ひとこと



ひとこと


 昨日の早朝、よく晴れた西の空に薄く残る白い月を見た。  
 オーケストラ・ルナ。  
 ロック・マガジンの創刊は1976年初頭だったと記憶している。近鉄南大阪線古市駅の裏通りにあった三坪もない侘しい本屋で「明星」「平凡」なんかと一緒に並ぶ異様な表紙の音楽雑誌を見つけた時のいたたまれないような異物感は今もよく覚えている。
  「この雑誌は頭のいいキミたちに贈る教科書だ」といった扉の煽り文から始まるその雑誌は、学校の成績と頭の良し悪しは全く別であってロックが好きで頭のいいキミたちが聞くべきレコードは決してキッスやエアロスミス、クィーンなどではなくスパークス、ピーター・ハミル、そして「イーノとその周辺」なんだ、という確固たるメッセージを抱いていた(その当時パンクはまだ認知されていない)。
 それは昭和の高校二年生だった自分にとって痺れるようなインパクトがあった。今でいう「壁ドン」みたいな(違うか)。
 ロック・マガジンは音楽雑誌と称しながらメジャーな王道ロックや黒人音楽を最初から完全に無視していて、とにかく編集発行人・阿木譲の嗜好に叶った特殊なレコードだけしか扱わない「個人誌」だった。
 実質的には素人編集で誤植だらけのプログレ同人誌なのに、一体どんな手を使ったのかいきなり取次を通した商業誌として登場した点は画期的で、当時渋谷陽一が「僕と違ってスマートなやり方」と羨んでいたほどだった。
 露悪的に心情を吐露するエッセイや編集後記も毎号刺激的で「結局あなたたちロック・ファンっていうのはただそれだけの存在でしかなかったのか」などと読者に挑みかかるような断罪をしょっちゅうやっていたが、お目当てのレコードレビューを除けばいつも後味の悪い読後感が残る雑誌だった。
 結局のところ自分は心斎橋にあった編集室を訪ねる気には一度もならなかった。
 (前フリが長過ぎた。この辺りの思い出は以前にも書いたので『ひとこと2013.1.20』を参照)
 そんなロック・マガジンで知った時代々々の「尖端」レコは少なからずあって、その都度あたふたと梅田のLPコーナーやHOGG、Down Townに駆けつけては購入したものだが、ほとんどは青春の終わりと共に処分されていった。UK盤で揃えて悦に入っていたセイラー、デフ・スクール、プラネッツも、とっくの昔に手放してしまった。いつしかこのレコードだけが残っていた。
 オーケストラ・ルナ。
  当然ながら日本盤など出なかったコレは、1976年時点ではジャケットデザインからしてさぞかしハイセンスでお洒落な(しかもロック・マガジンを読んだ人にしかわからないレアな)レコードだったことだろう。
 コンセプトは米国音楽オールド・スタイルの「リ・メイク/リ・モデル」ショーケースで個々の楽曲、歌唱自体はティピカルなUSスタンダードといってもいい。実際、ペギー・リーで有名なスタンダード「Heart」のカバーも入っている。
 ただ、その再構築、提出の仕方が我が国の誇るピチカート・ファイヴの20年先駆け的なエディット/ハイブリッド感覚であることと同時に「お洒落な音楽」としてはどこかいびつでトゥー・マッチな意匠を凝らしてある点が非凡なセンスを感じさせる。掉尾を飾る名曲「Doris Dreams」の笑ってしまうほどに過剰なギターソロなどはどうみたって確信犯で「モダン・ポップ」と型にはめるよりもザッパ系列USヘルシー・サイケのシックな末裔であると解釈するのがふさわしい。
 ノスタルジックな管弦アレンジを全て手がけているルパート・ホームズのプロデュースがどこまでコントロールしていたのかわからないが、ガーシュイン、ブロードウェイ、ジャズコーラス、ボーイスカウト、野球、ハリウッドなど、20世紀アメリカ通史をロック的にではなく歌劇的に体験するかのような見事な一枚だ。
 マンハッタン・トランスファーのパラレル・ワールド的突然変異種とでもいうべきオーケストラ・ルナが唯一残したこのアルバムが、今となっては古き良きアメリカ白人系文化の最も美しい部分を掬い上げ結晶化したタイムカプセルとなっていることは何とも儚く、それゆえにとても愛おしい。


