04'03/10    平成の隠居

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ハテマル日記 back no.3(04/10/1-12/22)

12月22日 12月14日 12月12日 12月10日 12月3日 11月29日 11月24日 11月21日 11月19日 11月16日
11月13日 11月3日 11月2日 10月29日 10月19日 10月15日 10月10日 10月1日 bckno.2 bckno.1

12月22日  3千円の商品券GET!

 年の瀬も近づき金欠病を見越してか金3千円の商品券がAEONグロープから送られてきた。新ビジネスの提案募集に応募していたのが「提案賞」に該当したとかで送られてきた物で、これで2回目になる。
 一度応募すると次の機会にはMailが送られてくる。その時に思いついた事をMailで提案するだけですむから何ほどの負担にもならない。そのうちにもっと上位に入選するのを期待しながら次の機会を待つ事としよう。年末にちょっと嬉しい便りであった。

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12月14日  多聞寺へ参拝
多門寺の本堂

 神戸十三仏の十番札所「多聞寺」へ参拝。いつの間にか住宅地の真ん中になってしまったお寺である。庭の池には杜若(カキツバタ)が植えられていて「神戸花の50選」の一つだが、蛍の棲息地として眺めると、とても住める環境ではない。住宅開発が行われる前であれば十分に可能性があっただろうに!
道路を隔てて山田川が流れている。石垣の護岸がされており自然環境保全の上からは寂しい限りである。直ぐ近くに明石六社神社がある。震災で被害を蒙ったが新しく建て直されていた。氏子が健在である証なのだが、昔への想いはいかばかりかといささか気になる風景であった。

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12月12日  ミニミニ ルミナリエ
mini-ルミナリエ

 神戸ではルミナリエの点灯がもう直ぐだ。震災の年から始まったから今年で10回目になる。 我が館の面している通りでも夫々の家が電飾で庭を飾り年末のひと時を楽しんでいる。
 この通りで電飾が始まったのも神戸ルミナリエと同じ10年前からである。年々数が増え、近隣ではちょっとばかりの年末の名所となり、見物に来る人もちらほらするまでとなった。
 ところでちょっとだけ面白い事がある。電飾の点灯期間がばらばらなのだ。スタートは別として、一番遅くまで点灯しているのは我が館で 年も明けた1月16日までとなっている。コントロールしているのは家主なのだが、鎮魂の意味で始めた電飾だから当然と他家にあわせる様子は全く見せていません。

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12月10日  二度美味しい話

 先日、40数年ぶりでラジオを復活させた。其の事にはさして感動を覚えなかったのだが 後日談があので披露する。
 セットに貼り付けられていた回路図をCADで入力し、誰でも眺められるようにした。CADを使いこなし図面化出来た事が一度目の喜びであった。 (出来上がった回路図はここから
 回路図にははっきりした使い道がある訳ではなかったが、出来上がって眺めているうちに意外な面白さを発見した。 回路図から歴史的な背景が読み取れ、先人の工夫や苦労の跡を感じ取ることが出来るのだ。
 一例を挙げるとこんな風になる。「何故、この真空管を使ったのだろうか」「当時の車はダイナモが主流、 発電効率が低い時代だから消費電力を抑える必要があった。」「それは納得、ところでこの部品は何のため使われているの?」 「多分、XXがあるのを防止するためでは!」といった具合だ。当時の他のセットの回路図と見比べ次々と疑問点を見つけ、 その疑問の答えを自分で出して行く。さらに、現在ならこうして解決するのにとまで考えが及ぶ。こうして二度目の楽しみを味わった。 二度美味しいのはグリコだけでなかった。

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12月3日  我が家にもIP電話

 師走に入った。色々と変化があった今年もいよいよ最終月である。多分今年の最後の変化となる電話の切り替えがあった。 長年お付き合いしてきたNTTをお休みとし、IP電話へ本日9時35分ごろ切り替わった。音質が変わった感じがするが、 今までの番号をそのまま引き継いでのIP電話は魅力がある。しかも固定料金の負担がなくなるのが素晴らしい。 K-Opticomの仲間が増えると通話料が不要となるからもっと楽しいのだが。この先電話加入権はどうなるのであろうか!  ちなみに加入期間で割ってみると1日あたり約7円となる。諦めるか・・・

