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昭和50年5月2日〜3日
丹沢表尾根〜三ノ塔〜ヤビツ峠
渋谷でバスを待って大倉へ小雨が霧になってあたりがかすむ。R.A.さんは疲れぎみ。
だが塔ノ岳の山小屋では皆疲労困ぱいの様子。小屋を出ると雨。私を頭に皆泥だらけ。
S.K.さんの裾が全く汚れないのが非常に不思議で、後で、きれいな歩き方をすることに気がつきました。
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会報124号より
パンパカパーン 今月のビッグニュース その1
5月2日の夜から5月3日、自称YDC登山同好会(随時メンバー変更・自由入退会制)は丹沢山へ行ってきました。とても楽しかったので近況報告として、YDCの会報の一部を借りさせてい頂きます。5月2日、22時 小田急線中央乗車口に集まったのは5〜6名、もう少し待ってみましょう。と30分−。全員で15名。10時38分行動開始。さて渋沢駅に着き、少し待てば来るはずのバスが来ません。そこで駅員さんとひと悶着、その甲斐あってかバスが来たので約15分。バスを降り電灯を出し、山頂での水の必要性を予知し、そばにあった一升ビンをよく?洗い、水を入れ運ぶことにしたのですが、果たして誰が持つか、もちろん立候補者ゼロ、したがってザックの中に一升ビンがはいる位の余裕のある人へ全員の視線がジ〜、結局A氏に勇者になってもらう事になりました。当人曰く『一升ビンのある方に重心がよって一方の肩だけが凝る』そうです。0時50分、最初はアスファルトの道で、しばらく行ってもまだ人家が多くあり、いささか期待はずれ、やっと山道になり、ふり返ると星ひとつない夜の闇の中にポッカリと町の灯がみえる。それをバックにフラッシュ付のカメラで記念撮影。迷カメラマンのO氏『本当に焦点あってんのかなあ』と独り言をいいながらもパチリ、パチリ。まだ先は遠いのです。歩いて行くうちに年齢の差か先頭と回れ右して先頭の差が大きくなってくる。『おーい先頭』と後ろで声。電灯で照らすと、はるか向こうでやはり電灯が動いている。それならばと先頭は休みもかねて待つのです。後ろの人が追いついた時点で出発です。それではペースの遅い人はいつ休むのですか?ともかく、どこをどう歩いているのか、もやの中でやっと足元の小道が見えてきました。そういえばお腹も空いてきたみたいです。途中から降り出した雨に道はぬかるみ、あちらこちらで、キャードスン、アレーの声が飛び交う。女性にはよきナイトがついているはずなのに不思議ですね!また、斜面60度位の所を鎖につかまりながら登り、あとで上から見てドッキリしたり大変でした。ここでO氏のスタイルを見て頂きましょう。上下黒のカッパスーツ。実によく一見二枚目。ところが歩くとガニマタなので、ズボンの内側がよく見えるのです。ひざ上まで一面泥だらけです。よくまあ、あんなに、でもよくみたら皆同じ・・・と、まあ色々ありまして。山吹と桜に囲まれた道なき道を『こんなに疲れているのに。眠いのに。なぜ歩いているのカナー』と思いながらも1,567mの山頂に到着したのです。あ〜実感!髪もパサパサ、ジーパンはドロンコ。でもさわやかな顔顔顔。さあ×にしましょう。貴重であるはずの水が山小屋にあり、A氏がいささかふてくされぎみ。食後は長らく休んで雨の中を出発。『こんにちは』『こんにちは、気をつけて』の声。そして山の上での赤出汁味噌汁と、レモンティー。思いがけない暖かな飲み物に勇気づけられて、さあもうひとがんばり。寝不足でニキビが気になるけれど器用にも、バスの中で立ったまま眠れる位。疲れたけど、本当に来てよかった。と全員が思った事でしょう。(記入者不明) |