2002年3月1日 
アフガニスタン人バセルさんの難民不認定異議申し立て裁判の報告

                          第八回公判を傍聴して
                            文:米辻妙子
    
 [裁判について Top] [ 第四回公判を傍聴して ] [ 第六回公判を傍聴して ] [第七回公判を傍聴して
難民認定手続きに関するUNHCRの回答] [Home]

今回の裁判は、原告バセルさんへの尋問が国側法廷通訳(前回と同じくイラン人女性)を通じてされ、ダリ語とペルシャ語の両方でされました。違った点は、その通訳が適正かどうかを見るため、金井塚弁護士の傍らで東京在住のアフガニスタン人(東京外語大、静岡大で学んだ)男性が立会い、彼は、6月6日の公判にも立ち会う予定です。

バセルさんへの尋問

金井塚弁護士から以下の主旨で_____________
(報告者要約)
1.生年月日の確認から始まり、パスポートの生年月日がちがってjる事についての
関連質問
2.アフガニスタン内戦への参加について
3.民兵組織(ヒズビ ワハダット イスラミ)から離れた経緯
4.日本へ入国した経緯について
5.難民申請をした経緯と入管におけるインタビューについて

被告代理人(国側)から以下の主旨で___________
1.家族関係と家族がそれぞれどこに、いつから住んでいるのか
2.兵士であった時、戦闘したのはどこの組織であるかを入管でのインタビュウと照らし合わせた結果に対して
3.兵士である時の証拠写真として原告側から提出されたものについて

被告代理人は、1の尋問からバセルさんの兄弟のうちサフィエさんとザりモネさんの存在の否定、つまりそのような姉妹はいないと否定を試みました。(サフィエさんは、兵士の証明書をとってくれた) 2の尋問から、バセルさんが兵士であった時、タリバンと戦闘したことがなくパシュツーン人となら戦闘をしたことがあると言った事と入管でのインタビュウでの「タリバンから迫害されたか?」と答えているのは矛盾しているのではないか? しかし、2の矛盾は金井塚弁護士によって明確に否定されました。なぜならアフガニスタンの歴史的事実としてタリバンと戦闘していないハザラ人兵士の生命が保証されていたかといえば、そうではなく1998年のマザリシャりフの虐殺以降、タリバン当局者のもと反シーア派、反ハザラ人でありハザラ人が特にタリバンの標的となっていたからです。(human rights watchの報告から) 金井塚弁護士によれば、国側はバセルさんの存在そのものを否定しようとしていると述べていました。被告代理人は、バセルさんの難民性を否定することを証明しなくてはならないのですから繰り返し尋問の中で矛盾点をあげ否定していく作業に終始し細部に固執しかえって、パシュツーン人とタリバンに対する認識に欠け、アフガニスタンの内戦の経緯とタリバンの出現を無視する結果が暴露された形になっていたと思いました。

UNHCRのマンデイト難民について
バセルさんがマンデイト難民に認定された事に対しては、国側は法務省に知らせが入っているが任意では何も言えないと代理人から返答があり弁護士よりUNHCR事務所へ調査嘱託を送付します。
もし、この裁判で異議申し立てが却下され、現在提出している特別在留許可も下りない最悪の場合、マンデイト難民はUNHCRが第三国出国先を見つけてくれるとの事です。

次回の裁判のため
1.両親の婚姻証明をとる。
2.難民証明書を作成した司法書士と連絡をとる。
_____今回法廷通訳の立会いをしたアフガニスタン人によると、アフガニスタン内でIDカード、家族写真、身元を示すものを所持しているとかえって危険である為、皆土に埋めて国境を超えたと言います。難民性を示すために様々な証明書を提出出切ることのほうが現実には在り得ない事です。

裁判の後に
バセルさんは、100以上の尋問に落ち着いて返答し終わってから「質問に答えていくのがせいいっつぱいだった。」と日本語で答えてくれてからようやく笑みが戻りよく頑張ってくれました。


次回の裁判の日程
日時 6月6日  1時30分
場所 大阪地裁 807号(8F)