あさいはり施術所  浅井整骨院
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(4)近世哲学と心理学


     4.01) デカルト(1596-1650:フランス)
 近代哲学の父。真理を「信仰」によって求めるのではなく、人間の「理性」によって求めた。数学では座標を発案。数式の表記法にも貢献した。

           a. デカルトの研究方法
 すべてを疑い、確実なものだけを抽出して、概念を確立し、演繹によって説明しようとした。デカルトの基本姿勢は数学至上主義。すべての現象を数学と物理学で説明しようとした。
           
           b. デカルトの心理学に対する業績
 ルネサンス期の学者が、生命現象は物体のような明確な対象がないため、研究対象から遠ざけたが、デカルトは心理学が学問であるために、@心が根拠のない存在ではないこと、を証明し、研究対象としての「心」を「生命現象」全般ではなく、存在の証明がついたA「意識」に対象を限定した。
 古代ギリシャ時代、「こころ」が生命現象の原因と考える広い意味から、ルネサンス期のデカルトによって「こころ」の持つ意味が絞り込まれたのである。
           
           c. 「われ思う、ゆえにわれ在り(cogito、 ergo sum)」 …『方法序説』(1637)の一節。
@心が根拠のない存在ではないこと…存在を疑っても、疑っている主体自身の存在を疑うことはできない。だから物質(身体)の存在とは別に、精神(心)が確実に存在していると証明した。
A「意識」が「こころ」の研究対象であること…物質は空間の中に拡がり、あるいは延長をもつ。一方、精神の存在は空間の中にあるのではなく、『内省』という精神活動の自明性により存在している。「こころ」の研究対象はその内省を行っている『意識』であるとした。
           
 デカルトは『世界論』の中で、物資の本質を拡がりと主張した。物質の移動によって運動が起こるが、すべては最初から存在していたのであるから、物質のさまざまな状態は他から作用がない限り、同一の状態を保つという『保存の法則』を論理的に明確にした。(実験で証明したのではない)
         
           d. デカルトの誤り(動物の行動について)
  デカルトはすべての現象を科学的に数学と物理学とで説明しようとした。しかし、動物の行動については、噴水の水の力で動く仕掛け人形のように、器械的に動くものとして説明した。その原動力は ”心臓によってコントロールされた熱せられた血液”(『動物精気』(血液から蒸発した精気))であると考えた。
 すでに神経が感覚や運動をコントロールしていることは知られていた。デカルトはその説明として、神経は中空の管であると考え、その管が脳の空室から身体の各部とを結んでおり、脳の空室には『動物精気』が充満していると考えた。
 デカルトは『情念論』で、この動物精気によって感覚器官からの情報も神経を通して脳室の松果腺に投影され、精神に統合されると同時に、動物精気を通して遠心的な情報も伝えられて、運動も起こると考えた。
           
動物精気説  …ガレノス(131-201)の説。精気プネウマに動物精気、生命精気、精神精気の3種類がある。食物が胃、肝臓を経て血液となり、心臓→脳→脳室と流れていく間に精気の性質を変え、精神を動かすと考えた。
血液循環説  …ハーヴェイ(1578-1657)は血液が体内を巡っているとした。
           
           e. デカルトの貢献
 動物の行動についての考えは、現在の知識に照らして、誤りであるが、当時最新の科学的知を導入して心と身体の問題を考えようとした。その思索は今日の心理学の基盤となった。
           
     4.02) 連合主義心理学
 デカルトは、心の存在を内省という精神活動の自明性によって論理的に明らかにした。ゆえに心の研究対象を、内省を行っている『意識』とした。

 それでは、
      @意識(心)の内容は、どこから来るのか?   → 意識の成分の追求
      A意識(心)がどのように形成されていくのか? → 形成の法則の探求
           
 @に対して、16世紀から19世紀にかけて連合主義心理学の体系を築いていった経験主義哲学者達(ホッブス、ロック、バークリー、ヒューム、ハートリー、ミル親子、ベイン、 ベンサムら)は、すべての意識は”経験から来る感覚”に由来すると考えた。彼らは、生まれつき持っている意識を否定した。一方、デカルトも、意識の成分の大部分は「経験」から得られると考えた。しかし、神や無限の概念のように、生まれつき持っている観念もあると考えていた。

 Aに対して、経験主義哲学者達は、物理学・化学が、物質を少数の原子や分子の化合物として説明したように、意識の形成を、意識の要素(化学的にいえば意識の原子・分子)となる「観念」の『連合』によって、説明しようとした。「意識」を「観念」という原子(または分子)の化合物であると想定したのである→『連合の法則』
           
