ひとこと



ひとこと


「遠泳」から永遠に


今時分これを読んでいるような人は、もはやバンド直近の顔見知りなんかではなく、よっぽど酔狂な粋人であろうから、そのように想定させていただいて書こうと思う。はからずも望外の出来となってしまった(という感覚だ)「遠泳」は、もう誰にも聴かせたくない。と、いうと大いに矛盾するのだが、この感情は恐らく、眉目麗しく成長した我が娘を他所になんかやってたまるものか!という類の厄介なエゴイズムなのだろう。それでも僕は今、あるいはいずれは、どうしようもなくこう言わざるを得ない立場なのだ。ふつつかな娘ではありますが終生どうか添え遂げてやってください、と。


Imagine some faraway beach beyond these bushes.

14.11.19

 

 


 

「遠泳」から永遠に


「ジャージー・ボーイズ」の冒頭で、フランキーの歌うバラードにクリストファー・ウォーケン演じる地元マフィアのボスがじんわり落涙するでしょう? ああいうベタにもほどがあるベタなシーンをごく手短かに、だが正面からきっちりと演出するのがイーストウッドの巧いところで、歳のせいか一緒に涙してしまう自分がいたのだった。ショーの後、ウォーケンはタニマチとして生涯にわたりサポートしていくことをフランキーに伝える。音楽にはそういう力が備わっているのだ。終盤、メンバーの業務上横領のせいで背負った億単位の借金返済のためのツァーに明け暮れるフランキーが、家出した娘のフランシーヌをNYのカフェで説得するシーン。フランシーヌの台詞が、最初のオーダー「Coke…」ひとことだけなんだよね。フランシーヌと共に泣いてしまった自分がいたのだった。やっぱりおまつりのある街は何かとヤバい。

 


14.10.27

 

 

 

  

「遠泳」から永遠に

さあ泳ごう、神々の待つところへ。我々を侮辱した敵の待つところへ。

この旅は遠泳になるだろうが、戦ではない。

その覚悟はいかなる忍耐も犠牲も一切、必要としないのだから。

さあ、もう一度。泳ごう。

14.8.30

 

 

 

「遠泳」から永遠に


8枚目の渚にて「遠泳」が完成した。あとはジャケデザインを残すのみ。

2年前から始めたベアーズでの年2回ワンマンライブのためのリハーサルにバンド史上かつてないほどの長時間を費やしたのを契機として、新曲のテンポと構成を決める段階から4人で作り込んできたのが今回のアルバムだ。



結成から約20年。バンド固有のアンサンブルの感覚(部族感、と置き換えてもいい)とメンバー同士のバランスの精緻さという点では、ピンク・フロイド(神秘〜雲の影)とザ・バンド(ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク〜ステージ・フライト)の境地にようやく辿り着いた、 という実感がある。異議は認めない。

前作「よすが」ではゲスト的な参加だった鍵盤の吉田正幸が、今回はヘッド・アレンジの段階から関わるようになった点も今回のポイントだ。

ニッキー・ホプキンス並に卓越したオブリガートのセンスを持つ吉田君の存在は羅針盤解散以降、あべの銀座商店街と共に再開発の波に埋もれるにはあまりに惜しいとずっと思っていた。
そういう意味では長年の念願のプロダクションが、ついに実現できたような気がする。

もちろん今回も孤高の天才ギタリスト頭士奈生樹が参加しているのだが、キーボードとギターの天才2人が繰り出す絶妙のフレーズが曲によっては衝突してしまう場面もあり、その取捨選択にはミックスダウン最終段階まで大いに悩まさせられた。

前作「よすが」の時点ではベースの山田君も吉田君もバンドに関わった時間がそれほど多くなく、どちらかというとサポート的に端正なプレイになっていたのだが今度はちがう。全員別格だ。

