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(8)実験心理学の確立


       8.1) ヴントの心理学
8.1.1) ヴィルヘルム・ヴント(Wilhelm Wundt;1832-1920)…1879年、世界最初の心理学実験を開設。
           実験心理学は19世紀後半のドイツを中心に起こり、世界最初の心理学実験室が1879年、
           生理学出身のヴィルヘルム・ヴントによって、ライプチッヒ大学に開設された。
           
8.1.2) ヴントの心理学…構成主義(structuralism)の心理学、要素主義的心理学。生理学的心理を提唱
           <研究対象> 『意識の中身(意識内容)』だけを研究の対象とする(=内観心理学)
           <基本思想> 心の世界を「感覚」や「単純感情」のような基本構成単位の組み合わせから
    成り立つと考える(=要素主義的心理学)。これらの単位(心的要素)を実験と                内観によって発見したり、心的要素の結合の法則を明らかにしようとする
           <功績>   実験心理学の端緒を開き、心理学を“哲学から”独立させた。
           
       8.1.3) ヴントの心理学への批判
@機能主義(functionalism)の心理学:同時代のアメリカには、ジェームズ(William James1842-1910)やデューイ(John Dewey;1859-1952)のように、生活体(個体)における意識役割を明らかにしていこうという機能主義(functionalism)の立場に立つ心理学があった。
           
A作用心理学(ad psychology):ヨーロッパでは、ブレンターノ(Frans Brentano;1838-1917やシュトウンプ(Carl Stumpf;1848-1936)が、ヴントのように意識の内容を重視する心理(content psychology)に対して、その対象は「意識内容」よりも『意識作用』の方だと考え作用心理学(ad psychology)が興った。
           
Bゲシュタルト心理学:20世紀に入ると、ヴントの心理学(要素主義的心理学)が想定してた意識の単位(感覚など)は、直接経験には現れない虚構のものであることをゲシュタルト理学が指摘した。「群化の法則」に代表されるような全体的・力動的なゲシュタルト法則が的世界を支配していることを明らかにした。
           
C行動主義心理学:同じ頃、アメリカに台頭した行動主義心理学は、意識のようなブライベトな内的世界を科学の対象にするのは誤りで、科学的心理学の対象と成りうるものは、外か誰にでも観察できて、これを客観的に記述することのできる“行動”だけであると主張した。そのような行動のメカニズムを調べるために条件反射のような“客観的”方法が利用されるうになった。
           
D精神分析学:フロイト(Sigmund Freud;1856-1939)は精神分析学を提唱した。ヴントが心学の対象を意識だけに限ったことに対して、フロイトは、意識の表面に現れない心的世界
(=無意識)かあることに気づいて、心理学の研究対象を意識から「無意識」にまで拡げた。            
     8.2) 古典的実験心理学の視点と方法
 初期実験心理学の基本的な考え方を理解するために、次の考え方を理解する必要がある。            ・直接経験(immediate experience)…個人的な感性経験もしくは、”生の”経験。
われわれの眼の前に拡がる世界は、通常、それを見聞きしている者(観察者)がいてもいなくも、実在する。しかし、これを観察している観察者の中に現れるこの世界の“知覚像”は、察者のその時の状態と連動している。このような、個人的な意識の世界に現われている“生”経験の中身を、ヴントは「直接経験」と呼び、「現象]をそのような個人的な直接経験のベルで処理することを「直接経験の視点」と呼んだ。
           ・間接経験(mediate experience)…直接経験から個人的・主観的要素を除いたもの。
間接経験による研究の対象は、観察者がいる世界とは独立に存在する“普遍的”世界である。            自然科学は、この「間接経験の視点」で構成される学問といえる。
           
