堺は歴史上の有名な人を多く輩出したまちとしても知られています。奈良の大仏の建立に功績のあった行基、「茶聖」千利休、情熱の歌人与謝野晶子、天才棋士坂田三吉など枚挙にいとまがありません。市内いたる所にゆかりのものが見られますのでゆっくり散策してみてください。

○行 基
(ぎょうき)
奈良時代の名僧。諸国を巡り、民衆の立場から社会事業に尽くし、奈良の大仏建立の功績により大僧正となりました。

○武野紹鴎
(たけのじょうおう)
室町時代後期の茶人。わび茶の開基として堺の道界を京都をも凌ぐ勢いに高めました。千利休、今井宗久、津田宗及などの師匠ににあたります。

○千利休
(せんのりきゅう)
安土桃山時代の茶人。わび茶を極め、今日の茶道を完成。天正19年(159)に豊臣秀吉の怒りを買い切腹。南宗寺に供養塔などがあります

○今井宗久
(いまいそうきゅう)
屋号は納屋。織田信長との結びつき、信長の勢いとともに堺の代表的な商人となりました。茶人としても有名です。
臨江寺に今井家の墓があります。

○小西行長
(こにしゆきなが)
薬種商小西家出身の戦国大名。熱心なキリスト教徒で、天正16年(1588)には肥後字土城主になりました。関ヶ原の戦いで敗れ、新首されました。

○榎並屋勘左衛門・芝辻理右衛門
(えなみやかんざえもん・しばつじりえもん)
画家とも代々鉄砲鍛冶年寄りを務めた有力者。江戸時代、ともに御用鉄砲鍛冶に重用され、分家三家を加えた「五鍛冶」が鉄砲鍛冶を寡占しました。

○河口慧海
(かわぐちえかい)
樽桶製造業の家に生まれ、25歳で出家。明治期には2回にわたりチベットに入り、チベット梵学を持ち帰り、わが国の学界、仏教会に寄与した。

○与謝野晶子
(よさのあきこ)
明治派の中心的歌人。明治33年(1900)、与謝野鉄幹の新詩社の同人になり「みだれ髪」を刊行。鉄幹とともに浪漫主義の全盛を築き上げました。

○曾我廼家五郎
(そがのやごろう)
日本喜劇の草分け。歌舞伎役者を経て兄弟分の十郎と組、「五郎劇」くを築きました。一堺漁の名で人、1.000以上の自作自演の脚本を書きました。

○阪田三吉
(さかたさんきち)
堺生まれの天才棋士。若くして「堺の三吉」の名を棋界に轟かせました。関根金次郎との名勝負は有名です。大正5年(1916)に関西名人位になりました。
     
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