表は
60センチの積雪ということですが、ゲレンデはブッシュが出ていない程度というところです。
駐車場に到着したのが7時過ぎでしたが、上の方まであがることができました。

 今回は、
スノーボードをする人が3名、ショートスキーが5名の組合せです。午前8時のリフト開始とともに登っていきました。昨夜の冷え込みでゲレンデはアイスバーン状態で、足に振動が来て大変でした。午前10時の休憩を取るころには丁度よい雪質となって、一日券の分だけ滑ろうとどんどん行きました。昼食は、食堂で購入したものを外のテーブルで食べました。いつものことですがビールが美味い。結局第一日目は午後三時まで頑張りました。

 今年は「
アグリコテージ」という8人収容のコテージを予約。スキー場から3キロほど下ったところにあります。全員が風呂に入って、午後6時から夕食。牛タン焼きとすき焼きと、肉三昧のご馳走でした。疲れも手伝って午後9時過ぎにはダウン。

 翌日もまた快晴。少し遅くて、ゲレンデについたのは10時を過ぎていました。一日違いでゲレンデは黒いところが出てきていました。今日は余りガンガン行かないでゆっくりと構えながら滑りました。
ショートスキーは方向をすぐに変更できるので、非常に楽ですが、その分スキー上達ーの楽しさという点では劣ります。ゲレンデの変化がないと単調となる嫌いがあります。回転したり逆すべりしたりのバリエーションを楽しみました。

 午後三時で終了。荷物を自動車に積んで、草津まで引き返しました。「
極楽湯」に浸かって極楽極楽。楽しい2日間でした。

 

Q 2003.1213〜14
 職場の忘年・慰安旅行で今年は伊勢・志摩へ出かけました。

 職場の親睦忘年旅行に行ってきました。昨年に引き続いて今年も忘年親睦旅行を幹事が企画して、今年は、伊勢・志摩方面へ海の幸を味わう旅行となりました。

 12月13日(土)〜14日(日)が日程で、今年の参加者は係の7名全員と他から2名の合計
9名の参加となりました。内訳は女性3名、男性6名でした。

 京都駅に12時過ぎに集合。1時発の近鉄特急で鳥羽までおよそ2時間です。車中では弁当と缶ビールで昼食を取りました。目的地は海の幸の宝庫の
相差。鳥羽駅まで一泊お世話になる「海幸の宿なかよし」のマイクロバスが迎えに来てくれました。16キロ20分の道のりでした。民宿という詠いでしたが、97年に改装して旅館と民宿の中間くらいのランクに見えました。フロントが広く取ってあるのが印象に残りました。

 午後6時からの宴会に2時間ほど時間がある、とうことで、皆で相差港を散策しました。岬があって鯨の記念碑が立っていました。旅館に帰って風呂に入りました。16名入浴可能ということで大きな風呂でした。露天風呂もありました。

 6時から宴会。とにかく
豊富な料理でした。鯛とひらめの造りの船盛があって、鯛の煮付けがあって、踊りえびがあって、もずく・茶碗蒸・生あわび・煮物などなど。大変な量でした。どれも新鮮で驚嘆の声があがっていました。8時前からカラオケもスタート。お腹こなしに順番に歌いました。結局9時まで3時間の宴会でした。

 翌日は快晴の絶好の日和。鳥羽まで戻って、内宮を参拝して「
おかげ横丁」で時間を潰しました。グルメ旅行
で、よく食べよく飲んだ楽しい旅行でした。


P2003.8.9〜10
台風10号と並行して走る形になりましたが、予約していましたので、コースのみ変更して、濁河温泉と墓参りに出かけました

 台風が接近して、この週末に日本列島を縦断するというコースだったため、職場への出動があるかもしれないということで、出発が危ぶまれましたが、何とか、台風も行き過ぎたということで、年に一回の家族での墓参り旅行ですので、中止することなく、、9日の朝遅くに、家を出発しました。 コースの概略は以下のとおり。

濁河温泉ははじめてのところです。もともとは名神・中央道で中津川まで行って、そこから木曽福島へ行って、開田高原からアプローチする予定でいました(途中で、恵那に寄って墓参りをするため)。しかし、台風の影響で非常に強い雨と風があって、墓参りを一日延期して、帰りに寄ることにしたため、丁度、予定と反対のコースを取りました。

〇雨と風の中での運転の場合は、可能な限り、大きな安全な道がいいだろうということで、午前9時半に家を出発。名神高速道路に乗って、一宮JCTまで行き、そこから
東海北陸自動車道に乗って、終点まで行きました。200km強で、3時間。途中、ひるがの高原SAで、昼食を取りました。清川から高山までは30分ほどで着きました。

〇高山からのアプローチには3本の道がありました。朝日村から向かう最短コースと、小坂まで下って、そこから行く正面コース、それに木曽街道を開田高原まで下ってそこから行くコースと。雨が降って初めての道、ということで,
小坂コースを選択しました。

〇高山からは
国道41号線で40kmくらいで着きました。そこから、進路を左にとって、山の中へ。小坂には温泉が3つあって、一つ目を通り過ぎながら、鈴蘭高原に向かって進みます。途中から道が険しくなって、鈴蘭高原から分かれて単独の道になると、離合が困難な道に。随分と曲がりくねった道を登っていきます。霧が出てきて道路の下は見えませんが、崖になっている様子です。この道が10kmほど続きました。もう終わりと思ったところに標識があって、あと12kmと。山道が延々と続く感じです。結局1時間以上、曲がりくねった道を登っていって、濁河温泉に到着しました。秘境の温泉がぴったり。旅館で、4時前でした。

旅館御岳は、過日のホテル新穂高と姉妹旅館だということです。ゆったりとしたつくり。4階の部屋を通してもらって、やっとゆっくりできました。温泉は水は濁っているというほどでもなくて、強いこともなく、長く入っていられました。露天風呂の正面は渓流を挟んで切り立った山の緑が迫ってきていてなかなかの眺めでした。水量が多くて、滝が音を立てて流れています。女性の風呂の正面。

〇早朝には、付近を散歩。
御岳の登山口になっていて、神社が祭られています。現在位置が海抜1800mで、御岳の7合目に当たると、看板にありました。自動車で沢山登ってきたわけです。原生林の遊歩道があって、軽く歩きました。北斜面のため、日の出はちょうど逆で、御岳からのぼってくる感じでした。

〇台風一過で晴天の天候になって、旅館を9時半に出発。今度は
開田高原方面へ、チャオ御岳スキー場めがけて進みました。途中の山道は少しだけで、こちらのほうが、ずっと道もよくて、走りやすかった気がします。チャオから国道361号線に突き当たって、木曽福島方面へ。途中に『木曽馬の里」というところがあるということで、寄ってみました。

〇木曽馬の放牧がしてあって、付近は蕎麦の花が真っ盛り。ラズベリーの農園があったりして、のんびりムードでした。アイスクリームを購入して食べました。

〇木曽福島からは国道19号線にはいり、
寝覚めの床をちょっと見物して、昼食をとり、恵那のお墓に向かいました。花は、高山へ向かう途中の道の駅で購入した新鮮なもので、水は御岳の7合目の水です。墓に水をやって花を飾って、参拝を済ませました。

〇ちょうど、墓地の近くに大きな
ホウバの木があって、昨日の台風の影響で葉っぱが落ちていました。これ幸いとばかり、20枚ほど拾ってきました。乾燥して、ホウバ味噌にしたい思っています。

〇中央道の瑞浪インターから乗って、一宮と竜王で渋滞がありましたが、午後4時半に無事帰ってきました。


 


O2003.6.16〜18
梅雨の最中ですが、夫婦で年に一回の慰安旅行として、奥飛騨・信州へ出かけました。

 
今年はSARSの影響で海外(アジア)へ行く気にはなれない、ということで国内の温泉めぐりを計画しました。奥飛騨温泉郷白骨温泉に2泊するプランです。夫婦2人で出かけました。

 コースの概略は以下のとおり。

 家を出発して、名神高速道路で一宮手前まで行き、東海北陸自動車道路に乗り換えて、終点の清宮で高速を下りて、一路東へ走って、
高山市へ。市内観光は駐車場に車を止めて行う。そこから、国道148号線を東へ進んで、平湯温泉へ。そこから北へ向かって、奥飛騨温泉郷の新穂高温泉へ。泊まる旅館は「ホテル穂高」。ロープウエイの隣りにある旅館です。