ヴントは「心理学は、経験的に実証されない霊魂や、神から授けられた精神(理性)などとう形而上学的なモノを仮定しない。この意味で、心理学は自然科学と同様に「経験科学」のつである」という。
 一方、心理学は「直接経験の視点」から構築される学問なので、自然科学の体系に属すこはできない。すべての認識の出発点は個人的な感性経験(直接経験)のみであるから。
 「直接経験の視点」からの学問は心理学だけではなく、法律、政治、経済、社会、歴史、教、芸術などを対象とする人文科学や社会科学が、これに含まれる。これらの諸科学は「直経験」から出た『人間の行為』や『その結果』を扱う。しかし、心理学のように、表象や感や意志などといった「直接経験」に現れる心的過程それ自体を研究対象としているわけではい。心理学は、これら人文科学・社会科学の根底にある感情や意志過程そのものを明らかにるので、「諸科学の基礎学」として、特別に位置付けられることになる(Wundt、1889)。
 個人的な直接経験(意識)に現れる心的過程だけを扱う学問の方法は『内観(introspection)すなわち『自己観察(self-observation)』である。この自己観察の対象となる意識過程をコンロールするために、初期の実験心理学者たちによって試みられたのが、感覚生理学の手法をりた実験である。また、要素的なものから複合的なものへと組織されていく心的過程の量的観的表現のために用いられたのが、フェヒナー(Gustav Theodor Fechner;1801-1887)の創になる『精神物理学』の方法であった。
     9.3) ヴント以後
 19世紀後半から20世紀初頭にかけてのドイツの実験心理学界の主流は、南部ドイツの古大学で医学だけを学んだライプチッヒのヴントではなく、自然科学とともに当代随一の哲学たちから直接の指導を受けた哲学出身の俊才たちであった。このような哲学出身の少壮心理者たちを中心に、ゲッチンゲンやベルリンの周辺に新しい心理学実験室(研究室)が相次い誕生した。
 その哲学的素養の大方を独学によって身に付けるほかはなかったヴントの立場に比べ、こような影響力の強い師をもち、哲学的思索の訓練を積み重ねてきた人々が、心理学と哲学とそして自然科学との、あるべき関係について、いっそう深い洞察力をそなえていた。
 1881年、ゲッチンゲン大学の実験室を開設したミュラー(Georg E. Muller;1850-1934)は            哲学者ロッツェ(Rudolph H.Lotze;1817-1881)の愛弟子で、その後継者でもあった。
師のロッツェは、ヘルバルト(Johann F、 Herbart;1776-1841)やフェヒナーおよび生理学のヨハネス・ミュラー(Johannes P. Muller;1801-1858)らと並んで哲学的心理学から科学心理学への移行期を代表するすぐれたカント主義の哲学者である。
            1889年、ミュンヘン大学に実験室を開き、後のベルリン大学の心理学研究室を主宰する
シュトゥンプが師事したブレンターノは、ベルリン大学のトレンデレンブルグ(Friedrich A.Trendelenburg;1802-1872)に学び、アリストテレス学者として出発した。
 師のブレンターノは、意識の「志向性」の発見を通して、20世紀のゲシュタルト心理学も関係の深いグラーツ学派や、のちのフッサール(Edmund Husserl;1859-1938)の現象学大きな影響を与えた哲学者である。
 1890年、その頂点の一つに立つものが「心理学感覚生理学雑誌」であった。これは、エングハウス(Hermann Ebbing-haus;1850-1909)が、ベルリン大学の同僚でもあった物理学のケーニッヒ(Arthur K6nig;1856-1901)と共同で刊行した。
           
 ミュラーやシュトウンプや、彼らの薫陶を受けた第2世代の若い実験心理学者たち(たとばゲシュタルト心理学者たち)は、いわば先輩格でもあったヴント心理学の轍を踏まないよう生理学との一線は画しながら、極力、哲学との縁を切って、実験心理学を名実ともに独立し「個別科学」にするための努力を重ねた。
 現代心理学は、ヴントの「生理学からの独立」よりも、ゲッチングンやベルリン流の「哲からの独立」路線のほうを忠実に引き継いできた。

 (9)記憶研究