     4.03) トマス・ホッブス(1588-1679:イギリス)…『人生論』『リヴァイアサン』
 デカルトと同時代に活躍したホッブスは、「意識」の流れを知るために、意識の要素である「観念」の『連合の法則』を解明する必要があると主張した。彼は、「意識」の形成過程が分かれば、「意識」の集合体である「社会」の形成過程も同様に考えることが出来ると推論した。逆に、社会を知るために、社会の要素としての個人の行動の法則を知る必要がある、と考えた。
           
 ホッブスによれば、「観念の連合」は思考の過程における会話の流れのようなものと考え、目的・方向性を持つものと、とりとめのない雑談のように無目的な流れのものに分類した。
           
 2つの過程から形成される観念の内容は、過去において近接して経験されたものであると考え、観念連合の形成原因は、『接近』と『頻度』であるとして、連合主義経験論(連合主義心理学)の基礎を作った。
           
 ホッブスは観念連合の法則を知ることによって、思考の流れをコントロールできると信じていた。
 それは、社会が個人の行動の結果として形成されるが、個人の行動は利己的・自分本位であるので、放置すれば絶え間のない戦いとなる。国家はそれを防ぎ、各人の欲求を出来るだけ満足させるために存在する。
 観念の連合法則を知って賢明な考えにコントロールすることと、個人の行動をコントロールてし賢明な社会を作ることはホッブスにとって、対応するものであった。
           
     4.04) ジョン・ロック(1632-1704:イギリス)…『人間知性論』(1690)
 「心がもともと文字が書かれていない『白紙(tabula rasa)』であると仮定してみよう」とい比喩が有名である。「このような白紙の心から、どのようにして果てしない観念の蓄えが出来るのか? どこから推理と知識の材料を得ているのか?」 この問いを自分で発して、「私は一言『経験からと答える。」と、自分で答えを記述している。
           
 経験の入り口は「感覚」。感覚からそれ以上分割できない『単純観念』が生まれるとした。
 この単純観念から抽象および混合によって、『複雑観念』が生じると考えた。
ロックは観念の連合を無理なこじつけによってできた不自然なものと、自然の中に対応があ無理のない連合とに分類した。それは、ロックが誤った人間の考えに興味があったからである。            

    4.05) ジョージ・バークリー(1685-1753:アイルランド)…『視覚新論』(1709)→知覚心理学への貢献
           「存在することは知覚すること」→知覚中心主義
視知覚における奥行きや大きさの知覚は、生まれつきのものではなく、視覚と触覚や運動感などの連合により空間的観念が学習されるという『知覚の経験論』を提唱した。
           
     4.06) デーヴィッド・ヒューム(1711-1776:イギリス)…『人生論』(1739)
           バークリーに対し、知覚または主観的経験が実在と一致する保証はないと主張。
われわれの経験を、感覚から来る鮮明な印象と、その弱いコピーに過ぎない観念に分類した。印象は、通常複合的である。観念の複合は『観念連合の法則』として『類似』と『接近』か起こると考えた。
類似した観念、時間的空間的に接近して経験された観念は、1つのまとまりを作りやすい。かし経験はすべて主観的なものであるから、実在が必ずしもわれわれが考えている因果関係通りになっていないとした。ヒュームの『懐疑論』は後の学者(カントら)に衝撃を与えた。
           
     4.07) デーヴィッド・ハートリー(1705-1757:イギリス)…『人間の観察』(1749)
ニュートンが物質をすべて振動としてとらえたことに影響を受けた。→観念連合の生理的基礎「感覚」とは、神経に微少振動を起こし、それが脳に伝えられ、その振動を生じさせている体の観念となって脳に残ると考えた。つまり脳に微少振動が伝えられるのが先で、その結果して観念がある。したがって、観念の連合は、観念と観念の間で起こるのはなく、感覚と観念運動と観念などの間でも成立するとして連合の概念を拡大した。
           
     4.08) ジェームズ・ミル(1773-1836:イギリス)…『人間精神現象の分析』
『単純観念』から『複雑観念』がでいていることを煉瓦とモルタルから壁ができているとい例で説明した。
心とは、感覚とそのコピーである観念とから構成されているが、どのように複雑な精神的経も単純観念に分解できると考えた。
           
     4.09) ジョン・スチュワート・ミル(1806-1873)…『倫理学体系』(1843)
ジェームス・ミルの息子。父とは異なり、虹の七色の融合が白色を作ることを例に挙げ、単純観念ら複雑観念ができる場合、部分の寄せ集めではない新しい性質が生まれることを主張し、
           『心の化学(mental chemistry)』という言葉を作った。
→全体が部分の総和でないことは、後にゲシュタルト心理学者たちに引き継がれた強調された。            
4.10) チャールズ・ダーウィン(1809-1882)…『種の起源』(1859)、進化論(自然淘汰、適者生存)の     提唱者。心理学研究が、内省による哲学的な研究方法では充分でないことを自覚させた。

  (5) 感覚・知覚研究