極太なベースラインがより一層深くアンサンブルの間隙をえぐり込む様にはもはや貫禄すら漂い、竹田のドラムの鈍色の音色はひときわ重く鮮やかな輪郭を描く。


オレのいうことが決してハッタリじゃない、ってことは聴いてみれば、すぐにわかる。

音楽の秘密は、すべて世へぶちまけられるだろう。

「遠泳」から永遠に。


世の中はまだ音楽を必要としている。少なくともオレは。まだ。

 

 


14.8.17

 

 

 

メンフィス、っていうか…とにかくハイ・リズムは別格である。ハイ・サウンドのロイヤル・レコーディング・スタジオって「世界で初めてスタッフを黒人だけで固めたスタジオ」だった…っていうハナシをどこかで聞いた記憶があるんだが、スゴいよな(もし誤情報だったらすいません)。うちのドラマーのフェイヴァリットがハワード・グライムスの「ジャッ、ジャッ、ドサッ!」と形容するしかないハイハットとスネアの音色であることはかねてからの周知事項なのだった。6年ぶりの新作が完パケに近づいた。汗まみれで。じきに聴かせてやるからよ。待っとけよ。

 

ここでもホストはやっぱりドラマーなのだった

14.7.27

 

 

 

 

渚にてによるMNKリスト MNK List by Nagisa Ni Te vol.7


その7 :
カン(キャン)
CAN/Unlimited Edition

 

ホルガー舟海の秒殺切り貼りエディットの鉄人ワザが炸裂したこの2枚組は、畢竟カンの最高傑作となった。今でこそすっかり有り難みの無くなった団塊爺ダモ鈴木だが、コレをはじめて聴いた頃はまだまだ天上の異邦人ロッカーDoko E、なのだった。キミらやったらわかるやろ? この感じ。そのダモの小雨そぼ降る御堂筋…欧陽菲菲的なファーイースト湿度感から、ムーニーの乾ききったプレ・パンク的なエナジー放出、イルミンのフェイク小泉文夫「世界の民俗音楽」E.F.S. シリーズに茫洋たる魅惑のエキゾ鍵盤楽器Alpha77、ミヒャエルの幽玄世界へのいざないギター、ヤキのやたらめったらステディなハイハット、とにかく要するにCANのコアな魅力がこれでもか的にてんこ盛りラーメン二郎かよ!なのが本作なのである。ホルガーの選曲眼は最高。毎日のように聴き狂ってた80年頃…が懐かしい。…なぜだかカンのサウンドは初夏に合う。UKキャロライン盤はシングルジャケにヴァイナル2枚をむりやり押し込んだ窮屈な体裁だったが、このMNKダブルアルバムは見開きの超クールなアー写が必殺なジャーマンHarvestオリジナル盤で堪能したいところ。

 

いかにもToo MuchなジャケがわかりやすくMNKだがコイツらは確信犯

14.5.30

 

 

 

 

渚にてによるMNKリスト MNK List by Nagisa Ni Te vol.6


その6 :
ミヒャエル ・カローリ
Michael Karoli/Deluge

 

唯一のソロ作となってしまったコレは、全編にわたり適当なレゲエ的リズムトラックを流しっぱなしで「あの」タガの外れた脱力磁場的なファズギターが炸裂…というよりは弾いたまま放置……という感じで展開される、ファンにはたまらない逸品。この締まりのない、場当たり的な、意表を突いて挙動不審な感じに逸脱したりする、滋味豊かな、みずみずしく産毛立ったファズトーン…時々生音…をMNKと言わずして何と言う?要するにCANのコアな部分、魅力とはムーニーでもダモでもホルガーでもAlpha77(この魅惑のインストゥルメントに関しては別の視点があるが)でもなく、実はミヒャエル・カローリのギターから放射されていたのではなかったか。自分達の音楽でさえひとごとのように突き放して薄暗い別の場所で鳴っている、あの感じ……わかるかい? そんな彼のテイストが、シンフォニックな様式美の甘さに流れていきかねない退廃からFuture Daysを救っていたのだ。最後の来日公演では、ステージで椅子に座ったまま曲の合間にウイスキーのボトルをラッパ飲みしつつ見てる方が心もとないギターをやる気なさげに弾いていたという、う〜ん、まあ、仕方ないのかな…という逸話も今となっては微笑ましくさえ思える。命を削ってまで弾いたようには到底思えない、はかなげなギター。名誉MNKギタリストとここに認定する。

 

ボーカルの人は彼女?痴呆的な脱力ヴォイスがMNKギターに花をそえる
(MNK=マヌケ あらゆる藝術に対する最上級の褒め言葉の意)

14.5.16.