砂丘 青空 白い月

このジャケ最高!
リサお姉さん(表紙の並びで一番左側)が可愛いんだよね〜

正規盤には無い曲が3曲収録された10曲入りのテストプレスがあるが、
なんとDoris Dreamsが入っていない
やはり曲を差し替えた9曲入りの正規盤の方が断然良い
これは賢明なプロデューサー判断だった

18.12.29









  2018年、「III」から13年を経て「IV」が完成する。
 おかげさまで、CD受難の時代にもかかわらず売れ行き好調である(とはいえオルグの零細ロットでの話なので、関心のある方はお早目に)。
  昨年忠告したように「IV」は前作からの飛躍が大きく、その分ハードルは高い。軽い気持ちではついていけない作品だ。脱落者は必ず出る。いやすでに何人も脱落していることだろう。
  「IV」は、頭士くん自身が語るように「ギター・アルバム」だ。しかし「ギター・アルバム」だからといってアクロバティックな超絶技巧を期待する向きにはまず理解できない領域で構築された作品が「IV」なのだ。
 たとえばイーノ在籍時の初期ロキシー・ミュージックを「まるで上手くない」「はっきり言って下手クソな」等々、判で押したように演奏の巧拙で取り沙汰する者が二十一世紀になっても絶えないように(なぜそんなにムキに下手下手と言いたい?ポール・トンプソンのドラムはカールトン・バレット級に重くソリッドだ)、音楽にフィギュアスケートの「技術点」を要求する価値観からすれば「IV」は全く意味を成さない。  
 ただ頭士くんは十代の頃に「王水」というバンドを率いて「Larks' Tongues in Aspic Part 2」(Part 1は前半のみでヴァイオリン・ソロ以降は割愛しメドレーでPart 2に雪崩れ込むという大胆なアレンジだった)や「Fracture」をフルコピーしていた巧者でもあった。  
 彼がリアルだったのは、そこまでやりながらも決してクリムゾンのフォロワーにはなろうとせず、クリムゾン(プログレッシヴ・ロック)のさらに向こう側にあるものを求めて「螺旋階段」に加入、次に最初期「非常階段」でギター2本による無秩序な大音量の即興演奏(ノイズという概念がまだ存在しなかった1979年のことだ)を追求するという選択をした点である。  
 しかしノイズの世界にもまた安住することを選ばなかった頭士くんは約40年を経て、今なおギターを手にとめどなく漂泊し続けている。
 
 六月のベアーズでの演奏のようにライブでは圧倒的な音数で弾きまくることも少なくない頭士くんがこのアルバムに収めたのは、自己のギターの技巧的な部分、必然性の薄い部分を極限まで切り落とし抑制を重ねた果てに選び抜かれたノートだけなのだ。
 ギターだけに限ったことではないが「技術的に正確な演奏」と「音楽として的確な演奏」には大きな隔たりがある。
 その途方もない距離の在り処を感じとれる人にとっては、「IV」は望外のGiftとなる。
   
 そう、それでいい。  
 今までも軽い気持ちの者は必ずといっていいほど脱落していった。それは俺が一番よく知っている。  

 心あるひとに頭士くんの新作がよどみなく響きますように。


To be true

18.10.26









 そして「現象化する発光素」から7年後、2005年。
 「III」。  
 前作のモザイク様の多面的な音楽性から一転、ベクトルは一気にシンプル化し、楽曲と演奏は大きな深化を遂げる。  
 それはあたかもキング・クリムゾン「リザード」から「アイランズ」への変容を思わせた。  
 初期クリムゾンの課題だったピート・シンフィールドの詩世界の音響化を「アイランズ」で最上の精度をもって成就させた上でバンドを解体再構築し、新たなステップに踏み込んだロバート・フリップの音楽への忠誠心「To be true」は今なお決して古びることがないが、頭士くんが「III」でたどり着いた境地は、まさにフリップと同等のレベルでリアルだった。  
 細心の注意を払って彫りあげられた六つの音像は、かつて「パラダイス」で切り開いたどこか夢幻のベールに包まれた地平から遠くへだたった、深い喪失感と再生への希求の結晶化だ。
 「アイランズ」がそうであったように「III」に曖昧な叙情は存在しない。ここにあるのは、ただひたすらな激烈である。  
 「最後に」から始まるこのアルバムを聴くと僕は本当に言葉を失ってしまう。  
 死ぬほどの喜びにうち震えながら言葉を失い、自分を見失い、あらゆる気を失っていく。あとには何が残るのか?   
 「III」とは、実際にそんな体験ができる作品だ。  

 そして13年後、2018年。  
 頭士くんは「III」の境地に安住することなく新たな局面を掘り下げた「IV」を上梓する。  



たかがCDといっても侮るなかれ
HDRと周辺機材のアップグレードを反映したきめ細かで深遠なスケール感のある音質
最近のお手軽なデータ起こしのアナログ盤など軽く蹴散らす


…こればかりは「2001年宇宙の旅」同様、体験するしかない
(初見は50年前の梅田OS劇場…
件の70mm上映は見れなかったがIMAXで40年ぶりに体験!)

