2001年12月1日
  「バセルさん難民不認定取り消し裁判」
   第七回公判を傍聴して

     文:by 米辻妙子


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バセルさんの実兄ギアスさん(日本在住)に対する証人尋問が12月1日、大阪地裁
807号で行われました。初公判以来、原告弁護士と被告(国側)との間で書類での
やりとりが殆どで、5分から15分で終わっていて傍聴している者にとって経過がわ
かりにくいものでしたが、今回何が話されているかがよく分りました。ギアスさん
は、アフガニスタンの公用語であるダリ語とイランの一部で話されているペルシャ語
の両方で通訳されました。

1、原告弁護士
2、被告代理人
3、裁判官 
   の順に証人に尋問してゆきました。
裁判の争点となり、被告代理人と裁判官が焦点を絞って質問したことは、バセルさん
がタリバーンと敵対する側の兵士であった事を証明する「ワハダットカード」の事についてです。
それが真正なものか偽造であるかを知るためのものでした。

そのワハダットカードは、イランのワハダット事務所が「難民」となる兵士のために
台帳を照会し証明書として作成して渡しています。

最後に、バセルさんはUNHCR(難民高等弁務官事務所)が独自に認定するマンデイト
難民に認定されたと報告しましたが、その事について法務省が確認していません。そ
のため、裁判所のほうから調査嘱託をかけるとのことです。




裁判が始まって以来1年8カ月が経過しましたが、難民認定異議申し立て裁判は、日
本が難民条約締約国であり、UNHCRの執行委員会のメンバー国であろうと、UNHCRのガ
イドラインの存在があろうと政治的判断として難民を受け入れない姿勢の下で、行わ
れています。そのため、ハードルが高くアフガニスタン難民全体のOECD諸国の受け入
れが1%に満たないとしても他国と比較にならない程低い認定率というのが現状で
す。そしてこのように長い裁判は、原告の精神てきな負担と生活の定まらない不安定
さを強いる事になっているのも現状です。


次回の裁判
大阪地裁 807号
3月1日 (金曜日)  1時30分〜

次回は、バセルさんの尋問が予定されていますが、被告側だけで3時間はほしいと
言ってましたので、通訳との事からも考えると非常に長い裁判になる事が予想されます。