 翌日は
新穂高ロープウエイで西穂高の2100m地点まで上って、付近を散策。そのあと下りてきて、温泉をあとにして、車でトンネルを使わずに安房峠を越える。そして、上高地へ入るのは諦めて、乗鞍高原へ向かう。一の瀬台地付近を散策する。スーパー林道を利用して白骨温泉へ。「白船荘新宅旅館」に宿泊する(写真参照)。

 3日目は、148号線を一路松本市に向かって、そこから北へ向かい、豊科の「
わさび田」を見学。そして、松川村の「いわさきちひろ美術館」を見学。信州蕎麦で昼食をとって、豊科から長野自動車道に乗って、諏訪から中央自動車道へ。途中、飯田で下車して「馬刺し」がおいしい店に寄って土産を購入。そして小牧から名神に乗って帰途に着く、というプラン。ほぼ820kmの走行です。

〇先ず、泊まった旅館の印象ですが、いずれも上品で及第点でした。温泉の湯は白骨温泉の
白濁湯が印象的で、肌がすべすべになる感じがしました。新穂高温泉はイオウの匂いがしました。いずれも、露天風呂がありました。2泊とも、夜2回朝1回の3回の入浴が出来ました。料理は、新宅旅館が一つ上でした。品数が多い上に上品に作られていて、全部食べることができました。満足度9です。

〇観光地では、高山の「
古い町並み」というところがえらい賑わいを見せていました。造り酒屋で冷酒を飲んで大変甘く感じたのが記憶に残っています。山車記念館で高山祭りの山車を見学しました。「いわさきちひろ美術館」は松川村の広々とした土地に建っていました。展示コーナーでは世界の絵本、ちひろの年譜、作品集など、飽きずに見て回ることが出来ました。土産に絵入りのマウスパットを購入しました。

〇天候のほうは、梅雨の最中ということで、昼間はなんとか持ちましたが、朝夕は雨が落ちていました。西穂高に登ったのに一面の霧で山が望めなかったのが残念でした。

〇散策では、穂高の下の鍋平高原と乗鞍高原とで森林浴を楽しみました。特に,
乗鞍は散策用の道が整備されていて、2時間〜3時間歩くことができる本格的コースも設定されていました。

〇疲れをとる旅行ということで、のんびり・ゆったりのはずですが、運転者以外が車の中でよく寝たことのほかは、よく動いていた気がします。よく、おみあげを購入した旅行でもありました。

〇おみあげ各種。生わさび・わさびのミソ漬け・山ブドウ・高山ラーメン・ホウバミソ・ホウバ用のス焼き台・せんべい・馬刺し・その他。買い物も楽しい時間であることは確かです。



 

N 2003.2.8〜9
恵那市立藤小学校の40年ぶりの同窓・修学旅行に出かけました。

 
幹事の骨折りで今年の同窓会は、小学校の修学旅行のコースをたどりながら旧交を温める粋な計らいの催しでした。

 編集長の卒業した学校は岐阜県恵那市立藤小学校です。今は廃校になってありません。武並小学校の分校だったのを戦後になって独立した小学校としたもので、歴史は浅いのですが、母校に変わりはありません。その藤小学校を卒業したのが1962年(昭和37年)3月です。クラスは1クラスで、44名。男女22名ずつでした。従って6年間クラス替えも無く、同じメンバーで学んだことになります。
 小学1年・2年が市川先生、3年が安田先生、4年・5年・6年が北村先生でした。今年まででちょうど40年の月日が流れたことになります。修学旅行は6年の5月に奈良・京都方面でした。その前までは伊勢だったのを変更してのコース選択だったと言います。そのコースと同じコースを、恵那から観光バスを仕立てて、1泊2日でたどってみよう、というのが今回の催しでした。

 編集長は大津住まいなので、途中から合流することにしました。担任の恩師の先生が岐阜県安八郡神戸町出身で、同じく奈良で合流するということで、JRで待ち合わせて、奈良線を法隆寺に向かいました。車中では、小学時代の生徒の様子や先生の消息などに花が咲きました。
 11時過ぎに法隆寺で合流。男性10名、女性5名に先生が一人。総勢16名でした。クラスの4割弱の参加です。良く集まったものと考えた方が良い人数ではないか、と思いました。ここまでのバスの中ですでに随分と出来上がっていて、ビールとお酒で乾杯しながらの昼食は賑やかこの上ない騒ぎでした。法隆寺から奈良公園へ移動して、東大寺の大仏殿と2月堂と猿沢の池を見学。残っていた小学当時の写真があるところでは、同じように写真を撮りました。

 そこから京都へ移動して本能寺会館に宿泊。夕食時の広間では、また話に夢中になりながらの食事となってで、賑やかでした。子供のことや今の生業・クラスメートの消息などが話題となっていました。部屋に帰っての2次会では、アルコールが入って寝るものもでましたが、自分の子供が参加したスポーツ少年団の話などが話題に上りました。

 翌日の京都見物は、先ず清水寺へ出かけて舞台を眺めました。そこから三十三間堂へ行って1000体の仏像を見学しました。ここまでは修学旅行コース。ここから参加者のリクエストで壬生寺へ行きました。「壬生義士伝」の映画が今上映中で、吉村貫一郎の形跡があれば見たいと思いました。寺の隣りに新撰組が屯所としていた篤志家の家がそのまま保存されていて屯所の雰囲気が残っていました。屯所餅も購入しました。最後は嵐山へいきまいた。昼食を取って天竜寺へ。途中、渡月橋を人力車で渡る歌手の長山愛子さんに遭遇して、写真に収めたりしました。西利の漬物などの土産を買う時間もあって、皆さんたくさん購入していました。そして、先生と編集長は西本願寺前で降ろしてもらいました。

 40年ぶりとは行かなくても高校を卒業して初めての人もいました。体格としては太る人と細くなる人と両極端になるようです。編集長は痩せ党なのか、昔はふっくらしていたのに、とよく言われました。今のところ健康で、入院の経験は生まれてこのかた一度もないことを強調しておきました。どちらかといえば聞き役で、いろいろな人の話を聞いて楽しんだ2日間でした。

 次の旅行は7年後の60歳の定年の時だということが話題になっていました。楽しい旅行でした。


M 2003.1.4〜5     
森田家と一緒に奥伊吹スキー場へ正月スキーに出かけました
 
 
今年は森田家が長女夫妻が正月に横浜から帰省していたので夫婦と長女夫婦と次女と三女で6名で正月スキーを計画しました。検討の結果、スキー場から3kmのところにある伊吹町の「アグリコテッジ」を借りることになったので、8名定員の中あと二人の余裕があるので、我が家の編集著と長男が同行することになりました。

 1月4日は朝5時に出発。先ず森田家まで行って次女・三女の2名を我が家の車に乗せて、森田家はサーブ、我が家はドマーニで出発しました。タイヤはスタッドレスタイヤを履いています。コンビに寄って、朝食を購入し、瀬田西インターから名神高速道路に乗って、米原インターまで約40分。そこから県道を北へ走って、伊吹スキー場を越えて、走ること30分。一面の雪景色に変わってきて、スキー場に到着です。駐車料金の1,000円を支払って、強引にゲレンデ近くの駐車場へ進みました。午前7時には到着できました。

 8名のうち、4名は編集者を含むショートスキー、あと4名(いずれも若者)はスノーボード。ボードはレンタルのため、並んで借りることになりました。一人4,000円。リフト券も一日券が4,000円でした。

 リフトが動き出すのは午前8時でした。朝のうちはゲレンデも機械で整備されているため滑りやすくて快適でした。スキーヤーの4割がボーダー残り3割がストックなし、残り3割が通常のスキーとスキー場も様変わりしています。ここのゲレンデは余り急ではなくて、ボーダーには快適なところでなないかと思います。ショートスキーは特別の技術は入りません。滑りたい方向へ自然と方向転換も簡単ですし、ストップも簡単です。気楽なスポーツのような気がします。ボーダーの4名は初級者と初心者の中間くらいの腕前なので、良く転んであちこちが痛いといっていました。

 午前10時半には小休止で、レストハウスに集合。早い昼食を取りました。外に出て記念撮影。この日は寒い日で風もありましたので、リフトに乗っている間が何とも寒くて大変です。午後5時にリフトが止まるまで滑っていようと、最初は意気込みがすごかったのですが寒さには勝てずに、結局午後三時半すぎには終了となりました。

