老いの心・技・体 |
「老いの心・技・体」 スポーツの世界では、よく心・技・体という言葉が使われます。 高齢期になっても心・技・体に注意し、心がけることが大切ではないで しょうか。高齢期の私の気持ちを述べてみます。 |
はじめに 人生ラスト10年が大切です。 歩けない・食べられない・判らないが高齢期を進むたびに出て来る症状でしょう。 これらを認めて日常を送り少しでも現状を維持できたら最高に幸せです。 寿命より健康寿命を大切に自分の意思で人生の最終章を迎えたいものです。 年齢に応じた「心」「技」「体」を考えてみましょう。私が勝手に考えていることです。 人それぞれです。 1)心 年を取ったとか、衰えたとか自らが考えることが、衰えにつながると思います。 精神的には高齢期でも衰えたとの感覚はありません。 高齢期になればなるほど経験を生かした精神力は、強くなるような気がします。 年齢に相応な活躍の場があります。 年齢に応じて、想像の世界から共感の世界より実感の世界となってゆきます。 私が、就職したころは上司の気持ちも判らずに上司に文句を言っておりました。 しかし、自分自身がその職務につくと全てではありませんが、上司の気持ちが理解でき ることが多々出てきました。 それと同じように若かりし頃は想像で、高齢者のことを考えていました。 中年となり、その気持ちは理解できるという共感のこころで高齢者と接していました。 現在の年齢になり、自分自身が高齢者を実感できるのです。これは素晴らしいことです。 年齢だけはどれだけ頑張っても追い越すことはできません。 その素晴らしい実感を社会貢献に利用することでこころも元気になると考えます。 もう一つ年齢を重ねますと上手に開き直ることできます。「どうにかなるさ」と。 2) 技 技(業)は、テレビなどで取り上げられるように幾つになっても活躍している方が大勢 います。益々情熱を込めて技を磨いてる高齢な方を拝見しますと感激します。 私など技は何もありません。それでも無理して探してみますと、高齢者施設は介護 保険制度ができる前から訪問していたことでしょうか。 成年後見制度も法律が発効する前から勉強していたことでしょうか。 幸い現状では体も元気です。元気な体を使って高齢社会を実感として、何か貢献でき ないかと考えています。技ではなく、経験でしょうか。 高齢者がお互いに愚痴を話し合える場を作りたいと考えています。参加者全て平等、 話を聴く、参加者が無理せず助け合うことが出来るようなグループを夢見ています。 現在、そのような非常に素晴らしいグループの一員として、楽しく参加させて頂いて おります。技はなくともお互いに他人を認め合うことも立派な”技”かも知れません。 3) 体 身体は、若者の真似をしても真似できません。 でも、年齢と仲良くしながら健康の維持をすることは大切なことでしょう。 もし、体の自由が利かなくなっても、堂々と日常を過ごしたいと考えています。 健康寿命を延ばすことも大切ですが、不幸にして自由が利かない、判断力が衰えた と言っても決して悲しむことはありません。それまで立派に社会のために生きてきた のですから、持ちつ持たれつつでいいのではないでしょうか。 私が、何故老人施設を訪問するかと言えば、社会のために頑張ってきた人々が生活の 場として生きているからです。 その方たちに感謝の気持ちを少しでも伝えたいためです。老人施設では特に女性が多く 生活しております。 頑張って家族を支え一人になり、生活の場を老人施設に移した方々が多いのです。 私達もできる努力はすることは大切です。煙草はほどほど(やめることですが、高齢 となり煙草のみが楽しみな方も)日常できることは健康を維持するために、楽しみなが ら運動などして欲しいと考えています。それは即自分の為です。 1秒に1メートル・1時間3.6キロメートルそんなに早いスピードではありません。 途中で休み自然を観察し、自然の動きを実感できる幸せを楽しんでほしいものです。 この世を去るときは人々に素晴らしいと言われる顔をして最後にしたいと思います。 どうなりますか、誰にも判りませんが。 老いて失う心・技・体もあると思いますが、残っていることにこころを入れて前向き に生きて楽しみたいものです。 ※ 参考 健康年齢と平均寿命の差 女性 12年 男性 9年 この差を少なくし長生きしたいものです。生きて生き抜き楽しく過ごしましょう。 シニア ライフ アドバイザー岡島貞雄 |