ひとこと



ひとこと

 

能書きはいらない。いまはただ、この音に濡れていたい…。それでいい……

 

おかしさに彩られた悲しみのバラード
The Diary of the Unforgotten
         

13.12.30

 

 

 

 

よっしゃコレもいっちゃおう。コレ、今は亡き梅田のプログレッシヴ/ハード・ロック専門店Down Townで見つけた時はいっしゅん息が止まったね。忘れもしない1979年冬。ア、アンソニー・ムーア!? ん? Oがいっこ少ない…モア?似たような名前のヒトなのか? しかし、しかしである。値札をよく見ると「元Slapp HappyのAnthony Mooreのソロアルバム」というようなことがちっこ〜い字で書いてあるではないか。やった!間違いなかろうて。突然の散財となったがアンソニー・ムーアでは仕方あるめえ。いそいそと購入、そそくさと帰る。その夜。喜び勇んでターンテーブルにのせヘッドフォンで大音量プレイ!……正直「Out」には負けるな、というのが第一印象だった。まあ、リリースせずボツにしたはずの過去の作品と比較されてクサされる「心機一転、これからはMoreよ!」氏も可哀想ではあるが。無理矢理パンク/ニューウェイヴの型に威勢良くはめ込んだような粗暴なジャケットはご愛嬌として、オープニングを飾るスラップ・ハッピーmeetsフィル・スペクターの「Judy Get Down」に「Out」の残り香を嗅いで一応の満足感を得る。…さてPILでも聴くか。その前に一服、ハイライトに火をつけて、と。ふ〜…。そんな、当時の自分の殺伐とした気分とないまぜになった、なんとも名状しがたいレコードである。

 

この頃、UK輸入盤、べらぼうに高かったよな。なあ、みんな?
ディス・ヒートもジョイ・ディヴィジョンもスロッビング・グリッスルも
  どれもこれも軒並み3600円だったぜ!
   

13.12.12

 

 

 

 

コレのこと、ずっとスルーしてたんだ。寡聞にしてARPなる兄ちゃんなんかぜんっぜん知らない人だし、鈴木慶一化したアンソニー・ムーア氏の近影にもいささか(いえいえ人のことはまったく言えません)。「お孫さんですか?」みたいな気分でスルーしてたら、コレがなんと。白玉魂炸裂、愛しのSecrets Ofドレミファソ。名盤やんか。てっきり兄ちゃん主導の挙動不審テクノ?に適当なループ音提供しただけかと…思い込んでた(失礼なやつだ)。みくびっていて本当にすいませんでした。それにしても〆のSlow Moon's Roseなあ……これだけは本人に歌ってほしかった。まあ、それやっちゃうとアンソニー的にはToo Muchということになるんだろうが。ARPくん、後半のメロディの解釈がちょっとお手軽。そこは違うんだよ。でも、いい。僕には伴奏のピアノだけで涙モノだった。

 

ぼちぼちいこか
         

13.11.28

 

 

 

 