18.10.24









 「パラダイス」から10年後の2ndアルバム「現象化する発光素」。  
頭士作品中、もっとも謎が多く多面的な音楽性を放射するアルバムである。そもそもタイトルからして謎めいている。
 90年代に郷里の岡山に生活拠点を移していた頭士くんが少しずつ機材を買い揃え自宅録音の環境を構築していく過程で生み出された作品だ。  
その成果が冒頭の2曲「結合の神秘」「1999:白化」の打ち込みリズムをベースとしたサウンドで、当時「結合の神秘」のデモを聞いた時は仰天したものである。元々は兄の結婚披露宴で歌うために作ったという「結合の神秘」は槇原敬之もビックリ(しないか)のあけすけなイントロに導かれたコンパクトなエレポップだが、終盤のミニマルな展開には一筋縄ではいかない微妙な「ずらし」が仕掛けられている。  
 続く「1999:白化」が、本作の核心となる曲だ。やはりこちらも単なる打ち込みリズムではなく時間軸の設定にはイレギュラなプログラムが巧妙に仕込まれている。それにのせて「歌う」というより止めどなく息を吐き続けるようなヴォーカル、空間を翻す超越的なギターソロにはいまだに胸を撃ち抜かれる思いだ。  
 そしてサード・イアー・バンドに対する岡山からの回答ともいうべき3曲目「プララヤ」からこの世のものとは思えない音色のオカリナで参画してくる頭士くんの兄、頭士真砂樹の存在が、本作のもうひとつのキーポイントだろう。  
 80年代初頭、東京で「アケボノイズ」に参加しソノシートを1枚発表した真砂樹はこの時期岡山にしばらく帰郷しており、鉱物の写真撮影や彫金、とんぼ玉による細密な装飾品の製作に没頭していたという。それと並行して頭士くんのレコーディングにも折に触れて参加することがあったようだ。 
 真砂樹は、たとえば「インド旅行の際にティンシャ(チベタン・ベル)を買い求めた時、複数の店で嫌がられるほど何十個ものベルを片っ端から試奏して一番霊妙な倍音と残響を持ったものを選んだ」という逸話から窺いしれるように、ひとつの音を出すのであれば音本来の霊性そのものを極限まで追求する、といったようなキャラクターの持ち主である(確かにそのティンシャは鼓膜を透過して脳内で倍音が増幅していくような強力な響きであった)。
 兄のそういった姿勢が、弟の奏でる音楽に影響を及ぼさないわけがないことは容易に想像がつく。
 頭士くんは、あえて兄を対等の共演者としてアルバムの骨子に引き入れることで兄からの影響を肯定しつつ自分自身の音楽をさらなる高みへとジャンプさせることが必要だったのだ。  
 武満徹をして「頭が狂ってるんじゃないか」と言わせしめたという異形のピアニスト、エルヴィン・ニレジハージへのオマージュ「輝いている水面をずっと」を挟んで「加速舞踏」から登場する真砂樹のカリンバが放つ強い磁力は、ここで本作の印象を否応なく決定づける。  
 次に「揮発」「ルクス」「結合の神秘」といった多様な佳曲が続いてもどこか真砂樹の不在を意識してしまうのだ。「前瞑想的音楽」で再び登場する真砂樹のカリンバの音色が鮮麗な既視感を伴うのは偶然ではない。  
 頭士兄弟のカリンバによる即興セッションは尋常ではないポリリズムのせめぎ合いとなって二人の絆、バックグラウンドを投射し昇華する音響として「現象化する発光素」と題されアルバムタイトルとなった。
 ポリリズムの応酬が決して熱気を帯びた狂騒となることなく、両者一貫して冷徹な時間軸を保ったままトランス状態に突入している点が彼等の驚異的な特性だ。  
 本作以降、頭士くんは真砂樹との演奏には一旦終止符を打つことになったが、これほどテンションの高い音楽的磁場を極めてしまった二人にとってそれは必然の結果だった。  
 そして終曲「再来」の物憂いギターソロがポスト・コイタスの甘い倦怠と安堵を促し、音楽は去っていく。  
 僕は「結合の神秘」アコースティック版の演奏に参加して何曲かのミックスバランスに助言し、切り貼りで版下を作り東京でのマスタリングに同行した以外にはこのアルバムの制作にほとんど介入していない。ジャケット・デザインも含めた全体の構築はすべて頭士くん自身による。
 この極端に多面的なアルバムをものにしたことで確実な自己プロデュース力を得た頭士くんは以降、さらに自己の内面とギター演奏の未知の領域を探る旅に出ることになる。  



