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左:会社から13日の休暇をもらったので、7日間の特別なユーレールパスを取得しました。15日以上は簡単に取得できるのですが、7日間のものは手続きがややこしく取得までに時間がかかりました。現地のバスガイドさんもこんな短期間のユーレイルパスを見たことがなく、この緑の線は何かと聞かれました。 右:今は無きPANAM世界一周便のフランクフルトから南回りで東京までの航空券控えです。香港で夜になるので、成田に着陸できないとの理由によりPANAM持ちでホテルを手配してくれました。異常に豪華な部屋で、30畳位の部屋の中央にベットがありその幅も2.5m以上のものでした。しかし、夕食はマクドナルドです。後でわかったことですが、この飛行機にバーレンで小型の爆弾が仕掛けられていたそうです。成田から便名を002便と変えてアメリカに向かった時、座席の一つが爆発し、小学生の男の子が亡くなりました。当初、その子供が花火を持ち込んで、それが爆発したとされましたが、後日、犯人が判明し解決しました。私が成田に着くまでに爆発しなくて、また大きな爆発でなく良かったとは思いますが、亡くなった子供には気の毒としか言いようがありません。 |
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南回りでフランクフルトに到着。入国審査も何もなく国内線を降りたよう。明日のライン川下りのためマインツへ。 今日から宿はすべてiマークのインフォーメーションを利用。一日目はドイツ語しか話せないおばさんの宿。安くてツーリスト向き。 マインツの町は落ち着いた所です。 |
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ライン川下りはMainnzからKoblenzまでに古城が集まっており見所がいっぱいです。 船はデッセルドルフとケルンの間を運行しています。なお、ライン川は運送の大動脈となっており、台船や貨物船が行き交っています。 |
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ケルンの大聖堂に登ってみました。相当高い尖塔が幾本もあり、ステンドグラスもフランスにものにはかないませんがきれいです。鐘は電動です。 |
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ケルンからTEEのラインゴールド号に乗ってオランダのアムステルダムへ。黒パンのサンドイッチですが駅弁があるのに驚きました。 ちょっと疲れたので寝ていたら、車掌らしき人がパスポートを見せろと言うので、とりあえず見せ、また寝ていたら、次に何かしゃべってきて、酒やタバコを持っているかと聞いてくる人がいたので、 何のことだろうと思っていたら、ちょうど列車が国境を越えたことがわかり納得しました。パスポートチェックと税関の方だったのです。 でもチェックは切符の検札並みに簡単です。オランダは花苗が露天で売っていたり花に溢れています。 |
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アムステルダムの街を散策、運河めぐりをして、ゴッフォの跳ね上げ橋も遠方から見られました。その後、花博のフロリアードに出かけましたが、着く直前の駅から乗り込んだ白いスーツを着た数人の人たちによる切符の検札がありました。両側から挟み撃ちにしててきぱきと処理してゆきます。もし、切符を持っていないと罰金等大変なことになると後で聞きました。 |
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フロリアードはこの季節ペチュニアが花盛りです。また、オランダは風力発電に力を入れており、プロペラ式ではない起動に電力が要りますがその後弱風でも回るダリウス型風車が展示されていました。 |
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オランダからフランスへは寝台夜行を予約して行きました。パスポートを車掌に預けて、自動的にベルギーを越え、フランスに入国しました。なお、フランスは通過のみです。 フランス鉄道SNCFのTGVに乗ってジュネーブへ行きます。ユーレイルパスを持っているので、それで一等車に乗れるのですが、座席予約にお金がかかります。保険に入ることもできます。日本の新幹線と違って飛行機のような雰囲気で若干狭く感じられました。また、内部には売店もあり、乗務員の方も親切です。なお、座席予約券の横に乗車前に機械を通した跡がありますが、これがないと罰金だそうです。 |
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ジュネーブに到着後レマン湖の噴水を見に行く。今日の昼食はマクドナルド。ここで飲んだシェイクのおかげでアナナスがパイナップルであることをはじめて知りました。なお、この時期ヨーロッパにはネクタリンが多く売られており、大好きなので、ちょっと固めのものをカリカリかじっておりました。この後ツェルマットへ向かってジュネーブを出発。 |
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ツェルマットには夕方着いたが幸運にも駅にいたおじさんが大学に行っている娘の部屋が空いているから自分の家に泊まらないかと話しかけられ泊まる事に。 街の中は登山の格好やスキーや色々な目的で来ています。ただし、この時期クレバスに注意と書いてありました。窓には花が飾られていますが、これは住民の義務だそうです。花が枯れたりすると、近所の人が"密告"して警察が来ると聞きました。なお、倉庫のような小屋の屋根は薄い石の板か木の皮のようなもので葺いて石を載せたもので、昔日本にもあったと思われますが珍しいものです。 |