渚にてによるMNKリスト MNK List by Nagisa Ni Te vol.5


その5 :
アンソニー ・ムーア
Anthony Moore/Out

音楽は灰皿にマッチを落とすのと同じ その程度の意味しかない……初出はロック・マガジンだからこの名文句も出典が怪しいもんだが。しかしなんといっても、とにかく。ここまで粒ぞろいの楽曲を極上の編曲と極上のアトモスフィアで仕上げておいて、リリースされなかった、しかも本人たっての要望で、という顛末はマヌケの真骨頂と言って差し支えなかろう。いやアウトいうても、兄ちゃん、そらホンマにアウトやがな。81年頃?だったか「アウト? 曲はまあ悪くないんだがカントリー&ウエスタンみたいな保守的なアレンジがダメだったからなー」というようなインタビューを読んで唖然としたことも今となってはミルクティー色に経年劣化した青春の1ページ。ヴァイオリンのことを自虐的に揶揄してるんだろうけど、いや〜C&Wはないでしょ。ちょこっと時代的にAOR的なテイストが入ってるのがいいんだよ。それでスラップ・ハッピー/ヘンリー・カウとの差別化がうまくいってたと思うんだがな。指が6本でもいいじゃないか(拙稿「ひとこと 2008.12.30.」参照のこと。Voice Print盤の手話ジャケはやっぱり誰にもわからない自虐ネタなのか?)、出しておけば皆が幸せになれたのに。イギリスのボズ・スキャッグスになれたかも知れない。いやそれは無理か、せめてJ.D.サウザーとかな。スラップ・ハッピーのヴァージン盤を忘れがたいものにした立役者グラハム・プレスケットのヴァイオリンが、ここでも記憶にえぐり込むような信じられないソロを披露している。そしてケヴィン・エアーズのベースがとてもいい。こちらも忘れがたいA面だけの名盤「Rainbow Take Away」とは地続きの島、ということになる。Real OUT…名誉MNK筆頭とここに認定する。

ジャケ写がすべてを物語る

「愚者の庭」 by Yuzuru Agi

13.11.25.

 

 

 

 

いつごろだったか確か80年代、工藤冬里君が誰かのバンドのライブだか録音だか、に呼ばれて適当にピアノを弾いたら、終わってから誰かに「キース・ティペットみたいですね!」と声をかけられたことがあったそうだ。当人は褒めたつもりだったんだろうが、工藤君はそれをたいへんな侮辱と感じて腹が立ったがプライドもあって一応平然と受け流したものの後年まで喉に刺さった魚の小骨のようなトラウマとなって残ったらしい。まあ世の中そんなもんよ。いやそんなことはどうでもいいのだが、コレ、どこか山奥のお寺にいるみたいな風通しのわるい空気感が尋常でない。フランク・ペリーという人がやっぱり謎だな。ロバート・フリップが他人の世話焼いてうまくいった唯一の成功例がこのグループだった(これと後年のローチェスはよかった)。結局フリップはフランク・ペリーに似た出自を持ちつつもビジュアル的にもっと派手な(ロック寄りな)ジェイミー・ミューアみたいなオッサンを探し当ててちゃっかり自分のバンドのアップグレードに利用してるところが勉強家。Blue Printもわるくないが、こっちの方が演奏自体の密度が高く、また部族感とでもいうべき一体感があって魅力がある。5年に一回は絶対に聴きたくなる秀逸ブツである。

キース・ティペットは本物。すごいと思います
         

13.10.17.

 

 

 

 

「オレのギターが / たどるコースを / 信じていいんだぜ」

こんなことを歌った/歌えたのは、彼だけ、だった。そして、その、いちばん肝心なこと、を実践できていたギタリストは、自分にとっては、日本では3人しかいない。そのうちのひとりが、いなくなってしまった。ひときわ残暑の厳しいこの夏は、初老の我が身にとっては、 ただただ耐え忍ぶしかない、辛い季節となってしまった。

生き方が正直なひとだったと思う
         

13.8.17.

 

 

 

 

J.J.ケール死んだのか。知らんかった。もう、あかん。エアコンの無い職場なんや。仕事してたらズボンが。熱いねん。38度。パティ・スミスより、このヒトの方がスキ。ケビン・エアーズとのデュエット「ウラ〜ウラ〜」すごく楽しくてよかったよな声の相性ピッタリで。ニコよりちょっと上ぐらいの低い声と達者なフィンガー・ピッキングが魅惑的。原子心母というよりはザ・ボディーが大好きなロン・ギーシンとのコラボも忘れられない。

生き方が正直なひとだと思う

13.8.13

 

 

  

 

