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第1回城ヶ島ホステリング
昭和50年6月21日22日
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先日、ダンスの練習を目的としたホステリングを行いました。これは、試験的なもので例会では時間が無くて出来ない基本ステップを主に、各種目2時間づつ足が痛くなるまで練習できました。その日は一日中雨が降っていて、6月には涼しいくらいの天気。男性9名、女性8名で最初のうちは元気いっぱいで踊っていたのが1時間たち2時間たつうちに疲れも出てきましたが、全員が真剣そのものでした。みんなこんなに踊ったことがなく是非またこうゆう企画を試みてみたいと思っています。 記入者不明 |
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東京の雑多の中でも、虫の声が聞かれ、風も少しだけ涼しさを運んでくる朝夕ですが、日中はまだまだ暑いですねえ。お変わりなくお過ごしですか?私は相変わらず、仕事に遊びにと飛び回っています。さて、その中のひとつで私の入っているサークルYDCでは9月13日〜15日、城ヶ島YHでダンスの講習会を行いました。数多い(?)デイトの誘いを横目に意識しながらも9月14日の朝、京浜急行に乗り込みました。ひと眠りして11時に到着です。その日の午前中は自由行動だったらしく、お昼時に皆が食堂に集まってきました。(みんな動物的本能が強いんですね〜〜)午後より、フォーメーションのフィルムを見せられ『さあ、その通りやって下さい。』と言われ『エーッ』『そんな無茶な』と抗議したのです。抗議の甲斐あって、最初から少しづつ練習、また練習、流れ出る汗でタオルはぐっしょり。不平も言わず、練習練習。そして、その夜の花火のきれいだった事。<チカッ>とマッチで火をつけると、目の前が明るくなり、みんなの手先から手先へと光の花が咲くのです。おっと忘れてはいけない。もうひとつの花、それは、くのさんの娘のジュンちゃんでしょう。休憩時間にはさかなやさんになったり、歌の先生になったり・・・。疲れを和ましてくれました。子供ってそばにいるだけでいいものですね。 さて、次の日の朝、ラジオ体操、朝食後、すぐ練習。みんなタフというか流石というか意欲的でやる気があるというか、まったくたいしたものでした。その上、帰りは城ヶ島大橋を渡るというので途中まで歩いたのですよ!『この人達がいる限りYDCは永遠に続く』そんな思いがしました。あとはいつものように横浜に寄り道です。−とても有意義な二日間でした。でも心にひっかかった事が二つありました。それは常にそうなのですが、個人意識が強すぎてミーティングの時など全然まとまらないのです。そしてもう一つは第一日目のキャンセル人数の多かった事です。金銭面ではなく、YDCの信用問題ですし、ペアレントさんにも大分迷惑をかけたと思います。私自身、またみんなももう少し考えてみなければいけないことだと思います。長くなりましたが、これから季節の変わり目にかけて健康にはくれぐれも御注意下さい。では、また。 かしこ 記入者不明 |
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時は昭和50年7月6日犬の上時のころ、きれいに着飾った(?)紳士淑女の方々が、四谷の主婦会館へと急いでおられた。すわYDCの討ち入りかと見て、おっとり刀でかけつけてみれば、これがなんとYDC主催のダンスパーティとのこと。拙者もこのパーティに加わってみる事に致した。 ホールに入ればパーティはすでに始まっており、幾組かのカップルが蝶の乱舞とはいかないまでにしろ、優雅に踊っておられるではないか。拙者も江戸時代の生まれとして、がんばらねばと思い、一人の淑女に申し込んで踊ってもらうことにしたが、江戸時代の生まれの悲しさ、淑女の足を踏みつけたり、他のカップルにぶつかったり、なかなか思うようにまいらん。 やがて、会長のS氏の挨拶があり、再び踊りが始まったが、カップルの数がまし、あの広いホールも通勤電車なみ。あっちこっちでカップル同士がぶつかりあっていたようにお見受け致した。しかし、あの混雑の中をスルリスルリと踊り抜け、蝶のように乱舞をなさるカップルもあり、拙者感服つかまつった。 しばらく通勤電車の中なみのダンスが続いた後、カップルによる”イス取り”が行われることと相なった。最初はそれぞれのカップルの紳士淑女のかたがたは用意されたイスに仲良く半分づつ腰掛けられておられたようであるが、さて、ゲームが始まり音楽がとまると、これがなんと、あの落ち着き払った紳士淑女のかたがたが争ってイスにすわろうとなされ、紳士のひざの上に紳士がすわったり、または淑女がすわったり。江戸城でこのようなことをしたら無礼打ちとなるようなことが拙者の目の前でくり広げられ、昭和の世はかわったとつくづく思わされた次第である。 そうこうしているうちに、優勝カップルも決まり、それぞれの紳士淑女には賞品が手渡された後、再度踊りが始まったのでござる。しかし、あいもかわらず通勤電車。やはりコッツン、コッツンとぶつかりあうカップルが相当あったようにお見受けいたした。 時のたつのは早いもので、”LAST WALT”で踊り納め。一般の方々が帰られた後、YDCのかたがたは記念写真をとられ、そして三々五々夜の東京へと散っていかれたようであった。そして、拙者も江戸城のねぐらへと戻っていったのである。 以上アンマ記 |