 そろって自動車に乗り込んで、コテッジへ。坂の上にあるため、道路の凍結で上るのが怖い気がしました。コテッジは広くて、部屋も沢山あって、8名が寝るのに充分な広さでした。早速、順に風呂に入りました。その間に食事の準備をしてもらって、全員が
入り終わった頃にはすっかり準備が完了しました。乾杯の音頭で早速料理をいただきました。焼肉と牛タンとの肉三昧。
ビールも美味しい。食事のあとはトランプ遊び。親を決めてカブをしました。スキーの疲れが手伝って
早々に寝入っていまいました。

 翌日は7時起き。寒い日で外はマイナス4〜5度でした。車で降りていく坂道が怖いため箒を持って道路を掃きました。朝食は家で焼いてきたパンと目玉焼き。こういうところで食べる朝食はおいしいと評判でした。コテッジを午前9時半に出発して、今日は滑らずに、帰途につきました。家には正午前に着きました。にぎやかで楽しいスキー旅行でした。


L 2002.1214〜15
 勤職場の忘年・慰安旅行で城崎温泉へ旅行しました。

 職場の忘年・慰安旅行で城崎温泉へ一泊旅行に行きました。都合がついた職員七名が参加。京都発城崎行きの特急城崎に乗車。京都で購入した駅弁を車中で食べました。

 城崎は過日の寒波で道以外は雪で覆われていました。旅館は東山荘。部屋に着くとさっそく、そろって外湯に出かけました。最も奥の鴻の湯へ。道すがらが下駄の音と丹前と街燈とで最も情緒がありました。夜の料理はカニ三昧。刺身と焼きガニとボイルと鍋と最後はカニ雑炊。どれも美味しくて、食べきれない量でした。カラオケで盛り上がったあと、部屋で2次会。焼酎の差し入れとトランプ手品で楽しいひとときを過ごしました。

 翌日は、外湯で一風呂浴びた後に朝食。チェックアウトのあとは、みやげ物店を回って楽しみました。12時半の特急に乗って帰途へ。肩の張らない、ワイガヤの楽しい旅行でした。


K 2002.1116〜1920
 
勤続30周年を記念してリフレッシュ休暇をもらい、夫婦2人で草津温泉・東照宮へ旅行しました

旅行行程表

1日目 瀬田西IC−(名神)(中央)(長野)自動車道−姨捨SA(昼食)−小諸IC(423km)−(国道18号線)−中・北軽井沢・嬬恋村(33km)−草津道路−草津温泉(10km) 合計485km

2日目 草津温泉−(草津道路)−嬬恋村(10km)−(国道145号線)−鮎沢(45km)−板橋(37km)−(国道122号線)足尾−(34km)−東照宮(23km)(昼食)−中禅寺湖−(国道120号線・日本ロマンチック街道)−片品村(57km)−沼田(28km)−沼田IC−(関越自動車道)−渋川伊香保IC(22km)−伊香保温泉 約370km

3日目 伊香保温泉−(県道33号線)−榛名湖(12km)−榛名神社−松井田(34km)−(国道18号線・碓井バイバス)−軽井沢町(27km)−(国道18号線)−小諸市−(国道254号線)−丸子町−鹿教湯温泉(53km) 合計126km

4日目 鹿教湯温泉−(国道254号線・国道152号線・中山道)−和田村(28km)−和田峠−(ビーナスライン)−霧が峰−白樺湖(33km)−(国道152号線・大門街道)(昼食食)−諏訪IC(22km)−(中央)(名神)自動車道−瀬田東IC(335km) 合計418km  総走行距離1,316km。

感想
 4日間で1,300kmを走る,文字通りの秋を楽しむドライブ旅行でした。草津温泉・伊香保温泉・鹿教湯温泉と3泊温泉に宿泊して、東照宮と中禅寺湖と榛名湖と軽井沢と懐古園とビーナスラインと白樺湖とを観光するというプランでした。お陰で天気にも恵まれて、紅葉と冠雪のアルプスとスキー場とを一緒にみることができて、なんとも贅沢な旅行でした。


(1日目)
○ 草津温泉の湯畑
 
湯畑は見事だった。温泉に来た、という雰囲気が味わえる。湯を板でかき回す歌も聞こえてきた。人もよく集まってきていた。ここで記念撮影したのが原因か、デシタルカメラが故障してしまった。

○ ホテルヴィレッジ    
(群馬県吾妻郡草津町 草津温泉)  旅館の評価 ☆☆☆☆
 2002年11月16日(土)に宿泊。午後4時に到着。6階の和洋室が割り当てだった。翌日午前8時半まで滞在。
 
リゾートホテル風で、テルメ・テルメという保養施設やボウリング場などが併設されているとても大きなホテルだった。夕食は選択制で、「イタリア料理」を選択。マアマアの美味しさ。時間をかけ過ぎている。草津の湯はイオウの独特のにおいがある、濃い温泉である。温泉に泊まるときは、着いて1回、寝る前に1回、朝起きて1回、合計3回は必ず入ることになっている。特に露天風呂が併設されているとなお良い。この宿も同様。風呂は及第点。
 無料券を入手したので、
ボウリングに挑戦。中沢ヴィレッジフラワーレーン。一人で3ゲーム投げる。104、119、155の得点。やはり長いことやっていないので調子が戻るのに時間がかかってしまった。

(2日目)
○ 日光東照宮
 一の鳥居(石の鳥居)から左手に五重の塔、急な階段の上は表門。ここから拝観料を支払って入場。
神厩舎(見ざる言わざる聞かざるのサルあり)。そして陽明門。本地堂では鳴き龍を体感できた。奥社に家康のがある。その入り口の門に眠り猫の彫刻があった。以上を一時間かけて散歩した。見ごたえのある建物ばかりだった。せっかく来た甲斐があった。

○ 中禅寺湖
 車でいろは坂を上って中禅寺湖へ。日影には雪が散見される寒さ、吐く息も白い。滝からは
水煙があがっていた。エレベーターで滝壷へ降りることは時間の関係でカット。

○ 日本ロマンチック街道   (中禅寺湖−沼田 85km)
 中禅寺湖の畔を左手に
男体山を望みながら湯元温泉へ進むコースは非常に眺めがよい絶好のドライブコースです。湿原も開けています。そこから栃木から群馬への県境・金精峠を越える時分から様相は一変。回りは雪が積もっている完全な冬モードとなりました。
 見える山はどれも
冠雪して真っ白。道の横には除けた雪が積もり溶け出しています。丸沼高原は湖がたくさんありました。丸沼高原スキー場があってリフトが動き、スキーヤーが滑っているのにはいささか驚きました。11月ですから。途中の片品村では、尾瀬へ上る道もありました。利根村・白沢村を通って沼田まで降りてきましたが、冬は通行止めとなってしまうぎりぎりのドライブでしたが、貴重な経験でした。

○ 岸権旅館    (群馬県北群馬郡伊香保町 伊香保温泉)  旅館の評価 ☆☆☆☆☆
 2002年11月17日(日)に宿泊。午後5時過ぎに到着。704号室が割り当て。翌日9時半まで滞在。
 夕食は
純日本風の和食。仲居さんがついて部屋食なのも和風。献立にはお品書きがついていて、何が料理されているか一目で分かるようになっていた。10品(食前酒・箸付け・椀替り・刺身・口替り・焼き肴・温鉢・台の物・留鉢・食事・水菓子)。上品なできばえで楽しみながら味わうことができた。
 窓から見える伊香保高原の紅葉は見事の一言。ちょうど今が盛りだった。
 風呂は、3箇所あって、
外湯風の露天風呂が気持ちよかった。

○ 伊香保温泉の石段街
 伊香保神社へと続く階段が有名らしくそこで撮った写真が展示されていた。そこから湯元まで
散歩コース紅葉が本当に見ごろできれいだった。

(3日目)
〇 榛名湖
 伊香保温泉から車で15分ほどで噴火でできた榛名湖へ出られる。
カルデラ湖で、紅葉は終わっていたが、上る途中の展望台からは遠くの冠雪していた三国連峰がとてもきれいな眺めだった。

○ 旧軽井沢の銀座
 国道18号線から旧軽井沢に立ち寄った。昼食をたべるために、町立の駐車場に車を止めて、
銀座を散策。「小彗餃子館」を選択してスープ餃子と炊き込みご飯を食べた。ジャムの店でジャムを購入。皮の店で、ポシェットを購入