ここんとこの連日大暑、というか異常高温の大阪では、もはや夏の情緒など消し飛んでしまっている。昭和…の幼少期、如何にものどかな時代の夏…市井には扇風機しかなくクーラーなどなかった、いや必要もなかった。深夜には決まってひんやりとした空気が窓から流れ込んできた夏…に聞き馴染んだ音色とは確実に異質な、やたら狂躁的でノイジーな蝉の鳴き方に、オゾン層の壊滅へと移行しつつあるこの小惑星の哀愁を否応なく感じさせられる日々のメランコリアである。近所の老婆は早朝アスファルトの路上に無駄な打ち水をして達成感を得ているが、じきにその虚しさだけがゆらめく蒸気と化してしまうのが妙に腹立たしい。団塊世代の老人が競輪選手のような格好でタイヤの細い自転車に跨がり意気揚々と車道を走行し、自分が交通の妨げになっていることなどまったく意に介していない様子がまことに腹立たしい。そんな時はコレを聴いて気分を静めるようにしている。カーム・ダウン。

 

はじめて聴いたときの衝撃は相当なものだった
それは、あくまでロックの感覚で
こんな音楽が成り立つということへの驚きだった
それまで聴いたこともないような音楽がここにあったのだ
A1からA3の流れはいまだにスタティックな高揚感をもたらす
音の深度が可聴領域の限界に達していて凄いのはB面なんだが
A面で満足してしまって盤をひっくり返さないパターンも多い

 

 

なあ、ピザでも食いにいかへんか?

13.7.27

 

 

 

 

すいません。新曲は12曲ではなく11曲の間違いでした。訂正してお詫びいたします。まちがいはいつ何度起こしても単なる凡ミスでしかありえない。

これでゆるしてください
         

13.6.27

 

 

 

 

5月26日のためのリハーサルは、新曲12曲をすべてキーボードが加わった4ピース用にリアレンジする作業に想定外に時間がかかってしまい、結局見切り発車のような形となってしまった。頭数だけがとりえの某ブラバンならいざ知らず、まちがいはいつ何度起こしても単なる凡ミスでしかありえないことをこの年になって改めて痛感したのだが、次回への課題を残しつつなんとか終了。ずいぶんひさしぶりの4人編成(クアトロでのワンマン以来か)の気分を表すなら、さしずめCCRからザ・バンドへ、エッグからハットフィールド&ザ・ノースへ、とアップグレードしたような感じ。やっぱりメンバーひとり増えるだけで世界観がまるで変わってくる。逆にジェネシスみたいに5−4−3と減っていく引き算バンドは内部的に相当しんどかったと思われるが、そこをふんばって逆転満塁ホームラン、大成功したのは本当にエラいと思う。さて、今年の最大のお楽しみはコレしかないやろ! もう待ちきれない、10回見に行くで。  

とは言ったものの、
明らかなミスキャストと詰めの甘い脚本のせいで完全な期待はずれに終わったELYSIUM
(2014.11.19 追記)
         

13.6.6.

 

 

 

  

「北極光 - 南十字星」なのだ。Northern Lightsとはカナダやアラスカ、北欧などで見られるオーロラのことを指すらしい。それと、南半球でしか見られないSouthern Crossの対比である。これをふまえて聴くと余韻がいっそう増す。そう、まず…自分(ロビー・ロバートソン)はカナダ人としての出自を歌詞で表明した上で、遠慮なくギターソロをやること。さしずめカンにおけるマルコム・ムーニーのポジションだった唯一の米国人リヴォン・ヘルムにはイメージを裏切らない南部魂の魅力を駄目押し。「グループの皆がずっとリード・シンガーだと思っていた」リチャード・マニュエルには、もはや八方破れの呑んだくれドラマーを演じさせるのではなく、もう一度本気で歌わせること。田舎のソウル・マン、リック・ダンコには最後にふさわしい落涙バラードを用意してやること。そしてシンガー3人が順にリード、コーラスをリレーする派手な舞台を用意してやること。舞台の音楽監督ガース・ハドソンには最新式のシンセサイザーを思う存分にダビングさせること。録音とミックスは、誰がどんな局面でどんなプレイをしているのか、すべてクリアに聞き取れるように注意すること。画竜点睛に「ザ」・バ ンドとしてのソウル・ブラザー的なパブリック・イメージと自分のポジションを同時にハッキリさせる明快なジャケ写を。いずれも合格である。策略家としての側面を批判される事も少なくないロバートソンだが、この最終作における大変な尽力には画策よりも何よりも音楽への誠意を感じる。最大限に讃えたい。

Northern Lights - Southern Cross

13.5.23.