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11月29日  初めての整形外科

 生まれて初めて整形外科に行った。右腕の肘の痛みが2ヶ月以上続き、 それが原因でゴルフのスコアーが悪いためと思っているからである。ついでに腰痛の治療も受ける心算で。
 レントゲン写真を撮りそれを見ながら骨には異常認められないと診断された。ほっとした反面、何故長引くのかが気になり、 「どうしたら良くなるのですか」と質問すると、「筋肉痛が慢性化しているのでしょう。電気治療でもしましょう」とあっさり言われる。 何のことは無い、若い時には次の日には筋肉痛が出た。年を経るに連れ症状の出るのが遅れてくる。 齢も65を過ぎると痛みが出るのも遅ければ回復にも時間がかかるらしい。「加齢の割りに骨はしっかりしていますよ。 上手に使っていますね」と言われ褒められたと思いきや、「立派に年寄りの仲間になりましたね。年相応の治療をしましょう」と言うことだったのだ。 治療室には何とお年寄りの多いこと! ああーわが身も気持ちとは裏腹に「老人の憩いの家」の住人になったのであります。

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11月24日  寶積山能福寺
三大仏の兵庫大仏
 写真をクリックすると石碑が出る

 神戸十三仏の8番札所「能福寺」を参拝してきた。地図にはこの名前は使われず「兵庫大仏」となっている天台宗のお寺である。 この大仏さん、日本の3大仏の一つで、身の丈11m重量約60tonと堂々としたお姿なのだが何故か奈良・鎌倉の影に隠れた感がする。 しかも、昭和19年には解体供出の憂き目に会い平成3年5月に再建された大仏さんらしからぬ運命をしょっているのだ。 境内の一角にジョセフ・ヒコ(浜田彦造)の手になるわが国最初の英文碑が建っている。いかにも神戸の街中にあるお寺らしいのだが何故か 参拝客もまばらなのが気になる。 JR兵庫駅から歩いて行ける距離にあります。近隣にお勤めの方は是非帰りにでも参拝されては如何ですか!

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11月21日  意外なところで感動・感激

 最近はシーラカンスといえどもインターネット位は使う。真空管の規格を調べるのに「ラジオ工房」なるサイトのお世話になった。 そこの掲示板がまたとてつもなく魅力的だったので、駄目でもともとと軽い気持ちで50年以前の部品探しの助けを仰ぐ。 お願いしたのが土曜日の早朝だったがあっという間にいろんな方から暖かい情報。日曜日の午後には半部諦めていた貴重な部品が入手できる事になってしまった。 まさに感謝・感激・雨・霰である。本当に皆さん有難う御座いました。失礼に当たるので個人名は避けますが、立派なサイトを皆さんお持ちなので紹介します。 ラジオ・真空管に関心をお持ち方、是非一度訪問してみて下さい。(別画面で開きます) せち辛い世の中で心が洗われる思いをされるでしょう。
サイト名                                    URL
 ラジオ工房 http://www31.ocn.ne.jp/~radiokobo/
 ANTIQUE JAPANESE RADIO/日本の古いラジオ http://radiomann.hp.infoseek.co.jp/AJR.html
 ポータブル・ラジオのページ http://www5.ocn.ne.jp/~portable/

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11月19日  シーラカンスの期待はずれ

 隠居さん、久しぶりに半田ごてを握りテスターを駆使して50年近く前の自動車用ラジオの修復作業にあたりました。 そして予測より遥かに簡単に修復出来たのです。音が出るときにはさぞかし感動するものと思っていたのですが、 結果として音の出た瞬間の感動・感激は浅いもので終わってしまいました。期待はずれもいい所だったのです。 確かにさほど苦労もせず修復できたせいもあるのでしょうが、 他にも要因があったのです。
 実の所、修復作業と平行してその様子をHPのコンテンツにしようと文書を作りながらやっていました。 ところがおかしなことに実作業より文書化のほうがどんどん先行してしまったのです。こうなるはずと予測して文書にする。実際もそれに近い、 こんな事を繰り返したものですからどんどん想像の部分が先行し現実があとから付いてくる。 従って全体で得られた結果は殆どが予測の範囲内に収まってしまったのです。 感動・感激が得られやすいこの種の仕事のやりかたってあるんでしょうか? 新たなテーマを持つ事になりました。

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11月16日  カブトガニかシーラカンスか?

 カブトガニ・シーラカンスは生きている化石といわれる。 生きている化石とは何千万年あるいは何億年も前に繁栄し、現在もなお、 原始的な形態を残しながら生き続けている系統の生物をいうのだそうです。 やや大袈裟な比喩ではあるが、明石の隠居どうも生きている化石の同類項らしい。
 話はこうだ。元勤めていた会社から連絡があり、大事な納入先との取引が50年になるので、 それを記念して当時の製品を復活したいので協力して欲しいとの要請である。 要請を受け、復活に取り組む事になったのだがそれは別途報告する事として、「化石」に話を戻す。
 50年前の製品の中身を理解し復活できる技術者は、つまるところ明石の隠居の他に誰も居なくなってしまっている。 当時の担当役員・開発に携わった技術者3名は存命である。しかし、テスターを駆使し不良箇所を発見、半田ごてを握り修復する実務となると???なのだ。 生きている化石の定義、「昔に繁栄し現在もなお原始的な形態を残しながら生き続けている生物」に最も近いのは自分だけという事なのです。 ちなみに50年前は隠居も未だ中学生でした。当時NHKでラジオ技術講座なる番組があり一生懸命聞いていたように思います。 それが生涯の仕事に密着するなんてことは全く考えても居なかったのですが。ちょっと感激する出来事でした。