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ツェルマットからクライネマッターホルンへ登る前に散策です。マッターホルンはいつも雲がかかっており、完全に晴れることはありませんでした。 |
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運動靴なので、終点のクライネマッターホルンまででおしまいです。トンネルを抜けると急に霧が押し寄せてきて幻想的です。 帰りは一部徒歩で降りました。氷河が全部溶けた所なのか無残に土砂が積み重なった谷が見られました。 |
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ずっと天気が悪く、マッターホルンははっきりとは見えません。前日に行ったお土産屋でオルゴールを買いました。 三回転する。精巧なもので、曲はリストの「ハンガリア狂詩曲」です。 |
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絶対に日本人の行かない所を通ってみようと考えOberwaldからMeiringenへ。すばらしい山岳地帯を抜けて行きます。 途中一時間程のカフェテリア風の広いレストランで食事休憩。デザートに皮付き葡萄の入ったパフェを食べてみましたが、外人は皮も種も出さずに食べてしまう。 まねをして食べるとじゃりじゃりして気分が悪い。欧州人は結構ざらざら、じゃりじゃり、パサパサを好むような気がする。 バスは何の合図もなく時間が来ると突然出発してしまうので、用心をして、10分前に行くとすでに多くの人が集まっており、時間が来るとバスのドアが閉まり、すぐ出発してしまった。 驚くほど時間に正確だ。 |
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KRIENSからピラトウスにロープウェイで登り(30分)、ケーブルカーで降りる(30分)という計画を立てました。 「曇りで山の上は何も見えないし、もうすぐロープウェイを止めるから、売店も閉まっている」と言われたが、とにかく行ってみる事にした。 途中の乗り継ぎで係りの人と話をしていたら、カメラを忘れたので、引き返したからすごいロス。 |
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頂上はガスで何も見えない。今度はケーブルカーでALPNACHSTADへ降りる。きわどい場所を降りて行きスリル満点でした。 |
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ノイシュバシュタインは英語とドイツ語のガイドがある。英語が混んでいたがドイツ語は2,3人だったのでどちらを聞いてもわからないのでドイツ語にする。 途中、日本人の団体が日本語でガイドを受けていたが、避けてガイドブックに頼って行く。湖をバックにした写真は綺麗だが、統一感のない城だ。 |
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フッセンから通常とは逆ルートでロマンチック街道を行く。日本人はバスに自分一人だけ。 上の写真は一番最初に立ち寄った教会。外観とは違い、内部は絢爛豪華で驚きました。 |
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赤い屋根の街が見えると止まって観光。商店の前には意匠を凝らした看板や街灯がかかり、 それもまた、このロマンチック街道を盛り立てています。 |
ロマンチック街道とは浪漫や空想的なものを表すのではなく「すべての道はローマに続く」ということから「ローマへの道」の意味です。 |
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ローテンブルクに着いた時はすでに、売店の閉まる時間。城壁をうろうろしながら街の観光をしていると、ずっとつけてくる女性がいる。 不気味に思い繁華街に戻り立ち止まると急に近づいてきて「絵葉書を持っていませんか」「持っていません」「ホテルにはあるでしょ」「ユースホステルです」 するとあっさり帰って行きました。今から思えば、当時ヨーロッパで北朝鮮による拉致が行われており、 ホテルだったら、その夜襲われて拉致されていたかもしれないと考えるとユースホステルでよかったと思います。 ただし、ユースではその夜、私の部屋で、アメリカ人とドイツ人が男女入り乱れて政治について激しい論争をしていました。 当然私はそれに加われませんし、閉口して寝ていたら、一時間位でユースの方に怒鳴られてけりがつきました。 11時、12時、13時、14時、15時、21時、22時のRatstrinkstubeの仕掛け時計は待って見るほどのものではありません。 |
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ローテンブルクでユーレイルパスが切れたのでその後は二等での旅。 ずっと一等車に乗っていると二等車が随分薄汚れて見えました。 しかし、不気味なインド人や、妙なおじさんと一緒になることもあり、それなりに楽しめました。 |