○ 小諸市立小山恵三美術館
 2002年11月18日(月)の午後2時半頃に立ち寄る。
小諸城址のはずれにひっそりと建っていた。小山敬三氏は小諸出身の画家で、文化勲章を受章。90歳で1987年に死去。浅間山をモチーフとした絵とともに、白鷺城の絵が多かった。展示の中では、『浅間山新雪』が印象に残った。

○ 懐古園(小諸城址)
 午後2時頃に入場したが、遅かったせいか人はまばらだった。三の門から入って先ずは藤村記念館で、小諸にいた
島崎藤村の青春時代を見た。そのあと中を一周して懐古神社を見て外へ。紅葉を味わうのにちょうど良い散歩となった。

○ 斉藤ホテル  (長野県小県郡丸子町 鹿教湯温泉)
 2002年11月18日(月)に宿泊。午後4時半頃到着。1006号が割り当て。翌日午前9時に出発まで滞在。
 
鹿教湯温泉は保養温泉で有名。このホテルは長期滞在型が特長のホテルだった。事実、高齢者を中心にして長期にわたって泊まっている人が沢山いた。
 夕食は和食・洋食・中華の
バイキング。その内容は毎日変更されているとのこと。温泉プールとアスレチックジムが併設されていた。4時頃に到着して早速、プールとアスレチックを利用。自転車を漕いで一汗かいた。温泉は露天風呂もあって、3回味わった。
 斉藤ホテルの近くには
文殊堂があって、散歩コースになっていた。

(4日目)
 和田村 道の駅
 
道路事情を聞くために立ち寄りました。そこに信州リンゴが売ってあったの5個400円のと、5個200円のとを購入。家で食べたら何とうまいこと。1個200円でも十分通用する美味さ。これならもっと買えばよかった、としきりに悔しがりました。

○ 蓼科庵(手打ちそば処)
 2002年11月19日(火)の昼食は、白樺湖から茅野市へ下ってきた国道122号線沿いの「
そば処」に入った。とろろそば、それに蓼科ビール一本と馬刺しを注文した。地ビールだったが味が濃くて、独特の味わいだった。「馬刺し」は本当に美味。馬刺しのトロともいえる部位。久々のヒット食だった。

〇 ビーナスライン
 和田峠からビーナスラインに入って、霧が峰から白樺湖までドライブ。晴天で霧もなく、絶景の眺め。
北アルプスと中央アルプスと南アルプスと富士山とこの4つを同時に見ることの出来る場所というのは、ここだけだと思う。
 


J 2002.8.10〜11
 
 盆の墓参りを兼ねて駒ヶ根高原で一泊して木曽駒ヶ岳へ登りました。
 

 毎年盆には田舎へ帰って墓参りをしていますが、今年は、少し足を伸ばして、信州・駒ヶ根高原に一泊して、木曽駒ヶ岳へ登る計画を立てました。家族4人の都合が付いて、全員で出掛けました。

 10日の9時半に家を出発。名神から中央道を通って瑞浪インターまで、あまり混むこともなく到着しました。墓参用の花を買おうと瑞浪に寄りましたが、ちょうど陶器市の日で車は進入禁止でした。それで、仕方なく恵那に入って、伊佐治という店で買いました。藤に入ると、国道がキレイに整備されて、不釣り合いなほど立派になっていました。はお寺の上にあって、花を生けて、水をまき、線香をろうそくをたてて、お参りしました。

 時間が12時を回ったので、19号線を中津川方面へ抜けて、昼食を取りました。中津川インターから駒ヶ根まで中央道で移動して、2時には到着しました。最近整備されたという『家族村』へ足を延ばしました。露天風呂の温泉があって、オートキャンプやバンガロー、テニスコートなどが整備されていました。

 今日の宿泊は『かぎ屋別館』というペンション風のところで、職場の厚生会の契約旅館です。15年ほど前に一度きたことがあってその時以来、2度目です。お客さんが少なくて心配したのですが、6組ほどになって、ホットしました。旅館業もなかなか大変なようです。ここは、いつもを食べさせてくれます。手作りとありましたが、土蜂で、捕まえるのがなかなか大変です。間違いなく天然ものです。

 旅館の主人の勧めで、翌朝は5時11分の臨時便に乗ることにしました。バスが連日2時間待ちになるため、早く出掛けようと言うことです。そのため、夕食を終えると、10時頃には就寝。午前4時過ぎに起きました。朝食は旅館が準備してくれたおにぎり。皆そろって旅館を出発しました。「しらび平」までは専用バス。そこからケーブルカーで一気に1000bアップして海抜2600b地点へ。午前6時に到着です。付近は生憎のガスがかかっていて、前は10bほどしか見えません。それでも遊歩道に沿って歩き出しました。途中で登山道があったため、編集長と長男が頂上をめざし、配偶者と長女は遊歩道の続きと2手に別れました。千畳敷カールを登っていきます。道は極めて急ですが、整備されているので怖くはありません。30分ほどで、宝剣山荘に到着しましたが、とにかく冷たいガスが横殴りに吹き付けてきて、山荘の中のストーブで衣服を乾かしました。ガスのため、これ以上上がるのはやめて、降りることにしました。

 下の遊歩道のところで、一瞬ガスが晴れる時間があって、その時に写真を撮りました。おにぎりを食べて、午前8時のケーブルカーで下へ向かいました。この時間では全く混むことなく、移動はスムーズでした。

 下の店でお土産を購入して、昼神温泉の馬刺が美味しいということで、そこまで下の道を走って購入。園原から高速に乗って、一路帰途に着きました。名神は27`の渋滞に巻き込まれましたが、何とか4時には帰ってこられました。道中運転者以外は皆眠っていました。

 


I  2002.7.13〜14
 
 恒例の多田商店旅行に出掛けました。今年は愛知県・蒲郡温泉郷でした。

 ことしの行き先は、愛知県 渥美半島・三河路の 「三谷温泉(みやおんせん)」に決定!! 
 【概要】 日程 : 7月13(土)、14日(日) 宿泊先: 愛知県蒲郡市三谷町 ホテル明山荘 ホテルの設備はパンフレットを。 
     費用 : (概算)35,000−/人 まででおさまりそうです。 
     交通機関は自家用車の予定です。 

 【旅程】 
          [1日目]   多田家出発だ〜 瀬田東IC 休憩 音羽蒲郡IC 
愛知子どもの国でバーベキューパーティ。 (東京も合流)   
          
ホテル 明山荘着 宴会だー   カラオケ だー。 
     [2日目]  ホテルにて朝食後 出発   
ラグーナ蒲郡で遊ぶ(昼食も) その後帰途へ。 

 という幹事の案内で、我が家は家族4人、配偶者の両親、妹さん夫婦と姉妹2人、嫁に行った長女夫婦、妹夫婦と子ども2人の総勢16名の旅行となりました。年に一度の恒例旅行です。

 この夏一番の暑さの中、ラグーナ蒲郡で泳いだのが楽しかった。
          

 


H 2002.6.15〜18
   
銀婚式を記念して3泊4日で台湾旅行に出掛けました。

 場所の選定はアジア地域で料理が合うところという選択幅の中で台湾を選びました。日程は、職場の都合が付きやすい6月の中旬にしました。編集長は今年異動があったところで、休暇が取れるかどうかが心配でしたが、無事出発できました。

 関西空港10時20分発で出発。軽食が出て、3時間のフライトでした。台北到着後、バスに乗り込んで一路高雄へ。15人のセット旅行は年配者が殆どで、「現役組」は多分2組のみでした。高速道路を南下して高雄につく頃には夕方になっていました。
(以下続く) 

         

(写真集は別のページに特集しました) 写真特集へ

 


G 2002.3.16〜18
 家族4名で、『蔵王温泉スキー場』へ出かけました。

 この4月1日から長女が就職して勤めに出ることと、長男の受験が完了して後は発表を待っていく大学を決める、という時期である今が、家族旅行できる「最後のチャンス」ではないか、ということになって、3月になって、バタバタと決めて、家族旅行に行きました。

 旅行先は、初めてとなる『蔵王温泉スキー場』。スキーが出来て、温泉に入れて、安くて料理がうまくて、と条件を出せばキリがないのですが、とりあえず、温泉とスキーで選択しました。東北は、大鰐温泉スキー場以外では初めてです。