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11月13日 ウキツリボク・・・続き
全体(左)と花芽(上)根っこ(下)

10日前、発根したウキツリボクはPETボトルプランターに移しておいた。 窓際に放置したままなので久しぶりの水やりをしようとテーブルの上に引きずり出し観察すると、なんと小さな花芽を付けているではないか!。 さらにPETボトルの中で白い根っこが蔓延っているのが確認できた。思いがけない早い成長に感動を覚える。柳の木の下にはドジョウが棲んでいるそうだ。 ドジョウを捕まえようとマメツゲの枝を切ってガラス瓶に活けた。果たしてドジョウは棲んでいるか! 2−3週間もすれば答えが出そうである。 なお、水遣りはしなくても良くたっぷりの水が残っていた。これも何日無補給ですむのか観察を続ける事にする。

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11月3日 ウキツリボクの発根!
発根した「ウキツリボク」

 ご近所のお婆ちゃんに「ウキツリボク」 の花の付いた小枝を貰った。ガラスのコップに活け、暫く可愛い花に和ませて貰った。 戴いたのが10月17日だったから20日が経過した今朝、発根しているのに気が付いた。 何と強い生命力!この様なのを見るとつい何とかしたくなるのが隠居の癖。
 PETボトルで野菜栽培をトライしているが今のところ順調に育っている。 同じ方法で育てられると思いやって見る事にした。結果が出るのは来年になろうが、 上手く根付けば又一つ新しい手法を会得した事になる。その道の達人にとっては当たり前のことかもしれないが!。 来春に成長した「浮釣木」と可憐な花を披露できる事を願っている。

 


11月2日 デジタル温度計
組上げたデジタル温度計

 もう随分前に秋月電子から購入したデジタル温度計のキットが放置されたままになっていた。 ちょっと使ってみたいことがあるので組上げる事にした。 添付のマニュアルとにらめっこしながら3時間、何とか組上げる事が出来た。最後の調整が今ひとつで精度は期待できないながら動くようにはなった。
 今回−40度から+100度までの測定範囲で仮完成させたのだが、−200度から+1250度まで測定可能なK型熱伝対も同時に購入してある。 ダイオードを温度センサーとして使うことも可能な回路でもある。実は狙っているのが複数のこれらのセンサーを切り替えて使いたいと思っているのだ。 夫々のセンサーに対して調整が必要なのだが精度の高い調整方法が見つからない(二つの精度の高い温度源が必要!)。 誰か助けてくれー!と叫んでいる隠居であります。

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10月29日 暴騰野菜への対抗策
箱庭で収穫したホウレン草

 野菜が暴騰している。台風の影響を受け収穫が極端に低下している為なのだが、 我が館の 箱庭農園でも台風の豪雨で被害が出た。特に、ほうれん草・菊菜は芽を出して間もない時だったので雨に土が流され無残な姿となった。 その中で生き残った僅かなホウレン草・菊菜が収穫時期になってきた。その中でホウレン草を半分だけ収穫し野菜暴騰への対抗策第一弾とした。 食べる事より栽培する事に楽しみを置いている箱庭農園であるから、収穫量はほんの僅かに過ぎない。でも夫婦二人の一回分を満たす一品にはなる。 思いがけない所で役立ったと家内に自慢をしている隠居であります。また、 種代の回収は十分に出来たと僅かな金額ながらも損益計算をして喜んでいる小市民なのです。

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10月19日  嬉しい出来事

 日曜の夜、それも夜の10時を過ぎてから、バイクツーリングに出かけていた子供から、 晩御飯を食いそびれたので用意して!と連絡が入った。ところが肝心のご飯が空っぽである。かねて圧力釜でご飯を炊くと早く仕上がると自慢をしていた。 その実証が出来るチャンスと早速ご飯を炊き、戻ってくるまでに間に合わせた。
 ここまでは良かったのだが後始末をしている時、圧力釜の部品の一部が破損しているのに気が付いた。 特価品コーナーで買ったのだからやむを得ないと思いつつ、 見栄えだけの問題で使用に支障も無いとそのまましまいこんだ。そして今朝を迎えた。 あいにくの雨の天気で外にも出られず納豆でも仕込もうと圧力釜を引っ張り出した。 やはり、外観上破損しているのが気になる。メーカーへ軽い気持ちで暇つぶしも兼ねMailしておいた。
 晴耕雨電脳、昼食を終えてすることも無いから電脳を開いて見る。なんとメーカーからMailが入っているではないか!「製造過程で問題があったので、 部品交換の対応する」との主旨である。早いだけでなくメーカーの責任を素直に認めている。どこやらの自動車メーカーとは随分と差を感じる対応である。
 人間は「予測した以上の成果があると感動・感激を覚える」と言うのが持論である。今回、 たかが数千円の圧力釜でこんなに早く素直な対応をして貰えるとは思ってもいなかった。 ある種の感動さえ覚えながら日本の製造メーカーもまだ大丈夫と感じた。 嬉しさを呉れたメーカーにエールを送りたい。