90年代後半はレコーディング環境が激変した
このアルバムは民生用HDRが登場したおかげで完成できた
もちろん頭士くんが使ったのは初期HDRの8トラックの簡素なものだった

18.10.19









 頭士奈生樹1stアルバム「パラダイス」。  
 レコーディングは1987年の真夏の京都だった。  
 結局、頭士くんが在籍した時期の螺旋階段、リラダン(ザ・リラダンズ)、イディオット・オクロックは公式に音源を残すことはなかった。  
 頭士くん在籍時のメンバーでリラダンあるいはイディオット・オクロックが、変身キリンのようにせめてシングル盤1枚でも残していれば。
 それともリラダンの参加が決定されていながら計画途中で仲間割れのために頓挫したという「ドッキリレコード2」が成就され数曲でも収録されていれば。
 ならば、その後の展開は多少なりとも違っていたのではないか、と酔いにまかせた脳裏で無駄な妄想を描く夜はいまだ失せることがない。  
 イディオット・オクロックを82年に離脱した頭士くんは「頭士奈生樹ユニット」として不定形なメンバー構成で楽曲編曲よりも演奏それ自体の一回性に重きをおいたコンセプトを追求していた。一方、イディオット・オクロックはあてどなくメンバーチェンジと改名を重ねノイズ・オクロック、ツー・オクロック、再びイディオット・オクロックへと変容を続けていた。
 そして僕はその両者の活動に常に関わっていた。およそ83年から86年にかけてのことだった。
 85年には自分のソロアルバムをハレルヤズという名前で作った。この時に頭士くん、高山 ”Idiot” 謙一くんの2人に参加を仰いだのだった。僕は彼等2人のとてつもない音楽性にどうしようもなく惹かれていた。彼等が一つのバンドにいられないのなら、自分がそれに近い場所を設定できはしないだろうか?  
 そんな思いがハレルヤズ、パラダイスという形になったのだった。
 バンドでは頭士くんと袂を分かっていた高山くんだが、「頭士がソロを作るんだったら」と快く参加を承諾してくれた。3人で三日間、連日朝からスタジオに篭った。  
 初のソロのために頭士くんが用意した曲をそれぞれどんな風に演奏し録音するか、を3人で話し合いアイディアを交換し時には衝突しながら録音を進めるのは脳が痺れるほど刺激的でスリリングな体験だった。  
 たとえば1曲目の「こびと」。ベーシックのリズムギターのカッティングを最重視する(ドラムに気を取られることなくリズムギターを全力で弾ききりたい)という頭士くんのコンセプトでドラムは後録りということになった。さて誰がドラムをやる?  
 まず僕が意気込んで叩いてみたが、どうにもこじんまりとしてしまってあまり面白くない。「柴山ではアカンな、俺が」と次に高山くんがトライするも、ベーシックのテンポが早すぎてうまく合わせることが難しい。一同腕組み「う〜ん」となってしまった。  
 ミキシングルームでしばしの沈黙の後、頭士くんはタバコを1本吸い終えると(当時は全員喫煙者だった)  
 「じゃあ…ちょっと僕が叩いてみるわ。それでアカンかったらこの曲はドラムはもうあきらめるわ…」とボソッと言い残してスタジオに入っていった。
 そしてなんとワンテイクでものにしたのが、アルバム収録テイクの絶対にドラマーには叩けない脅威のドラミングなのだった!  
 モニターから聞こえる怒涛のドラムを聞いた僕と高山くんは、思わず顔を見合わせ「こんなんできるんやったら最初から頭士がやればよかったのにね〜」と爆笑してしまったというオチは、今も鮮明に覚えている。
 「童話」。当初エンディングのギターソロのパートはあそこまでワイルドにするつもりはなかった頭士くんだが、先に高山くんがあの超絶的なドローン・ソロを弾いてしまったので思わず煽られてギターバトルを繰り広げてしまい結局そのまま収録された顛末等々、色々と思い出は尽きない。
 だけどやっぱり「こびと」のあの場面があの時のセッションの空気を一番象徴しているような気がする。
 予算の制約からリズム録りとリテイク、全てのオーバーダブとVo入れを3日間で完了させるという強行軍になってしまったことはいまだに頭士くんに申し訳なく思っているが、何としてでも彼の類い希な音楽をレコードにして世に問わなければ、という思い込みと勢いで僕は精一杯だった。だが頭士くんとしては、時間の制約のせいで悔いの残る部分は少なからずあっただろうと思う。  
 だからという訳ではないがミックスダウンには足かけ一年近く費やした。もちろん当時の僕の至らないプロデュース能力では頭士くんの音楽性を100%音盤に収めることは到底できなかったけれど、30余年という時空を経た今となっては、この作品を残せたことを少しばかり誇りに思うことをどうか許していただきたい。
 頭士奈生樹1stアルバム「パラダイス」。
 
