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昭和50年8月8日〜10日
サマーキャンプ
北軽井沢照月湖キャンプ場
混んだ電車で北軽に着いた。我々は自転車を借りてキャンプ場へ。昼間はいろいろな準備。
しかしながら、夜は早くも酔って騒いだのである。
翌日は二日酔い。けれども楽しくサイクリング。
皆、バレーやテニスをして遊び、帰ってからは紅茶を飲んだり、ダンスをしたり、西瓜割りをしたり。
鈴木氏が見事に割って一個我々の班へ。夕食は食べきれない程のすき焼き。
この後広場に集まってキャンプファイアーである。スタンツがあるとのこと。我を忘れるため、できるだけ飲んで騒ぐ。
我々の班は尻文字をやり、紀さんが特別賞。
翌日もサイクリング。真暗なトンネルを通って出たところが滝。すごい音としぶき。近くで食事。
万座鹿ノ口駅より帰ったが、不覚にも鈴木さんのジャケットと、桃を入れた袋を忘れた。
まったく申し訳ない。
会報127号
キャンプの思い出T
美しい自然ときれいな空気の中で過ごした。三日間はあまりのも楽しすぎてアッと言う間の出来事のような気がする。今まで知らなかった人達と話し、食事をする。自然のなかでの食事は何とも言えずおいしい。夜になると東京では見られないほどの星が空いっぱい輝いて、まるで別世界に来たようだ。(ちょっとオーバーかな?)
とにかく楽しかったの一言につきるのだが、その中で一番よかったのはキャンプファイアーだ。私も何度かキャンプに行ったりしたけれど、これほど楽しかった事は無い。キャンプファイアーを囲みグループ毎に座る。少々話し合いをしたので静かだから余興が出来るのかと心配したが、あれほど盛り上がるとは思わなかった。あるグループは歌、あるグループはテレビをまねて「パンチデデート」それにブルースリー。ヌンチャクの鮮やかな事。皆びっくりしてしまったのではないかと思うほどだ。結局、ドラゴンが一等で終わった。
キャンプファイヤーが終わろうとする時にはなんとなく寂しさを感じた私。まだまだたくさん書きたいけれどあとは私の心の中に想い出として残しておく事にしておきます。 記入者M.K. |
キャンプの思い出U
我々の目指すテント設営の場所は四方が青々としたなだらかな山々と湖があるところと聞く。車が山道独特の走行の仕方をしてくればしてくるほど皆の心はこれからの三日間の生活に思いをはせた。・・・
視界が急にひらけた。−その向こうに点々と建ち並ぶ色々のテントの屋根が写った。車中から皆が体を乗り出し、歓声をあげ注視した。車が止まり思い思いの荷物を持って降りた。我々が最初にしなければならない仕事とは裏腹に近くの湖の方に足が向いた。車内に長くいたせいか体が固くなっていた。 ヒマラヤ杉の枝をよけるとそこには湖が静かにあった。冗談はさておいて、二日目の夜が来た。我々の班は珍人の集まりで特徴の無い人はいなかった。岡崎さん、相田さんみんな動く漫画なのだ。なんとこの班がキャンプファイヤーの時、芸をやる事になった。私は人見知りする上、はずかしがりやなので劇の十分前から体がふるえるほどだった。その時我々に度胸をつけてくれた班があった。25歳位の大人が♪♪「そらを越えて〜」手を頭に乗せ踊り出した。チークダンスを舞った班もあった。40人もの目の前でバカになれる人を羨ましいと思った。我々もだんだん雰囲気に乗った。題は「ドラゴンへの道」中国劇なのです。岡崎さんもペラペラでした。私もブルースリーになりきりドラゴン拳法をやりましたが、飲んでいたため悪役を本当にけり「いたい」と叫んだが「これが芸だ!!」と思った。朝になり慰謝料として悪役の長谷川さんに賞であるメロンを一つあげた。 記入者O.I. |
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