伊藤アルミニュウム工業 Wonder Chef (URL http://www.itoalumi.co.jp/WONDERCHEF/)

料理・エネルギー節約に関心をお持ちの方は一度上記のHPを訪問してみて下さい。

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10月15日  石峯寺(しゃくぶじ)参拝

石峯寺の薬師堂・国の重文

 神戸十三仏の7番札所「石峯寺」へ行ってきた。家主さんプールへ行く予定だったが休館日と分かり急遽お寺への参拝と変更。 ナビで経路設定すると片道31Kmと表示されメモリー地点のマークが近くにあるでは無いか。名門ゴルフ場有馬ロイヤルの直ぐ近くなのだ。 昨年クラス会の後、関東勢とプレーした場所だった。(この表現は正しくなく石峯寺の直ぐそばにゴルフ場があると言うべきと後で分かった。)

国の重文・三重塔

 訪れたのが平日であったのと、公共交通手段で行くにはとても不便な所であるので参拝者は極めて少ない。お陰で、 ゆっくりと参拝することが出来た。 そして有馬ロイヤルの経営会社「兵庫開発」がなんと1000万円もの寄進をしているのを発見した。
 有馬ロイヤルには、石峯寺の参道を通らないと行けない。しかもメインの道路からゴルフ場までの8割を参道がカバーしているのだから この寄進尤もとうなずける。もっと寄進しても良かったのではとさえ思ったのは貧乏人の性か。
 「蛍の里」にする事が出来ないかと寺に参拝する度に眺めているのだが、このお寺には全くその可能性が無い。 辺鄙な所にあるにしては山が浅く水源となる川が無いのである。神戸十三仏全てを「蛍の里」とする夢を描いていたのだが、 早くも崩れてしまった。残念なり!。

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10月10日 もう一つの台風の被害

 10月9日のBS放送で息子の映像が放映されるで録画せよとの連絡が入ってきた。 ところがBS放送が受信できない。いざとなればケーブルTVで聴取は可能なのだが、通常番組を見られないのは癪の種だ。 なんとしても我が家のアンテナで受信しようとさんざん調べたがこれといった異常はテレビ側では見当たらない。残るはアンテナのみ。
7年前に設置されたBSアンテナ

 人目につきにくい所に我が家のアンテナは設置されている。久しぶりに眺めてみると、あられもない方向を向いているではないか! 台風でずれたのだ。最初にアンテナを設置した時、かなり苦労して方向を定めた記憶がよみがえってきた。 またかよーと思いながらアンテナの方向設定に着手する。ところが、一発で方向設定完了したのだ。しかもTVを見るわけでもなく、 電流のチェックもせずにである。答えは簡単、設置位置の目印が残されていたのだ。 その目印にあわせて位置決めしたところ綺麗に受信できてしまった。少なくとも自分が目印を付けた記憶はないのに誰がマークしてくれたのか。
 アンテナを取付けてから少なくとも7-8年は経過している。例え意識して目印をつけたとしてもこれだけの時間が経てば消えてしまうであろう。 役に立った目印は、長い間時間をかけて流れ出た錆だった。まさに自然がつけた目印なのだ。
自然が付けた目印

 今年の台風は強かった。屋根がめくれる被害だけでないと気が付くのに、なんと一ヶ月以上もかかったのだ。 隠居生活とはいえ何とものんびりした話ではないか!。これぞまさしく「スローライフ」なり・・???・・。

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10月1日 子供の独立 

 同居していた子供が住所変更を行なった。彼は学校卒業後の就職で一旦は独立したのだが、 途中仕事先を変え舞い戻った形で我が家から新しい職場に勤務していた。それが今日から再び家を離れ新しい場所に生活拠点を持ったのである。 これで3人の子供が夫々の生活スタイルで独立した事になる。若干の違和感があるにせよ親として一区切りが付けられた記念すべき日となった。
 今日を境に夫婦二人の生活となる。くだらない事で言い合いをし、不満のはけぐちをお互いに相手にぶっつけながらの毎日となろうが、 高度成長を経て日本人の得た核家族と言う生活スタイルのもたらした結果である。平均余命世界No.1のたっぷりある時間を、 感動・感激の追求にひたすら充てられるような状況へと物心共に転換して行きたいと念じている。

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