 その立ち尽くすほどの強靭な美しさには眩暈を。
 その卒倒してしまいたいほどの眩いギターの煌めきには心からの嫉妬を。
 



かつてのピースミュージックと同じで音の良い16track1inchのTASCAMだったが、
テープを買い取る予算がなかったのでマルチマスターが現存せずリミックスは不可能

18.10.1









 この灼熱の夏にはとても太刀打ちできないのでもはや観念して身を委ねるしかないのであるがそれでもやっぱり何か一石を投じずにはいられないのが我が悲しき性。だとすればこの逸品を。  
 (ずいぶん以前一度紹介したことがあるが、コレは何度でも紹介されて然るべきだろう)。  
 R&Bやソウルのクリシェと逸脱する部分を巧みに配合した楽曲、音色の加工を恐れないある種ブリティッシュ的なミックス、なのにニューオーリンズ風の定石を外さないアレンジ、それでいてあくまでも肉食人種っぽくない穏やかな歌唱、どれをとっても最高なんだが、ジョージ・ポーターのベースがすごくいいんだよね。
 俺の夏にコレとタジ・マハール「Music Keeps me Together」は欠かせない。いずれもたっぷりと湿気を含んだ夏の倦怠感に彩られた名盤。



See this another Quiet Sun

18.7.26









 80年代の最初期マヘル・シャラル・ハシュ・バズのギタリスト、時としてバンドリーダーの才能を凌駕するほどに屹立した個性の持ち主だった(であろうと容易に推測できる)岩田侑三19年ぶりのセカンド・アルバム「Daylight Moon」の録音と共同プロデュースを担当していたジョーダンさんから、岩田さんが先週、逝去されたとの知らせが届く。
 
 この春に岩田さんとその新作に関してやりとりをした際、ここ数年体調が思わしくないので近く秩父の温泉での療養を兼ねて一時帰国する予定、との旨は聞いていたのだが……。

  悲しい。

 19年前オルグから「Drowning in the Sky」をリリースした折、ジャケットに使った岩田さん作の美しいリトグラフの原画を丁寧に額装して贈っていただいたことを思い出す。

 部屋に飾りたかったが日焼けで退色するのが惜しくて、今も押入れの奥でひっそりと眠っている。

 「Drowning in the Sky」リリース後にニューヨークへ行った時、岩田さんはわざわざフィラデルフィアから来てくれて深夜まで楽しく酌み交わしたことを思い出す。


 心からご冥福をお祈りいたします。

 Yuzo Iwata

 R.I.P.




May his spirit rest in peace with Daylight Moon



18.7.2









 オルグ・レコード唯一の欠番となったORG-002「やけっぱちのマリア」は、約30年前にジャケットデザイン以前の段階で諸般の事情によって発売中止となったLPである。  
 発売中止に至った経緯はもはや語る必要もないがバンド側に非はなく、全責任は私にある。  
 ところが最近、当時100枚だけプレスしたこのLPが「廃棄された」というようなことがまことしやかにSNSで語られているようだが、これは作り話である。  

 ORG-002番はサンプル数枚を関係者(本当の関係者は一人だけだった)に配布したのちに、残りの盤は全て封印し現在に至るまで保管してある。責任者としてここではっきりさせておく。  
  伝聞と憶測で他者のありもしない行状をでっち上げ吹聴するしたり顔のやからには一生かかっても理解できないのがオルグ・レコード、そして「渚にて」であるといったい何度言わねばならないのだろうか。  




(当該記事は現在すべて削除されています)


18.6.22









「永遠が見たい? そいつは簡単だ。あいつのギターがたどるコースをついていけばいい…」


ギター漂泊者の凱旋、頭士奈生樹十三年目の寄港

六本の弦が秘めたる未踏峰の頂を極めたギター・アルバム
「ZUSHI IV」遂に登場!