 

 

 

クラスター「Sowiesoso」より数段いい。この、かすれた現実感、茫洋たるシズル感、目を細めて見た時の空気感。まさにハルモニア「Deluxe」からの到達点、というか、音楽の秘密成分を抽出したかのような出来映え。本人としても納得がいっているのではないだろうか。相棒の傑作「Zero Set」とはちょうど対になる位置にある。この二人に共通しているのは、自分の音楽に向かう時に理や論でなく自身の曖昧な感覚だけをガイドにしていて、そこにブレがない点。なんだかんだいっても最終的にはキッチリ構築して「By This River」ってことでまとめてしまうイーノには決して達し得なかった境地である。時々ノイズがブチッと平気で入ってたりフェイドアウトの仕方が結構ぞんざいだったりするところもまた最高。

こんな感じ
         

13.5.1

 

 

 

 

渚にてによるMNKリスト MNK List by Nagisa Ni Te


その4 :
シャギー(シュギー)・オーティス
Shuggie Otis/Inspiration Information

管弦セクション以外すべて自分一人の多重録音、しかも3年もかけて作ったのがコレ。というのがそもそも大物マヌケ感を漂わせている。確かにスライの影響っていうか…パーツ的にはほとんど真似てるような場面もあるんだ。けど、決定的に違うのはリズムボックスが非常に微温的で腰砕けに聴こえる点だ。そこが逆にオリジナリティの証左ともなっているのがなんとも摩訶不思議な、つまり扱いに困るヒトだ。凝りに凝ったリズム・アレンジと音色の繊細な選び方、それにフックの効いた曲作りのセンスが並大抵でないことは一聴してわかる。そのわりにはなんだか全体的に緊張感が低く、やたらリラックスしている。そうかと思うと、風呂敷広げといて急に人を突き放して黙ってどっかに行っちゃうようなオチのない謎のエンディングなども目に余り、なんでそんなコトするん?単に飽きたん?と突っ込みたくなる美味しい箇所が豊富に盛り込まれている。しかも感触はあくまでとっつきやすく人なつこい。Gary Wilsonなんかワザとらしいだけやん!ふとそんなことを思わせるコレを栄えあるMNKと言わずして何と言う。

 



ジャケ写がすべてを物語る、ような
         

13.4.8

 

 

 

You can't shine if you don't burn...これが辞世の句なのか。遺作となってしまった「The Unfairground」のレコーディングに参加したビル・ウェルズ君の話では、遅い午後スタジオに現れ最初に要求するのはギターではなく「とりあえずビールね」居酒屋かよ!セッションが始まる頃には「誰か親切な人ウイスキー買ってきて」で、シメは「誰か…コカイン…」だったそうだ。還暦なのにそんな調子で大丈夫なのだろうか、とは思っていたが。やはり大丈夫じゃなかった。故オリー・ハルソールを伴った88年の初来日はかなり楽しめるものだったが、90年代以降リタイア状態のケヴィンはマネージメントも万全ではなかったらしく、4度目の来日の際は、基本的な配慮とリスペクトを欠いた招聘態勢のせいでまるで新人バンド扱いのドサ回りツァーと化してしまっていたようだ。当人にしてみれば日本を訪れる度に会場やツァーサポートが劣悪化していったのだから、さぞかし気分も落ち込んだことだろう。度重なる演奏拒否で不評を買っていたのは痛々しかったが、それでも精一杯のアピールだったにちがいない。でもそんなことももう、どうだってよくなってしまった。さようなら、Prince of darkness 闇の国の王子、ケヴィン・エアーズ。