行程

自宅ー自家用車で伊丹空港へーJAS671便(8:40発仙台空港行き)-仙台空港(9:50)−仙台急行バスで蔵王温泉スキー場  へ(10:10-11:40)-深山荘高見屋へ-一日目のスキーへ(回数券で4時頃まで)-2日目 終日スキー -3日目 仙台急行バ  スで仙台空港へ(14:50-16:30)-JAS672便(18:25 伊丹空港行き)-自家用車を受け取って帰宅の途につく。
編集長と長女はショートスキー持参。配偶者は3日間レンタルスキー。長男は1日目レンタルスキー2日目・3日目はレンタル  ボード。

スキー技術

〇長男が始めての「ボード」に挑戦しました。1日半の長さでしたが、ナカナカのもので、大分と滑れるようになりました。  さすがに に上達が早い。
〇妻は、かって覚えたスタイルからは抜け出せずに、はの字のボーゲンが基本のスキースタイル。急な斜面を避けて、  緩やかなところをゆっくりと滑るのが好きなようで、全くのマイペースです。但し、できるスポーツの数少ない種目の一  つであるので本人は大事にしています。
〇長女は、専らショートスキー。腕前は普通のスキーは相当なので、今はショートスキーを楽しんでいます。遅く出て、早  く帰るという、典型的な気分屋タイプのスキーの楽しみ方です。
〇編集長は、今年「ショートスキー」板を購入して、この旅行が初お目見えでした。1mくらいの少し短すぎた感じで、安定  感が悪くて、慣れるのに苦労しました。

 


F 2002年2月2日(土)
妹さん夫婦から誘いがあって、日帰りで「奥伊吹スキー場」へスキーを楽しみに行ってきました。

 1週間ほど前に、「今年は日帰りでスキーはどうか」と誘いを受けていました。昨年は飛騨へ1泊で出かけたのですが、今年は受験のこともあって、日帰りに。それも配偶者は出勤のため、編集長と夫婦の3名での出発となりました。

 駐車場の場所取りの関係で家を午前5時に出発です。名神高速で米原まで行って、そこから奥伊吹へ2時間の道程でした。午前7時にはついたのですが、もう駐車場は上のほうから詰まってきていました。いつも「屋外用」の鍋セットをつんでいって、昼ご飯は皆で「鍋」というのがコースですので、余りゲレンデと離れてしまうと準備が大変になると言うわけです。

 幸い、いい場所が確保できて、後はゆっくり準備して、午前8時のリフトの開始とともに滑り始めました。新雪が雪上車できっちり踏んであって、アイスバーンも無くて、非常にいいコンディションでした。

 奥伊吹は全く初めてのスキー場ですが、アプローチの道がよくなったのが一番ということですが、平成7年・平成8年・平成13年にそれぞれリフトを新設して、奥に深くなってゲレンデも沢山となり、いいスキー場になっています。伊吹スキー場からクルマで25分です。

 お昼は一大事。鍋を持ってくるのを忘れてしまいました。具はきっちり刻んでセットしてあるのですが、肝心の鍋が無くてはお手上げ。そこであきらめないのが、このグループ。最初は私が「食堂」に借りに出かけましたが、商売敵なのか、体よく断られました。今度は妹さんのだんなさんが「民宿」へアタック。ちゃんとステンネス製の上等の鍋を借りてきました。さすが。これで準備万端が整って、広場で我々だけの「鍋」が始まりました。

 最近のスキー場では半分が「ボーダー」で、残りの半分が「短いスキー」、ストックを持ったスキーヤーは4分の1しかいません。私も今回は娘の「ショートスキー」を借りてきました。技術を問題にしないで楽しく滑る、という意味ではこのショートスキーが最適です。回転したり、後ろ向きに滑ったりして楽しめます。

 結局リフトが止まる4時45分まで滑って、帰ってきました。帰りに「極楽湯」に寄って、サウナで疲れを落としてきました。

 今年初めてのスキーは天候に恵まれて、楽しく過ごすことが出来ました。

 


E  2001.11月18日(日)〜19日(月)
慰安旅行を兼ねて、配偶者の親元の両親と、私・配偶者の4人で自家用車に乗って、「小豆島・寒霞渓」へ小旅行を楽しんできました。

 行程と感想
 
朝8時家を出発−名神高速道路・中国自動車道路・山陽道・播但道・姫路バイバスと乗り継いで、姫路港へ(10:15着)−関西フェリーで姫路港を出発(11:15)−福田港へ(12:55)−早速自動車に乗って内海町の安田地区まで進んで昼食(讃岐うどん)−寒霞渓へ向かう。大変な人でロープウエイは1時間半待ち。そのまま自動車で山頂へ登る。山頂駅も大変な人ごみ。海抜が600mを越えているようで吐く息が白くて、随分と寒く感じる−銚子渓へ小豆島スカイラインを走って土庄町へ向かう−旅館到着(4:30)「ホテルニュー観海」−2人部屋2室に別れてくつろぐ−夕食は6:30より4名揃って乾杯、瀬戸内御膳を楽しむ。量は十分、てんぷらが冷めていたのが難点−各々の部屋で就寝-午前3時起床、獅子座流星群を観察。窓から東・南の空に展開する沢山の流れ星に感嘆−朝食7:30−9時に旅館出発−小豆島ふるさと村へ。道の駅ながら地元の人が楽しめるスポーツ施設を完備。ワイン購入−オリーブ園へ入園。中を見て回る−もう一度寒霞渓へ。晴天の中の寒霞渓は見事。ロープウエイも空いていた。車を頂上へ回す−瓦投げと俳句を読む-銚子渓を経てみかん園でみかん購入。地元の人の紹介で昼食は土庄町の日本料理「島活」というお店へ。刺身定食の新鮮でうまいこと。1500円は安い。親父さんは菊正宗を4合も飲む機嫌の良さ−今度は北周りで小海の道の駅へ。大阪城の残念石が展示されていた−福田港へ(15:30出発のフェリー乗船)−姫路港到着(17:10)−前日と反対の道順で帰途へ。

 走行距離は2日間で約500km。ガソリンは一度もいれずに済んだ。2日間とも良く晴れてくれて、紅葉観光には最高のコンディションでした。多少の親孝行もできて、満足、満足。


D 2001年10月26日(日)  
自治会主催で『親睦バス旅行』があって、夫婦で参加してきました。
 
白百合自治会の親睦旅行があり夫婦で参加しました。毎年、その年の自治会役員が企画・立案して実施するもので、自治会としては最も大きな取り組みの一つとなっています。
 今年は、福井県の小浜・敦賀方面へのバス旅行で、小浜での蘇洞門巡りと昼食、三方五湖のレインボーラインドライブ、それに敦賀での「海の幸市」の買い物です。 天気予報で今日は雨が70%の確率でしたが、幸い出かけは上がっていて、空も高く、一安心でした。

 昨年、役員が当たった際に皆さんに参加していただいたお礼に今年は夫婦で参加したものです。今年は全体でも夫婦による参加が6組もあって、総勢31名が貸切バスに乗って朝8時に出発しました。
 びわ湖の湖周道路からびわこ大橋を渡って道の駅でトイレ休憩。地元のおばさんたちが自分の畑で採れた野菜を朝市として販売していました。白菜や大根、カブ、日野菜など旬の野菜ばかりでした。国道161号線で今津町まで進み、そこから峠越えで福井県・上中町へ抜けていきました。上中町にも道の駅があって休憩。ここでも朝市が立っていました。ここで、銀杏を購入しました。50グラム200円成。

 小浜港まですぐで、11時発の観光船に乗り込んで、「蘇洞門」巡りに出発です。日本海の荒波に揉まれて出来た海岸線が「大門・小門」「亀石」「白糸の滝」などを形成していてそれを海側から眺める嗜好でした。往復50分の旅。感動するほどのものではないにしても、一度は見て置いてもいいな、という観光地でした。

 昼食は、小浜市でも最も古い旅館で、全国でも10指にはいるという旅館「福喜」がその場所でした。確かに玄関から何と奥行きの深いこと、奥へ奥へと案内されて、その中の奥の一部屋に会席が準備されていました。途中には小浜城の鬼瓦や秀吉の作った黄金の茶室の復元などが展示されていて、歴史を感じました。
 料理は、刺身とカニと吸い物・天ぷら・エビなどが上手に盛られていて美味しそうに仕上がっていました。ビールがついていてみんなで乾杯しました。