もう私は ここに いないか まだ私は ここに いるのか
(IV 「Mirror」より)

18.6.1









 誤解のないよう書き添えておくと「IV」は比類無き「ギター・アルバム」であるが、「ギター・インストゥルメンタル・アルバム」ではない。
 全6曲のうち3曲はヴォーカル入りの歌物(カギカッコで括られた「うたもの」「歌もの」類は平成の廃語)である。  
 30年前(!)の1stアルバム「Paradise」から彼の諸作をご存知の方には周知のことだが、リアルなギタリストである頭士は詩作の才に長けた歌い手でもあった。
 注意深く選ばれた平易な言葉で編み込んだ歌詞のレース模様が、そのフレーズ以外にありえない固有の部分だけを弾く彼のオブリガートを伴う時、文字の連なりは言葉の臨界点を突破する。  
 「IV」の極めて濃密な74分間は、意識を持って聴く者の脳天を、どこまでも静かに、直撃するだろう。
 これだけは、決して文字に変換することができない。体験するより手立てがないのだ。  
 初めてEvening Starを聴いた時の眩暈。初めてHappy Sadを聴いた時の蒼茫感。初めてSort Ofを聴いた時の恍惚は?  
 たとえばこう問われた時「あの感じ」としかいいようのない、ひとつの根源的な感覚を惹起できる人にとって「IV」は至福の贈り物となる。



6月2日発売です

ライブ会場と通販のみの販売となります

18.5.24









 頭士奈生樹の新作「IV」を幾度となく聴いている。  
 ロック・ギターのフォーマットにおけるオーセンティックな情動表現にかけては山口冨士夫やデイヴ・ギルモアに、技能的にはロバート・フリップに比肩するギタリストである彼がここでやろうとしていることは、イディオマティックでなければ非イディオマティック、といった二元論の価値観では到達できない未知の領域を切り開くことではないか、という気がする。
 もちろんそこはすでにフリー・インプロヴィゼーションという狭い土俵ではない。  
 言い換えれば「自分だけにしか弾けないノート」をどこまで「ありのままに弾く」ことができるか、という根源的な自問との格闘の結果が「IV」には美しく結晶している。  
 ロバート・クワインやトム・ヴァーラインの畸形的なギターが切迫したリアリティーを感じさせたのは「パンク・ロック」だから、ではなく彼等が自分だけの一音を探り当てることをどこまでも意識して弾いていたからだが、こういった感覚はたとえばEvening Starのロバート・フリップやUnfaithful Servant(Rock of Ages)のロビー・ロバートソンの超絶的なギターソロにも顕著だ。
 常に自分自身と深く対峙しながら弾くことと引き換えに、彼等の演奏はすでにイディオムから解放されていたのだった。  
 果てしない自問と格闘しながら弾くことは決して楽な選択ではない。だがそれは時としてある種の狂おしい感覚に満ちた美しい一瞬をもたらすことがある。ついにその瞬間が訪れた時、ギタリストは「自分だけの一音」を獲得するのだ。  
 頭士がギターの指板を駆け巡って粘り強く探り当てた、幾多のリアルな瞬間が「IV」の74分間のここかしこに慎ましく、そして大胆に点在している。  
 その痺れるような刹那の一瞬の閃光に触れるために、僕はこのギター・アルバムを幾度でも聴き返すだろう。

 The 4th Zushi album "IV" wiil be released on June 2!



