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ロンドン-パリ-ハイデルベルグ-ミラノ-ローマ-ナポリ-アテネ−カイロ
参加者の「ひとこと集」と「自分の感想」を該当地区に掲載しました。 |
往路はこれで、二回目の南回りです。ただ、今回は窓際だったので、それぞれ各地の風景をよく見ることができました。 特に印象に残ったのが紅海です。アラビア半島を抜けたと思ったら、エメラルドグリーンの海に入り、そこをあっという間に過ぎ去りました。 わずか200km程度の細い水路なのです。そこから、茶色の大地に伸びた一本のナイル川沿岸の緑のベルトに沿って北上してゆきます。 今回の旅の一番最後に訪れる地を眼下に見て、憧れを持ちました。 |
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運転手はRONさん。イギリスでは階層意識が強いとのことで、RONさんは労働者階級をほこりにした信頼のおける人でした。 |
イギリスは料理がまずい事で有名です。しかし、最初に行った、フライドポテトの多い昼食は結構おいしかった。ただその後どこでもそんなのばかりだった。 |
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町なみや家、公園などもとてもかわいらしくまるでおとぎの国みたい。 ロンドンの町はほんとうに絵になる感じです。 |
夜はテムズ川の船上パブへ。金髪のビール太りのようなおじさんにビールを注文。サイダーみたいなのにビールを混ぜるものもあったりして不思議だった。 |
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めずらしい風景もいいけど、めずらしい人々(外国人も含めて)に会えることができ、それによって自分の人生に少しでもプラスになればうれしいと思っています。 |
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若い外国の旅行者は胸に小さな袋をさげている人が多いのです。 |
ロンドン塔は閉館間際に行った。甲冑や宝石類、西洋の中世を感じた。この頃、赤い宝石は全てルビーと称され、宝物館にあった巨大な赤い石は本当のルビーではないらしい。 |
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パリで自分の思い通りの食事をするのは、ひと苦労。みなやや欲求不満ぎみ。 今、LUXEMBOURG公園のベンチにおります。今、目にはいるのは、芝生の緑と花の赤・ピンク・オレンジ。 そのまわりに白い石の彫刻など。そして公園の中ではベンチで新聞を読む人。日光浴をする人。おしゃべり(フランス語)をしている人がおります。 ここに着いて1時間のんびりとすごしております。 |
印象派美術館でモネの水連を鑑賞しようと思ったら、工事のため閉鎖中。付近のオランジェリー美術館に行く。すばらしい。 |
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パリには日本人が多いですね。どこへ行っても日本人が居ました。そして足早に歩いています。 |
フランスは1回来ており、有名な所はほとんど回ってしまったので、単独で行動です、シテ島の小さなレストランが日本の雑誌に載っていたので行ってみました。 フランス語の辞書は持っていったものの、料理の名前と内容はわかりません。一つだけ、ポーチドエッグの上にマヨネーズをかけたものが理解できました。 それ以外はお任せです。サイダー瓶のような安っぽい瓶に入ったハウスワインはおいしくて、昼間なのに一本いってしまいました。 |
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それにしてもパリでの飲物の調達には苦労させられた。 たえず気にしていなければならないし、180mlのジュースが1本5F(約250円)というのはこちらの感覚としては本当にまいってしまう。日本はいい。 私はこちらに来て国粋主義者になりそう。提案"日本人は皆ヨーロッパ旅行をしよう。"そうすれば水の大切さに気づくにちがいない。 そして東京の水不足は解消されるでしょう。 |
エッフェル塔の公園を散歩していたら、突然車から降りてきた「パンとニンフ」の格好をした半裸の数人が、撮影スタッフとともに降りてきて、 写真をいっぱい撮ったかと思ったら、すぐに消え去りました。 |
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HeidelbergのJugend-herbergeはユースの発祥の地にふさわしく清潔で、機能的かつ自然にめぐまれ"ユースらしい"というところ。 ただし、日本とちがうのは、用のないときはいつもカウンターがしまって人がいないこと。ディスコやカフェテラスがあることなど。 |