 料理を食べたあとは、三方五湖へ出発。風が強くて、梅丈岳の山頂からよく見えましたが早々に引き上げました。
 そこから27号線を敦賀に向かって進んで、「海の幸館」で買い物を楽しみました。観光バスが30台ほど止まっていて満員の盛況でした。ここはネギって買い物を楽しむところ、ということで1500円なら1000円、800円なら500円と「ネギっ」て、甘えび・アジ・小鯛の樽漬け・ちくわを購入しました。

 そこから吊るがインターへ出て、一路北陸自動車道路を帰途に着くということで、車中では「ビンゴ大会」。賞品はバス会社からブドウ三パックと梨5つ。その梨の最後の1個を見事にゲットしました。

 8時に出発して午後6時に帰ってきました。例年、団地のおばあさんたちがこのバス旅行を楽しみしているということで、今年も6人くらいが一緒のグループで参加していました。元気な姿を見ることはいいことだと思います。自治会活動として定着してきつつあります。


C  2001.6.29〜7.3
年に一度の夫婦旅行として、今年はシンガポール旅行へ行って来ました

 今年選んだ海外旅行は『3泊4日シンガポールの旅』でした。以下はその旅行体験記です。

旅行日程

6/29(金) 関西国際空港 17:45 SQ975便(シンガポール航空)−−シンガポール着(23:00)−−専用バスでホテル

6/30(土) ホテル出発(8:30)−−マーライオン・エリザベスウオーク−−ランの植物園−−昼食は麗郷園にて飲茶−−       マウントフェーバー−−ロープウエイにてセントーサ島へ−−アンダーウオーターワールド・昆虫博物館・バタ       フライパーク−−夕食はスチームボートでバイキング

7/01(日) ホテル出発(8:30)−−バスでマレーシア国ジョホールパールへ−−王宮・回教寺院・マレー村・更紗工場を       見学−−昼食はマレー料理−−バスでシンガポールへ戻る−−ショッピング−−夕食はサファリレストラン       でバイキング−−ナイトサファリ

7/02(月) ホテル出発(5:30)−−空港へSQ976便で帰国の途へ(7:30)−−関西国際空港(14:45)

☆現地での滞在が実質2日間という旅行です。移動時間が6時間半かかることを思うと集合時間も入れて仕方がないことかも知れません。

6月29日(金)

 6月29日(金)が出発日。ちょうど夏のボーナスの支給日でしたが、職場を休んだ関係で、職場に保管してもらって帰ってきてから受け取ることに。

 関西空港に午後3時45分集合のため、家を午後0時40分に出発しました。長女に自動車で荷物と共に石山駅までおくってもらいました。今回は余り荷物を大きくしないように、キャリー付小型バッグ一つと、各々のバッグのみとしました。服装は編集長は半袖のシャツとジーパン、配偶者はスカートと上着といった軽装にしました。

  石山駅午後1時3分の新快速に乗って大阪まで行き、大阪駅で関空快速に乗るのが最も経済的だ、と判断してそのとおり行動。乗り継ぎも上手くいって結局、関西空港に午後3時に到着しました。時間つぶしに、喫茶店でコーヒーを飲みました。

 集合時間にJTBへ行くと、添乗員が付く旅行ではないため、シンガポール航空用の搭乗券の往復をもらって、各自で行動することになっていました。飛行機の出発時間は午後5時半でした。シンガポール直行便の飛行機の中は案外と満員でした。高校生の修学旅行が一緒だったので非常ににぎやかでした。

 ここから6時間半のフライトで、シンガポール到着は午後11時の予定です。その道中でちょっと失敗して、液晶テレビで映画を見過ぎた結果、目がセンター寄ったようになって目が痛くてそれが頭まで響いて、後はひたすら目を閉じて時間が過ぎるのを待っていました。

 着いたシンガポールのチャギ国際空港は、大きくて近代的な空港でした。成田の2倍あるそうですが、それでも足りなくて、現在第3のターミナルを建設中といいます。それでも出口に現地の案内の人(現地の旅行会社がJTBよりまとめて引き受けている様子でした)が待っていてくれました。結局、彼の周りに集まってのは全部で18人でした。これがこれから4日間行動を共にするツアーの人たちです。18人はちょうど良い人数か。

 遅い時間ですからすぐに旅行社が準備してくれた小型マイクロバスに乗り込んで、ホテルへ送ってもらいました。18人のうち8人が「リッツ・カールトン・ホテル」(スーパー5星)で宿泊、私たちを含む10人が「ヒルトンホテル」(5星)宿泊でした。前者の方が旅行料金が15,000円高いということ。部屋は825号室でした。ベッドのある部屋に着いて、やっと落ち着きの時間が訪れました。

6月30日(土)

 次の日は午前7時に起床。日本との時差は1時間で日本が早いため、土曜日の『ちゅらさん』は現地時間の午前7時15分からテレビで見ました。そして、ヒルトンホテル一階の朝食バイキングルームへ。テーブルに案内していくれる人は東南アジア系の目鼻がはっきりした人でした。バイキングは日本食も含めて自由に取ることができてまた好きな量だけ選べるため、重宝です。コーヒーとパン食にしました。

 集合は8時30分ホテル前。マイクロバスで観光地に連れていってくれるとのこと。先ず行ったのは、エリザベス公園通りとマーライオン公園。高さ3メートル余りの白いマーライオン(頭はライオン・足は魚)がシンガポールの象徴ということです。岬の先頭にあって、昔船が横行していたときの目印にもなり、当時の官庁があったりして、象徴だったのでしょう。現地案内の「張さん(チョンさん)」が「世界4大がっかりの3番目」(人魚姫とションベン小僧とマーライオンとあとひとつ不明)と解説していましたが、そんなことはないと思いました。

 そこから、今度は植物園に移動しました。「ランの植物園」で、見事なランが沢山の種類植わっているとのこと。常夏でいつも32度くらいはあるところで花が咲いたり落ちたりするのは何が契機となっているのか不思議でした。ランの種類は沢山あるようですが、ここに植えてあるのも沢山あってこの方面に不案内なのが残念で、「綺麗だ」との感想がでるだけでした。香りもあって、なかなか、見応えのある訪問地でした。

 シンガポールはとにかく樹木を大切にしているのがはっきり分かるくらいに、街路樹も手入れが行き届いていて、ゴミも落ちてはいません。近代国家という感じがしました。それに、電線や電話線を全て地下ケーブルで埋設して地上に電柱が一本もないというのがまちづくりの点からして素晴らしい。すっきりしています。

 この、2カ所見学のあと、一同揃って、中国料理店麗郷園へ入って、昼食。飲茶でした。どこの国かですこしづつ味が異なるのですが、どこも美味しいと思う。好きなのかも知れない。コース順に8品くらいがでてきました。ビールは個人負担で注文。10ドルですから700円。小瓶1本では少し高めです。見学先の入場料や食事代は全て旅行代金に含んでいるとのことで、追加徴収はありませんでした。まあ、満足。

 午後からは、海抜百メートルの山に上がっていって、マウントフェーバー展望台から南の港を眺めるところから始まりました。ぞして、ロープウエーで南の島セントーサに渡りました。ここは、車乗り入れ禁止で、中は巡回バスに乗って移動です。最初は世界昆虫館に行きました。蝶々とカブトムシ中心に世界のものが集められていて、生きた昆虫はどれも大きい(熱帯雨林気候特有)のが特徴でした。

 そして、海底水族館へ。地下にはいると、動く歩道になっていて、水槽の回りを立ったまま見学することができるようになっていました。エイや鮫をはじめ沢山の魚が泳ぎ回っています。なかなかの人気でひとが溢れていました。

 次に夕食を兼ねてクラーク・キー周辺を散策して、スチーム・ボート・ビュッフェへ。ここで、しゃぶしゃぶ風の鍋料理を賞味しました。私の口には余り合う料理ではありませんでしたので、ビールがよく進みました。

 ホテルに送ってもらって、解放。とてももう一度外に出る気力はなくて、部屋で過ごして早々に眠りにつきました。こちらのテレビは他民族の国家であることを象徴するように、英語・中国語・マレー語くらいのチャンネルに別れています。日本語はNHKがありました。チャンネル数も25くらいはあったように思います。
 シンガポールは
IT先進国を宣言していますので、多分ケーブルテレビで送られてきているように思われました。

7月1日(日)