多感な十代の少年の心を震わせた宝石盤だった
Repose en paix
         

13.2.26

 

 

 

 

すでに終わった話題だが『お前を殺してオレも死ぬ』このお題で1曲書ける、そう思ったね。本当に言ったのか真偽の程は置くとしても、この「みちのくひとり旅」(山本譲二)を地で行くセリフには、イメージをそこなわない信憑性があった。ロック・マガジン阿木譲、一世一代の名文句として記憶に留めたい。70年代をプログレッシヴ・ロックからパンク・ロックへの関心対象の移行期とバイブル・ブラックなティーン・エイジ下半期とを同時進行で悶々と過ごした大阪ネイティヴとしては、76〜79年頃に阿木譲が紹介したレコード群には否応なく影響されたものだった。なあ、みんな? 当時、それらはミュージック・ライフでも音楽専科でもロッキング・オンでもニュー・ミュージック・マガジンでも絶対に取り上げない超マニアックな最先端の輸入盤ばかりだったからだ。忘れられないフリップ&イーノ「イヴニング・スター」にピーター・ハミル、ジャーマン・ロック、ドクターズ・オブ・マッドネス!でもってスーサイド、オンリー・ワンズ、ヴォイドイズのシングルに801、NO NEW YORKね。常に「キミはまだ知らないのか?」的な紹介の仕方だったから、すぐに焦ってLPコーナーやDown Townへ走ったものよ。その未知のセレクションは非常に魅惑的だったのだが、とにかく普通の音楽雑誌とは根本的に成り立ちが違うな、という印象がロック・マガジンには最初からあった。取次を通して駅前の本屋に並ぶ音楽雑誌なのに発行は大阪、しかも表紙は合田佐和子のオカルティックな「アート」ときたもんだったから相当なインパクトだった。だがそれにも増して異様だったのは、自らが紙面で呼びかけて集めたはずのボランティア編集スタッフへの失望や非難を実名入りであらわにする文章を書いては哀切感に満ちた解散と再出発への動機として重ね合わせ、強引に紙面の刷新を計ってしまう「事件」が度々あったことだ。常識的には表沙汰にはしない(する必要もない)であろう内部のイザコザを露悪的にさらけ出しては「〜また一人になってしまった」などと感傷的に書き連ねる行為は自虐の悲壮感に酔っているだけのようであり、編集長なのにすべてをスタッフと読者の理解力不足のせいにしてしまう文章の立脚点が不可解だった。それが雑誌運営上の流儀だったのか単に性癖だったのか何とも判別し難いが、いずれにせよ人見知りのプログレ少年だった自分にとっては、どうにも近寄り難い、面妖なキャラクターとしか映らなかった。つまるところ、その時代の秀でたレコードをいちはやく嗅ぎ分ける動物的な感覚(それは決して理論や分析、あらゆる客観性とは両立しない直観だけが拠り所だった。ただ、初期ロックマガジンに在籍していた坂口さんの言によれば、スタッフが見つけてきたレコードをちゃっかり自分の発見のように書くこともしばしばあったそうである)、それだけがロック・マガジン阿木譲の唯一個性であり存在意義だったように思う。そしてそれがほんの一瞬輝きを放ったことがあった。関西ローカルだったけれど。でも、それで十分だった。


どう書いてもすべて過去形になってしまう

13.1.20

 

 

 

ニュウス

さくひん

ひとこと

いちまい

top に戻る

 

2012年のひとこと→ こちら

2011年のひとこと→ こちら

2010年のひとこと→ こちら

2009年のひとこと→
こちら

2008年のひとこと→ こちら

2007年のひとこと→ こちら

2006年のひとこと→ こちら

2005年のひとこと→ こちら