心あるひとにだけ頭士くんの新作は響く

18.4.30









 フィラデルフィアの岩田さんから、何と19年ぶりの2nd「Daylight Moon」のレコードが唐突に届いた。
 これは何というか…「あの」耳なじみのある空漠感がむせかえるほどに充満した、早い話が19年ぶりの傑作なのだった。
 この音色は、かつて約30年前のM.S.H.B.に顕著であった(そしてかなり以前に完全に失われてしまった)、ある種の特殊な感覚から来るものだ。
 この、あてどない空漠感を湛えたギターの音色とカッティングを注意して聞いてみるといい。
 それは、あたかもヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどそもそも存在していなかったかのように思えてくる胸のすく威風堂々ぶりである。  
 言い換えるならば、R.V.R.M.とRide into the Sunの向こう側にあったはずのもの、それが「Daylight Moon」にはむき出しの形で突き刺さっているのだ。昼の月の白い輪郭にくっきりと切り抜かれた青空の薄さを見るような気持ちで。  
 そのくぐもったトーンは、いわば体験したことのない過去へのノスタルジアを強烈に感じさせる。 
 そして19年前の「Drowning in the Sky」の時にも感じられた、イディオット・オクロック(高山謙一)との奇妙な通底感覚。
 暗い何かに向かってひたすら疾走し続けるような無限感はDaylight Moon IIという曲で質量を倍加しているように感じられる。
 何の接点も無さそうな(実際、無いだろう)両者の音楽をつなぐものは一体何処から来たのだろうか。  
 これ以上、言葉で説明することはできない。 不可思議な音楽だ。彼の音楽は特徴的に「腑に落ちない」。
 そこが僕にとっては非常な謎であると同時に、大変な魅力でもある。 
 思えば今年は頭士奈生樹も13年ぶりの新作「IV」を発表するのだ。  
 これは世が彼等二人の音楽を呼んだという大きな必然であり、決して偶然ではないと僕は思っている。



岩田侑三 Yuzo Iwata  Daylight Moon

(2018 Siltbreeze Records SB183)

3.31 追記:250枚限定のLPはすでに完売、近日追加プレスの予定だそうです

18.3.23









「Gravity」以降、どうも映画的飢餓感を満たす作品がなかった。  
 デビュー作「第9地区」大ヒットの呪縛から逃れられないニール・ブロムカンプははっきり言ってずっと低迷状態だし、人生の残り時間を意識しすぎてビッグバジェットの超駄作を連発するリドリー・スコット、イーストウッドは年齢を考慮すれば大したものだが近年は実話モノでお茶を濁す傾向がどうにも歯がゆい。  
 などと、菊正宗・生酛純米(常温)をあおりながら勝手なことを思っていたら、来ました。久々に「お前の飢えを満たす」映画が!  
 「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」まずこの長ったらしい原題がいい。ピンとくるものがある。  
 よく練られた脚本、豊富な伏線と鮮やかな回収、先の読めない展開、見る側の想像力を喚起しつつ期待を「はずす」フック、濃いキャラの立った脇役の配置、映画の出来を左右する食事シーンの扱い、そして俺の審美眼には絶対に欠かせないマヌケ感。
 テンコ盛りのサイドストーリーも込み込みで2時間を切る尺にきっちり収めるテンポの良い編集は、見事としか言いようがない。  
 そう、こういうのが見たかったんだ。 
 親指の爪に痛快ドリルとか、「ファッキン神父はLAギャングと同類」パワー論法とか、ちゃぶ台返しの片付けは親子で仲良くとか、オレンジジュースのストローの向きとか、「砂の多いところだ」「?」とか、ドナルド・サザーランドってそもそもオカンがクリソツやんけ!とか、やっぱり部屋にはニルヴァーナとか、「娘とは思わないわよ」鹿さんへの語りかけはバルタザールの翻案?とか、MC5も逃げ出すビッチ、カント、マザーファッカーズ乱発… とかとか、仕込みネタがいちいち充実しすぎなのである。
 「窓際の虫」のシーンでもわかるように、並みの映画なら見向きもしないような、ちょっとした日常光景の「何でもないような」カットを丹念に拾いあげる作業がいかに映画全体を生き生きさせる効果があるか、ということをよく知っている監督だ。  
 脇役だったはずの「眉間に縦シワ」署長ウィロビー、「ヘタレコップ」ディクソンがいつのまにか主役にシフトしていく脚本の流れも作為感がなくスムースで、舌を巻いた。あたかもボケとツッコミが縦横無尽に入れ替わる「やすきよ」全盛期のフォーメーションを想起させ、それはそれは「斬れ味の良い刃物を見る快感」(by 小林信彦)が一貫してあった。  
 マーティン・マクドナー、アイルランド系イギリス人の監督だそうだが、寡聞にして全然知らなかった。今後要チェックにします。