夕食メニューは、フライドフィッシュ、サラダ、ドイツ名産ポテトでした。食後それぞれ町の方へ出てゆき、 お城を見る人、古い大学でコンサートを聞いた人、ビールやフランクフルトソーセージを食べる人などがいました。 |
翌日はスイスに向かい、アウトバーンを通ってバス移動です。途中キャンピングカー(セドリックでした)の事故がありましたがそれほど込みませんでした。 ドイツの民家風の売店で休憩した時、大きなシュークリームがあったので食べましたが、砂糖がいっぱいかけてある上に、とても砂糖っぽくて日本のものとは違います。 |
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スイス、バーゼル・バディシェ駅前で休憩です。 |
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全体を通して、息をはっとのむように、すばらしい、あるいは、美しい緑、まどぎわに花をかざったかわいい家が絶妙なコントラストを表していた。 登山電車・・・、今日はいい天気だったし、本当にすばらしい景色で、来てよかったと思った。 |
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アイガー北壁の中を登ってゆく。頂上は風が強く寒かった。 |
アイガーには途中北壁を見下ろせるスリルのある窓があります。昔、この窓から中に入ってでザイルを直した人は、登頂記録を取り消されたそうです。 |
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山の麓は晴れて穏やかでのんびりと旅の疲れを癒しました。 |
町をのんびり歩いていたら、知り合いが別のツアーで訪れていました。バスの中から一生懸命手を振っていました。その後もう会えませんでした。 夜陰にまぎれて、牛がつけている本当のカウベルを取りに行こうかと言う計画が持ち上がりましたが、怖いのでやめました。 |
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夜は9時半頃から日本食パーティーをやった。その内容は、梅干、カップラーメン、みそしる、おせんべい、赤飯、緑茶。etc. 久しぶりの日本食を食べて本当に満足でした。 朝、ミラノで買い物をしたのだけれど、おつりをくれなさそうにしたり、おつりを渡さないで、その分買い物をしていけという 様子をみせたりして、たいへんなところである。気を引きしめていこうぜ!! |
トロリーバスに乗ったら料金の支払方法がわかりません。車掌さんも一生懸命説明しているけれどイタリア語は解かりません。結局ただになりました。 教会は厳格です。肩を出した服の女性は、スカーフ等を肩にかけないと入れてもらえません。 |
ミラノからローマへの移動は鉄道です。途中、故障したのか理由は不明で2時間程度の停車。 しかし、我らコンパートメントはものともせず、延々と続く大貧民で大盛り上がりです。 |
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女の子(子というのは、ちょっと・・・)3人、300リラのすいかをほおばり、その後コロッセオへ。 印象偉大なるローマ、遺跡の中に街がある。 |
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朝食をとる。ボーイが面白い。日本語で「紅茶、紅茶」といってから「いっぱい」といってほんとうにカップすれすれまで入れる。 駅の近くの飲み物屋に行ってすごくでかいジュースを飲む。4000リラ。1.5リットル以上は軽く入っていると思います。 こちらのジュースはかわっていて、必ずストローが2本つく。これは我々の飲んだジュースが恋人用のものだからかもしれない。 |
イタリアのシェスタは困りものだ。のどが渇いてもお店は全部閉まっている。 しかし、ローマ時代に作られたと言う水道からは水が流れ出していて、おいしかった。 カラカラ浴場でオペラがあったそうだ。オペラはあまりわからないので誘われたけど行かなかった。後から後悔した。 |
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夜7:30から、北垣さんの22回目位の誕生日。 主役はいつのまにか疎外されて他の者ばかりが出張ってわいわいやる。実に面白い。 |
誕生パーティーで飲みすぎて二日酔い。おかげでローマの一日をふいにする。 暑くて暑くて、トレビの泉に膝まで入る。泳いでいる人もいる。スペイン階段ではローマの休日をまねしてアイスクリームを食べたけど、暑くて、どろどろとけてきた。 |