 この日は、ホテル8時45分出発で、北へ上って橋で国境を越え、マレーシアを訪問するスケジュールになっています。たとえ半日とはいえ、出国ですから、税関を通っての出国検査があります。マレーシアではガイドさんが替わって、女性の背の高い人でした。入ったのはマレーシア最南端の町、ジョホーバールというところで、マレーシア第2に大きな町で州都とのことでした。

 まずは、王宮へ。第二次大戦前の日本とも交流があって、日本占領時に王宮が焼かれずに済んだとガイドさんがいっていました。王族は世襲制ですが、ビジネスの顔を持っていて、大金持ちであるとのこと(石油価格がシンガポールの半分以下のため、シンガポールへ帰る車は必ず満タンにしますが、その国境にあるガソリンスタンドはこの王宮が経営しているとのこと)。

 次に回教徒寺院へ。偶像崇拝ではないので、寺院の中はがらんどうです。3000人の集会が可能とのことでした。聖地への方向が最も大事で、マレーシアでは西がその方向と説明がありました。

 次は、マレーシアの民家を訪問するという触れ込みで、民家での民族舞踊の披露とスズ製品の土産物売り場へ行きました。スズは確かにマレーシアの特産品ですので、ここで、スズの純正コップを購入。2個5,500円でした。よく聞けば、ここはJTBマル抱えの「観光所」で経営自体を行っているのではないか、とのことでした。さもありなん。

 次に寄ったのが、更紗の絹製品を製造販売しているところ。ロウで書いて染める手法で、絹地に模様を仕上げていく過程を実演していましたが、なかなかのものでした。ただし、みあげ物は購入せず。
   ここまで観光するだけで相当な量ですが、ここから帰るとすぐに、免税店へ連れて行って2時間フリータイムとするところが、さすが旅行会社のなせる技です。我が家は特別のお土産も、高級品も要らないので、すぐに出て、中心街を
タウンウオッチングしました。

 先ず、有名なホテル「リッツ・カールトン」ホテルのフロントロビーで様子見。なかなかのホテルです。ドアボーイが3人常時いるところからして、感心しました。次に行ったのがショッピングモール。

(2001.7.9記  以下、続く)


B 2000.1.27〜28
 
家族で今年初めてのスキーに行きました
 (岐阜県・白鳥町 イトシロ・シャロットタウンスキー場 & デイリー白鳥スキーリゾート)

 今年は長男の受験の年で、毎年計画している年始のスキーも取りやめていました。そこへ、配偶者の妹さん夫婦から1月27日〜28日岐阜・白鳥方面へスキーに行かないか、と誘いを受けました。土日なら子どもたちを家に残して夫婦で出かけてもいいだろう、ということになって早速OKの返事を行い、27日と28日夫婦2組のスキー旅行とあいなりました。

  27日(土)は妹さんちの4輪駆動車で午前5時に出発。生憎の雨模様の出発です。名神に乗って、東海北陸自動車道を経由して、最近完成した「白鳥」インターへ。途中、美濃インター先のフル規格から対向車線のあるとこへ転換する場所で渋滞が14kmの表示されていてビックリ。ここで30分ほどのロスとなりました。白鳥に入る頃には雨が雪に変わりました。下りがけにインターで詳しいスキー場案内図をゲット。「イトシロ・シャロットタウンスキー場」がめざすスキー場です。途中は大変な登山道になっていてチェーンが必須でしたが、四駆でスタッドレスタイヤなら安心で登れました。

 お世話になる民宿『幸二』についたのが9時半頃でした。宿の好意で部屋に入れさせてもらってスキーウエアに着替えました。外は生憎の雪。ポンチョを着て濡れないようにしました。男はミニスキーに挑戦。長さ80センチほどです。ゲレンデは宿から徒歩3分の距離にあって、こじんまりとしたスキー場でした。それでも正面に大きな建物が建っていて、スキーヤーはそこで休憩することができます。五百円で風呂もあるのにはびっくり。進んできています。中央に四人乗りのリフトがあって頂上まで連れて行ってくれます。あとは好きなゲレンデを自由にどうぞ。
 ボーダーが多いのには驚きました。全体の7割はボーダーです。スキーはあとの3割の方で、隅っこで小さくなっていなければなりませんでした。

 昼食は2階のレストランで、満員でしたが座れて丼などを注文。腹いっぱいになりました。雪が激しいので午後3時には切り上げて民宿へ引き上げました。8畳の部屋で四人。十分な広さでした。石油ストーブに電気コタツ、押入れなしの部屋。久しぶりに旅館ではない民宿の味を味わいました。

 夕食は自由に「すき焼き」。最近家でもすき焼きはしなくなって、これも久しぶりのメニューでした。卵を2つも使いました。姉妹夫婦の食事はにぎやかです。お酒もよばれていい気分。部屋に上がると早々にダウンと相成りました。

 翌日、朝食を取りながら今日のスキー場を物色。検討の結果、インターに近い「デイリーリゾート白鳥」はどうだろうか、ということになって移動しました。民宿の支払いは、リフト券1日券付きでお酒込みで4人34,000円強。何と安いことでしょう。これでは民宿は成り立っていくのか、ちょっと心配になりました。 


A 2000.9.23〜24
 
今年は幹事役で、配偶者の両親と三姉妹・その家族の『T商店旅行』(大人11小学生1が参加)企画して、片山津温泉旅行に行ってきました

 例年、夏に、配偶者の三姉妹(何れも大津に在住・我が家が長女)の三家族と両親の合計四家族が『T商店旅行』として、旅行に行っています。今年は、義父が6月に心臓のバイバス手術という大きな手術をした関係で、1ヶ月ずらして9月に企画しました。

旅行日  2000年9月23日・24日(秋分の日、土・日)                                 

行き先  北陸 片山津温泉(またか…でもええお湯やし)

移動手段 自家用車=M・M・N各1台  TさんはN・M車に分乗してね。(皆さん、車になってすみませんね。その分美味しいものでも食べてください。)

行く人  T家(三造・照子) M家(晴美・幸子・千恵・ちひろ) N家(泰三・久美子・一貴・奈央) M家(孝彰・雅子・那津子) 以上大人11人・子ども1人・幼児1人

行程 9月23日  10時T家集合・出発→→瀬田東インター→→賤ヶ岳サービスエリアで一休み→→小松インター→→石川県立航空プラザ(駐車料入館料無料)→→国道8号線沿いでお昼ご飯(遅すぎるようなら小松インター降りてすぐ探します)→→国道8号線バイパス→→日本自動車博物館(入館料大1000円小500円)→→世界のガラス館(無料)(地ビールレストランもあり)→→片山津温泉着 ホテル 北陸古賀乃井 泊 (家族ごとに4部屋確保) 夜はサッカー準準決勝を観戦。
    9月24日  10時旅館出発(遅いですが女子マラソンを見てから出発したいそうです)→→国道8号線→→ルネス金沢(入場料大2000円小1000円)(3時間コース)→→金沢東・西インター→→瀬田東インター→→多田家帰着

☆幹事のお悩み…1日目はこの行程で多分旅館着17:00くらいでOKな旅程だと思うのですが24日の芝政ワールドをどうしようかというところ。アトラクションはいろいろあるんですが9月はプールがないし。思い切って金沢東までもどってルネス3時間コース2000円という手もあります。幹事まで意見を聞かせてください。 24日出発までに決定します。結局、24日も雨がぱらついていましたので、迷うことなくルネス金沢に決定

料金   大人20,000円、子ども5,000円、幼児(施設利用料)1,000円
 (内訳) 〇 1泊2食9,800円*11人、4,900円*1人、1,000円*1人、 〇 カラオケ、舟盛り32,000円 〇 飲み物追加10,000円(夕食時大人一人にお酒・ジュース・ウーロン茶のどれか    1本または大人2人にビール1本がついています。) 〇 高速費1台10,000円*3台 〇 昼食・入場料補助大1人あたり3,000円*11人、小2,000円 〇 残り5, 300円は予備費(税金やらもいるしね)

〇雨がよく降る幹事で、今年も雨の出発となりました。車三台で出発。移動が楽な分だけ往復500kmの運転で運転手は大変ですが、例年車が多いこともあって、普段どおりの企画でした。参加者が欠けたのは我が家の長男(文化祭のため)とM家の二女の二人のみ。20歳過ぎの子どもが多い割には参加率が高くて、定着した旅行となっています。
   参加者全員で記念撮影。余り大きくは表示していませんが、プロのカメラマンが撮った写真です。
〇来年はM家の長女が3月に結婚の予定で、式が横浜になりそうなので、結婚式への参加が同時に旅行でどうだろうか、という案が検討されています。


