旅行記  (中国 東北三省・北京) 2002年7月   

       はじめに
 私の父は、先の太平洋戦争に駆り出され中国の地で8月15日敗戦のち、吉林省、新京赤十字病院で死去しました。


 当時、私はは4才でありましたが父の面影はなく母ら戦地でお父さんが亡くなったと聞かされてはいたが、淋しいとか悲しいと思ったことはなかった。


 ただ、物心がつき始めたころから、母は朝早くから日雇い労務の仕事につき、雨の降る日は職業安定所からの仕事がなく「あぶれ」や、といって寂しくもどってくることもあった。
 
 そんな貧しさゆえに、ある日の夜、近所の子に誘われ他人の畑に忍び込んで、さつま芋を手探りで掘り起こしているところを家人に見つかり捕まれば警察に連れて行かれると思い死に物狂いで逃げ帰ったこともあった。。そのとき、いくら家が貧しくとも2度とこのようなことはするまいと反省し心に誓った。


 当時は国からは戦没者遺族に対する補償はなく、母は朝早から日雇い労務に就き顔を合わすのも数少なく一家団んらの楽し時を過ごした記憶は少なかったように思う。


 現在においては、時代も大きく変わり、かつてない繁栄の中に暮らすようになり、戦後もますます遠くなるばかりである。しかし、遺児としていつかは非業の死を遂げた父のゆかりの地を訪れ供養したいと願っていた。それが自分にとって父に対しての責務でもあるとも考えていた。
 
 平成14年7月その夢がついに現実のものとなった。
日本遺族会主催「慰霊友好親善事業」の招きで、戦跡巡拝の旅「中国地域、東北班」の一員として父の眠る終焉の地「旧満州長春」を訪れ、生涯忘れることのできない旅となった。



◇戦没者遺児による慰霊友好親善事業
                        
父等を国に捧げた戦没者の遺児が、一度は亡き父等を戦没地に立って、心行くまで慰霊追悼の誠を捧げると共に,現地の私達と同じ立場の方々等との友好親善を深め、恒久平和を願うことを目的に、政府から日本遺族会が委託を受け実施している事業であります。


◇ 主  催 財団法人日本遺族会(厚生労働省委託)
◇ 名  称 中国慰霊友好親善訪問団
◇ 渡航先 東北・華北・華中・華南
◇ 参加者 53名(西日本在住者)
◇ 期  間 平成14年7月3日〜7月10日)

 
 

中国友好親善訪問団・東北班、日程表
日次 月日
(曜)
都市名 時 間 交通機 スケジュール、宿泊
1 7/3
(水)
 関  空
 瀋  陽
 瀋  陽
 長   春
 10:05
 13:15
 夕  方
 NH947
 専用バス
 専用バス
 空路、瀋陽へ
 到着後、日本総領事館へ
 陸路、長春へ
          (長春:長白山賓館泊)
2 7/4
(木)
  
 長  春
 ハルピン
 夕  方  専用バス
 長春慰霊祭
 長春市内視察
 陸路、ハルピンへ
         (ハルピン:融府康年泊)
3 7/5
(金)
 ハルピン
 チチハル
 09:58
 12:53
 列車k130  陸路、チチハルへ
 チチハル市内視察
 チチハル慰霊祭
        (チチハル:湖;浜飯店泊)
4 7/6
(土)
 チチハル
 ハルピン
 ハルピン
 牡丹江 
 08:03
 12:11
 13:43
 19:03
 列車k130

 列車k481
 陸路、ハルピン乗換え牡丹江へ
 ハルピン駅近辺にて昼食

          (牡丹江:北山賓館泊)
5 7/7
(日)
 
 牡丹江    北 京  
 15:05
 18:50

 CJ6213
 牡丹江慰霊祭
 牡丹江市内視察
 空路、北京へ
         (北京:全日空ホテル泊)
6 7/8
(月)
     専用バス
 NH160
 北京郊外視察と記念植樹

         (北京:全日空ホテル泊)
7 7/9
(火)
 専用バス  北京市内視察
 夕食はホテルバンケットにて懇談会
         (北京:全日空ホテル泊)
8 7/10
(水)
 
 北 京
 関 空
 
15:05
 18:50
 専用バス
 NH160
 午前、北京市内視察
 空路、帰国の途へ
※その他の訪問団体の行き先 <華南、華中、華北> 
 

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