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ポンペイの遺跡は時間がなくて急いで回る。暑くて暑くて、「暑い暑い」と言っていたら。外国人に「Atsui
Atsui」と言われてしまった。 それにしても、以前写真で見たそのままに敷石についている轍の跡など、そして、ソドムのような饗宴が繰り広げられていたかと思うとどきどきするすごい遺跡だと思う。 |
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本日の夕食の時、20000リラの請求があったのだけれど、内訳を知りたかったのでそれを計算して欲しいと頼んだら、 23000リラとなってしまった。正確に計算すると、値上がってしまったのだ。つまり、やぶへびであったのだ− イタリアはつくづくいいかげんな所であると再び思うと同時に、ますます好きになってしまった。「ナポリにて」 |
ナポリまで来て、また路地に入り込む日本人はあまりいないらしい。子供達がものめずらしそうにしている。 |
やはりイタリアってとこは素晴らしいです。 朝7時のモーニングコールは聞くところによると7:00に来た部屋はなかったようで、ひどいところは7:45.あわてて起きてやっと間に合ったようです。 ・・・駅に到着したら案内の男性がやさしく列車迄連れて行ってくれ、ナポリ発10:01が9:30に全員が乗ると急に走り出したのです。 遅れることはあっても、早く出発するなんて、想像だにしなかった事です。・・・1駅で同じ駅にバック。あーあ何とイタリアは恐ろしい国でしょう。 ・・・バリ着は・・・30分程遅れ、皆死に物狂いで線路横断。・・・・・ブリンディシュ駅ではタクシーの運転手に何だか無理やり荷物を持って行かれ、 船着場では手際の悪い船員に皆で腹を立て、やっとの事で出発。日本のあのスムーズに何でも進められる事を考えると、日本人は優秀なのだと自分で納得したりして ・・・・本当に今日はご苦労様でした。 |
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ブリンディシュはローマ皇帝ネロもギリシャに行く際に使った港です。多くの学生風の男女が乗船していました。 そして、日本では広間の雑魚寝なのに、今回の船は4人部屋個室のシャワー付きです。 |
船上では、しばしエーゲ海クルーズみたいな感じを覚え、朝のすがすがしい空気を胸一ぱいすったことでした。 昼食を各自用意して下船。そこからバスにてアテネへ向かったのであります。 また、そのバスが骨董品で、上り坂ではあえぎながら、今にもエンストしそうになりながら・・・・・・・。 |
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ヨーロッパも南に来ると、車優先になり、クラクションもガンガン鳴らし、うるさい。また、環境に対する意識も低い。 ギリシャのパトラス港から、アテネに着くまでにメンバーの一人がコーラの空瓶をどうしようかと困っていたら、運転手がそれをポイと草むらに捨ててしまった。 |
夜は30名位で料理店(タベルナ)へ行き、ワイン又はビールと料理を飲んだり食ったりしながら、繰り広げられるショーを楽しみました。 ・・・坂本九の「上を向いて歩こう」がなんといっても最高だった。・・・でも料理店なのにタベルナとは、これいかに? |
ギリシャの有名な料理はナスとひき肉のムサカとスブラキ。あとワイン祭りのようなものに行ってみたかったが、曜日が合わなかった。 |
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アテネの街は日本の資本が相当入り込んでいるようです。 バスの中から見ていても、日産(ダットサン)、三菱、トヨタ、それにマツダ又々ダイハツの車を目にしましたし、ディーラーの建物もありました。 街中には、ソニー、東芝、セイコーなどの製品をあちこちで目にしました。イタリアではほとんどみられなかった光景です。 こういうところで、日本の車なんか見ると、非常にすばらしくみえてくるのです。こうも日本の車は立派なものであったのかと。 ・・・外車と目の色を変えることがあほらしく思えてまいります。 これからアテネ市内観光。そして、いよいよ、このツアー最後の訪問地カイロです。何カ国か歩いてみると、それぞれのお国柄というものが、私なりに理解できます。 そして、自分が生まれ育った日本はいいなと改めて思います。それにしても、ユングフラウヨッホのあのすばらしい風景はよかったです。 神殿の入口に入ると、その神殿の大きさに驚いた。これが紀元前に建てられたものとは思えないすごさだ。 そこからは、古い遺跡や大きな石の丘や集会に使われた広場などがながめられる。・・・そしてその上にあるパルテノン神殿へとわれわれは進む。 ・・・ここからもアテネ市内が見渡せて、ここに神殿を建てた理由もわかるような気がする。・・・別の神殿も破損がひどく、修繕をして、いたましい限りだ。 |