 


 

 

Side I
Las Vegas Tango (Part I)
To Mark Everywhere
To Saintly Bridget
To Oz Alien Daevyd and Gilly
To Nick Everyone

Side II
To Caravan and Brother Jim
To the Old World (Thank You for the Use of Your Body, Goodbye)
To Carla, Marsha and Caroline (for Making Everything Beautifuller)
Las Vegas Tango (Part I)

針を落とす前につらつらと眺めた曲目の何と直截にカンタベリー的なことよ。これがどれほどイマジネーションをかき立てたことか。一連のタイトルをつけた時点で勝利である。忘れもしない19の春の夕刻、京都は十字屋三条店で発見したUK盤のセカンド・プレス。即座に購入、とるものもとりあえず飯も食わずに自転車を走らせ帰路を急いだ。下宿の貧相なモジュラーステレオのヘッドホンから脳内に充満したカオスな音の群れは確信的なものの上に成り立っていることが感じられ、異境のパノラマを覗くが如き幻惑体験だった。よくこんないい加減な…いや前衛的なアルバムがメジャーから出せたものだと思う。「ひとつの耳の終焉」EARがERAのアナグラムだとすれば、故Aquiraxによる懐かしい解題〜プログレッシヴ・ロックの終息宣言としてのソロ・アルバムは、ある意味正しかった。時期的にはソフト・マシーンのThirdの頃でアレも相当にやばい鈍色の逸品だったが、こっちはあくまでパーソナルな夢想オンリーに徹した心情吐露サウンド。公人私人でいえば、明確に私人としての参拝である。その昔、故林直人君にハレルヤズを聴かせた折にもらった意見が不意に脳裏をよぎる。「僕なんか柴山君を知ってるしこうやって喋ったりできるから、これ聴いて、ああこんな風に感じてるんや、とか思えるけど、全然知らん人にしてみたらそうはいかへんやんか? 純な音やと思うけど、もうちょっと赤の他人に聴かせることも意識して音楽作っていった方がええんとちゃうかな〜」いかにも率直な感想であり指摘はまったくもってその通りだ、とその時思ったことを今頃になって未練がましく思い出す、初老の自分なのであった。

 

やりたい放題とはまさにこのレコードをさす
         
3rd以降のソフト・マシーンのジャズ指向は
ワイアットにしてみれば保守反動であった
ジャズ畑のギル・エヴァンスのアンチ・ジャズなテイストは、
ロックシーンにいながらロックを指向しなかった
ワイアットの指標となったのではないか
実際、Las Vegas Tangoのラテン的な哀愁は
Rock Bottom以降のソロ作の気分に継承されているように思う

14.4.6

 

 

 

 

いちばん深くまでいったフロイド。遊び心とシリアスな感情表現と(アルコールではなく)マリワナの酩酊感と…がないまぜになったラスト・ファンタジア。そう、アノ時って、風が頭上にいて、実際に移動していくのがリアルに感じとれたよね? 覚えてる?悪い意味でのナイーヴな夢想感(それこそが最大の魅力だった)は、ここで途切れた。だからこそ、この逆ユートピアがいまだに愛おしい。

やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった
        
       

14.3.28

 


 

 

いちばん遠くまでいったフロイド。太陽讃歌の元祖ウィスパー系唱法にヴィブラフォン、飛び交うカモメの付け合わせが眩しい。ロック史上もっとも美しいメロトロンが虹のようにかかるSee-Sawから、遠近感が失われた書き割りの中へあてどなく迷い込んだような虚脱感と恍惚に満ちたジャグバンド・ブルースへの流れ…は、少年時代に毎夜繰り広げたイマジネーションの瀑布を一瞬にして呼び戻す。間違いなく存在した「もうひとりの自分」が抱いた夢想は、依然気化しないままのように思うのだが。