@ 2000.5.31〜6.5
 
夫婦で行った初めての海外旅行  オーストラリア 

はじめに
 
一昨年から、毎年6月初旬に夫婦旅行に行くようになりましたが、今年は配偶者の強い要望もあって、初めての海外旅行に挑戦することになりました。 何しろ全く初めて故、パスポートの取得から大きな鞄の準備や気候のチェックなど、いろいろ体験しました。以下は、その旅行体験記です。

旅行のスケジュール
                               5泊6日オーストラリア(ゴールドコースト・シドニー)の旅
1日目

5月31日(水)午後4時半自宅を出発。
☆京都から5時40分過ぎの特急「はるか」で関西新空港へ。
☆ツアー主催は近畿日本ツーリストで出発の2時間前に集合。夫婦旅行が募集条件で、全体で42組84人が団体客となる(熟年組が多いのは平日出発としたから?)。
☆関西国際空港21:35発JL-777便に搭乗。通路側の席となる。エコノミーで少し狭い感じがする。

2日目

☆オーストラリア・ブリスベーン空港に午前7時に到着。思ったよりも寒そう。入国手続きを終えて、バスに乗り込む。
☆ブリスベーン市内をバスで観光したのち、マウントクーサの展望台へ。ここから見下ろすブリスベーンの街は絶品。
☆次は、ロンパイン・コアラパークへ移動して、全員が一人ずつ実際にコアラを抱いて記念撮影する。6`くらいあってずっしり。公園にはカンガルーも放し飼いされていて、餌を買って与えると寄っていきます。人なつこいのと種類が色々あるのと日本で言えば鹿みたい。
☆ここから、一路今日の目的地ゴールド・コーストへ。保養地だけあって超高層ホテルとアパートが建ち並んでいます。中心繁華街にあるステーキ屋にすでに予約済みで、OGビーフのステーキが昼食でした。固いと前評判がありましたが、食べた限りではそんなことはなく、普通の部てーきでした。大きさも大きくはありませんでした。一緒に付いてきた野菜はどれもビッグでしたが。これはお金のせい?
☆繁華街で買い物したのち、宿泊ホテルであるシーワールド・ナラリゾートへ。繁華街から2`ほど離れたリゾート地にホテルはあって、シーワールドと隣接していました。
☆カード式のキーを受け取って、部屋に入って一休み。夜はウエルカム・バイキング・ディナーが付いていました。この時の食事は日本人向きに味付けしてあるのか、どれも美味しいものでした。

3日目

☆翌日は各自自由行動。オプションツアーは牧場見学でしたが、我々は別行動。かねてから計画していた『ワーナーブラザーズ・ムービーワールド』というテーマパークへ、ホテルのバスに乗せてもらって出掛けました。大変な快晴。空が真っ青です。
☆入場料は一人46ドル。3000円くらいです。会場内は大変広くてアトラクションもいろいろありました。平日なので、案外空いていて、順番にアトラクションを回ることが出来ました。
☆最初はアニメ・キャラクターの世界、次に『ポリスアカデミー』のアトラクション。もちろん会話全部が英語ですがこれが最高に面白かった。カーチェイスもすごかった。『ワイルドワイルド・ウエスト』『リーサルウェポン』『バットマン』などお馴染みの映画タイトルのアトラクションがあってみてまわることができました。
☆昼食は、サンドウィッチ屋に入ってテラスで食べました。大きなサンドウィッチにかぶりつきました。コーヒーは余り美味しくありませんでした。
☆そのあと、記念の帽子を購入して、午後2時半に予約していたホテルの迎えのバスがきて、一旦はホテルへかえりました。
☆夕方、食事と買い物を兼ねて繁華街で出掛けました。ショッピングモールが沢山あって、随分とにぎやかでした。いろいろ見て回ってTシャツとかの買い物。夕食は、やっぱり日本食ということになって、ANAホテルの2階にある磯料理の店に入りました。

4日目

☆翌日は移動日で、早朝6時集合でした。ブリスベン空港まで1時間。航路、シドニーへ向かいました。
☆1時間程で到着。この日はバスで市内観光です。先ず有名なオペラハウスへ。この日は一番大きな会場が見学できました。
ミセス・マッコリーチェアの岬からはシドニー湾が一望できて、ハーバーブリッジなどが見え、写真スポットになっています。
☆昼食はチャイナタウンにある、中華料理店で飲茶。出てきたシュウマイはどれも大変美味で収穫でした。
☆午後は、シドニー五輪の花形マラソンコースをバスで完走する体験ツアー。実際の道のりを走りましたが、アップダウンの多さを体験しました。確かに走者にとっては大変です。
☆次にオリンピックスタジアムへ。すでに完成していましたが入場は出来ませんでした。そとから11万人収容の大きさを実感して、一階で記念バッチを購入しました。
☆今日宿泊するのは、キングクロスにある『ミレニアム・シドニー』ホテル。1429室がもらった部屋番号でした。
☆夕食はオプションの『シドニー湾ディナークルーズ・アンド・ショー』に参加。ショーボートで食事です。ビールが高かったのとショーが本格的だったのが印象的でした。

5日目

☆翌日はこれもオプションでしたが『ブルーマウンテン半日観光』に参加。シドニーから西へ約100`にある標高1000b強の山に上るプランでしが、南半球の山を見るのは値打ちがあると思い、参加しました。
ユウカリの木はオーストラリアで最も多い木だそうで、その樹海のせいで山がブルーに見えるそうです。
☆昔石炭を掘っていたときに使っていたトロッコ(最大斜度52度)で山から途中まで下りて、付近を散策しました。やっぱり落ち着く。
☆昼食はここのレストランで。ビーフシチューとポテトを注文しましたが、味はもう一つでした。
☆午後から帰途につき、シドニー市内は午後2時半頃につきました。ここでバスを下車し、ビクトリアビルシティホールなど道すがら、市内を散策しました。
☆夕食はサヨナラ・ディナーでしたが、お世辞にも豪華とはほど遠い内容でした。

6日目

☆翌日は、帰途の日。ロビーに午前7時集合してシドニー空港へ向かいました。出国の2時間前にということで、空港では沢山時間があり買い物をしていました。11時35分発のJL−778便で関西国際空港へ向かいました。
☆日本へは午後8時半過ぎに到着。時差が1時間ですから、9時間のフライトということです。余り身動きできなくてこの間がしんどい。そのあとが案外と大変でした。特急はるかで京都まで、1時間15分。そこから滋賀県へ。駅まで長女に来てもらっても家についたのは11時半でした。当然のこととはいえ、翌日は二人とも出勤です。

                                              
    ゴールドコーストの空は何処までも真っ青でした。          ビクトリアビルの前で 200年の歴史が息づいています

旅行感想記

(編集長)

 初めての海外旅行でした。子ども達がある程度成長したからと、一昨年から年一回、夫婦旅行に行くように計画しています。一昨年は東北(宮城・盛岡・青森)、昨年は北海道(道南・道東)へ行っていきました。
 今年は何処にしよう、と思案していましたが、配偶者の強い主張もあって、カナダかオーストラリアにということで、両者を検討。より経済的なプランを選択しました。オーストラリアは6月からは冬に入って観光シーズンもオフ。その分割安で行けるというわけです。
 5泊6日とはいえ、片道の飛行時間が8時間〜9時間かかりますから、一泊は機内泊、従ってホテルは4泊です。実質現地に滞在して観光等が出来るのも4日間です。私たちの場合は、ブリスベンとゴールドコーストで2泊2日の観光、シドニーで2泊2日の観光というスケジュールでした。

 印象に残ったところは、ゴールドコーストのいかにも保養地といった街並みと、シドニーでは古いことが価値があるという街つくりの哲学みたいなものがあって、とにかく古い建造物と樹木が大事にされていたこと。

 写真は全部で60枚ほど撮ってきましたが、そのうちものになりそうな43枚をプリントアウトしました。デジタルカメラですからHPに載せることは簡単にできますが、余りにプライバシーになるので、上記のとおり、判読できない程度にぼかした写真でごまかしています。全体の雰囲気だけでも味わってもらえれば、と思います。

メニューへ戻る (2002.12.22より)

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