タイトルを補完するかのようなわかりやすいポスター
これがUSアメリカン

…しかし父親たるもの自分とて同じポジション、
署長ウィロビーの身の処し方には色々考えてしまった

18.2.10









渚にてによるMNKリスト MNK List by Nagisa Ni Te vol.11


その11 :
デレク・ベイリー
Derek Bailey/Solo Guitar



 大昔から、このヒトについての講釈が創意工夫を凝らした高尚なレトリックに満ち満ちたものばかりなのは致し方ないところであろう。
 つまりそれは、田舎の道端に転がってる石を指して「あの石を定義しキミの解釈とその根拠を述べよ」という宿題を出されたようなものだからだ。
  世界最高水準のマヌケ・ギタリストとは、テッド・ニュージェントではなくデレク・ベイリーのことである。
 彼が「ノン・イディオマティック・インプロヴィゼーション」と聴衆にプレゼンするギターの弾き方を「発明」した。この偉大な発明を前にしてあらゆる追随者は単なる模倣者でしかない。彼の前にも後にもギター・インプロヴィゼーションは存在しなくなってしまった。
 この屹立した自己確立のあり方は、ジミ・ヘンドリクス、クラウス・ディンガー「アパッチ」などが近いだろう。
 同じことをやっても仕方ないのでロバート・フリップとフレッド・フリスは聡明な「第二次使用者」として正々堂々と「ロック・インプロヴィゼーション」を模索した。その類い稀な交配の成果として発表されたキング・クリムゾンとヘンリー・カウの諸作品は、いまだに傾聴に値するものとなっている。
 B面1曲目がケッサクで、いきなり「トッテチッテタ〜」というオモチャメロディが始まったと思ったら急にアイヌのムックリみたいな音色にシフトし延々と「ズンガズンガ」とシャッフルを淡々と、しかも延々と弾き続けるんだね。口ずさめるデレク・ベイリー。横山のやっさんならずとも「オイにいちゃん!ちょっと聞くけどナ……いつまでズンガズンガ弾いとんねん!」としばかれること必至のマヌケぶりである。
 ま、ベイリーに向かって「いつまで弾いとんねん」とは不敬も甚だしいツッコミなのであくまで脳内で留めておくが、とにかくそういう光景が目に浮かぶ、というだけで既に名誉MNKの殿堂入りなのだ。


ギター墓場にて
何処へ行くのかさすらいのMNKインプロ野郎…

(MNK=マヌケ あらゆる藝術に対する最上級の褒め言葉の意)

18.1.31









渚にてによるMNKリスト MNK List by Nagisa Ni Te vol.10


その10 :
ウーヴェ・ネッテルベックのトニー・コンラッド・ウィズ・ファウスト
Tony Conrad with Faust / Outside the Dream Syndicate by Uwe Nettelbeck



 結局オレ、ウーヴェ・ネッテルベックという山師プロデューサーの感覚とウマが合うんだと思う。気は合わないだろうけどね、絶対。
 ピーター・ブレグヴァド曰く、手入れの行き届いた顎ひげに青いレンズをはめた楕円形のメガネ、銀色の長袖Tシャツにスエードのズボンという風体で高価なワインと上質のLSDを嗜んだというウーヴェは、ファウストのプロデューサーというよりは「発明者」と呼ぶ方がいいのかもしれない(ファウスト/ヴュンメ・イヤーズ)という。
  「発明者」とは、まさに言い得て妙であり慧眼である。コレにしたってドローン/ミニマルのケッサクと称せられるわりには、アカデミックな威厳というものがまるで感じられない。だいたい普通(って何だ?)、こんな「毛皮のヴィーナス」のバックトラックだけ抜いてループさせたような反復音楽にこんな野趣豊かなロックドラムとベース入れるか?  
 コレ聴いてると、ドローン/ミニマルとか吹っ飛んでしまってどこか人知れない荒野の斜面を太い丸太棒が転がり落ちていく様子をボーッと眺めてるような気分に襲われる。
 正座して拝聴するにはなんだか吹き出したくなるようなマヌケ感。
 いつまでたっても終わらない坊さんの読経の後ろで肩を突っつき合ってクスクス笑いするガキどもみたいな感覚。  
 そのあたりの采配が「発明者」ウーヴェの面目躍如たる所以である。
 ロックの「見巧者」と言い換えることもできるだろう。ここが重要だ。
 
 名誉MNKプロデューサーとここに認定する。


大昔、中野レコードの広告でこのジャケ写を見た時の
得体の知れないインパクトは今もってMNKな悪夢の反世界を呼び起こす…

(MNK=マヌケ あらゆる藝術に対する最上級の褒め言葉の意)

18.1.11



 

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