ブルーコロムビアのUK初回盤だけが妙に抜けのいい音してるんだよな
      

14.3.1

 

 

 

 

GRAVITY。5回目見に行った。「アメリカでは映画はアートではなくビジネスなのです」という基本に忠実に大衆受けを狙ったベタな部分と、ほとんどのアメリカ人には到底理解しがたい(関心がない)であろう微細な感覚へのこだわりの部分とのさじ加減に唸らされる。音響もセンスのいいミックスで、ちょっと思い出したのがコレ。まあ10年にいっぺんぐらいは必ず聴きたくなる名品です。こういう、自分の築き上げた強固な宇宙にひきこもる人は世界各地にまんべんなく分布しているが、ペリーさんはある種の抜けのよさがあるように思う。

この倍音の世界はLPでないとアカンな
      

14.2.7

 

 

  

 

「グラヴィティ」なんだよな。ゼロ〜じゃなくて。否応なしに引き込まれる最高の映画だった。精緻に構築されたリアルなファンタジーという点では「2001年宇宙の旅」に比肩すると言っていい。とにかくもうラストシーン以外フルCGなのに全然CGに見えないんだもん。荘厳な3D映像はほどよく抑制された大人の使い方が成されていて心地よく、ここぞというところで駆使する手法に感服させられた。「無重力状態でああいった現象は現実にはありえない」などとチンケな粗探しをする向きもあるようだが、そんな奴らはKICK OUT!だぜ。そもそも「現実にはありえない」イマジネーションのスケールに如何にリアリティを持たせるか、が映画なんだからね。音楽だって同じじゃない?  それにしても、幼子の吹いたシャボン玉の如く中空に舞うティアドロップの美しさよ。ブラッシングの嫌いなくしゃくしゃ頭のサラ、探してた赤い靴の片方が見つかってよかったね…なんてもう俺は涙が出ましたよ。映像表現のインパクトだけに頼らず、とるに足らないような日常感のディテールをすくい上げる脚本演出の冴えが見事だった。なんせ、のっけからハンク・ウィリアムスだもんね。宇宙へ行ってもカントリー好きなアメリカ人…。動画サイトにアップされているサイド・ストーリー「アニンガ」も必見である。これで再度涙すること請け合い。そういえばあの名作「Children of Men」(トゥモロー・ワールド)の監督だったんだな。引き寄せられるように3回見に行った。もいっかい行こうかな。

I got you
      

14.1.21

 

 

 

 

はっぴいえんどは、解散後に出たCITYというベスト盤を買ったのがリアルタイムだった。新譜ジャーナルで見た、面倒くさそうな歌詞にいったいどんな曲がついてるのかと興味をもったのがきっかけだった。そこからさかのぼって一枚ずつ聴いていった。とりわけブラック・バードみたいな「朝」、ヤー・ブルースみたいな「颱風」、ちょっとプログレっぽい「無風状態」が好きだった。まだつげ義春も知らず、ニール・ヤングは「孤独の旅路」、プロコル・ハルムは「青い影」、ピンク・フロイドは「狂気」と「おせっかい」しか知らなかった頃だ。もちろん女も…まだ知らない。いまだに知らぬままなのかもしれないが…。ハー・マジェスティみたいな「愛餓を」を聴いて、日本でもこういうことをやる人がいるんだな、と子供ながらに感心した。 「氷雨月のスケッチ」のどうでもいいような歌詞を涼しげに歌う頼りなげな声が、サビに来ると引き延ばした餅のような野太い声にとって代わる箇所がいまでも好きだ。

アンチ「風街」コンセプトの結果だったとはいえ、
叙情性を断ち切って無意味性の極地をいく乾ききった作風は斬新だった
      

14.1.11

 

 

ニュウス

さくひん

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