■’05/12/12
この冬は例年にない寒気が続き暖房のない部屋では我慢ができない。そこで思い立ったのがスポーツジム。さっそく家の近くにそう言った処がないか調べ、申し込みの手続きを完了し、2日後の14日から通うことになった。 今まで、お金を払ってまで、しんどい思いはしたくないと考えていたが、この考えが一変したのは、体力に自信がなくなりかけた。それに高血圧、肥満気味、であることからこれを解消したい。今のところは続けてやることが目標である。

■’05/11/30
帰宅の際、最寄の駅で切符を買い電車に乗り込んだ。そのとき、切符の買い間違いをしていることに気がついた。つまり、降りる駅よりも先の駅までの分を買ってしまったのだ。そこで、降りる駅で清算してもらおうと、その旨をつげた。しかし、駅員は足りない分は、規定の金額を清算してもらうが、多く払いすぎたからといって、払いすぎたものを返却することはできませと、言われました。なんと矛盾した話である。
 この話は私鉄、南海本線であるが、しかし以前、京阪電鉄を利用したとき初めて降りる駅なので何も知らず出札口を出ようとしたら、きっぷを買いすぎていますよ、と言って差額を返して頂いた事実がある。これは私鉄によって違うのか、それとも駅員の判断によるものか?よくわからない。
また、私の降りた駅には、きっぷの清算機が置いていなかったが、今後、払いすぎの料金も精算するべきであると思う。

■’05/10/7
朝から日帰りバスツアーに行くため、自転車をこぎ堺駅に向かっていた。あと3〜4分走れば待合場所に着くはずであった。しかし、状況が一変。信号のない道路から突然、軽自動車が目の前に現れ、避ける間もなく衝突、自転車から投げ出されコンクリートにたたきつけられた。
幸いにも、意識がはっきり、手足に少し痛みを感じた程度であることから、あッ!助かったんやァ・・・と、そう思った。そこえ運転手が近寄り大丈夫ですか?と声を掛けてきた。怪我の程度が軽かったこともあってか、一言。とまらんかい=i一旦停止)と怒鳴りつけた。しかし、この事故は一方的に相手の過失であると思っているが自身にも自転車を走らせている以上、何らかの落度があったと反省すべきでる思った。本来なら警察に事故報告をすべきであるが、旅行をキャンセルすることせず、ツアーに参加することにしたが、人との会話もなく楽しさどころか辛い思い出のバスツアーになってしまった。


■’05/9/1
人には話せないほどの恥ずかしい失敗をしてしまった。学校勤務のことであるが、授業のあるは「午前と午後」夏休みなどの長期休校は「午後」だけの勤務となっている。しかし、夏休みも8/31日からは授業が開始となっていた。したがって当然、午前から仕事につかなければならなかったが、それを知らず、何食わぬ顔で午後の仕事に就いた。しかし、先生方は朝の出勤のことは「呆れてであろうか?」朝の出勤のことについて一切口にしなかったため、あくる朝になってその事実を知ることになり、悔しさと情けなさでいっぱいであった。日ごろからミスをしないようにと細心の注意をしていただけに残念で仕方がなかった。また、信頼を裏切りご迷惑をお掛けしました先生方に深くお詫びをします。今後二度とこのようなことのないよう誓います。

■’05年7月17日(ひとりごと)
日中は大変暑いので、早朝のウォーキングで汗を流している。その途中、自然の風景を楽しみながら歩くのもいいものだ。しかし、この場所にはそういうものには無縁で、むしろ目をそむけたくなることもある。川沿の土手を利用してつくられたウォーキングコースは、全長2.7キロに及ぶが川には水が少いこともあって、砂地には草が生え茂り、場所によっては背丈以上の草が生え茂っている。それでも「川は心のふるさと」という看板が掲げてある。共感するものがない。
また、ここ連日は夏休みでもあることで、夜は川岸で花火をあちこちで楽しんでいる様子である。しかし、その後始末をせず帰ってしまう無神経さにも驚くと同時に、それを早朝から丁寧に拾い集めている人がいる。その光景に出会うたび頭が下がる思いとホットした想いになる。「市」もお金を掛けて川をきれいにすればという思いが強いが、あぁ、どうにもならないものなのかなァ・・・

■’05年5月28日(思い出の会)
この会は日本遺族会の呼びかけで、平成14年に中国東北部(元満州)の戦跡巡の旅でご一緒した戦没者遺児たちの「会」で、この日東京九段会館に集まり、靖国神社参拝、遊就館見学、親睦会(夕食会)が行われた。
中国での旅の思いでは、互いの胸の奥に仕舞い込み、それを開ける機会もなく2年10ヶ月が過ぎた。しかし、顔を合わせれば、つい、この間の事のように思い出され、中国の思い出に話しに浸った。

帰国後は誰からも再会の呼びかけがなかったため親睦の機会が得られなかったが、この再会を機にして一泊2日の旅行を実施、親睦の和を深めていくことを約束しあった。

・中国東北班の皆さん,来年は京都で会いましょう。

■’05年3月28日 (自然治癒力)
買い物でスーパーに立ち寄ったときのことである。エスカレータに乗る際チラシを手渡され読んでみると「脊髄通電療法無料体験」とかかれたものであった。
気になる身体の不調もあるので治療を受けることになた。約15分の治療受けたあと、身体が軽くなったような気がするのと同時に右膝よく曲がり痛みが消え、何か得をした気がした。しかも、1回きりの体験ではなくこのキャンペーン中、1ヶ月あまり毎日受けられるというものでり、年とともに老化を感じながらも気づかない老化も進んでいることもあり、治療を続けることにした。

 3度目の治療を受けた際、また、変化が現れた。それは、声がよく出るようになったことである。最近、会話をするのに息が途切れがちであった。歌などをくちづさむ事などできない状態であった。それが楽に声が出せるようになったなったのは驚きである。キャンペーン終了まで数日あるので欲張って血圧、五十肩、前立腺を治せたらと思っているが?

■'05年2月27日 (献血)
日赤の移動献血車で思いもよらない体験をした。血を採取するため看護婦さんから注射針を注入された。そして、静かに眠るように目を閉じていたそのとき、看護婦さんが突然ごめんなさい。その時、信じられないことが起こっていたのである。それは注射針が血管をからズレいたらしくし吸引で出来ず血がパイプの中でじっとしたままであった。そこで申し訳なさそうに"ごめんなさいね≠なんども繰り返され、どう返答すればいいのか戸惑うばかりであった
 
 結局反対の腕に再度注射針を注入し400ccの採取を無終わったが、その間もごめんなさいね≠連発、それと同時に自分の手のひらをさすられたり両手で強く握りしめられていたことに気がついた。思えばそれが、それが彼女の精一杯のお詫びの印しであったように思えた。

■’05年1月30日
12時10分、長居競技場をあとに470名の各選手が新春のなにわ路を彩る。今年はスタート後の変更があり、グランドを3週半を走った後に一団となって正門を抜けていった。中には声援を送る観客に片手を大きく上げ余裕をあらわす選手もいた。その間、数分のではあるがテレビを見るよりより迫力があり、年令とは関係なくわくわくするものである。
今年の成績は1位エレナ・ブロコプッカ(ラトピア)2位小崎まり(ノーリツ)リディア・シモン、弘山晴美に期待をよせていたがもう一歩のところであった。それにしてももう一つの感動は長居公園内、グラウンド内に疲れを見せず帰ってくる各選手達に暖かい声援がつづく、それは順位の低い選手らにも一層の熱い声援は終わらなかった。

∠2004
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