パルテノン神殿は過去にドイツ軍の火薬庫になっており、事故で爆発している。そのせいか何なのか、あたり一面大理石の小石が散らばっている。 小さいのを一個持って帰った。 |
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サハラ砂漠の砂は日本の海岸の砂とは全く違う。きめ細かく乾いた粉のようだ。その中にその砂でできた砂岩をみつけたので砂とともにフイルムケースに入れて持ち帰った。 |
イヤ実際日本は色んな面ですぐれている国はないでしょう。イタリアにしろギリシャにしろ歴史の上にあぐらをかいているようだし、謙虚な態度に欠けているようだ。 どうやらこの旅行は、日本のよさを再認識する旅になったようだ。エジプトでその感をもっと強くするや否や、もう私の眼中には、日本のことしかないようです。 カイロへと旅立った。ギリシャのように暑いのを考えると憂鬱だ。カイロは暑く、とてもではないが、歩いてなどいられなかった。 それに又下町のほうはフンのにおいでくさかった。全体が非衛生的で、ギザのピラミッドのまわりはらくだのフンだらけ。不潔でもあった。なにしろホテルの中にさえハエがいた。 |
ピラミッドに登りたかった。簡単に登れそうだが一応禁止。付近にいるおじさんにチップをあげたら見てみぬふりをしてくれるそうだ。失敗した。 スフインクスを近くで見たかったので近づいたら、アラブ人が手を振ってあっちへ行けという。何となく怖くて、あわてて逃げてしまった。 |
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背の大きい現地人が何かといえばすぐ手を出して物をねだるのだった。むしろ強要に近いやり方であって、すごく不快であった。 |
街のごみごみした所を歩いていると、切っ先の鋭い幅太のナイフがどこからともなく飛んできそうな気がする。エキゾチックだ。 |
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街全体が茶色か灰色っぽくすすけていて、一般の民家には屋根があるのかないのかわからないような、ちょっと見ると廃墟のような街に見えた。 |
モスクの向かいにある広大な茶色の家のようなものは実は墓。イスラム教は墓石を建てるのではなく、日干し煉瓦で小さい家を作るらしい。 |
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モハメッドアリモスクの見学です。緑色のカバーを靴にかけ、中を歩きます。内部のピンクの大理石がライトをあてると透けて見えました。 |
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これが古代に栄えたひとつの国の後の姿なのだろうか。ローマ、アテネ、カイロ・・・それが歴史なのか。 |
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ナイルの舟遊びをしました。子供の船頭さんですが船を巧みに操り、下船間近でバクシーシと言って小銭をねだり船を岸に着けない。 最初しらばっくれていたけれど、むこうもいつまでもバクシーシと叫んでいるのでしょうがないから小銭をあげて下船。でもいい経験でした。 |
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カイロ、エルサレムホテルのプールで水遊びです。多分アメリカ人なのか、組体操や一斉飛び込みをして楽しみました。 アメリカ人は陽気で、すぐ人と仲良くなるのができる。いい人たちだ。 |
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いよいよ日本に帰る日になりました。前半は途中で棄権したくなったこともありましたが、後半は非常に快調で、 ローマ以降、帰る日が近づくにつれ何かものたりないような、もっと、ずっと、この旅が続けばよい、というような気持ちになりました。 東京行きの飛行機の中です。・・・思えば色んな事がありました。失敗談は数え上げればきりがありません。又、少ないながらも成功談もありました。 今となっては、その成功がきわだって光り輝いているようです。初めての海外旅行。良い意味でも、悪い意味でもヨーロッパに対する幻想というものを打ち砕いてくれました。 現実の認識ということは、大切な事です。すでにヨーロッパから吸収するものは吸収しつくした。 これからは、日本は独自の独創性を持って世界の模範となるべき努力をしなければならないという感を深くしました。 |
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